0才で難病・小児LCHと診断されたわが子。現代医療と娘の生きる力を信じ続ける日々だった。そして、15才になった彼女は今…【体験談】
小野はずきちゃん(15才・仮名)は、1才2カ月のときに重症の多臓器型ランゲルハンス細胞組織球症(LCH)と診断され、再発も経験しました。LCHは、「小児慢性特定疾病」に認定されている珍しい病気で、小児の発症は毎年60人~70人といわれています。
治療中の様子と現在に至るまでの経過観察について、母の優子さん(52才・仮名)に聞きました。
骨や皮膚はすぐによくなったけれど、リスク臓器に効く薬が見つからない
1才2カ月のとき、国立成育医療研究センター(以下成育医療センター)でLCHと診断されたはずきちゃんは、すぐに化学療法(抗がん剤)を受けることになりました。「LCHは薬がよく効く」といわれますが、治療の結果、耳の骨が再生され、直腸の炎症も無くなって下痢もおさまりました。そして翌年の6月に退院。はずきちゃんは1才10カ月になっていました。しかしその1カ月後には再入院に。「寛解にはなっていなかった」のだそうです。
「退院後は自宅で抗がん剤の飲み薬を続け、1週間に1回成育医療センターに点滴に通う『維持療法』という治療になりました。家で過ごせることはありがたかったのですが、まだ『折り返せていない』とも感じていましたし、当時のLCHの標準治療をすべて行っても、なかなかよくなりませんでした。
そして秋を迎えた2才2カ月のとき、熱が出て症状が一気に悪くなりました。
そのとき行った治療は、当時のLCHの標準的な治療法にはなっていないもので、成育医療センターでは初めて行われたと聞いています。これがダメだったらあとは『造血幹細胞移植』しかない、という説明でした。薬が効くのをひたすら祈る日々が続きました。幸い娘には合ったようで、リスク臓器(肝臓、脾臓、骨髄)の病変も改善が見られるようになりました。
それまでは、私が触ってもわかるくらい肝臓や脾臓が腫れていたのですが、薬が効き始めたら徐々に腫れがおさまり、機嫌のいい時間も増えていきました。急におしゃべりも増え、明るくなった姿を見て、やっと『はずきは元気になる』と考えられるようになりました」(優子さん)
LCHの治療実績が多い成育医療センターで治療を受けていたこともあり、「セカンドオピニオンは考えていなかった」(優子さん)そうですが、主治医の塩田先生の提案で受けることにしたそうです。それは、はずきちゃんが2才ごろのことでした。
「塩田先生が『1人の医者の話だけでは不安もあるでしょうから、セカンドオピニオンを受けてみますか』と言ってくださり、塩田先生の前に成育医療センターでLCH患者さんを長年診ていた恒松由記子先生を紹介してくださいました。はずきは入院中だったので、夫と2人で話を聞きに行きました。塩田先生の治療方針は適切であることなどをお聞きし、『現代医療とはずきの生きる力を信じて頑張るしかない』と、気持ちを新たにしました」(優子さん)
下垂体が光っているのをMRIで確認。ホルモンが分泌されている!
はずきちゃんが3才の誕生日を迎えるころ、待ちに待った退院の日がやってきました。1年間は維持療法(家庭での服薬)が必要で、その間に1回だけ免疫グロブリンの副反応が出てしまい、1泊入院して様子を見ました。それ以外は問題なく、4才の誕生日ごろに無事治療を終えることができたそうです。年中クラスから幼稚園に入園することもできました。
「年中の1年間は感染リスクを考えて砂遊びは避けましたが、それ以外はほかの子と同じように園生活を送れました。プールにも入っていました」(優子さん)
はずきちゃんは視床下部(ししょうかぶ)下垂体にも病変が現れ、ホルモンの分泌異常から「中枢性尿崩症」を起こしました。内分泌ホルモンの分泌異常は改善が難しく、長期的なホルモン補充療法が必要といわれていて、尿崩症に対しては点鼻薬が毎日必要でした。しかし、4才の冬に驚くようなことが起こります。
「点鼻の時間がかなり遅れてしまったことがあり、とても心配したのですが、のどの異常なかわきを訴えたり、おしっこの量が急激に増えたりすることはなかったんです。定期検診のとき、そのことを塩田先生に報告しました。
MRIで見ると、ホルモンが出ていると下垂体のあたりが白く光って見えるのですが、そのときのMRIでうっすらと光るのが見えて…。検査入院して詳しく調べ、内分泌の専門の先生にも診てもらったら、やはりホルモンが出始めているとの見解でした。なんと、尿崩症の治療薬も必要なくなりました。しかも、抗利尿ホルモンだけでなく、成長ホルモンや甲状腺ホルモンも出てきているとのこと。
少し背が低かったので、将来的には成長ホルモンの治療も必要になるのかと思っていたので、なんだか信じられない気持ちでした。そのころから現在に至るまで、何の薬も使っていません」(優子さん)
医療の現場をずっと間近で見てきた娘の将来の希望は、医療従事者になること
はずきちゃんはとても快活な女の子に成長し、中学校では卓球で都大会に出場したほどです。でも、再発や晩期合併症への警戒は必要なため、年1回の長期フォローアップは欠かせないそうです。
「今のところ晩期合併症は出ていませんが、年に1度はMRIを撮って経過を確認しています。定期検診は一生必要になるでしょう。娘にも体調がおかしいと感じたらすぐに言うように伝えています」(優子さん)
LCHと診断される直前に、小野さん夫婦は「ネット検索などでLCHのことを調べまくった」そうです。そのとき見つけたLCH患者会に、はずきちゃんが2才を過ぎたころに入会しました。
「病気のことを話せる人がほしいとは思っていましたが、治療開始当初は気持ちに余裕が持てず、入会へのアクションを起こせませんでした。でも、1年近くたつと多少余裕が出てきたので、入会することにしました。
LCHは希少疾患なだけに、LCHを患う子どもを持つ家族同士で情報交換をしたり、悩みを打ち明け合ったりできる場所はとても貴重だと感じました。また、専門医の先生の講演も聴けるので、入ってよかったと思っています」(優子さん)
はずきちゃんは現在15才。治療していたのは12年以上前のことですが、記憶には残っているのでしょうか。
「1才2カ月~3才ごろの入院治療のことは、うっすらとしか覚えていないそうです。骨髄穿刺などすごく痛い思いをしたことも覚えていないらしく、つらい記憶がないので、娘は成育医療センターが好きだと言っています。長年、スタッフの皆さんの仕事を間近で見てきたからか、将来は医療従事者になりたいそうです。その夢をかなえるためにも、娘にはLCHを受け入れつつ、ポジティブに生きていってほしいと願っています。
症状も経過も患者さんによって異なるLCHは、本当に不思議な病気です。でも今は治療法がほぼ確立され、多くのケースでよい成果を上げているそうです。
セカンドオピニオンをお願いした恒松先生に、はずきが元気になってから患者会総会でお会いしたとき、『今だから言うけど、これは大変なケースだと思ったの。元気になって本当によかった』と言ってくださいました。今、LCHと闘っている方がいたら『笑って話せる日はきっと来ます。現代医療を信頼し、わからないことはなんでも主治医に相談しながら、お子さんに寄り添ってください』と伝えたいです」(優子さん)
【患者会依田代表より】LCHの正しい情報と、気持ちを共有できる場の提供をめざしています
約20年前に発足したLCH患者会は、患者さん自身や家族の交流や情報共有を目的とした会です。私もLCH患者の母親で、12年前に入会しました。
患者会では、患者さんとそのご家族がLCHを理解し、治療に向き合っていけることをめざし、専門の先生方と連携しながら、親睦会や啓発イベントなどを行っています。「まれな病気」ゆえの悩みを共有し、少しでも不安を軽減できるお手伝いをできたらと考えています。
【塩田先生より】元気になったはずきちゃんの様子を、治療中の患者さんに伝えています
赤ちゃんのころのはずきちゃんは、両手でコップを持ってお茶をごくごく飲み、看護師さんに「もっとちょうだい」と全身で訴えかけていました。外来治療中も山あり谷あり。ママは、いつもお泊まりセットを持ってきていて、私からの突然の「要入院」の宣言にも、ご家族皆さんで治療がうまくいくよう協力してくださいました。
はずきちゃんから教えていただいたことを、今では別の患者さんに語り継いでいます。「今は大変でも、10年たったらなんでもできるし、きっとすてきなお姉さん(お兄さん)になりますよ。大丈夫」と。
お話・写真提供/小野優子さん 取材協力/LCH患者会代表・依田直子さん 取材・文/東裕美、ひよこクラブ編集部
なかなか合う薬が見つからず、造血幹細胞移植の一歩手前までいったはずきちゃんは、今では元気いっぱいで高校生活を謳歌(おうか)しています。
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