ダウン症の息子との毎日をSNSで発信し続けるわけとは? 美容家・金子エミさんインタビュー
パーツモデル、美容家として忙しい毎日を送りながら、ダウン症水泳におけるアジアチャンピオンの長男、そして自分のめざす道を実現すべく大学受験に全力で臨む二男を全力でサポートする金子エミさん。そんな金子さんの人生を支えてきたのは、少女時代の体操オリンピック選手を目指しハードな練習で培った強い精神力と子どもたちへの揺るぎない愛情。次々と起こる大変な出来事もものともせず、サバサバと、豪快に笑いながら話します。そんな母を間近に見ている二人の息子さんは、芯の強い、個性豊かな青年に成長しているようです。
オリンピックを目指していた少女がパーツモデルとして活躍。そのわけは?
―― 金子さんは、オリンピックを目指すレベルの体操選手だったそうですね。
金子エミさん(以下金子、敬称略) 小さい頃はオリンピック選手をめざし、体操の厳しい練習に明け暮れる毎日でした。だから、小さいときに家族とどこかへ出かけたり、弟(俳優の金子貴俊さん)と遊んだりした記憶はありません。両親が離婚したことも、全日本選手権の応援に来ていた母が来なくなって気づいたくらいです。
しかし、環境の変化からか、中2のときに倒れてしまい、体操を辞めました。
―― その金子さんがなぜパーツモデルになったのですか?
金子 高校卒業後は、体操のインストラクターになろうとスポーツ学校に通いながら実家のクリーニング店を手伝っていました。そんなとき、あるプロダクションの人に声をかけられたんです。「きれいだね」という言葉に「やった!スカウトされた」と天にも昇る心地でしたが、「手タレっていう仕事、知っている?」って(笑)
オーディションでは、常に「私は今、何を求められているんだろう?」と考えながら、それを手で表現するようにしていました。体操選手時代に培った、ある意味での度胸や集中力が役に立っていたのかもしれません。
当時はコマーシャルのフイルムが高価だったので、制作会社の人はNGを出さず、一発でOKを出そうと心がけていた私のことを評価して使ってくれていたのかもしれません。
いつも二人の息子の最強の味方でありたい
―― お仕事をされながら、二人の息子さんのママでもあります。
金子 長男の海人は7月で25歳になりました。ダウン症水泳の背泳ぎ50メートルと100メートルアジアチャンピオンです。
今年10月にポルトガルで開催される世界ダウン症水泳選手権に、ダウン症スイマーの代表として、背泳ぎ50m、100m、200m、自由形50m、そして男子200mフリーリレー、男子200mメドレーリレーと、個人、団体合わせて6種目の出場が決まりました。
そして、知的障害者水泳の日本選手権で初めてダウン症区分ができた7月24日開催の日本知的障害者選手権水泳競技大会で、背泳ぎ50メートルと100メートルで優勝、日本チャンピオンになれました。最高にうれしい!!!
長男の海人が小学校に入学したときに生まれた二男は、小さい頃から正義感が強くて真面目。他の子に比べると大人びた性格だったので、幼稚園では周りの子とあまりうまくいかなかったんですね。
だから、どんな小学校だったら彼に合うのか、ハッピーでいられるかを一生懸命考えました。
国立小学校から中学に進み、今は高校生3年生、受験生です。真面目で努力家で、今はどうしても行きたい大学があるといって一生懸命勉強しています。
性格もめざしていることも違うけれど、自慢の息子たちです。
―― 二人はどんな兄弟ですか?
金子 二男は生まれたときからずっと、私と一緒に兄である海人の送り迎えをしていました。ちょっと目を離すと海人は突然脱走してしまうことがあったんです。そんなとき、まだ幼い二男も一緒に探してくれました。見つかって泣くのは迷子になった兄でなくいつも二男でした。弟なりに兄を心配していて、ホッとしたのかもしれませんね。
もうひとつ、兄弟の関係を物語る今でも忘れられないエピソードがあります。
あるお正月に親戚が集まったとき、初めて海人の顔を見た女の子が「怖い」って泣き出しちゃったんです。海人はこれまで見たことのないというくらい悲しそうな声で泣いていました。弟はその様子を淡々と見ていましたが、帰りの車の中ではシクシクと泣いていました。兄を見て女の子が泣いた場面にショックを受けていたのかもしれません。
兄に対する弟なりの愛情は確かに感じていますし、基本は仲がいいなぁと思っています。でも、弟も思春期を迎えた今、正直、兄弟関係は難しくなっているなと感じることもあります。
自身の病気を乗り越えて伝え続けたいこと
―― 昨年、人間ドックで2万人に1人という珍しい胸腺腫という病気が見つかり、手術をされたことをブログで報告されました。
とても不思議なんですけれど、20年前に亡くなった父が2度も枕元に立っていたんです。それもとても心配そうに。それをきっかけに検査して、病気が見つかりました。でも幸運なことに、日本一の呼吸器外科の名医といわれる先生と出会うことができ、無事手術を終えることができました。
そのときに、二人の息子のためにも、世の中の誰かのためにも、私にはまだやるべきことがあるのではないかと強く思ったんです。36歳のときに美容家に転身したのは、私のパーツモデルの経験が誰かの役に立てるかもしれないと思ったからです。
仕事のことや海人のことをSNSで発信しているのは、おなかにいる子がダウン症だってわかって不安に思っているママやパパにも、「ダウン症の海人との日々はこんなにもハッピーだよ」って知ってほしいからです。妊娠中って、愛する人の子どもがおなかにいて一番幸せな時間のはずですから。
周りの人に「海人のことを発信するのはやめた方がいい」と言われることもありますが、でもこうやってメディアの前に立たせてもらう機会の多い私が発信することにはきっと意味があると信じています。
取材 / 米谷美恵・たまひよ編集部 文 / 米谷美恵
写真提供 / 金子エミ
SNSやメディアで、ダウン症の海人さんのことを発信している金子さんに、心ない言葉を投げつける人もいるそうです。しかし金子さんは、海人さんとのハッピーな生活を発信することがダウン症の子どもを育てることに不安を感じている人たちの背中を押すことに繋がると信じています。海人さんのことを話す金子さんは本当に幸せそうです。だから、その姿を見たり、メッセージを読んだりした人は、勇気づけられ、前向きな気持ちになるのだろうと感じました。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
金子エミさん
PROFILE
パーツモデル、美容家。25歳と18歳二人の息子の母でもある。
これまで約100本のCM・広告 約100本に出演。「金子エミとダウン症カイトの水泳奮闘記『世界は君のもの』など著書7冊。