過酷なお産の現場を見てきたから行き着いた。お産を扱わない地域コミュニティ助産院「こもれび家」の挑戦!
東京都昭島市にある助産院「こもれび家」は、「助産院」なのにお産は扱いません。そのわけは、助産師で代表の髙木静さんの助産師としての経験から。「おめでとう!」の言葉と祝福のなかでの幸せな出産を夢に描いて髙木さんが就職した熊本慈恵病院には、なんらかの理由で親が育てられない子を匿名で預かる「赤ちゃんポスト」がありました。新人助産師の髙木さんにとっては衝撃の連続でしたが、そのときの経験が女性の妊娠や出産、赤ちゃんが育つ環境を考えるきっかけとなったといいます。
前編では、お産をしない「助産院」を作ろうと思った理由を、髙木さんの助産師そしてご自身の出産、育児という経験から探ります。
夫に専業主夫を任せる罪悪感から産後うつに……
――― 新人助産師にとっては、親が育てられない子どもの出産に立ち会うことはかなりハードだったのではないでしょうか。
髙木静さん(以下髙木、敬称略)さまざまな葛藤を抱えながらも「救われる子どもがいるなら」という一心で懸命にお産に取り組んでいました。
でも、やはり職場はかなり過酷だったので、一度環境を変えてみようと退職、上京して立川にある産婦人科で働くことにしました。
東京の産婦人科で働いてみて、ママたちの出産後の状況をとても不安に感じるようになりました。多くの家庭は共働きで、出産のときの入院は5日間。退院しても誰の助けもない。1カ月健診が終われば「はい。あとはがんばってね」でおわり。
東京は、生まれ育った熊本の大家族のなかでのお産や子育てとは大きく違っていました。
――― 髙木さん自身も、働きながら出産、子育てを経験しています。
髙木:私が出産したときは、管理職である看護師長でしたから、出産後2カ月で職場に復帰しました。ちょうど、家の事情で夫と義母がやっていたカフェバーを閉めた時期と重なったので、専業主夫になってくれるようにお願いしました。
私が2カ月で職場復帰してからは、育児も家事も全て夫にやってもらいました。私は、搾乳したり授乳したりするだけです。一方で、私は家族のために働いているといいながら、夫に専業主夫をしてもらっていることにいつも罪悪感を覚えていました。
そして、その罪悪感のなかでハードな仕事をこなしているうちに、私自身が産後うつになってしまったんです。
――― つらい経験でしたね。
髙木:助産師で育児のことは全てわかっているつもりの私がうつになってしまうのですから、初めてのお産で、身体もしんどい、周りに相談する人もいない。そんな環境のママ・パパたちはどんなに大変な環境で育児をしているんだろうって初めて気づきました。
熊本の赤ちゃんポストに関西や関東から来ていた人が多かったのは、そういう理由だったのかと納得できたのもこのときです。
休職したとき、仕事以外にやりたいことが何も見つからず、「私は何の役に立たない人間じゃないか」と思ったこともありました。精神科の先生には、「とにかくやりたいことだけやってエネルギーを貯めなさい」と励まされました。
産前産後のママたちが気軽に相談できる地域コミュニティを作りたい
――― その経験が、髙木さんの今の活動に繋がっていったのですね。
髙木:仕事を辞めて子どもと過ごしながら少しずつエネルギーが貯まっていくうちに、「子育てをする人が気軽に相談できる場所を作りたい」と思うようになりました。産前産後の人たちを支援する場所がなければ、産んでも産みっぱなしになってしまう可能性がありますから。
そして、一度は仕事に復帰しましたが、2019年に運良くこの場所が見つかったので、正式に辞表を提出して、「産前産後のママたちが気軽に相談できる場所を作ろう」と活動を始めてみたら、同じ考えをもつ人たちが次々と集まってきたんです。
――― 「産前産後の人たちが気軽に相談できる場所」ですか?
髙木:出産する人のなかには高齢出産や不妊治療などハイリスクを抱えている人もいるので、病院はいつもマンパワーが足りません。そんななかでの妊婦健診は、体重測って、採尿して、「はい、何も問題ありません。お帰りください」って、まるでベルトコンベヤーに乗せられているような感じ。ドクターや助産師に話を聞きたくても聞けなかったという人もたくさんいるはずです。
本来なら、妊婦健診は、妊娠経過はもちろん、妊婦さんの気持ちの部分をフォローすることもとても大切なはずです。だからこそ、この「こもれび家」という場所は、「どこでお産をした人でも、帝王切開の人でも、不妊治療をしている人」もOKにして、産前産後に気軽に相談できる地域コミュニティの役割も果たせる場所にしようと考えました。
今は、昭島市から産後ケア事業の委託を受けながら運営しています。今年度からはショートステイも始める予定で、まさに準備中です。
コロナ禍でワンオペ育児。増える経産婦のうつ
――― コロナ禍において、妊婦さんや育児中のママに変化は見られますか?
髙木:多くの病院で、産後、EPDS(※)という、うつ病の指標となるアンケートを行なっています。そこでハイリスクと診断されると、退院後も保健センターなどと連携して、手厚いケアが受けられます。
コロナ禍以前は、ハイリスクと診断される経産婦さんは少なかったですし、もし、検査に引っかかるようなことがあっても、時間の経過と共に落ち着いていました。でも、コロナ禍の今、里帰り出産も、おじいちゃんやおばあちゃんに来てもらうことも難しくなっていますし、新生児のお世話だけをしていればよかったママが、感染者が出て小学校や保育園が休みになった上の子の面倒も一緒にみなくてはならないし、まして、小さい子は家の中でじっとしていられるはずがなく、ストレスフルな毎日を過ごすようになっているようです。
そんなときだからこそ、短い時間でもママたちがちょっと話せたり、息が抜けたりする場所は必要なんです。だから、たとえ1日ひと組であったとしてもここを開けている意味はあるとがんばっていました。
でも「こもれび家」には、私の家族も住んでいますから、うちの子が熱を出したり、保育園が休みになったりすれば、結局閉めざるを得ない状況になって……。正直、もうやめてしまおうかと、思ったこともありました。
文・写真/米谷美恵 取材/米谷美恵、たまひよONLINE編集部
※エジンバラ産後うつ病質問票(Edinburgh Postnatal Depression Scale)…英国で開発された産後うつ病のスクリーニング票
静かな住宅地に現れた地域コミュニティ助産院「こもれび家」。看板がなければ助産院だなんてわかりません。玄関を開けると、畳の部屋。無造作に置かれたおもちゃ。田舎のおばあちゃんの家に遊びに来たようです。この日は人気イベントの一つ「めぐみさんのまごはやさしいこ」。おいしくて身体に優しいランチを目当てに、赤ちゃん連れの親子たちが訪れていました。「体調はどう?」「大きくなったね」と声をかける静さんにママたちはほっとした表情を浮かべます。まるで親戚のおねえさんみたい。ひと昔前なら近所にひとりはこんな存在の人がいたのでしょうけれど……。「こもれび家」がめざしているのは、昔ながらのこんなご近所コミュニティなんだろうなぁ。静さんを中心に、ちょっと周りの人を気にかける小さな優しさが広がっていくといいですね。
後編は、「助産師のママと専業主夫のパパ。二人の思いが詰まった地域コミュニティ。『ママの笑顔は子どもたちの未来』お産をしない助産院が伝えたいこと」。静さんとご主人の駿さんがママ、パパそれぞれの目線で、子育てや地域コミュニティの運営に挑戦する姿を伝えます。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
髙木静さん
PROFILE
熊本県阿蘇市出身。現在4歳と7歳の二児の母。
熊本大学医療技術短期大学部助産専攻科を卒業し、助産師免許取得。その後、15年間病院に勤務で、約800人の赤ちゃんを取り上げました。
「こうのとりのゆりかご」での経験や、自身の産後うつを経て、助産師として、二児の母としての働き方や使命と向き合うなかで、開業と病院退職を決意し、2020年9月6日、助産院こもれび家開業。管理者就任。助産院こもれび家は、産前産後ケアに特化した助産院として分娩の取り扱いはしない助産院。「ママの笑顔と子供たちの未来のために」をコンセプトに、地域コミュニティとして、地域のみんなで子育てをしていける町づくりを目指しています。