白血病で亡くなった息子が教えてくれた「命には限りがある」ということ。キッチンカーに乗せた息子への想いと新しい挑戦
家族に支えられながらつらい白血病の治療に立ち向かってきた青木一馬くん。しかし治療の甲斐なく、命の終わりが近づきます。パパもママも1日でも長く生きて欲しいと思いながら、「お家に帰りたい」という一馬くんの希望を叶える決心をしました。それから10日間、大好きなパパやママ、妹、おじいちゃん、おばあちゃん、家族揃ってご飯を食べ、川の字になって眠り、一人ひとりにお別れを言って、一馬くんは静かに空へ旅立ちました。
パパの青木佑太さんは、そんな一馬くんが誇らしく、うらやましくもあると話します。そして今、青木さんは同じような境遇の人たちの役に立ちたいと子ども食堂を運営したり、病院で子どもに付き添うパパ、ママのためにキッチンカーで食事を提供したりと奔走する毎日です。一馬くんも喜んでくれていると信じて……。
子どもを亡くした悲しみを乗り越えて、同じ境遇にある人たちの役に立ちたいと行動を起こした青木佑太さんと麻純さん夫妻に、その想いや活動について聞きました。
最期の10日間で取り戻した、家族と過ごす当たり前で幸せな時間
――― お家に帰ってからの一馬くんはどんな様子でしたか?
青木麻純(敬称略、以下麻純):振り返ってみると、病気と闘っている一馬のためだけに過ごした時間はとても幸せでした。もうこれ以上治療方法がないと言われていましたが、大好きなウルトラマンが会いに来てくれて、少し元気になった時間もありました。しかし、それも長くは続かず本当につらそうにしていました。
でも、病院ではほとんど何も食べられなかった一馬が、家に帰って来た途端「納豆ご飯が食べたい」って言ったんです。祖父母や妹、いとこたちとずっと一緒にいられる。家族で川の字になって寝られる。みんなでご飯を食べられる。本当に濃密な幸せな時間でした。
――― 一馬くんの姿を間近で見ながらどんなことを思いましたか?
青木佑太(敬称略、以下佑太):一馬は、病気になったことで家族と過ごすという、ごく当たり前の時間が奪われてしまいました。だから、最期の10日間に家族みんなで過せたことが何より幸せだったんじゃないかなぁと思っています。
一馬は会いに来てくれたいとこたちにも「大好きだよ」とお別れの挨拶していました。もし、病院で治療することを優先していたら、こんな場面は見られなかったでしょうし、家で過ごせたからこそ一馬が本来もっているさまざまな姿を見ることができました。本当に最期の10日間を家で過ごせて良かった。心からそう思っています。
4歳の息子が教えてくれた「命には限りがある」ということ
―――3歳で発病した一馬くん。亡くなったときまだ4歳だったそうですね。
佑太:周りからみれば、4歳という幼さで亡くなったことは不幸であり、かわいそうな子だと映ってしまうのは仕方ないのことなのかもしれませんが、私は不幸ともかわいそうとも思っていません。
一馬は、幼いなりに自分が死んでしまうことを理解していたと思います。だから「大好きだよ」と挨拶できた。家族と過ごせて、挨拶もできて、幸せのなかで最期のときを迎えられたのだと思います。命は有限であり、いつか必ず人は死ぬのだから、私も一馬のようにみんなに挨拶して納得して死にたいと思っています。
そのためにも、一馬の闘病生活を間近で見てきた経験をなんとか活かしていきたい。だから私ができることはないかをいつも考えているし、一馬もそういう私をきっと喜んでくれているはずです。
息子の闘病生活を間近で見てきた私たちが「今できること」とは?
――― 実際にどんな活動をしているのでしょうか?
佑太:私は医療の現場にいるわけではないので、直接病気の子どもを支援することはできません。でも、子どもが病気になって大変な思いをしているママやパパ、きょうだいの支援をしたいと考えました。
闘病中の子どもをもつママとパパ、そのきょうだいを支援していこうという信念をもてたのは一馬のおかげです。何かあったときは、その信念に立ち戻れますから。長い一本道を歩いていても、立ち帰る場所がある。だから忙しいし大変だけれど、今はとても幸せです。
一つは、きょうだい児の支援です。
一馬の妹の優里南もきょうだい児のひとりです。一馬が闘病生活を送っているときは、まだ1歳と小さかったので、うまく自分の気持ちを表現できませんでした。しかし、一馬が亡くなった後に妹が生まれると、「今まではずっと一馬で、今度は絃羽」と、寂しい気持ちを口にするようになりました。でも、そういう気持ちを表現できず我慢している子もたくさんいると思うんです。
だから、そんなきょうだいのために自分ができることはないかなと考えて、公民館の中に病児のきょうだいたちのためのこども食堂兼遊び場を作りました。地域の子どもたちもきょうだいも、病気の子や障がいのある子もゴチャ混ぜになって遊べる場所です。
――― パパとママ向けの支援も始めたと聞きました。
佑太:入院中の子どもをもつママとパパの栄養支援のためのキッチンカーを始めることにしたんです。子どもの付き添いをしているパパ、ママの食事は、カップラーメンだったりゼリー飲料だったりすることが多いんです。だから週に1回でも温かいご飯を食べてもらってホッとしてほしいなとずっと思ってきました。
そして、たくさんの人に背中を押してもらいながら、一馬の命日である2022年10月11日に、お世話になっていた群馬小児医療センターでスタートさせました。
――― たくさんのパパ、ママに利用してほしいですね。
佑太: 「おうえんチケット」という割引券を応援者に買っていただき、それを付き添い入院中のパパ、ママにプレゼントする仕組みを作りました。
パパ、ママは「おうえんチケット」を使うと300円引きで購入することができるんです。また、病院スタッフや一般のお客さんがたくさん来てくれることで、この事業の継続を助けることにつながります。
近い将来は、キッチンカーの横に遊ぶスペースを作って、そこで子どもたちを預かれれば、パパやママは入院している子どもの面会に行きやすいでしょうし、居場所ができれば、難病の子も、障がいのある子も、きょうだいも、不登校の子も、さまざまな子どもたちが集まる地域の基幹的な場所に発展していける、そう思っています。
子どもとの今の時間を大切に過ごしてほしい
――― 青木さんの活動を通じて、周りの人たちに知って欲しいことはありますか?
佑太:もし一馬と同じように、余命宣告されているお子さんがいるなら、「家での看取り」も選択肢から外さないでほしいと思います。私たちの場合、一馬を家で看取れたから、こんなに前向きな気持ちになれているんですよね。
麻純:家に帰るという決断は、治療を止める=子どもの死を受け止めなければならないということです。私たちも、もう何の治療法もないのに、その辛い状態を点滴で栄養を補うなどしているだけでした。子どもは「家に帰りたい」と言っているのに、「何か治療法はあるはず」と繰り返し考えていて、なかなか家に帰る決断はできませんでした。
佑太:親だからそういう気持ちがあって当たり前なのかもしれませんけれど、「家に帰りたい」という息子の気持ちを優先させて、あと半年早く家に帰っていたらと思うこともあります。でもその半年があったから、大好きなウルトラマンに会えたという楽しい思い出も作れたので、後悔ばかりではありませんけれどね。
もし家に連れて帰らず、病院で点滴に繋がれていれば、最期の10日が2週間、いや3週間、延びたかもしれません。でも、それが幸せだったとは思えないのです。
麻純:一馬を亡くした今、子どもが生きてくれているということは本当に尊くて、元気に育ってくれるだけでもう十分だと思っています。子育てをしているといろいろな悩みはあるでしょうけれど、お子さんとの今、時間を大切に過ごしてくださいね。
取材・文/米谷美恵 写真提供/青木佑太さん、麻純さん
かけがえのない子どもを亡くすというつらさを乗り越えて、今、他の誰かの役に立ちたい。闘病中の子どもをもつパパとママ、そのきょうだいたちを支援していきたいと一歩を踏み出した青木佑太さんと麻純さん。一馬くんという心の拠り所があるから、どんな困難に出合っても、迷っても、つまずいても、前を向いて進む二人の姿がありました。一馬くんの蒔いた種が大きく花開きますように。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
青木佑太さん、麻純さん
PROFILE
約1年間の闘病の末、長男一馬くんを自宅で看取る。そのがんばりから学んだことを中心にブログにて発信。きょうだいさん支援のために始めた子どもの遊び場&こども食堂「ヤマアソビKIDSCLUB」と「昼あそび会」、付き添い中のパパママと医療スタッフを応援するキッチンカー「fufufu-soup」を運営する。その他、小児がん支援のためのレモネードスタンドや死生観をテーマにした講話なども行っている。