3歳で余命宣告を受けた息子が言った「おうちに帰りたい」家族で過ごしたかけがえのない最期の10日間
いつも元気に走り回っていた青木一馬くんは、ある日、足が痛いとママに訴えました。そこまではどこの家庭でもよくある話。しかしその痛みは、思いも寄らなかった「急性リンパ性白血病」の始まりでした。昨日まで、すぐそばで笑っていたわが子が白血病だなんて。家族で一丸となって治療に立ち向かった先には、悲しい余命宣告がありました。「お家に帰りたい」という一馬くん。しかし、それは一馬くんの命の終わりが早まることにもつながります。それでも、パパとママは「家族みんなで最期の時間を穏やかに過ごそう」と決心します。
ご自身の経験をから病気の子どものママ・パパ、きょうだいの支援活動を続けている青木佑太さん、麻純さんご夫妻に、活動の原点にもなっている一馬くんのとの闘病生活について話を聞きました。
まさかうちの子が白血病なんて。頭が真っ白に。
――― どんな状況で一馬くんの病気がわかったのでしょうか?
青木佑太(敬称略、以下佑太):2018年12月頃、当時3歳だった息子、一馬が「足が痛い」と言い出しました。歩けないくらい痛がっていたので整形外科でレントゲンを撮ったのですが、特に異常がなく、一度は帰宅しました。しかし、痛みはひどくなる一方で、再度病院へ連れて行き採血をしたんです。
その結果、白血球の数値がとても高く、すぐに子どもの専門病院へ行くようにと紹介状を書いてくれました。検査では髄膜炎の可能性があるとのことだったので、2週間入院して点滴治療などを行いましたが、一向に良くなる気配はありません。そして、再検査……。「急性リンパ性白血病」と診断されました。一馬が3歳9カ月のときのことです。
――― つらい宣告でしたね。
青木麻純(敬称略、以下麻純)白血病なんてテレビドラマのなかの話だと思っていたので、先生から説明を受けたときは、「どうしてうちの子が?」と、頭が真っ白になりました。
佑太:それまでは、どんなに痛がってもどうしてあげることもできなかったけれど、「白血病」とわかったことでちゃんと治療ができると捉えました。先生から「8、9割は治る」というと説明もあったので、「24時間、付き添いは必要になるけれど、夜は私が付き添って病院から仕事に通おう」「夫婦でがんばろう」と前向きな気持ちになれました。
抗がん剤が効かない。より難しい治療のために東京の病院へ
――― ご夫婦共に、それまでの生活が一変したのではないでしょうか。
麻純:当時、一馬には1歳になる妹がいました。昼間は私が、夜は夫が一馬に付き添っているので、保育園の送り迎えは祖父母にお願いしました。私が夫と交代して帰るのも祖父母の家です。娘だけでなく、私のご飯やお風呂などの世話もしてくれていた祖父母には本当に感謝しています。もちろん、娘を家に残していくことはとても気がかりでしたが、当時は一馬の入院生活でいっぱいいっぱいで、娘のことを考えてあげる余裕はありませんでしたね。
――― 病院での一馬くんの様子を教えてください。
麻純:病院では、遊ぶときでさえ点滴に繋がれているような状態でした。足の痛みが治まっても、絶対に動いてはいけない検査があったり、食べ物が制限されたり、いろいろ我慢を強いられていました。
幸いなことに、抗がん剤の点滴をしているときは、まだ小さかったからか、頭痛や吐き気などの副作用はあまりなく、比較的元気にプレイルームで遊んでいた気がします。
しかし一馬は、抗がん剤があまり効かなかったのか、いわゆる「超早期再発」、治療が終わる前にまた悪い細胞が出てきてしまいました。このときの方が最初に「白血病」と診断されたときよりずっとショックでした。
そして、より難しくなる治療のため、当時入院していた群馬県立小児医療センターから東京の国立がん研究センターへ転院することになったんです。
家族以外にはできない病気の話。同じ境遇の人に役立つブログを
――― ちょうどその頃、佑太さんが一馬さんの闘病ブログを書き始めました。
佑太:私はそれまで平日の夜だけ一馬に付き添っていましたが、東京の病院に転院したのをきっかけに、一馬のためだけに時間を使おうと介護休暇を取ることを決心しました。
転院後の検査で、一馬の病状があまり良くないこともわかりましたし、6割の人に効くといわれている治療薬も全く効きませんでした。正直、今、仕事をしている場合なんかじゃないと思ったんです。
でも、1日中付き添っていても、治療の合間に一馬が寝ている時間もありましたから、何か病室でできることはないかなと考えて、ブログを開設することにしました。
――― どんな内容のブログですか?
佑太:自分の子どもの病気の話って、友達であっても、家族以外にはなかなか話せないんですよね。大手掲示板には同じ境遇の人同士が励まし合っていても、誹謗中傷の的になってしまうケースもよく見かけました。また、大手ブログサイトにあるいわゆる闘病ブログはネット検索ではヒットしない仕組みになっていました。
一馬の闘病記録を残したかったことはもちろんなのですが、同じような立場、境遇の人に対して有益な情報が発信できて、それを簡単に検索できるようなブログができたらいいなと思ったんです。
家に帰って家族みんなで最期の時間を穏やかに過ごそう
――― ブログを見た人の反応はいかがでしたか?
佑太:最初はあまり反応がありませんでした。しかし、あらゆる治療を試しても効かなくて、これ以上何もできることがないと余命宣告を受けて、自宅へ帰る決断をしたことを投稿したあたりから、見てくれる人が急に増えた気がします。
特に、家で過ごした最期の10日間について書いたときは、本当にたくさん励ましのコメントをいただきました。
――― 最期の10日間……。一馬くんをお家に連れて帰ろうと思ったきっかけを教えてください。
佑太:もう効く薬も治療もありませんでしたし、一馬も「お家へ帰りたい」とずっと言っていましたから。私たちも本当に悩みましたが、「本人の希望を叶えて、家族みんなで最期の時間を穏やかに過ごしらたいいんじゃないですか?」という在宅緩和ケア専門医の言葉に背中を押されて、「すぐに家に連れて帰って、家族みんなで過ごそう」と決めました。
取材・文/米谷美恵 写真提供/青木佑太さん、麻純さん
もし自分の子どもが病気になったら、余命宣告をされたら、私はどうするだろう。青木さんご夫妻の話を聞きながら、原稿を書きながら、何度も自分に問いかけました。子どもを亡くすというこれ以上の悲しみはないはずなのに、佑太さんも麻純さんも、一馬くんの話をするとき、とても優しい表情で、温かな声で話してくれました。こんなに穏やかなのは、二人で支え合いながら、大きな悲しみや絶望を乗り越えてきたから。そして今も、お二人の背中を押しているのは一馬くんに他ありません。姿は見えないけれど、一馬くんはいつもパパとママ、家族のすぐそばにいて笑っているはずです。
後編では、一馬くんがお家で過ごした最期の10日間の様子、そして一馬くんの死を乗り越えて前に進む青木さんご夫妻の新しい挑戦についてお話を聞きます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
青木佑太さん、麻純さん
PROFILE
約1年間の闘病の末、長男一馬くんを自宅で看取る。そのがんばりから学んだことを中心にブログにて発信。きょうだいさん支援のために始めた子どもの遊び場&こども食堂「ヤマアソビKIDSCLUB」と「昼あそび会」、付き添い中のパパママと医療スタッフを応援するキッチンカー「fufufu-soup」を運営する。その他、小児がん支援のためのレモネードスタンドや死生観をテーマにした講話なども行っている。