「アメリカなら治せたのではないか」と言われた患者父の言葉がきっかけで、小児白血病の新治療法を開発【専門医】
小児白血病は「治らない病気ではなくなりつつある」といわれますが、現在の標準治療では治せない白血病の子どもがいます。信州大学医学部小児医学教室・教授の中沢洋三先生は、そんな子どもたちに治療のチャンスを与えるために、新しい治療法を開発し、医師主導治験を行っています。
患者の免疫細胞を改変してがん細胞を攻撃する「CAR-T細胞療法」
――白血病の標準治療は抗がん剤治療、放射線治療、造血幹細胞移植ですが、これらの治療法では効果のない白血病の治療法として、「CAR-T(カーティー)細胞療法」が注目されています。どのような治療法なのでしょうか。
中沢先生(以下敬称略) 患者本人の免疫細胞の機能を人工的に高め、がんへの攻撃力を強化する新しいがんの治療法です。
もともと患者の体内に備わっている免疫細胞の一種「T細胞」を取り出し、そこにがん細胞の目印(抗原)を発見する機能を高めた特殊なたんぱく質の「CAR(キメラ抗原受容体)細胞」を導入します。このように改変したT細胞を体外で増やしたあと、患者の体内に戻し、がん細胞を攻撃するというしくみです。
――「CAR-T細胞療法」は、日本でも難治性のB細胞腫瘍(急性リンパ芽球性白血病と悪性リンパ腫)および多発性骨髄腫の治療薬として2019年以降5製品が承認され、保険適用になりました。その一つが小児白血病にも適用されています。
中沢 承認されたうちの一つ、急性リンパ芽球性白血病の治療薬「キムリア®」は、子どもにも使えます。2023年1月現在、当院を含めた大学附属病院、血液腫瘍科のある病院など全国41の施設で「キムリア®」による治療を受けることが可能です。
治験を早期に進めるために、最もリスクの高い第1相の治験を担う
――従来の「CAR-T細胞療法」と、中沢先生が開発した「非ウイルス遺伝子改変CAR-T細胞療法」との違いを教えてください。
中沢 CAR細胞をT細胞に導入する際には、「ベクター」と呼ばれる遺伝子の「運び屋」が必要で、従来の「CAR-T細胞療法」は遺伝子操作を施した「ウイルスベクター」が使われています。一方、私が開発した「非ウイルス遺伝子改変CAR-T細胞療法」は、ウイルスベクターではなく、アオムシ由来の「酵素」を使用します。この点が大きな違いです。
酵素を使用する最大のメリットは製造コストが低いことです。ウイルスベクターを使うと効率よく遺伝子導入ができるものの、臨床に応用するためには高規格な設備と膨大な安全性試験が必要になるうえ、医療従事者の感染リスクもゼロではありません。「非ウイルス遺伝子改変CAR-T細胞療法」は、より簡単、安価、安全にCAR-T細胞を作ることができるのです。
――中沢先生たち研究グループは2021年4月に、この「非ウイルス遺伝子改変CAR-T技術」を用いて、急性骨髄性白血病と若年性骨髄単球性白血病の患者に対する、世界初の新しいCAR-T細胞療法である「GMR CAR-T細胞」の医師主導治験をスタートしました。
中沢 既存の治療を受けつくし、「もう治療法がない」といわれたがんの子どもたちに、もう一度治療のチャンスを与えたい、その思いから「非ウイルス遺伝子改変CAR-T細胞療法」を開発しました。
「非ウイルスCAR-T」の開発を始めて15年、急性骨髄性白血病に対する「GMR CAR-T」の開発を始めて10年かけて、やっと治験までこぎつけたのです。
どんな治療法を開発しても、承認され、世に出なければ意味がありません。少しでも早く新しい治療法を子どもたちに届けるには、自分たちで治験を行うのがベストだと判断しました。
――中沢先生たちの治験は「オールイン・ワン型創薬モデル」であることも注目されています。
中沢 シーズ(医薬品の元となるもの)の開発、製造、管理、治験までを一貫して行っています。治験は安全性を確かめる第1相(フェーズ1)が最もリスクが高く、どんな副作用が出るか予想できません。海外ではこの部分をベンチャー企業が担うことが多いのですが、日本にはそのような企業は少ないのが現状です。リスクの高い部分を私たちが行い、安全性を確認したところで製薬会社にバトンタッチし、世に広く出すために動いてもらう。私たちの治験は、このような流れで進めています。
医師主導で治験を行ってもリスクが減るわけではありませんが、ほかに治療法がない患者さん本人や両親に、治験に参加することで考えられる効果とリスクについて、主治医として説明できます。患者さんに寄り添いながら治験を進めることができるのは、医師主導治験ならではだと思います。
日本初となる肉腫や卵巣がん、子宮頸がんへの治験もスタート
――中沢先生がアメリカに留学し、「非ウイルス遺伝子改変CAR-T細胞療法」を開発するきっかけとなったのは、先生が30代のときに担当した急性リンパ性白血病の少女だったとか。
中沢 白血病が再発し、骨髄移植を行った後に再発して亡くなった、11歳の患者さんがいました。その女の子の父親から「アメリカなら治せたのではないか」と言われたんです。自分でも日本の研究開発が世界から遅れていることを自覚していただけに、この言葉が響きました。
白血病で命を落とす子どもを減らすために、新しい治療法を開発しようと決意し、アメリカに留学し、研究を行いました。
――中沢先生の「CAR-T細胞療法」だったら、その少女の命がつながる可能性があったでしょうか。
中沢 彼女は急性リンパ性白血病だったので、私が治験を行っている白血病とはタイプが違います。彼女の白血病は、保険適用になった「CAR-T細胞療法」の治療薬「キムリア®」が使えるタイプなので、当時この薬が使えていたら、命が救えた可能性はあったと思います。
――治験は本来、主治医を通して患者本人や両親に提案されるものだそうですが、中沢先生の治療法の治験が始まったことで、患者本人や両親から直接問い合わせのメールが病院に来るようになったとか。
中沢 「もう治療法がない」と主治医からいわれた患者さんやその両親は、わらにもすがる思いで情報を集めます。その過程で私たちの治験を知る人も多く、たくさんの問い合わせメールが来ます。しかし、治験には条件や人数制限があり、「今回の治験は対象外です」とお答えするしかないケースが多々あります。状況を説明し、ご理解いただくのも治験を行っている者の役目だと思うので、できる限り私から返信するようにしています。
――「CAR-T細胞」はがんの種類ごとに開発する必要があり、現在、「CAR-T細胞療法」が適応されているのは血液のがんのみです。中沢先生たちは2022年5月から、子どもや若者を中心に発症する肉腫や卵巣がん、子宮頸がんを対象にした「HER2 CAR-T細胞」の医師主導治験も始めました。肉腫や婦人科悪性腫瘍を対象とする日本初の治験です。
中沢 難治性のがんは血液のがんだけではなく、そうしたがんの患者さんにも新たな治療法が必要です。世界中で多数の固形がんを対象に多種類のCAR-T細胞の治験が進められていますが、薬事承認に至った製品はまだありません。
CAR-T細胞はがんの種類ごとに開発する必要があり、私たち研究グループにはそのスキルがあります。「治療法がない」といわれる病気を一つでも減らしていくことが、私たちの使命だと感じています。
取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
現在の治療法では治せないがんの子どもを救うために、中沢先生は新な治療法を開発し、スタッフとともに医師主導治験を行っています。その薬が1日でも早く承認され、多くの子どもたちに使われる日が来ることを期待したいです。
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