ひとりでは「できない」を家族で共に乗り越えて。私たち親子のカタチ【筋ジストロフィーママの挑戦】
国が定めた指定難病の1つである筋ジストロフィーを発症しながら、2カ月になる赤ちゃん(取材時)と夫との3人暮らしをする小澤綾子さん。病気のために日々できないことが増えていくなかで臨んだ妊娠、出産、子育て。何度も夫婦で話し合い、子どもをもつという選択をしたものの、それでも目の前で泣くわが子を前に抱き上げることもできない現実は、綾子さんを不安や絶望に陥れます。「他のママと同じように赤ちゃんにしてあげられない」自分に傷つき、落ち込む毎日だと言います。それでも、近くで当たり前のように小澤さんをサポートする夫の邦彦さん。「あなたを手伝うことは苦痛ではなく、ごく自然なこと」という彼と一緒に、子育てに奔走する毎日です。
後編では、夫婦ふたりで取り組む子育て、わが子への思いについて聞きました。
妊娠も子育ても夫婦ふたりで
―――まずは病院探しですね。
小澤綾子さん(以下小澤、敬称略):今後の出産、子育てについて考えたときに、私ができることが徐々に少なくなっているので、ちゃんと計画しないといけないと思いました。
出産に関しても設備の整っている大きな病院がいいと思って、千葉県にある大きな病院を選びました。私が筋ジストロフィーであることを話したら、先生はとてもびっくりされていました。
出産事例のある病院に問い合わせたり、病院内の他の科と連携を取ったり、プロジェクトを組んでくれて、私の出産を成功させようと言ってくださいました。
――― 妊娠中にどんなことが一番不安でしたか。
小澤:転んでおなかの子に何かあったらどうしようと、とても不安でした。家の中では杖を使って歩いていたのですが、妊娠初期に、車椅子の生活になりました。
医師は、呼吸がしづらくなることを心配していました。おなかが大きくなるにつれて呼吸がしづらくなることはもちろん、私の場合はどんどん筋肉がなくなってしまうからです。
呼吸状態が悪くなれば、私だけでなくおなかの子どもも危なくなってしまうので、常に酸素飽和度測定器を付けて、酸素がちゃんと行き届いているかを確認していました。
――― 妊娠中に嬉しかったことはありますか?
小澤:妊娠できて、赤ちゃんがおなかにいるのはとっても幸せでした。こんな日が自分に来るなんて思ってもいませんでしたからね。
子どもはおなかをよく蹴っていました。おなかを触った夫がとても喜んでいるのを見て、この人は本当に子どもが好きで家族をもちたいと思っていたのだろうなと思って、本当にうれしくなったのを覚えています。
またこの頃、大きなおなかのせいもあって、私はひとりでトイレに行くのも、お風呂に入るのもできなくなってしまっていたので、夫にサポートしてもらっていました。
夫は大変な顔ひとつせず…、もちろん、おなかに子どもがいるのは私でしたが、まるで2人で妊娠していたみたいでした。
今も、私ひとりでは子どもを抱き上げることは難しいですし、おっぱいをあげるのにも夫の手助けがいるので、子育ても2人でしています。
――― 妊娠、お産で大変なことはありましたか?
小澤:つわりがひどくて、よく吐いていました。すごくだるくて起き上がれない寝たきりの生活が5カ月も続きました。
私は筋ジストロフィーのなかでも重度の方なので、てっきり帝王切開で産むのかなと思っていましたが、医師から経膣分娩でと聞いたときはとてもびっくりしました。
無痛分娩だったのですが、全然無痛じゃなかった(笑)。痛くて、痛くて、何度も壁を叩きました。陣痛の波が来るたびに、一刻も早く出てきてほしいと思っていました。
お産の後はずっと身体中が痛くてガタガタでしたよ。会陰切開したので、車いすへ移乗するたびに激痛が走り、毎晩、痛み止めをもらっていました。
大変な経験でしたが、無事、元気に生まれてきてくれて本当によかったです。
夫婦だけでなく、家族みんなで協力する子育て
――― 妊娠を機に、ご実家のある千葉県に引っ越されました。
小澤:結婚してからずっと住んでいた東京を離れ、千葉県に引っ越してきたのは、妊娠がわかってからです。
私ができることがだんだん少なくなってきていたので、妊娠や出産を考えたとき、生まれてくる子どもに不自由を感じさせないためにも両親や妹の力が必要だと考えたからです。
両親は、「子どもが欲しい」と話したときは、「無理でしょう」と言っていましたが、妊娠がわかると本当に喜んで、「私たちも協力するからみんなで育てていこう」と言ってくれました。
診察でおなかの子どものエコー写真を撮るたびに、実家に見せに行っていたんですよ。両親と祖母、みんなで写真を見ながら、「この顔は誰に似ているのかな」などという話で盛り上がっていました。
この子が生まれてからも、母や妹は定期的に来てくれますし、実家に帰れば、父も母も祖母もみんなで抱っこしたり、ミルクをあげたり、私を支えてくれています。
夫婦だけでなく、家族みんなが協力してこの子のお世話をしてくれているのは、本当にありがたいですし、その姿を見て、私自身、気持ちが軽くなりました。
――― ご主人の協力も欠かせませんね。
小澤:夫は今、育休中です。この子のことがかわいくて、育児がとても楽しいらしいです。
夫が自分でおむつを替えた方が速いに決まっているのに、私に一緒にやろうと言ってくれるんです。たとえ時間がかかったとしても、一緒に育児ができることがうれしいです。
それでも、夫に申し訳ないなと思って、つい「ごめんね」と言ってしまいがちですが、彼は、「綾子の手助けも子どもの世話もごく自然なこと。むしろうれしいくらいだから、いちいち『ごめんね』なんて言わないでよ」と言います。
子どもが泣いていても私は何もできませんが、夫がひょいと抱き上げると泣き止むところを見ると、うらやましいなぁと思うこともありますけれど……。
育休後も在宅で仕事はできると思いますが、夫が仕事に復帰したらできるだけ早めに保育園に入れようと考えています。残念ながら、私のヘルパーさんには、赤ちゃんの世話はあまりしてもらえないので。でも、夫は子どもから離れられるかな?(笑)
泣いているわが子をひとりで抱き上げることはできないけれど
――― 実際にママになって、一番大変に感じているのはどんなことですか?
小澤:赤ちゃんが寝なくて、私もなかなか夜寝られないことは確かに大変ではあります。でも一番つらいのは、他のママと同じように赤ちゃんが泣いても私ひとりでは何もしてあげられないことです。
病気じゃなければ、赤ちゃんが泣いていたら、そばに行って抱き上げてあげることもできるのでしょうけれど、私の場合、どんなに泣いていても自分で抱っこしてあげることはできません。
おむつを替えてあげたくてもひとりではできない。おむつが汚れたらすぐ替えてあげられるママだったらどんなによかっただろうと、他人と比べて落ち込んでしまうことがあります。
自分のことだけなら我慢すればいいんですけど、この子のことになると……。やっぱりできないことがあると悲しくなって、泣いてしまうこともあります。
でも、絶対に私にしかできないことがきっとあるはずでしょうから、みんなで一緒にわが家にしかない親子のカタチを作っていきたいです。
――― お子さんにどんな人に育ってほしいと思いますか?
子どもの名前にもその想いを込めましたが、困っている人を助けられるみんなのヒーローになってほしいです。
誰もみんな、ひとりじゃ生きられないですよね。だからこそ、強くて優しい子になって、みんなを助けられる人になってほしい。
もちろん、将来に対する不安はたくさんありますが、今、このときにしかない子どもの可愛さ、そして、幸せな瞬間を見逃さないようにしていきたいなと思います。
この子が私たち夫婦のもとに来てくれたことで、毎日が新しいことの連続です。
取材・文/米谷美恵、たまひよONLINE編集部 写真提供/小澤綾子さん
小澤さんご夫妻は、障がいのありなしではなく、お互いができること、お互いの存在を認め合いながら、対等な立場で接しています。小澤さんにはひとりでできないことがたくさんあります。しかし、小澤さんでなくてはできないこともたくさんあります。これからも、お互いの良いところを認め合いながら、足りないところは補いながら、夫婦として、ママとパパとして、小澤さんの家族のかたちを紡いでいってほしいと思います。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることをめざしてさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年4月の情報で、現在と異なる場合があります。
小澤綾子さん
PROFILE
シンガーソングライター・社会活動家。進行性難病を抱え車いすに乗り全国・海外で歌、講演、モデル、司会、インクルーシブコンサルなどあらゆる活動を行う。外資系IT企業に勤める。2020年東京パラリンピック閉会式出演、2025年の関西大阪万博応援ソングを歌うバンドにも参加中。
著書に「10年前の君へ 筋ジストロフィーと生きる(百年書房)」