あきらめずにやっと出会えた新しい命【筋ジストロフィーママの挑戦】
国が定めた指定難病の1つである筋ジストロフィーを発症しながら、 2カ月になる赤ちゃん(取材時)と夫との3人暮らしをする小澤綾子さん。生まれてから特に大きな病気をしたこともなかった小澤さんが、はじめて体の不調を感じたのは小学校4年生の頃でした。体育の時間に走ろうと思っているのに思うように体が動かず、同級生についていけなくなりました。その原因がわかったのは、20歳のとき。筋肉がどんどんなくなっていく進行性の「筋ジストロフィー」であることがわかりました。当時、「筋ジストロフィー」は20歳までしか生きられない難病とされていて、小澤さんも医師から「あと10年もしたら車椅子の生活、その先は寝たきりになるだろう」と宣告されたといいます。
そこから20年。「できない」を乗り越えながら、小澤さんは結婚し、ママになりました。小さな命を前に「この子のためにも、1日も早く筋ジストロフィーが治る病気になってほしい」と話します。
前編では、筋ジストロフィーと診断されたときにあきらめた3つのことに、悩みながら、夫の邦彦さんと共に立ち向かっていく姿を紹介します。
筋ジストロフィーと診断されたときにあきらめた3つのこと
――― 20歳のときに「筋ジストロフィー」であると診断されました。そのときのお気持ちを教えてください。
小澤綾子さん(以下小澤、敬称略):自分が病気になったこと、障がいがあること自体、とても悲しかったです。当時はまだ歩けましたが、車椅子の生活になること、いつか寝たきりになってしまうだろうと思うと、どうしていいいかのかわかリませんでした。
と同時に、この先の自分の人生であきらめたことが3つあります。
それは、就職、結婚、そして出産・子育てです。
――― 大学卒業後、新卒で就職されました。
小澤:今は、産休・育休中ですが、大学卒業後、新卒でITスペシャリストとし就職しました。
実際に仕事を始めてみると、私は「人」に興味があることに気づき、数年前に希望して人事部に異動しました。今は産休・育休中ですが、「人」に興味のあることを気づいた大切な場所でもあります。
――― 2つ目は結婚ですね。
小澤:身体を動かせない私が誰かのために何かをしてあげることはできないので、相手を幸せにする結婚は無理だろうと、結婚はあきらめていました。
しかし、会社の同期だった夫と出会い、付き合いが長くなるうち、私も結婚してみたいと思っていることに気づきました。一方で、彼に迷惑をかけることが申し訳ないと、自分の本当の気持ちと向き合わずにいました。
夫から「結婚しよう」と言われても、彼のことを幸せにできるかを考えると、なかなか返事ができませんでした。
彼は私だけででなく、障がいのあるなしに関わらず、誰に対しても全くバイアスをかけずに付き合います。むしろときどき私の方が「人に壁を作っているのではないか」と感じることさえあります。
そんな夫だから惹かれたし、結婚しようと思ったんです。
彼を幸せにしてあげられる自信はありませんでしたが、病気も含めてそのままの私を丸ごと見て、プロポーズしてくれた気持ちがうれしくて、自分の気持ちに嘘をつかず結婚しようと決心しました。
でもこの時点では子どもをもつことは全く考えていませんでしたけれど……。
それでも私たちが子どもをもとうと決めたわけ
――― それから9年が経ちましたね。
小澤:実際に、毎日の生活するなかで、掃除するのも洗濯するもの大変だし、できないことはたくさんあります。今は、「●●をしてあげたから相手が幸せになる」ではないということを感じています。
夫も、「綾子は俺にできないことがいっぱいできるじゃないか」と言ってくれます。もちろん、やろうと思ってもできないことが多くて、落ち込むこともありますが、夫が言うように、人前で話すことは得意ですし、歌でステージに立っているし、パラリンピックの閉会式でパフォーマンスもしたし、彼より味噌汁がうまく作れますしね(笑)。
今は、夫婦になって幸せだなと思える瞬間がいっぱいあるので、本当に結婚して良かったなと思っています。
――― そして3つ目。2023年1月にママになりました。
小澤:夫と2人の生活も十分に幸せでしたし、私には病気がありますから、正直なところ、子どもをもつことはあまり考えていませんでした。
そんななか、新型コロナウイルスの流行で、私たちの生活スタイルが一変し、夫と過ごす時間が増えました。
「この先どうなるかわからないいま、やり残したことはないだろうか?」と2人で話し合い、改めて「家族のカタチ」について考えるようになったんです。
夫は子どもが大好きだし、子どもがいたらきっと幸せだろうなとは思っていましたが、もし、子どもがなんらかの病気や障がいになったとき、彼が2人の面倒をみるのは難しいですよね。
それでも、「家族が増えたら幸せだよね」とお互いの気持ちを確認、妊活を始めました。
――― ご夫婦で話し合って、子どもをもつ決心をしたのですね。
小澤:妊活から半年、妊娠がわかったときはびっくりしましたが、一方でとてもうれしかったです。
子どもをもちたいと決心したものの、私は高齢出産だし、障がいもありますから、本当に妊娠できるなんて思っていなかったのでなおさらです。
妊娠してからは、ネットで同じ病気で出産した人のブログを検索して読みました。でも、同じ病気でも、症状も進行度合いも違います。私の場合、障がいは重い方なので、経験談と同じお産になるとは限りません。
それでも同じ病気で出産した人がいることは心強かったですし、私もがんばろうと思えました。
取材・文 / 米谷美恵、たまひよONLINE編集部 写真提供 / 小澤綾子さん
小澤さんは20歳で診断されてからもう20年、筋ジストロフィーという難病と闘って来ました。自分の身体がこの先どうなっていくかわからない不安を抱えながら、たくさんのつらい経験をして来ました。それでも、小澤さんは「つらい」から逃げ出さず、自分のできることを探しながら笑顔で一歩ずつ進みました。
そして今、病気は少しずつ進行しているけれど、ステキなご主人と赤ちゃん、家族、そしてたくさんの仲間に囲まれて生活しています。身体は思うように動かないけれど、小澤さんの笑顔が、存在は、たくさんの人の生きる力になっている……。お話ししながらそんなことを感じました。
後編では、進行する病気のなかで夫婦で臨んだ妊娠、出産、そして、日々奮闘する子育てについて聞きました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることをめざしてさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年4月の情報で、現在と異なる場合があります。
小澤綾子さん
PROFILE
シンガーソングライター・社会活動家。進行性難病を抱え車いすに乗り全国・海外で歌、講演、モデル、司会、インクルーシブコンサルなどあらゆる活動を行う。外資系IT企業に勤める。2020年東京パラリンピック閉会式出演、2025年の関西大阪万博応援ソングを歌うバンドにも参加中。
著書に「10年前の君へ 筋ジストロフィーと生きる(百年書房)」