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長くつらい小児がんの治療・入院を経て、4歳8カ月で退院。かけっこでみんなと一緒に走る姿を見たときは、夫婦で涙が止まらなかった【神経芽腫体験談】

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2023年4月に3人目のうららちゃんが誕生。小学校1年生になったましろちゃんは面倒見のいいお姉さんに。

小田ましろちゃん(6歳)は2歳10カ月のときに神経芽腫と診断されました。地元・長崎の病院での約4カ月間の治療のあと、名古屋大学医学部附属病院に転院。1年6カ月の治療ののちに退院しましたが、このときはまだ骨髄の腫瘍が消えていませんでした。両親のゆりさん(42歳)と哲(さとし)さん(43歳)に、ましろちゃんの病気と闘病の日々のことを聞いた4回シリーズの4回目は、退院から現在までのこと、そしてこれからのことについてです。

足を痛がるのが病気の始まりだったから、「足が痛い」に過剰に反応してしまう

やっときょうだいが同じ家で毎日一緒に過ごせるようになりました。

名古屋大学医学部附属病院で、抗がん剤治療を11クール、造血幹細胞移植2回に加え、放射線治療、陽子線治療(※1)とさまざまな治療に耐え、神経芽腫と闘ったましろちゃん。2021年5月28日、4歳8カ月のとき、ついに退院することが決まりました。

「退院が決まったとき、骨髄の腫瘍は消えていなかったんです。ましろのように骨髄の腫瘍が最後まで残っているケースは少ないそうで、退院できてうれしいというより、退院して大丈夫なんだろうか・・・という不安のほうが大きかったです。

主治医の高橋先生からの説明は『さい帯血移植は骨髄に効く治療。今は消えていなくてもこれから消える可能性がある』というものでしたが、どうしても不安をぬぐいさることができず、退院時にその気持ちを正直に高橋先生に話しました。すると、『少しでも不安になったらいつでも連絡してきてください』と言ってくださり、とても安心したのを覚えています」(ゆりさん)

「定期的に骨髄検査を行うとのことで、退院後も2カ月に1回検査入院し、さらに、最初に入院治療を行った地元・長崎の大学病院で毎月血液検査を行うことになりました。私ももちろん不安はありましたが、これからも高橋先生がついていてくれるから大丈夫だと妻を励ましました」(哲さん)

実際、退院してから1カ月半くらいたったころ、不安がいっぱいになったゆりさんは、高橋先生に電話で相談したことがあります。

「再発予防のために、7月2日からレチノイン酸(※2)という薬の内服を始めたのですが、1週間続けたところでましろが『足が痛い!!』と泣き叫ぶようになったんです。再発したんじゃないかといてもたってもいられず、高橋先生に電話で相談しました。高橋先生が長崎の大学病院で診てもらえるように連絡してくれ、急いで病院に向かいました。検査の結果、ましろの症状は薬による反応であることが判明。たまにそういう反応が出る子がいるんだそうです。再発じゃなかったとほっとして、全身の力が抜けました」(ゆりさん)

「通常、レチノイン酸は2週間飲んで2週間休むというサイクルで6カ月間続けるのですが、高橋先生から1週間飲んで1週間休むサイクルに切り替えるように指示を受け、そのようにしたら、足を痛がることはなくなりました」(哲さん)

「ましろの神経芽腫は足の痛みで発覚したので、『足が痛い』と言われることにすごく敏感になってしまうんです。レチノイン酸を飲んでいない時期にも足の痛みを訴えることがあって、そのときも高橋先生に電話で相談しました。
長期間の入院生活で筋肉が弱っていることによる痛みとのことで、長期入院した子どもによく見られるのだそう。このときも再発じゃないことがわかり、夫婦で喜び合いました」(ゆりさん)

※1放射線治療のひとつで、病巣のみに放射線をピンポイントで照射する方法。

※2もともとニキビの飲み薬として開発された薬で、欧米では神経芽腫の再発を防ぐ効果があることが大規模な臨床試験で証明されており、再発予防の標準薬として使われている。日本では未承認のため希望する際は個人輸入となり、保険は適用されない。

自宅に戻って2カ月後、ようやく息子が「ママ~」と甘えてくれた

2022年4月に、きょうだいで同じ幼稚園に入園。1年間一緒に通いました。

退院後、レチノイン酸を6カ月服用した以外に必要な薬はなく、ましろちゃんは元気な日々を過ごします。

「新型コロナのこともあり、すぐに幼稚園に行かせるのはこわくて、翌年の春までは家で過ごすことにしました。家族4人で静かに暮らせる状況は夢のようでしたが、ましろが入院中はずっと離れて暮らしていたためか千蒼が私になかなか慣れてくれず、抱きしめようとするとイヤイヤされてしまうこともありました。つらかったけれど、無理強いしてもこじれるだけだから、時間が解決してくれるのを信じて、ふつうに接するようにしていました。

すると、2カ月くらいたったとき、千蒼のほうから『ママ~』と甘えてくれて・・・。いとおしくてたまらなかったですね。夫が帰宅したとき、いちばんに報告しました」(ゆりさん)

ましろちゃんは翌年の2022年4月に、幼稚園の年長クラスに入園。同時に、千蒼くんも4年保育の2歳児クラスに入園しました。

「1年間はきょうだいで同じ幼稚園に通うことができたんです。バス通園だったので、朝は2人をバスの集合場所に連れていき、午後は帰ってくるのを迎える。2人が同じ体操服を着て歩いている。そんな当たり前のことが、うれしくてうれしくて。千蒼がバスを乗り降りするのを、ましろがお姉ちゃんらしく手伝っている姿を見て、毎日幸せな気持ちになっていました」(ゆりさん)

幼稚園生活はほぼほかの子どもたちと同じようにできましたが、感染症予防だけは気をつけていました。

「移植後1年間は感染予防のために、プールや砂遊び、動物に触るのはダメといった禁止事項がありました。入園したときはもう1年以上たっていましたが、先生には伝えておきました。また、新型コロナやインフルエンザなどの感染症にかかった子が出たり、ほかの感染症が流行したりしたときにはすぐ教えてもらい、2人とも休ませていました」(ゆりさん)

「基本的にはみんなと同じようになんでもできるので、運動会も参加できました。かけっこでほかの子たちと一緒に走っているのを見たときには、妻とともに涙が止まりませんでした。ほんと、よくここまで治ってくれた、と思いました」(哲さん)

小学校入学直前、ようやく骨髄の腫瘍が3回陰性となり「腫瘍が消えた」!

ましろちゃんは2023年4月に小学校に入学。毎日元気に学校に通っています。

ましろちゃんが活発に行動する姿を見るのは、小田さん夫婦にとってこの上ない喜びでしたが、骨髄の腫瘍が消えていない不安は常に付きまとっていました。

「骨髄検査で3回連続して陰性になると、骨髄の腫瘍が消えたと判断されます。退院後2カ月おきに行った検査では、陰性になったと思うと次は陽性になって、というのをずっと繰り返していました」(哲さん)

「2カ月に1回名古屋大学医学部附属病院で行っている検査が、ようやく2回連続で陰性になり、次の検査で陰性になったら3回連続という機会が、小学校入学が間近に迫った2023年3月にやってきました。検査結果はすぐには出ないので、いつも長崎の自宅に帰ったあと高橋先生から電話で教えてもらっていました。このときは『陰性でしたよ。3回連続で陰性になったから、骨髄の腫瘍は消えたと判断できます』っていう連絡でした。電話を切った途端、うれしくて大泣きししながら、もうすっかりその状況を理解している娘とハイタッチ!! すぐ夫に電話で伝えました」(ゆりさん)

生まれたばかりの3人目が、上2人をきょうだいとして結びつけてくれた

さまざまな苦しみを乗り越えた小田さんファミリーは今、毎日にぎやかで幸せな時間を過ごしています。

小田さん夫婦は3人目の赤ちゃんを授かり、今年4月にうららちゃんが誕生しました。

「なかなか子どもに恵まれず、ましろをやっと授かったとき私は35歳、夫は36歳でした。子どもは2人以上ほしいというのが夫婦共通の願いでしたが、2人目もなかなか妊娠せず、顕微授精によって千蒼を授かり、生まれた3カ月後にましろが神経芽腫であることがわかりました。神経芽腫と闘っている間は目の前の困難や不安に立ち向かうのが精いっぱいで、3人目のことを考える心の余裕はありませんでした」(ゆりさん)

「とても幸いなことに、ましろは元気になって家族の元に帰ってきてくれました。ずっと生きてくれると実感できたとき、大人になっても助け合っていけるきょうだいは多いほうがいいと夫婦で話し合い、3人目にチャレンジすることにしたんです」(哲さん)

ゆりさんはすぐに不妊治療のクリニックを受診しました。

「先生からは『高齢だから厳しいかもしれない』と言われたものの、1回の体外受精で妊娠!無事出産を迎えることができました。

ましろの病気が小児がんだと診断されたのは2歳10カ月で、退院したのは4歳8カ月。3カ月だった千蒼は2歳1カ月になっていました。その間に2人が会えたのは数日だけ。あとはテレビ電話でお互いの様子を見ることしかできなかったので、退院後、きょうだい一緒に生活することになかなか慣れず、けんかばかりしていました。
ところが、うららが生まれてからは一緒にお世話をするなど、協力して何かをすることが増え、仲がよくなりました。うららが上2人を結びつけてくれたんだと感じています。

ゆりさんと哲さんは、ましろちゃんに神経芽腫という病気のことを隠さずに伝えることを決めていて、ましろちゃんはある程度理解してる、と言います。

「入院した当初、本当は痛い検査なのに娘を安心させたくて、『痛くないよ、大丈夫』とうそをついて受けさせたことがありました。次に別の検査を受けるときも『痛くないよ』と言ったところ、『ママのうそつき!痛いことばかりだよ!!』と泣かれ、痛くない検査も嫌がるようになってしまったんです。
だますようなことをしてはいけないと反省し、ましろに謝りました。そして『これからは痛い検査のときは痛いって言う。うそはつかないから一緒に頑張ろう』と指きりをしました。

それからのましろは、『痛い検査のときは手を握っていてね』など、検査を乗り越えるための方法を自分なりに考え、してほしいことを言ってくるようになりました。そんなましろを見て、話せばわかる年齢なんだ、病気のことをきちんと伝えていこう考えるようになりました」(ゆりさん)

「二次がん(※3)や、おそらく将来は子どもを授かれないだろうということなど、シビアなことがいろいろあります。そういうことは、ましろの成長に合わせて少しずつ話していこうと考えています」(哲さん)

「ましろは小学校に入ってからピアノを習っていて、今はピアノを弾くのが大好きです。でも、将来なりたいのは美容師さんなんだそうです。入院中、抗がん剤などの影響で髪の毛が抜けるのを経験したからなのか、ここは三つ編みして、ここはこんな髪飾りをつけてって、考えるのが好きみたい。髪の毛をすてきにアレンジできる美容師さんにあこがれているようです。

私たち夫婦は子どもを授かったのが遅めなので、若いママ・パパと比べたら、子どもたちと一緒に過ごせる時間は少ないかもしれません。だからこそ、きょうだいがいつまでも仲よく、助け合って生きていってほしい。それが私たち夫婦のいちばんの願いです」(ゆりさん)

※3化学療法や放射線の影響で、治療を終えた数年から数十年後にもとの病気とは別の種類のがんを生じること。

【高橋義行先生より】さい帯血移植後、残っていた腫瘍が消えていきました

2021年3月に、頭に放射線を当てる治療を受けたときの写真。

ましろちゃんは無事退院しましたが、その時点ではまだ骨髄にわずかに腫瘍が残っていました。神経芽腫を攻撃できる細胞を持った血液がさい帯血移植で作られるので、わずかに残った腫瘍が移植から1年もたってから消えることがあります。ましろちゃんの場合も移植をしてから徐々に腫瘍が消えた経過でした。
また、さい帯血移植から1年間経過すると自分で抗体が作れるようになり、予防接種ができるので、やっと生活の制限はなくなります。移植から5年経過して「病気が治ったよ。おめでとう!」と言える日を楽しみにしています。

お話・写真提供/小田ゆりさん・哲さん 監修/高橋義行先生 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部

2年近くの治療を経て、神経芽腫を克服したましろちゃん。4月から始まった小学校生活にも慣れ、毎日楽しく学校に通っているそうです。また、弟・妹のお世話が好きな、優しいお姉ちゃんでもあります。

高橋義行先生(たかはしよしゆき)

PROFILE 
名古屋大学大学院医学研究科 健康社会医学専攻 発育・加齢医学講座 小児科学/成長発達医学教授。名古屋大学医学部附属病院小児がん治療センター センター長。専門分野は血液・腫瘍。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年7月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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