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里親として血のつながらない子どもを17人育てた夫婦。「還暦のお祝い」「振袖の思い出」今はすべてが宝物【里親体験談】

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長年里父(さとちち)・里母(さとはは)として、親と離れて暮らす子どもたちを養育してきた野口啓示さん、婦美子さん夫妻。里子・里親支援を行うNPO法人「GivingTree」を展開し、里子を複数名預かる「野口ホーム」も運営しています。元は2人が勤めていた児童養護施設の分園としてスタートした野口ホーム。初期に預かった子どもたちは成人し、結婚して“孫”を連れて来てくれる子もいるのだそう。里親とは、里親をしてうれしかったこと、苦労したことは。詳しくお話を聞きました。全2回のインタビューの前編です。

何らかの理由があって親元で暮らせない子どもたちを養育する“里親制度”。野口夫妻は6人まで預かることのできるファミリーホームを運営

「ある年のお正月。野口ホームを巣立った子どもたちも帰って来て、みんなでワイワイ楽しみました」(婦美子さん)

――お2人は長年子どもたちを養育されてきたそうですね。最初は共に児童養護施設の職員としてスタートし、今は里親としてファミリーホームを運営していると聞きました。そもそも里親制度やファミリーホームとはどのような制度なのでしょうか?

啓示さん(以下敬称略) 国が児童福祉法で定めた制度で、虐待を受けた経験があるなど、何らかの理由で保護が必要な子どもたちを自宅で養育する制度です。よく養子縁組と里親制度が混同されますが、養子縁組は籍を入れて本当の子どもになります。里親は法的な家族のつながりはありません。ほかにも里親制度では国と都道府県から養育料が支給されます。

里親制度では最大4名まで養育できます。しかし、僕たちが運営しているファミリーホームになると、6名まで養育ができるようになります。ファミリーホームは2009年からスタートした日本独自の制度です。里親が運営する小規模施設だとイメージしてもらえればいいと思います。こういったファミリーホームは全国に427軒(令和4年調べ)ありますが、現在、国の流れも欧米に習い、“施設から里親へ”という政策を進めており、日本でも里親になる方が増えている関係で、ファミリーホームもさらに増加しています。

婦美子さん(以下敬称略) 「野口ホーム」はもともと児童養護施設の分園としてスタートし、2016年に私たちが退職し、里親登録をしたことをきっかけにファミリーホームとして運営していくことになりました。児童養護施設時代から考えると、これまで17人のお子さんを養育し、現在は大学生、中学生、小学生の4名と暮らしています。巣立った子どもの中には野口ホームやNPOを手伝ってくれたり、遊びに来てくれたりする子たちもいます。

児童養護施設の職員として出会い、結婚。アメリカの施設に憧れ、野口ホームを開設!

児童養護施設の職員として出会って、結婚した2人。結婚して20年以上たった今もとっても仲よし!

――ご夫婦の野口ホームの開設に至るまでの道のりを教えてください。

啓示 僕は学生時代に日本とアメリカで社会福祉学、とくに社会福祉における心理療法を学びました。卒業後は大学の先生になろうと考えていたんですね。ただずっと勉強だけして来て、福祉のリアルがまったくわからない状況だったので、まずは現場に飛び込もうと、友人から紹介してもらった児童養護施設に就職することとなりました。

ただ、本音を言うと、当時は1 〜2 年勤めたら、アメリカに戻るつもりでいたんです。それが結局はトータル18年勤めました。その理由は2つあります。1つ目は働くうちに児童養護施設をもっといい環境にしたいという思いが強まったこと、2つ目に職場で妻と出会って結婚したことです。

――野口ホームの開設はいつごろのことでしょう?

2003年に児童養護施設の分園として野口ホームが開設されました。それ以前も小さなグループで子どもたちを細やかにケアする小舎制養育やグループホーム養育など、当時では珍しい画期的養育に取り組んでいましたが、さらにもっと理想的な形は何だろう?と考えたときに出てきたのが、夫婦で養育する形だったのです。

もともとモデルとした施設があります。「ボーイズタウン」というアメリカのネブラスカ州にある巨大な施設です。広大なエリアに70戸くらいの家があって、その家すべてに別の夫婦が住んでいて、養育者として子どもを育てています。実際、このボーイズタウンには何度も訪問して学ぶ機会があり、同様の施設を作りたいと、勤め先に相談して生まれたのが野口ホームでした。

――婦美子さんも同じ児童養護施設に勤めていたんですか?

婦美子 はい。私は児童福祉に興味があり、短大で幼児教育を学びました。そして卒業後、すぐに施設とご縁があり、保育士として採用されることになったんです。

当時の児童養護施設は戦後にできたときのままの旧態依然とした環境で…。子どもたちにもっと家庭的な環境で生活をさせてあげたいという思いがありました。

そうした中で夫と出会い、結婚することに。一旦は退職し、妊娠しにくかったので不妊治療を試みました。ただし、退職したと言っても施設内にある社宅に住んでいたので、家庭を求めている子どもたちが目の前にいる状況で。自分の子どもにこだわるよりも、この子たちの環境をもっとよくしていきたいと考え、治療はやめました。

そして施設に復帰するタイミングで、野口ホームを開設することに。私も「ボーイズタウン」の映画に、就職して2年目のときに出会ったのですが、そのころからすごくロマンを感じていたのです。こうして野口ホームが児童養護施設の分園として生まれましたが、2016年の退職時に里親登録し、ファミリーホームへと移行。それまでいた子どもたちの生活はとくに変わらなかったですが、私たちは職員から里親のお父さん・お母さんという立場になりました。

還暦のお祝い、振り袖の思い出。どちらも長い年月を積み重ねたからこそ

「今年還暦を迎えて、有馬温泉へと行きました。この写真はみんなからもらったすてきなプレゼントと共に!とてもいい思い出になりました」(婦美子さん)

――長年、野口ホームを運営しているお2人ですが、うれしかったエピソードを教えてください。

婦美子 最近、うれしかったことはみんなで温泉に行って、私の還暦祝いをしてくれたことです。実は以前夫のお義母(かあ)さんの還暦を有馬温泉で祝ったことがあるのですが、その話を覚えてくれていた子どもたちが同じように私のお祝いも有馬温泉でしようと計画を立ててくれたんです。メンバーは夫と私と、夫のお義母さん、うちを巣立った子、巣立った子の夫と子ども、今いる子どもたちなど、総勢12名でした。

そのときに子どもたちからお祝いのメッセージを寄せ書きした色紙をプレゼントとしてもらったのですが、そこに書かれたメッセージが温かくて、本当にうれしくて…。中でも野口ホームの開設時からずっとうちで育ってきて、今も私たちのNPOを手伝ってくれる女性がいるのですが、その子が野口ホームってどれだけホッと安心できる場所かをすてきに表現してくれたんです。

それを読んで野口ホームを始めたときのことを思い出しました。そのころすでに私は仕事を始めてから16〜17年ほどの月日がたっていたんです。たくさんの子どもたちやご家族と出会って、この世界でずっとやっていきたい思いが強まり、情熱が増す一方で、自分のしてきたことが本当に子どもの利益になっているのかという不安がありました。

これからは、ひとりでもいいから、子どもの人生に影響を与えることができたらと。そう思って野口ホームをスタートして、子どもたちと関わってきたんです。だから、こうしてうちでずっと育ってきた子から、すごくあたたかい感謝のメッセージをもらうことになって。これはもう死んでもいいなと思ったくらい幸せな気持ちでしたね。

――すてきな思い出ですね。

婦美子 はい。宝物です。ほかにもうれしかったことで言えば、自分が母親に仕立ててもらった振り袖を、うちで育った女の子が20歳の成人のお祝いで着てくれたこともすごくいい思い出として心に残っています。そのときも野口ホームを開いて年数を積み重ねたからこそ、子どもたちが成長し、こうした機会につながったのかなと感じました。今は亡くなった自分の母に、生前にこの振り袖をうちの子が着た写真を見せたら、すごく喜んでくれました。

子育ての悩みは抱え込まずに地域とつながって、社会で育てて行こう

「野口ホームでは季節のイベントをよくしています。その度に写真を撮影して、プリント。後から写真を見てはこんなときこんなことあったねと思い出話に花を咲かせます」(婦美子さん)

――逆に苦労したお子さんのエピソードを教えてください。

婦美子 ある子が学校に行きにくくなったことがありました。高校には入ったけれどもやめてしまって、その後に引きこもってしまったんです。また、スマホを通じて少し心配な人間関係ができて…。すごく関わりが難しかったです。自分たち夫婦だけで何とかすることは難しく、児童相談所の心理士さんやケースワーカーさんと相談しながら進めていきました。

ただ、この経験から感じたのは、里親に限らず、一般家庭でも同じようなことは起こっていて、悩みを抱え込んでしまう人がいるんだろうなということ。子どもに何かが起きると親が何とかしないといけないとどうしても考えがちですが、子どもを何らかの社会資源につないで助けてもらったり、誰かに相談にのってもらったり…。子どもは地域や社会で見ていくことが大事だと思いましたし、それをもっと伝える必要があるとも考えました。実際、私たちの運営するNPOでは里親支援や、地域の子育て支援にも力を入れています。

――子育てには相談できる場所が必要ですよね。

婦美子 そうだと思います。里親に限って言えば、里親になる方にはできるだけ里ママ友・里パパ友を作ってほしいとお伝えしています。私自身、里母になったことで子どもは産んでないけど普通のママ友ができて、輪が広がって、楽しいんですけど。抱える悩みの内容によっては、同じ境遇じゃないと話せないなぁと思うことも多いんです。里親さん同士で悩みや愚痴を吐きあったりする場所が必要です。もちろん、解決はなかなかしないんですけども、同じことがあるんだなとか、あの人もそういう経験して今があるんだなとか。同じ立場で交流ができると、お互い心が楽になれると思います。

啓示 僕は普段、広島の福山市立大学で教員をしているんですが、福山には里親の支援センターがあり、里親の親父の会でこの間、飲み会をしたんです。これからも定期的にしていきましょうという話になったのですが、通常、男性って里親向けの子育てサロンとか行かないんですよ。僕くらいです(笑)。それに僕は専門家なので、そこにいても気にせずいられますけど、一般的にはハードルが高い。だから、そういった飲み会の取り組みなんかはとてもいいと思いましたね。

札幌でも同じような会があったんですけど、里親になる方はみんなパワーのある人が多いし、面白かったですね。なので、里親のお父さんの関係もどんどん活性化していかないと!と考えています。

お話・写真提供/野口啓示さん、婦美子さん 取材・文/江原めぐみ、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

「縁のあった子はできるだけその子のいい面を伸ばしてあげたい」と語る婦美子さん。子どもたちにとって、そうした温かな目で見守ってくれる大人と出会うことは何よりも大きな財産なのではないかと感じました。

後編では、子どもと関わることで印象的だったエピソード、お2人の今後の展望についてのお話を聞きました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

野口啓示さん(のぐちけいじ)

PROFILE
1971年、大阪市生まれ。NPO法人「Giving Tree」理事長。福山市立大学教育学部児童教育学科教授。関西学院大学、同大学大学院で社会福祉学を学んだ後、ワシントン大学に2年留学。帰国後、児童養護施設に勤務。2003年に妻の野口婦美子さんと児童養護施設の分園として、「野口ホーム」開設。その後、児童養護施設の施設長も務める。2016年に退職し、現在のNPO法人を立ち上げ、そのタイミングで野口ホームがファミリーホームに移行。2017年から福山市立大学で教鞭(きょうべん)をとり、2021年より現職。主な著書に『むずかしい子を育てるペアレントトレーニング』明石書店、『被虐待児の家族支援』福村出版、『社会的養護の現状と近未来』明石書店。

野口婦美子さん(のぐちふみこ)

PROFILE
1964年、兵庫県宍粟市生まれ。NPO法人「Giving Tree」事務局長。神戸常盤短期大学幼児教育科卒業。児童養護施設にて30年保育士として務める。退職後、里親としてファミリーホーム の運営を行う。主な著書に絵本『ほんとうにかぞくーこのいえに養子にきてよかった』明石書店(2005年)、絵本『ばいばい おねしょまん』明石書店(2008年)

NPO法人 GivingTreeのHP

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2024年11月現在のものです。

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