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イタリア流・幸せな子どもの育て方。「私は絶対合格する!」と夢を実現する力を持った娘が教えてくれたこと

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夫のステファノさんがオーナーシェフを務めるレストランでの1枚。ステファノさんは自宅でもよく子どもたちの離乳食を作ってくれ、店の赤ちゃん連れのお客さんにも離乳食を提供していたのだとか。

25年前にイタリア人シェフと結婚し、22歳の娘と19歳の息子を育てる歯科医師のファストロ滋子さん。日本で暮らしていた娘の彩来(さら)さんは、高校1年生のときにオペラ歌手になりたい、と志してから約2年ほどの準備期間で、見事イタリアの国立音楽院に合格したそうです。イタリアの文化もよく知る滋子さんに、子育てのヒントを聞きました。全2回のインタビューの2回目です。

料理を作りながら親子でコミュニケーションを取るのがイタリア流

ステファノさんは仕事が休みの日には、子どもと一緒にパスタやニョッキなどを作ってくれたそう。

――イタリア流の子育てのよさはどんなところだと感じていますか?

滋子 イタリア人は、自分の子どもにもほかの人の子どもにも「アモーレ(愛しい人)」「テゾーロ(宝物)」と呼んでとても大切に育てます。だから、子どもたちも大切にされているとわかって、自分自身にも自信を持ち素直に育っていくようにも思います。
イタリアでは家族で必ず一緒に夕食を食べて、親子でもいろんな会話をするので、子どもに何か困ったことがあったときにもすぐ親に相談できるような関係性ができていると感じます。

また、子どもたちがごはん作りのお手伝いとして一緒にニョッキやパスタを作る習慣もあります。お手伝いを通して親子のコミュニケーションを取っているんですね。

――シェフである夫のステファノさんも、子どもたちと一緒に料理をしましたか?

滋子 夫は仕事が休みの日に、家で子どもたちとニョッキやパスタをよく作っていました。子どもたちは蒸したじゃがいもをつぶしたり、フォークを使ってニョッキの模様づけを手伝ったりしていました。また娘は、冬になると「パパと一緒に作ったホットワインがすごくおいしかった」と思い出すようです。アルコールを飛ばしたワインにいろんなフルーツやシナモンなどのスパイスを入れて、とても体が温まるレシピ。彼女にとっては、ホットワインはパパの味なんだそうです。

パパと一緒に料理を作っていたからか、娘は今や料理もお菓子作りも大好きです。私よりも上手なくらいで、帰国すると家族に料理を作ってくれます。息子も、最近は自分でパスタを作ったり、ステーキを焼いたりするようになりました。「もう一人暮らしをしても大丈夫だね」と言って笑っています。

――そのほかにも、夫のステファノさんとの生活で「イタリア人らしいな〜」と感じることはありますか?

滋子 イタリア人男性は、何かものが壊れたらほとんど自分で直します。夫も、自分のレストランで水道がつまったり、蛇口が壊れたりしても、自分で部品を買ってきて直すんです。「できることは人に任せず自分でやろう」という、職人気質的なところがあると思います。

自宅でも「壊れたら捨てちゃうのはもったいない。直して使おう」という夫の姿勢を、子どもたちに見せることはとても大切だと思いました。

子どもたちには、自分の好きなことを見つけてほしかった

イタリアのステファノさんの実家で親せきが集まると、子どもたちは、年上の子が小さい子たちの面倒を見ます。この写真は礼くんが小さないとこのお世話をしているところ。

――イタリア人とのハーフの子どもを育て、何度もイタリアに滞在する中で感じる日本人とイタリア人の違いはどんなことでしょうか?

滋子 日本人はどうしても協調性や同調を求められることが多く、相手にはっきりと意思表示をせずにあいまいにするところがありますよね。でもイタリアでは、相手と意見が違えばはっきり伝えるし、嫌なことを「嫌」と伝えることもちゅうちょしません。

日本では「双子コーデ」が流行した時期があったけれど、イタリアではあり得ないと思います。むしろ「人と違うほうがいい」という感覚がある気がします。娘も“輪”は大事にするけれど、自分の主張はしっかりするタイプ。彼女は赤ちゃんのころからそうだったので、イタリアの血を引く娘の個性なんだなって思っています。

――娘の彩来さんと息子の礼(れい)さんはインターナショナル・スクールに入学したそうですが、選んだ理由はどんなことでしたか?

滋子 イタリア人の夫が日本語でコミュニケーションを取ろうとしてもなかなか深い話までは難しかったので、彼としても子どもには英語を話せるようになってほしいという思いはあったようです。夫婦としても、できれば子どもたちは国際人に育てたいね、という共通の思いはありました。あとは、自分の好きなことを見つけてほしいな、とは考えていました。

実は娘が幼稚園のときに日本の小学校のお受験しようとしたこともあったんです。どちらかというと私が少しあせってしまって、今となっては夫はあまり賛成していなかったように思います。
結果は、どうも娘の気質にあっていなかったようで失敗しました。だからこそ、インターに入れたのかもしれません。

オペラ歌手になりたい!と目標に向かって突き進んだ娘

彩来さんが9歳のころ。一緒に料理教室に参加しました。

――彩来さんは高校1年生の終わりにオペラ歌手になると決めたそうですが、どう感じましたか?

滋子 中学3年生の文化祭でのオペラへの挑戦が娘の将来を決めたようです。初めての挑戦でした。この経験が「歌の道に進みたい」というきっかけになり、高校1年生で音楽の先生に「歌をやったほうがいい」とすすめられたことも後押しになって音大受験を決めました。

私も夫も、子どもたちには自分の好きなことを見つけてほしいと思っていたので、素直に「好きなことが見つかってよかったね」と思いました。

ただ、そこからは大変(笑)! 周囲に音楽関係の知り合いもまったくいなくて音大受験のことは何もわからないし、彩来は小さいころにバイオリンを習っていたことはありましたが、歌の正式なレッスンを受けたことはなく、ピアノも弾けなけいし、楽譜も読めない状態。2年ほどで日本の音大を受験するのは無理なので、日本以外の国の音楽学校をいろいろと探した結果、イタリアの音楽院を受験することにしました。

――2年間でピアノも、歌も、イタリア語の勉強も、というのは、サポートする滋子さんも大変だったのでは?

滋子 そうですね。だれにどんなことを相談したらいいのかもわからずにバタバタと受験について調べているとき、奇跡的な出会いがありました。毎年イタリア文化会館で行われているイタリア留学フェアにたまたま行ってみたら、ちょうどミラノの音楽院の校長先生が来日していたんです。その通訳の方とお話しさせてもらって、娘の受験のことを相談してみたら、イタリアの音楽院を卒業した日本人の歌の先生を紹介してくれることに。すぐにその先生のもとでレッスンを受け、歌の基礎から教えてもらえることになりました。
運よくピアノの先生にも出会うことができました。幼稚園レベルだった娘を、2年間で音大受験レベルになるまで指導してくれたことにも、とても感謝しています。

イタリア語に関しては、娘はパパやおばあちゃんと話せるくらいのレベルではありましたが、イタリアの大学を受験するにはイタリア語検定のB2レベルというものを取得する必要がありました。これも2年間では間に合わなかったので、イタリア文化会館の人に「受験までにB2レベルを取りたいんです!」と交渉して無理を聞いてもらい、授業時間を詰めて調整してもらいました。

――彩来さんもすごく努力したんですね。

滋子 イタリアの音楽院を訪ねて歌の先生に進路相談をしたことがあるんですが、そのときには「今の彩来のレベルでは入学できません」とはっきり言われました。親としても正直心配でした。だけど彩来本人は「無理って言われたけど、大丈夫! 私は絶対入るから!」と、驚いたことに自信満々でした。

本人いわく、受験準備の期間は大変さより楽しさが上回っていたようです。学校のあとにピアノ、歌、イタリア語のレッスンと、連日夜遅くまで忙しくしていたけれど、彼女は努力したとは全然思わなかったようです。「絶対に音楽院に入る」と決心して、それに向かってただ楽しみながら突き進みました。その結果、なんと娘はイタリアの音楽院合格を自分の力で勝ち取りました。

「絶対に入学する!」と決めた娘の意思に周囲が動かされた

長期休みには、家族みんなで自然がある場所に遊びに行っていたそう。

――そんな彩来さんから、滋子さんが教えられたことはどんなことですか?

滋子 根拠のない自信だとしても、強い意志で自分の思いを現実にする力です。娘が「絶対に音楽院に入学する!」という目標に向かって突き進んでいると、私たちも「きっと大丈夫なんだな」と思えるのがすごく不思議でした。娘が決めた目標のために、私を含めた周囲も動き出すのを感じました。歌の先生もピアノの先生も、娘の信じる強い力が引き寄せてくれた気もするほど。何かを決める力、信じる力はすごいな、と娘から教えてもらいました。

今、娘は音楽院の3年生。先日、来年の夏に開催されるオペラ公演のオーディションに挑戦したところだそうです。音楽院を卒業後は、大学院に進む予定。留学した当初は人種差別を体験してつらい思いをしたので「あなたが上手になれば見直してくれるはず」と励ましたこともありました。今ではそんなことも乗り越え、楽しいイタリアでの学生生活を送っているようです。

お話・写真提供/ファストロ滋子さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

息子の礼さんは現在、アメリカの大学の日本校に通う2年生。来年からはアメリカへ渡って学生生活を送る予定なのだそうです。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年12月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

ファストロ滋子さん(ふぁすとろしげこ)

PROFILE
秋田県生まれ、岩手県育ち。歯科医師、分子栄養療法医。夫はイタリア人オーナーシェフ、2人の子どもの母。日本にいながら、 娘をトリリンガル、息子をバイリンガルに育て上げる。 娘は現在、イタリアの国立音楽院に留学中。

『イタリアの子供は「宝物」と呼ばれて育つ 』

イタリア人の夫を持つ著者が、イタリアでの滞在や2人の子育てで経験したさまざまなエピソード通して、イタリア人的思考やイタリア人的生き方をまとめた一冊。ファストロ滋子著/1650円(かざひの文庫)

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