【グラドル・倉持由香】「なかなか言葉を発しない・・・」「1日に何回も吐く」2歳の長男が自閉スペクトラム症と診断されるまでの日々【インタビュー】
グラビアアイドルの倉持由香さんは2024年4月、2歳の長男・湊くんが自閉スペクトラム症であることを公表しました。診断を受け入れるまでにはどんな葛藤があったのでしょうか。妊娠中や湊くんが生まれてからの様子、診断後の倉持さんの思いを聞きました。
全2回のインタビューの1回目です。
プロゲーマーの夫とは10年の交際を経て結婚
――倉持さんは2019年にプロゲーマーのふ~どさんと結婚しています。なれそめを教えてください。
倉持さん(以下敬称略) 昔からゲームが好きだったので、よく東京・中野にあるゲームセンターに遊びに行っていました。そこは格闘ゲームのすごく強いプレーヤーたちが集まる場所で、夫もよくそこで遊んでいたんです。
夫とはたまたま地元が同じで、そのゲームセンターから一緒に帰るうちに仲よくなり、自然とおつき合いが始まりました。
交際中は私も夫も仕事に全力投球していて、応援し合っていました。そのうち、だんだんお互いに仕事で目標にしていたことがかなっていったんです。私はグラビアアイドルとして「雑誌の表紙を飾りたい」と思っていたのが実現し、夫も大会で活躍してプロゲーマーとして収入も安定していきました。そこで交際10年がたったころ、2019年に結婚しました。
――結婚後、子どもは欲しいと思っていたのでしょうか?
倉持 はい、欲しかったです。結婚してすぐにコロナ禍になってしまったのですが、それが逆にわが家にとっては妊活するのにいいタイミングだったんです。というのも、それまで夫は海外の大会へ遠征することが多くて、あまり家にいなかったんです。
アメリカと日本など、離れた場所同士でオンライン対戦をすると、どうしてもゲーム内の動きにタイムラグが生じてしまうんです。プロゲーマーたちは60分の1秒の世界で戦っているので、タイムラグがあると勝敗に影響してしまいます。
そのため世界大会などはオフラインで対戦する必要があるので、コロナ前は年間20回ほど海外大会へ行っていました。
しかしコロナ禍で海外大会がなくなり、夫が家にいる時間も増えました。1年くらい妊活して、クリニックにも行った結果、運よく授かることができました。妊娠がわかったときはすごくうれしかったですね。
――妊娠中の体調はどんな感じでしたか?
倉持 食べづわりがひどかったです!常に何か口にしていないと気持ちが悪くなってしまって、1日10食くらい食べていました。しかも、日によって食べられるもの、飲めるものが違うんですよ。
毎日買い物に行ってはトマト、ツナのおにぎり、フライドポテト、ぬか漬け、炭酸ジュースなどいろんな商品を買っていました。でも、帰宅して一口食べると「うっ、これじゃない・・・!!」となってしまうことも多くて。
残した食べ物は夫が全部食べてくれたので、夫も一緒におなかが出てしまいました(笑)。妊娠中は最終的に体重が24kgくらい増えてしまって、病院からも注意を受けたので皆さんは体重増加に気をつけてくださいね・・・!
――出産時はいかがでしたか?
倉持 お産の進みがすごく遅かったですね。予定日前日の夜に10分間隔で痛みがあったので病院に行きました。でも子宮口が開かず、だんだん痛みも遠のいてしまい「これは前駆陣痛(ぜんくじんつう)でしょう」と家に帰されました。
翌日の夜やっぱりおなかが痛くなり、今度は痛みが7分間隔になってから病院に行きました。でも子宮口が2cmから開かず、痛みと戦いながら一晩過ごしました。翌朝、お産の進みをよくするために陣痛促進剤点滴したんですよ。すると下半身全体をかなづちでガンガン殴られているような、これまで感じたことがないレベルの激痛が襲ってきて「痛い!痛い!!無理無理!!」とベッドでのたうちまわってしまいました。
夕方くらいにようやく子宮口が5cmまで開いたので、和痛分娩(わつうぶんべん)に切り替えることにして麻酔を入れてもらいました。
すると、涙が出るほど激痛だったのにスッと痛みが無くなって。「現代医療ありがてえ・・・」と感激しましたね。
子宮口が全開になってもなかなか生まれず、鉗子(かんし)分娩でようやく生まれました。
――初めて湊くんに会ったときはどんな気持ちでしたか?
倉持 「ようやく会えた!」と、感動しました。自分のおなかの中で新しい命が育まれてきた生命の神秘をとっても感じました。人体錬成できるってすごいことですよね・・・!
おっぱいを嫌がり、離乳食もなかなか食べない日が続く
――湊くんが新生児のころ、気になることはありましたか?
倉持 私のおっぱいをすごく嫌がったのが気になりました。湊は哺乳びんでミルクや搾乳した母乳をあげると飲んでくれたのですが、おっぱいをあげようとするとぷいっと顔をそむけてしまいました。乳首の形が悪いのかと乳頭保護器を使ってみたのですがあんまり変わらなくて・・・。
退院後もミルクで育てましたが、あるメーカーさんの1種類の哺乳びんからしかミルクを飲んでくれなくて「乳首ソムリエだなあ・・・」と思ってました。
――離乳食になってから変化はありましたか?
倉持 最初のころはおかゆもにんじんをペーストにしたものも、なんでもよく食べてくれました。離乳食後期はさやいんげんが好きで。でも、1歳を過ぎてからはこだわりが強くなり、偏食になってしまって・・・。白いごはんはいっさい食べませんでした。ラーメンやうどんなどのめん類が好きでしたが、野菜などの具を入れると嫌がって食べないんです。素のめんばっかりですね。
――そのほか、成長の様子で気になる部分はありましたか?
倉持 首や腰がすわる、はいはいなどは、比較的早いペースでできていました。順調に育っていると思ったのですが、6カ月健診のときに「片耳の聞こえが悪いかもしれない」と指摘されたことがありました。聴覚検査で、湊の後ろでベルを鳴らし、音に反応して振り向くかどうかをチェックする項目があったんですが、湊は音がしても振り返りませんでした。その後、別の小児科に行った際、もう一度その検査をしたら振り返ったので、聞こえは大丈夫だろうと言われました。
自閉スペクトラム症の特性の一つとして、声をかけられたり音が鳴ったりしても振り返らないというものがあります。でも、そのときは湊が自閉スペクトラム症の可能性があるとは考えていませんでした。
――気になることが増えてきたのはいつごろでしょうか?
倉持 1歳くらいからです。まず、言葉が遅いのが気になりました。育児書には「1歳くらいになるとママ、パパと言い始めます」と書いてあります。湊は喃語(なんご)ではおしゃべりをするけれどけれど、なかなか意味のある言葉が出ませんでした。
1歳半健診のときも「湊はほかの子とちょっと違うかもしれない」と感じました。ほかの子は会場でママに抱っこされたり、おとなしくおすわりしたりしているのに、湊は抱っこも嫌がり、ずっと動き回っていて。
発達の度合いを見る検査項目で、つみきを積むとか、いくつかの絵を見ながら「ワンワンはどれ?」と聞かれても、指さしが全然できなかったんです。
ちょっと遅れがあるのかな?とは思ったのですが、そのときの保健師さんからは「男の子はちょっと幼くて発達が遅い場合があります。2歳になっても言葉が出なかったらまた相談してください」と言われ、様子見となりました。
保育園に通い始めてから1日5~6回吐くように
――そのほか、気になることはありましたか?
倉持 1歳過ぎくらいから自宅から自転車で片道30分くらいかかる、認可外保育園に通い始めました。ほかのお友だちと一緒に遊ぶ様子がなかったので心配していたのですが「1歳くらいだとみんなと遊ぶよりは、1人で遊ぶほうが多いですよ」と保育士さんに言われたので様子見をしました。
1歳後半になり、自宅近くの認可保育園に空きが出て転園したんです。その保育園は0歳児から2歳児までの子を合わせて5人くらいの少人数で、先生もいつも2~3人で見てくれる、アットホームな園でした。
手厚い保育園で、お友だちとも少しずつ交流ができて安心していたのですが、2歳過ぎから湊が家でも保育園でも1日5~6回吐くようになってしまいました。胃の内容物を大量に吐くというより、もぐもぐと口を動かしたと思ったら、大さじ1杯くらいの甘酒みたいな白い液体を「ケポッ」と口から出すんです。
――体調を崩したのでしょうか?
倉持 保育園の先生からの指摘もあり、近所の小児科へ2軒ほど行ってみました。でも、おなかの調子が悪いわけでもないし、どうして吐くのか原因がわからなくて・・・。紹介状を書いてもらい、大きな病院でおなかのスキャンを撮ってもらいましたが、それでも異常は見つかりませんでした。お医者さんから「もしかしたら精神的なものかもしれない」と言われ、発達や精神の専門家の方に診てもらうことになりました。
専門家の方に診察してもらったとき、検査する部屋に入って2分くらいで「おそらくこの子は自閉スペクトラム症の可能性が高いです」と言われました。
児童発達の専門家からは、会って数分で自閉スペクトラム症の診断が
――たった数分で自閉スペクトラム症と告げられた理由は何だったのでしょうか?
倉持 定型発達の子だと、知らない病室に入るとまず、一緒にいるママやパパにぎゅっとしがみついたり、「この人はだれ?」と先生をじっと見たりして警戒するそうなんです。でも湊は部屋に入っても先生のほうをまったく見ないで、すぐにおもちゃで遊び、部屋中駆け回っていたんです。周囲を気にせず、自分の世界に入って遊ぶのは、自閉症スペクトラム症の特性の一つだったようです。何度も吐いていたのも、吐く感覚がクセになっている「反すう」というもので、自閉スペクトラム症の子によく見られるそうです。
――そのときの倉持さんはどんな気持ちでしたか?
倉持 湊の発達が遅いのは気になっていたし、ネットで「2歳半 言葉出ない」とかで検索すると「自閉スペクトラム症」と出てくるので、うすうす「もしかしたら・・・」とは思っていたんです。
それが、専門家の方から「自閉スペクトラム症」だと指摘されてしまったので・・・。大きなショックで診察室で涙が出てしまいました。
その後、改めて発達や知能の検査を行い、自閉スペクトラム症と診断されました。
「自分のせいかも」と落ちこむも、夫の言葉で前を向けるように
――診断後はどのように過ごしましたか?
倉持 診断後1カ月くらい、ずっと落ち込んでいました。自閉スペクトラム症について調べると「大人になってもしゃべらない子もいる」と書かれていたので「湊は大人になっても話せないんだろうか。この先も一生ママ、パパと呼んでくれないかもしれない」とか、「私や夫が先に亡くなったらこの子はどうしたらいいんだろう」など、将来を考えてどんどん不安になってしまいました。「湊が自閉スペクトラム症なのは、私のせいだ」と思いつめたこともあります。
――なぜ自分のせいだと思ったのですか?
倉持 私自身が、できることとできないことの凸凹の激しいタイプだからです。小さいころから同じ時間に同じ場所に行くことができなくて、小中高、大学とずっと不登校でした。勉強も得意な教科と不得意な教科が極端で、倫理は模試で9割とれるけれど、世界史は6点みたいな感じで・・・。だから、湊にも私の特性が受け継がれてしまったのかもしれないと思いました。湊に対して申し訳なさも感じました。
――何か気持ちを切り替えるきっかけはあったのでしょうか?
倉持 夫の言葉に救われました。「そのまま落ち込んでいても時間は止まったままだよ。湊は自閉スペクトラム症と診断されたんだから、前を向いて時間を進めよう。一緒に湊のことを攻略していこうよ」と、言ってくれたんです。それからは前を向こうと思い、湊へのかかわり方の勉強も兼ねて児童発達支援士の資格も取得しました。夫がいてくれて本当によかったですね。
夫はどんなときもすごく冷静なんですよ。15年一緒にいて怒ったところを見たことがなくて。プロゲーマーという職業柄もあるのか、いつもフラットに物事を見て、ベストな方法を考えるタイプです。私はどちらかというと怒ったり泣いたり喜んだり、ジェットコースターみたいに感情が激しいほうですが、夫は真逆なのでいつも助けられていますね。
夫も、格闘ゲームは世界トップクラスの実力者だけど、Tシャツがたためなかったり・・・。凸凹が激しいタイプです。夫婦とも「好きなことで生きていく」仕事をしています。なので、いつか湊も夢中になれる好きなことを見つけてくれたらいいなと思います。
湊はなかなか人と目を合わすことができないけれど、アルファベットや数字、昆虫や海の生き物が大好きで、図鑑をめくるときは目をキラキラと輝かせているんですよ。だれかと比べるのではなく、湊らしさを大事にしたい。湊のキラキラ探しを一緒に手伝っていきたいですね。
お話・写真提供/倉持由香さん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
夫のふ~どさんとの出会いから妊娠、出産、湊くんが診断されるまでをていねいに話してくれた倉持さん。診断後、湊くんを大切に思うからこそ落ち込んでしまったのも、とても実感がこもっていました。夫のふ~どさんの冷静な言葉のおかげで前を向けたという倉持さん。これからも夫婦2人で湊くんと向き合っていくのだと思います。
インタビュー2回目は、湊くんが自閉スペクトラム症だと公表するまでの思いについて聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
倉持由香さん(くらもちゆか)
PROFILE
千葉県船橋市出身。グラビアアイドル、タレント、俳優として活躍。2019年、約10年間の交際期間を経てプロゲーマーであるふ〜ど氏と結婚。2021年、長男の湊くんを出産。2024年、湊くんが自閉スペクトラム症であることを公表した。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年7月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。