4歳で言葉が「ん!」「んー!んー!」ばかりだった自閉スペクトラム症の娘。声のかけ方を変えただけで、驚くような変化が【体験談】
小学5年生の長女、小学3年生の長男、3歳の二男の3人の子どもを育てる今川ホルンさん。長女・かりんちゃん(仮名)は、3歳で自閉スペクトラム症、4歳で知的障害があると診断されました。以前は言葉が出ない長女の子育てを苦しく思うこともあったという今川さん。自宅で療育をする「発達科学コミュニケーション」に出会い、親子関係が大きく変わったのだそうです。現在、発達科学コミュニケーショントレーナー・元臨床心理士として、自閉スペクトラム症の子どもを育てる親をサポートする活動をしている今川さんに、自身の子育てについて話を聞きました。
「ちゃんと教えれば普通級に入れる」と言われ、つらかった
生まれつき脳室拡大があり、発達がゆっくりだったかりんちゃん。3歳で自閉スペクトラム症と診断され、4歳で知的障害があると診断されました。かりんちゃんが3〜4歳のころはかんしゃくを起こすことが多く、今川さんは育児に困難を感じていたと言います。
「4歳のときに知的障害があると診断されたときには、知能指数は満2歳前後くらいの状況で、言葉もほとんど出ませんでした。療育にも通っていましたが、なかなか言葉の力はつきませんでした。娘が泣いてかんしゃくを起こすたび、優しく言っても、しかってもどうにもならずに毎日困っていました。娘が私に何か訴えてきても、私は娘の希望や伝えたいことがよくわからなくていつもオロオロするかイライラするかで・・・。娘とかかわることに苦手意識が強く、いつも1人になりたいと考えていました」(今川さん)
今川さんと夫とは『障害があってもその子らしく生きられればいい』という考えは同じでした。しかし、仕事に忙しい夫とのすれ違いが多く、子育ての困難について相談できる相手がいなかったことで、今川さんは孤独を感じる日々だったそうです。
「心を許して娘のことを話したり、相談したりできる相手はあまりいませんでした。私の親は、自分の初孫に障害があることを受け入れたくないようで、かりんが年長になって私が支援学校の見学に行こうとしたときにも、『ひらがなを教えて普通級に入れなさい』『遅れていてもちゃんと教えてあげれば追いつけるんだから』と、説得をされるような状況でした。
私たち夫婦は発達の遅れを心配していて、かりんにとって少しでもいい環境を整えてあげたいと考えているのに、実の親にそれを理解してもらえないことがとてもつらかったです」(今川さん)
毎朝娘をせかし、厳しくしてしまった反省
かりんちゃんは年中のときから公立保育園の障害児保育に通ったのち、年長のときに地域の公立小学校の支援学級に進級することが決まりました。
「年長の秋に市から支援学級判定が届き、支援学級に通うことになりました。いざ入学が決まっても心配ごとばかりでした。そのころの娘は、『りんご』のことを『ご』、おはようを『よう』、『おうち行こう』も『ち、こー』と、言葉の語尾や語頭しか出ない状態です。体も学年でいちばん小さくて体力もなく、字も書けないし、日中におしっこを失敗することもありました。先生やお友だちに迷惑をかけてしまうことがとても心配でした」(今川さん)
お友だちや先生に迷惑をかけないように自立させたいという思いから、今川さんはかりんちゃんに厳しくしつけをしてしまったと言います。
「登校時の登校班の集合時間を気にして、朝の時間にゆっくりしたくをする娘をいつもせかして怒ってしまっていました。毎朝『早く食べて』『早く靴をはいて』『早くして』ばかり。そう言われると娘はかんしゃくを起こして、さらに時間がかかります。私は登校に間に合わないことや自分の仕事に遅刻することが気になって、イライラしていました。
『〜しなければならない』『ねばならない』という考えばかりになって、娘自身がどう思うかやどうしたいかを考えてあげられていませんでした。今振り返ると娘にもつらい思いをさせてしまっていたと思います」(今川さん)
コロナ禍が思いもよらず家族の転機に
そんな今川さんに転機が訪れたのは、コロナ禍のことでした。
「コロナ禍で2020年2月末に一斉休校が始まり、私は3月5日に二男を出産して育休に入りました。24時間を3人の子どもと一緒に過ごす生活はどうなることかと思っていましたが、実際は驚くほど穏やかに過ごせたんです。それは、登校や出勤の時間に間に合わないプレッシャーがなくなって、私のストレスがなくなったからだと思います。
まず毎日せかすことがなくなったら、娘のかんしゃくが減ったんです。さらに時間にゆとりができたことで、娘の『ん、ん!』という訴えにも、私が「ん?こっち?」と耳を傾けられる時間が増えました。すると娘も穏やかになり始め、少しずつお互いにコミュニケーションが取れるようになっていきました」(今川さん)
親子のコミュニケーションに変化を感じた今川さんは、もしかしたら自分で療育ができるかもしれないと調べ始め、脳科学・教育学・心理学をベースにしたコミュニケーションメソッドである「発達科学コミュニケーション」と出会います。
「肯定的な声かけによって子どもたちの発達を促す『発達科学コミュニケーション』を学び、娘に肯定的な声かけをするように意識しました。肯定的な声かけというのは、子どもができたことを言葉にするのがポイントです。以前までは、娘が朝起きて裸でウロウロしていたら『早く着替えなさい!』と言っていましたが、『もう服を脱いだんだね』と、終えてできたことを言葉にするようにしました。朝ごはんを食べずにソファに寝そべっていたら、『もう起きたね!』『ソファに座れたね』のように言います。
そのような声かけに変えてみたところ、少しずつ娘の行動が変わり始めました。それまで娘はいろんなことを『ママやって!』という子だったのに、自分から進んでやってみるようになったんです。たとえば、『ハンカチをバッグに入れよう』と言っても以前は『ママやって!』だったのが、自分でスッと入れるようになりました。そんなふうに行動が変わり始めてから、次に言葉の力も発達し始めたんです」(今川さん)
トレーナーとして起業。子育てに悩む親を支援したい
小学1年生のころまで、かりんちゃんとうまくコミュニケーションが取れずに悩んでいた今川さん。しかしそれからわずか1年で、かりんちゃんの言葉の力がぐんぐん成長し、少しずつ言葉のやり取りができるようになったのだと言います。その変化は、家庭の雰囲気も変えたのだとか。
「私が言葉のかけ方を変えたことで、子どもたちの笑顔が増えました。それまでは長男は、お姉ちゃんに手がかかっていたためにすねてしまっていました。けれど、娘だけでなくきょうだいにも同じように、できたことを探して声をかけたら自信が育っていったようです。家庭の雰囲気が変わり、悩んでいたはずの子育てが今では楽しいと思えるようにもなりました」(今川さん)
さらに、学校生活でのいい変化もありました。
「娘が小学2年生のときに初めて支援学級の担任の先生の名前を呼ぶことができました。その場にいた先生方みんながびっくりして、大喜びしてくれたそうです。担任は男性の先生で、まだ独身でしたが『初めてパパって言われたらきっとこんなふうにうれしいだろうな!』と感激してくれていました」(今川さん)
今川さんは自分の経験から、同じように自閉スペクトラム症の子を持つ人を支援したいと、自身がトレーナーになる勉強を始めることに。そして2020年10月に起業して発達科学コミュニケーショントレーナーとしての活動を始めました。
「発達障害や知的障害がある子の親は、子どもの将来について不安を持っています。それなら、親が自分の子どもの発達について詳しくなり、どんなかかわりをすれば子どもが伸びるかを知れば、その不安は少しずつ解決していくはず。私は自分と同じように悩んでいる人を、発達科学コミュニケーショントレーナーとして支援したいと考えています」(今川さん)
子育てに悩んでいた当時を振り返り、今川さん自身も、娘を「障害のある子」としてみていたことに気づいたと言います。
「自閉スペクトラム症と知的障害があり療育手帳をもらったから、障害者としてどう生きていくか、と考えていたと思います。でも大切なのは、本人がどう生きたいかだと気づきました。
今は娘は小学5年生。聞き取りづらい音もあるものの普通の会話はほとんどできるようになりました。先日、学校のクラブ活動で、娘はITコミュニケーションクラブを選んだそうです。理由を聞いたら、『パソコンを打てるようになりたいから』って。言葉の力がつくと、そんなふうに選択肢が広がっていくんだなと実感しています」(今川さん)
お話・写真提供/今川ホルンさん 監修/パステル総研 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
「臨床心理士の仕事で相談を受けるお子さんにはやさしくできたのに、自分の子どもには厳しくしてしまっていた」と話す今川さん。今は、自宅で子どもの発達を伸ばすかかわりをアドバイスして、自閉スペクトラム症の子を持つ親の悩みをサポートしたいと考えているそうです。
今川ホルンさん(いまかわほるん)
PROFILE
発達科学コミュニケーション マスタートレーナー。元臨床心理士。おうち療育でことばが苦手な自閉っ子の会話力をどんどん伸ばす専門家。臨床心理士としての経験と自身の長女との経験を生かし、おうちで脳を育てるコミュニケーションを教えている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年6月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。