「ずっと気づいてあげられなくてごめん」頭痛と嘔吐が続く小2の長男。まさか脳の中に7㎝もの腫瘍があるなんて…【小児髄芽腫体験談・医師監修】
神奈川県に住む中山広美さん(46歳・出版社勤務)は、夫の公一さん(46歳)と長男の慶一くん(12歳)、長女の由梨ちゃん(9歳)の4人家族です。由梨ちゃんにはダウン症候群(以下、ダウン症)と合併症の心疾患があり、生後まもなく心臓の手術を受けました。長男の慶一くんは小学校2年生の春に小児脳腫瘍があることがわかります。
慶一くんの小児がんがわかってからのことについて広美さんに話を聞きました。全3回のインタビューの2回目です。
まさか脳腫瘍があるなんて。絶望した日々
広美さんが慶一くんの様子がどこかおかしいと気づいたのは、2020年の春、新型コロナの緊急事態宣言が発出されたころのことでした。
「緊急事態宣言によって在宅勤務になって3日目の金曜日のことでした。息子が『頭が痛い』と1日中ゴロゴロと横になっていたんです。前日にひどい嘔吐もあったので、午前休を取っていた夫にかかりつけの小児科へ連れて行ってもらいました。小児科の医師が、念のためMRI検査をしてみては、と近所の脳神経外科への紹介状を書いてくれ、その足で夫と息子は検査を受けに行きました。
その検査で、なんと息子に『髄芽腫(ずいがしゅ)』という小児脳腫瘍があることがわかったのです。自宅で仕事をしている私に、夫が泣きながら電話をかけてきました。
夫から病名を聞いて私もパニックでした。必死でネット検索をすると、『悪性腫瘍、手術、化学療法、放射線治療・・・』など大変なことばかりが表示されました。まさか、そんなことが息子の身に起こるなんて信じられない気持ちで、とにかく落ち着こう、と必死でした。脳神経外科からの紹介状を携え、娘を出産し、今も娘が定期通院している神奈川県立こども医療センター(以下、神奈川こども)の救急外来に夫と長男と私とでかかりました」(広美さん)
頻発していた頭痛。まさかがんだったなんて・・・
広美さんたちはその日の夕方に神奈川こどもに到着しましたが、脳外科の医師が手術中だったため待ち合いの椅子で診察を待ったと言います。
「『頭が痛い』と訴える息子の上半身を抱え、緊張しながら医師を待つ時間がすごく長く感じました。やがて脳外科の医師が来てくれて検査などをし、その前にかかった脳神経外科のMRIの検査結果と合わせて診てくれました。
医師から『腫瘍が7cmほどに大きくなっていて、水頭症を起こしている。すぐに手術が必要です。月曜の朝から手術をしましょう』と言われ、息子はそのまま金曜の夜から入院になりました。
医師からは脳腫瘍の治療について説明がありました。手術後に化学療法(抗がん剤治療)と放射線治療の2つは必ずやらなくてはならないこと、その順番は治療の様子を見て決めていくこと、化学療法の効き具合を確認しながら、造血幹細胞移植を伴う大量化学療法という過酷な治療も行う可能性があること、治療期間は最低でも半年ほどかかることなど・・・。息子の命にかかわる大変な病気だという現実に絶望しました」(広美さん)
慶一くんの検査結果を見て、7cmという腫瘍の大きさに医師も驚いていたそうです。
「7cmというとこぶし大ほどの大きさです。『おそらくある程度の時間をかけて大きくなったんでしょう。いつごろから頭痛を訴えていましたか?』と聞かれました。実は慶一は小学校に入学後、たびたび頭痛を訴えていて、給食の量が多いと吐くこともあり、保健室にもしょっちゅう行っていたんです。私もそのたびに心配で、周囲に相談したこともありました。でも、小児科でとくに検査をしたこともなく、学校の先生や身内、ママ友とも『小1なら環境の変化でよくあること』と話していました。親である私ですら、小学校という新しい環境に慣れるのに時間がかかっているのかなと考えていました。
まさか、小児脳腫瘍だなんて、思いもしませんでした。約1年間も気づくことができずに、息子にかわいそうな思いをさせてしまっていたことを、激しく後悔しました。病気がわかってからしばらくは、スーパーで買い物をしていても何をしていても涙があふれ、外出中でも涙を止められませんでした。どうしてももっと早く気づいてあげられなかったんだろう、と後悔でいたたまれなくなる気持ちは今もあります」(広美さん)
手術後は痛みで大暴れに
緊急入院から3日目、4月初旬の月曜日。慶一くんは1回目の手術を受けました。
「腫瘍を摘出する手術は13時間もかかりました。まだ7歳になったばかりだった息子には、『頭に悪いものがあるから、それを取る手術をするよ』と伝えました。手術前には怖がるような様子はありませんでした。これから起こることをよくわかっていなかったんだと思います。
手術を終えてから1週間くらいの間は、息子が大暴れしてとても大変でした。長時間にわたる脳の手術では、人工呼吸のための管を口から入れたり、頭などがっちりと固定していたらしく、手術の傷以外にも体のあちこちに痛みがあったようです。息子は『痛い!痛い!』と叫んで、ベッドの上で激しくもだえ、大暴れでした。看護師さんが4~5人がかりで息子を押さえ、鎮痛剤を飲ませてくれたりしていました」(広美さん)
1回目の手術ではすべての腫瘍を取りきれず、化学療法で小さくしてから再手術する方針になりました。手術後の痛みが少し落ち着いた4月末ごろから、慶一くんは化学療法を開始します。
「化学療法は点滴で抗がん剤を投与する治療です。長期間の治療が必要になるため、このころに神奈川こどもの院内学級へ転校手続きをしました。そして病棟でお友だちができるなど慣れてきた6月ごろ、2回目の腫瘍摘出手術を受けました。前回と同じく1日がかりの手術で、術後にはやはり痛みから大暴れしていました」(広美さん)
病院食を拒否。どんどんやせて、体重は16㎏に
このころ、広美さんがいちばん頭を悩ませていたのは、慶一くんが病院食を拒否し始めたことでした。
「2回目の手術後から、強い薬による体調不良の影響もあってか、『食べない』と決意したかのように病院食をまったく食べなくなってしまったんです。息子が食べられそうなものを作ったり買ったりして持っていくんですが、それもなかなか食べられないことが多くて、息子の体はどんどんやせ細っていきました。
息子を病院でおふろに入れるときが本当につらかったです。細くガリガリになってしまった息子の太ももやおしりは肉感がなく、シワシワの皮膚で・・・体を洗ってあげながら、涙があふれました。やせてどんどん体力がなくなっていく息子の姿は、こんなにつらいものかと思いました」(広美さん)
【栁町昌克先生から】小児がんは早期発見が難しいことが特徴だが、成人のがんより治りやすい
小児がんはまれな病気で、日本では年間およそ2500〜3000人の子どもが発症するとされています。「白血病」や「脳腫瘍」が多いですが、それでも「希少がん」として扱われます。
小児がんは、早期発見が難しいことが特徴です。これは、子どもにはがん検診がなく、定期的な血液検査も行わないことや、発熱や頭痛といったほかの病気と区別がつきにくい症状から病気が始まることが多いためです。
しかし、小児がんは成人のがんに比べて治りやすいとされています。もしお子さんが小児がんの疑いがある場合には、小児がんの専門病院(小児がん拠点病院や連携病院)に相談することをおすすめします。
お話・写真提供/中山広美さん 監修/栁町昌克先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
広美さんが慶一くんの入院中に出会った小児がん患者の親たちは「風邪が長引いていておかしいと思っていた」「コロナで休校になって精神的なもののせいで具合が悪いと思っていた」などと、「気づいてやれなかったこと」を後悔している人が多かったそうです。広美さんは「子どもの具合の悪さが長引いていたら、環境のせい以外の原因も考えてみてほしい」と話します。
インタビュー3回目は慶一くんの2回目の手術から、化学療法や放射線治療などについての内容です。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指して様々な課題を取材し、発信していきます。
栁町昌克先生(やなぎまちまさかつ)
PROFILE
神奈川県立こども医療センター 血液・腫瘍科 部長。横浜市立大学医学部卒業。2020年から神奈川県立こども医療センター血液・腫瘍科に勤務。小児がん患者と家族を精神的、経済的側面から支援するボランティア団体「ちあふぁみ!」の代表を務める。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年10月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。