俳優・加藤夏希。子どもの世話をしながらの妊活は、違った大変さがあった!流産や不妊治療を乗り越えて4人のママに
俳優として活躍する加藤夏希さん。プライベートでは、2014年に一般男性と結婚し、8歳・5歳・3歳・そして7カ月の4人のママに。自身初となるプロデュースを手がけた舞台の上演を控え、仕事面でも忙しい日々を送っています。4人の子どもたちの妊娠や出産のことについて、また、趣味のキャラ弁作りや食育アドバイザーの資格についても聞きました。
全2回インタビューの後編です。
4人目の妊活中に病気も発覚。子育てしながらの妊活は気持ちの起伏が大きかった
――4人の子どもたちを妊娠する前は、妊活などはしていましたか?
加藤さん(以下敬称略) もともと、1人目を妊娠したころから、子どもは3人は欲しいねと夫と話していました。家族の人数的にも、5人がちょうどいいかなと思っていたんです。
上の3人のときは、病院に通って妊活をする中で、タイミングよく2〜3歳違いで授かることができました。いくつか病院に通いましたが、最初から積極的に治療をしようというところから、ゆっくり進んでいきましょうというところまで、先生によって治療の方針がまちまちでしたね。ただ、2〜3歳差で出産をしたいという希望があったので、私の中ではちょっとあせったりもしていて。それで、3人のときは注射をしてしっかり卵を育ててもらうという治療をしていました。
4人目を希望したのは、ひさびさに新生児を抱っこさせてもらったのがきっかけでした。これまで3人を妊娠・出産できたのだから、きっと自分は妊娠しやすい体だろうと自信満々なところがあったんです。ただ一方で、1人目のときと比べたら、もう8年も体が歳を取っているから、もしかしたら体には変化があるかもしれないなとも思っていました。
――4人目のとき、病院には行かれたんですか?
加藤 最初は「自然にできるんじゃないかな〜」と、とくに病院には行かずに自分でタイミング法などで妊活をしていました。ただ半年ぐらいたって、「あれ?なかなかできないな」と思い始めて、それで病院に行ってみたんです。すると検査の結果、「多嚢胞性卵巣(たのうほうせいらんそう)症候群」という病気であることがわかりました。これは、卵巣内に卵はたくさんできているけれど、大きく育たずに排卵もされないという病気だそうで、それでなかなか妊娠できなかったんだとわかりました。それで私の場合は、1つの卵がしっかり育つように薬で治療していくことになりました。
その治療をしている中で、実は1度妊娠をしたんです。ただ、心拍は確認できたけれど、そのまま流産してしまったんです。つらかったですが、2人目を妊活していたときにも流産の経験があったので、「そういうときもあるよね」と心を切り替えました。
流産をしたあとは、2回ぐらい生理を迎えてから、また治療を再開しましょうという話だったんです。ただ、排卵の時期ぐらいにおなかがモヤっとしていて、たまたま排卵検査薬が家にあったので検査をしてみたら、きちんと排卵していました。それで、じゃあ試してみようかと夫と話して、そのタイミングで奇跡的に二女を授かることができたんです。
――子育てをしながらの妊活はハードかと思いますが、精神面での負担も大きかったでしょうか?
加藤 私は毎回妊活をしてきたので、そのたびに、気持ちの起伏はやっぱりありました。生理予定日が近づくと「今回はどうかな?生理来ちゃうかな?」と気持ちがモヤモヤしたり、毎朝基礎体温を測っていたのですが、急にガクッと体温が下がってしまってズーンと落ち込んだり。
妊活中は、目の前にいる子どもたちより、これからできるかもしれない見えない赤ちゃんのほうにばかり気持ちが行きがちになってしまって・・・。気持ちが持っていかれないように、「子どもたちと向き合わなきゃ、向き合わなきゃ」と自分に言い聞かせていたんですけど、でも、心のどこかでは「ああ、また生理が来ちゃった・・・」などと考えてしまって、気持ちの上がり下がりは激しかったと思いますね。
子どもたちには、妊活をしていることをきちんと伝えていました。それで、ちょっと生理が遅れると、「もしかしたら、赤ちゃんができたかもしれない!」と期待させてしまって、そのあとに生理がきたことも。今振り返ると、こっちの事情で子どもたちを振り回してしまったなと思います。
“4人目だからお産が早い”はない!思いがけず、長丁場の出産だった
――妊娠中はどうでしたか?切迫早産も経験したそうですね。
加藤 1人目以外は、みんな切迫早産(せっぱくそうざん)で入院を経験しているんです。2人目のときは、正期産までの1カ月ぐらい、3人目のときは2カ月間ぐらい入院して、クリスマスや年越しを病院で過ごして、年があけてから出産しました。
切迫早産になってしまった原因は、私が妊娠中によく動きすぎていたからなんじゃないかと自覚しています。「妊婦さんなんだから、ゆっくり歩くんだよ」と言われてはいても、性格なのかせかせか動いちゃうんですよね。あとは、上の子たちがいて、どうしても抱っこをしなくてはいけないので、腹圧がかかったこともよくなかったのかもしれません。
入院中は、私は横になっていればよかったのですが、夫がワンオペで大変そうでした。母が秋田から手伝いに来てくれたりもしましたが、基本的には夫がワンオペで子どもたちの面倒を見てくれていました。
ワンオペを初めて経験して、夫は「こんなにも予定がうまく進まないんだね」と、子育ての大変さを初めて理解してくれました。「○時に出かけよう」とすると、そこから逆算して準備をしなくてはいけないことや、それでも、予定どおりにはいかないことがたくさん起こってしまうことをやっと理解したみたいでしたね。
――4度目の出産はどうでしたか?
加藤 出産前から、まわりからは「4人目だから絶対早いよ」とか、先生からも「子宮頸管(しきゅうけいかん)が短いから、子宮口が開くのも早いよ」などと言われてきました。私は4人とも、無痛分娩を選択してきたんですが、今回も5センチ開いたぐらいのタイミングで、そろそろ麻酔を入れましょうとなりました。すると、麻酔を入れてから子宮口がまったく開かなくなってしまったんです。そのまま夜を迎えたのですが、先生から、「もし、夜中のお産になったら、麻酔科の先生がいないので麻酔は入れられないんです」と言われてしまって・・・。
そんなドキドキの夜でしたが、子宮口はすでに5センチ開いているものの、陣痛の痛みがほとんどなくなってしまったんです。「私、本当に妊娠してる?これから出産するの?」と疑ってしまうぐらいでした。
朝になったら陣痛促進剤を使い、そこそこ痛みも来ていたので、麻酔を入れてもらったんですが、それでも午前中は産まれないまま。いよいよ昼になって、「おなかがすいたな〜。ごはんが食べたいな」と思っていたら、だんだんと麻酔が切れてきて、「そろそろ麻酔を入れましょうか」と話していたときに突然、すごい痛みに襲われたんです。もう、それであれよあれよという間に全開にまで子宮口が開いてしまいました。まだ麻酔を入れていなかったので、すごくあせりましたね。最後のほうのいきみのときには、無事に麻酔も効いてくれたので、安心して産むことができました。4人目は、麻酔のタイミングが難しかったですね。
今回学んだのは、4人目だから早いよというのは、間に受けてはいけないなということでした(笑)。思いがけずに、しっかりと時間がかかったお産になりました。
自分の作った料理で子どもたちの体が作られる、という責任を感じるように
――以前から料理は得意だったんですか?
加藤 もともと、ごはんを作ることがすごく苦痛で、結婚する前はほとんと料理をしてこなかったんです。ただ結婚してからはちょっとずつ、ごはんって家で作るものなんだな〜という感覚に変わってきました。さらに、子どもができて、離乳食を作るようになってきてから、料理に対する考えは変わりましたね。
長女はすごく好き嫌いがある子でした。というか、離乳食はあまり味つけをせずに、シンプルにだし汁だけでということが多かったので、だしがあまりおいしくなかったのか、ちょっとひと工夫たりなかったのかもしれませんが(笑)
そんな好き嫌いのある長女が、どうしたらいろいろ食べてくれるかな?と考えたときに、たとえば、にんじんを花の形にしてみたり、キャラクターなどを型取ったりして、見た目で食べるモチベーションが上がるような工夫をしてみたんです。それがきっかけで、キャラ弁を作るようになりました。キャラ弁は、子どもたちのイベントや、季節の行事などに合わせてテーマを決めて作るようにしています。
――2020年に食育アドバイザーを取得されたそうです。何かきっかけがあったんですか?
加藤 子どもたちの離乳食やキャラ弁を作る中で、ただ料理を作るだけじゃなくて、もう少し食に対して知識があったら、もっと楽しく料理ができたり、ごはんの場が楽しくなるのかなと思いました。
それで、最初は資格取得が目的ではなくて、食育アドバイザーになるための学びの内容が単純に気になって勉強し始めたんです。栄養素のことや、1食に何品ぐらいあったらバランスがいいとか、食事は個食ではなくてみんなで食べることが大事だということなどを知ることができました。
資格の勉強をしていくと、自分が作った料理で、子どもたちが育っていくんだということをあらためて実感しました。今までごはんを作ってこなかったので、正直すごく不安があったんですよね。小さい子にはどんな栄養素が必要なのかとか、どんな献立にしたらいいのかとか、何もかもわからなかったので。
あとは、料理を作ること自体が楽しくなりましたね。子どもたちも、キャラ弁を作ると喜んでくれるので、それがモチベーションにもなっています。子どもたちにキャラクターのリクエストを聞いて、それに応えるように作ってあげています。
ただ、小学生になった長女は、いよいよキャラ弁が恥ずかしくなってきたみたいで・・・。「ふたを開けてお弁当を食べられないから、もうキャラ弁はやめて」と、ついにお断りされてしまいました(笑)
――秋田の郷土料理などを作ることもあるんですか?
加藤 秋田の料理って、甘じょっぱい味つけが多いので、あまり子どもたちには向いていないかなと思って、作っていないんですよ。子どもたちには、できるだけ薄味で作ってあげたいと思っていて。
でも、ごはんは必ず、秋田のお米「サキホコレ」を使うことにこだわっています。甘みがあってモチモチしていて、おにぎりにしたときにすごくふっくらとしておいしいんです。
キャンプは自然を間近に感じられて、子どもたちがやりたいことに挑戦できる機会
――家族でキャンプに行くそうですね。どんな過ごし方をしていますか?
加藤 キャンプは、家でいつもはやらせていないことを、子どもたちに挑戦させてあげられる場所だなと感じています。火おこしや、食材を切ってみるなど、なかなか家ではできないので、キャンプのときに思いきりさせています。
あとは、虫や鳥の鳴き声とか、そういう自然を感じてほしいなと思っています。都会では、なかなか得られない体験ですよね。キャンプに行くといつも感じるのですが、シーンとした「夜の音」とか、朝起きてテントを出ると感じる「朝の音」というのがあるんです。子どもたちにもそれも知ってもらえたらいいなと思います。
――母親になって、加藤さんの考え方や生き方で変わったなと思うところはありますか。
加藤 子どもができるまでは、「その日にこなせればなんとかなる」という感じで過ごしていました。そのころの私は仕事がすべて、みたいなところがあって。それで、仕事でちょっとうまくいかないことがあったりすると、家にまで持ち帰って、考え込んだりしていました。
でも今は、家に帰ったら子育てという現実が待っているし、そんなふうに考える余裕もないんですよね。常に、だれかに話しかけられている状態なので(笑)
今まで、自分の中でオンオフをつけてこなかったんです。長女が赤ちゃんだったころは、子どもの前でもタレントさんみたいに、笑顔でいるようにしていたんです。でもだんだんと、子どもの前ではこんなふうにしなくていいかと思えるようになってきて、自分の中で「オフ」になれる瞬間を見つけたんですね。
このオフがあるからこそ、オンの部分をより頑張ろうと思えるようにもなりましたね。切り替えのしかたがうまくできるように変わってきたなと思います。
あとは、さっきも言ったように、私が作った料理で子どもたちの体が作られていき、私が発したひとつひとつの言葉で子どもたちの知識が増えていくのかと思うと、「ああ、これが人を育てているということなんだな」とあらためて実感します。
今、私と向き合っているひとつひとつが、彼らの人生のパーツになっていくんですよね。
お話・写真提供/加藤夏希さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部
4人の妊活、出産、子育てを経験するなかで、苦手だった料理にも挑戦し、食育アドバイザーの取得をするまでになったという加藤さん。子育てを始めたころは、オンオフを切り替えるのが苦手だったそうですが、8年間の子育てを経験するなかで、上手に切り替えができるようになったそうです。
自分の作った料理が子どもたちの体を作り、伝える言葉が知識になるなど、4人の子育てを通じて、“人を育てるということ”をひしひしと実感している日々だと言います。
加藤夏希さん(かとうなつき)
PROFILE
1985年、秋田県生まれ。12歳でゲームソフトメーカーのイメージガールとしてデビュー。『燃えろ!!ロボコン』に出演後、ドラマやバラエティ番組を中心に活躍。趣味はアニメやゲーム、キャラ弁づくり、落語、手芸。食品栄養管理士と食育アドバイザーの資格を持つ。2014年に一般男性と結婚し、16年に第1子の女の子、19年に第2子の男の子、21年に第3子の男の子、24年に第4子となる女の子を出産し、4児のママに。
2025年1月29日〜2月2日に東京・新宿のシアターサンモールで、加藤夏希さんが共同でプロデュースし、出演する舞台『鬼背参り』(夢枕獏原作)があります。
●記事の内容は2025年1月の情報で、現在と異なる場合があります。