産後にわかった長男のダウン症。生後6カ月ごろには強いてんかん発作が続き「かわいい笑顔はもう見られないの!?」と絶望した日々【体験談】
仙台市に住む神山春花さんは、夫の貴之さんとともに4歳と2歳の男の子を育てる母です。長男の創佑(そうすけ)くんは、生後にダウン症候群(以下、ダウン症)と診断され、生後6カ月で指定難病のウエスト症候群を発症しました。春花さんに、創佑くんが生まれてからの成長や闘病の様子について聞きました。全2回のインタビューの前編です。
やっと会えたわが子に、ダウン症の可能性があると言われ・・・
大学卒業後、アパレル企業の販売職として仙台市内で働いていた春花さん。自宅近くにできたおしゃれなステーキ屋さんに客として通ううち、店主だった今の夫にひかれ、春花さんからアプローチしておつき合いをすることに。2人は交際開始から2年後の2019年10月に結婚。そしてまもなく春花さんの妊娠がわかります。
「夫とはお互い3人きょうだいということもあり、『子どもはできれば3人くらいほしいね』と話していたので、妊娠はとてもうれしかったです。妊娠経過はいたって順調。妊娠アプリで『今日は何週』と毎週確認して、あとどのくらいで赤ちゃんに会えるんだろう、とすごく楽しみにしていました。子育てするには一軒家がいいのかな、と家探しも始め新しい家族の誕生を心待ちにしていました」(春花さん)
妊娠中に医師から赤ちゃんの健康状態について指摘されたことはありませんでした。春花さんの実家は岩手県ですが、コロナ禍だったため里帰りはできず、仙台市内の産院で出産することに。
「妊娠39週で強めの前駆陣痛が始まって入院。なかなか陣痛の間隔が定まらず、2日後の朝に促進剤を打って、昼過ぎに赤ちゃんが生まれました。生まれてすぐ、すごく小さな産声が聞こえたのを覚えています。
赤ちゃんは呼吸がうまくできていないからと、すぐに別室へ連れて行かれ処置を受けたようです。しばらく分娩室で待っていたら、看護師さんが酸素マスクをつけた赤ちゃんを連れてきてくれ、カンガルーケアで抱っこしました。初めての出産で疲れ果てていましたが、やっと会えた赤ちゃんを抱っこできて、この上ない幸せを感じました」(春花さん)
少しして赤ちゃんは再び処置のために別室へ。そして春花さんが分娩台から夫に『生まれたよ』と電話で報告し、次は母に電話をしようとしたときです。春花さんのところに2名の医師がやってきました。
「赤ちゃんに何かあったのかな、と思った次の瞬間、医師から『お子さんはダウン症の可能性があります』と聞かされました。
突然のことに、たくさんの思考が頭の中を飛び交うような、逆に思考停止しているような、自分でもよくわからない状態になりました。まさか、生まれたばかりのわが子に障害があるかもしれないなんて・・・。赤ちゃんが生まれて人生でいちばんの幸せを感じていると同時に、それまで味わったことのない不安な気持ちが押し寄せてくるような、まるで夢の中にいるようで現実味がありませんでした。
夫に電話をかけ直し、自分の口で説明したら一気に実感がわいてきて、涙がこぼれました。夫は私のことを心配して『大丈夫?』と声をかけてくれ『おれはなにも気にならないよ。早く赤ちゃんに会いたいな』と言ってくれました」(春花さん)
ダウン症について調べるほどに落ち込んだ
生まれてからしばらく、創佑くんは一過性多呼吸のため保育器内で酸素投与を受けていましたが、5日目には保育器を出ることができ、生後1週間で産後の春花さんと一緒に退院することができました。
「長男は、幸いなことにすぐに手術が必要な合併症があるわけではなく、酸素状態もよくなったので一緒に退院することができました。退院後2週間ほどで、入院中に受けた染色体検査や心臓や肺の検査結果を聞きに行ったところ、正式に『ダウン症候群』と診断を受けました。医師からは『ダウン症候群といってもさまざまで、今後どんなふうに体調が変化するか、合併症を発症するかわからない』と言われました。
当時の私は、ダウン症のことをよく知らず漠然とした不安がありました。ネットで調べると、成長するにつれて呼吸や脳に何か起こるかもしれない、と書かれていて、調べるほどに落ち込みました」(春花さん)
赤ちゃんのこれからに不安を抱える春花さんの心を励ましたのは、夫の存在でした。
「夫は私のことを心配しつつも、障害の有無なんて全然気にならないと、ただただ長男をかわいがっていました。そのあっけらかんとした姿を見て私も徐々に前を向けるように。長男の子育てについて改まって話し合ったわけではありませんが、親としてこの子のためにできることをしていこう、とお互いに感じていたと思います」(春花さん)
生後6カ月。目の動きの異変に気づき、ウエスト症候群と判明
創佑くんは、生まれた病院でダウン症の診断を受けたあと、紹介を受け県立こども病院へ転院することになりました。なにか合併症が起こった場合や、視力や体の発達などのサポートを受けるためです。
「転院後に、ダウン症の合併症などの有無を調べるために血液検査などさまざまな検査を受けました。血液検査の結果、長男は甲状腺機能低下症があるとわかりました。とくに症状はなかったのですが、毎日甲状腺ホルモンの薬を飲む必要があります」(春花さん)
ダウン症がある創佑くんはゆっくり成長し、生後2カ月ごろから笑顔を見せるようになり、生後5カ月で寝返りをうてるようになりました。ところが生後6カ月を過ぎたある日、春花さんは創佑くんの異変に気がつきます。
「そのころはまだ腰がしっかりすわっておらず、ベビーチェアの背もたれによりかかったり、ねんねの状態でいることが多かったのですが、その状態で黒目が一瞬上に動く発作のような現象が何回か続きました。それに、いつもニコニコとよく笑う長男がまったく笑わなくなったのです。何かがおかしい、と感じました。
ネットで探しまくったら『ウエスト症候群(※)』という病気がヒット。「笑わなくなる、成長発達が退行する」などと書いてありました。そういえば、長男は5カ月で寝返りができるようになったのに、最近していないな、と気づきました。もしウエスト症候群だとしたら、一刻も早く治療しないと予後にかかわるとも書いてあります。その日は週末でしたが、月曜日まで待てないと思い、子ども病院に電話をかけました。幸いすぐに見てもらうことができ、ウエスト症候群だと診断されました」(春花さん)
発作は1日100回以上あったことも
創佑くんの場合は目の動きに症状が出ましたが、ウエスト症候群は「頭がよくカクンとなる」「頻繁にびっくりする」ような症状が出ることが多く、別名「点頭てんかん」と言われます。創佑くんは1カ月ほど入院し、ACTH(アクス)療法を受けることに。ACTH療法とは副腎皮質刺激ホルモンを筋肉注射することで、副腎皮膚からステロイドホルモンの分泌を促し、発作や脳波を改善させる治療です。
「1カ月間毎日注射を打つ治療をしました。医師から『この注射は免疫力を下げたり、続けると脳が萎縮する副作用がある』との話で、入院中は病室から出ないこと、入浴も清掃終了後の朝いちばんに入ること、などの注意を受けました。私も長男と一緒に1カ月間入院し、毎日の発作の回数や分数を記録しました。
入院当初、発作は1日100回以上もありました。長いと5分くらい続くこともあります。発作の様子を見ていて、『このまま入院したままだったら・・・』『もし予後が悪くなってしまったら・・・』と心配でたまりませんでした。医師から『治療が効かなければ寝たきりになる可能性もある』と聞かされていたからです。
なにより、いつもニコニコ笑っていた長男の笑顔が見られなくなってしまったことがつらくてたまりませんでした。もしかしたらこの子はこのままもう2度と笑ってくれないのかな、と思うと苦しかったです」(春花さん)
注射の治療を続けるうち、しだいに創佑くんの発作の回数は減少していきました。
「入院して5日目くらいから発作の回数が減り始め、1週間ほどしてやっと笑ってくれたんです。今思い出しても涙が出るくらい、ほっとしたのを覚えています。入院中は、薬の副作用ですごくおなかが減るようで、離乳食をもりもり食べて、母乳も頻回。私は夜間もほとんど寝られない状態で授乳を続けました。
1カ月の入院治療をした結果、発作は完全におさまりました。退院後は定期的な脳波検査と服薬を続けるほか、再発についても注意しています」(春花さん)
ダウン症のある長男の子育ての苦労と幸せ
創佑くんは3歳から保育園に入園し、春花さんも仕事復帰をしました。仕事をしながらのダウン症のある創佑くんの子育ては「常に時間に追われている」ほどの大変さがあります。
「長男は弱視があり治療用めがねをかけているほか、低緊張でひざが後ろに曲がったりへんぺい足になるため下肢装具やインソールを日常的に使用しています。そのため、通院やリハビリ、児童発達支援の送迎など、私の休みはすべて長男の予定で埋まる状況。家事すらも時間がたりず、常に時間に追われています。
さらに長男はひとつの行動に固執したりして危険なことがあるので、目が離せません。たとえば、冬場はヒーターの周囲に設置しているさくをつかんでゆらすことにこだわっていました。『やけどするよ』『火事になっちゃうよ』と教えて引き離しますが、何度も繰り返してしまいます。さくをゆらす音が楽しいのかもしれないし、“危ない”ということがよくわからないのかもしれません」(春花さん)
大変なことがある一方で、「幸せを感じる瞬間も山ほどある」と春花さんは言います。
「長男には年子の弟がいます。いつもけんかが絶えない2人ですが、言葉を交わさずとも通じ合っているようで、同じ遊びをキャッキャしながら遊んでいる姿を見るとたまらなく幸せです。思わず動画を撮って何度も見返してしまいます。
長男はていねいに教えたり練習してもできるようになるまでとても時間がかかるのですが、その分なにかできるようになったときは喜びもひとしおです」(春花さん)
お話・写真提供/神山春花さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
創佑くんは口の動きの成長が遅いため、4歳を過ぎた今も、離乳の中期食くらいの形状のものを春花さんが介助して食べさせています。「1人で食べられる日は来るのだろうかと気が遠くなる」と話す春花さんですが、保育園への入園で、保育中に食事のお世話が含まれていることでかなり助かっているのだとか。
春花さんは障害児を育てる母親が働ける環境作りを求め、任意団体、Challenged Handsを立ち上げました。後編ではそれらの活動などについて聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
※ウエスト症候群とは、小児のてんかんの1種で「点頭てんかん」とも言われる。3000人~4000人に1人の割合で見られ、生後3~11カ月ごろまでに発症しやすい。親族にてんかんの人がいなくても発症する。「頭がよくカクンとなる」「何度もバンザイをする」「頻繁にびっくりする」など、最初はてんかん発作だとは気づかないことも。しかし早期治療が大切な病気で、治療開始時期が病気の経過に影響する。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年4月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。