4歳で診断された小児がん。8カ月に及ぶつらい治療。再発におびえる母を救ったのは、ある人との出会い【ユーイング肉腫体験談】
16歳から5歳まで、男女6人の子どもを育てている金子すみ子さん。三女のすみれさん(11歳)は、4歳のとき小児がんのユーイング肉腫と診断され、8カ月にも及ぶ入院治療を行いました。
ユーイング肉腫は小児がんのひとつで、骨や軟部組織に発生する悪性腫瘍です。
すみ子さんへのインタビューの後編は、入院治療中のことや再手術が必要になったこと、その後の生活のことなどについて聞きました。
治療法の説明を受け、やっとすみれを治してもらえる病院に行き着いたと感じた
4歳のすみれさんは、東京大学医学部附属病院(以下、東大病院)でユーイング肉腫の治療を受けることになりました。
ユーイング肉腫は、主に小児から若年成人に多く発症する骨軟部の肉腫。小児がんのひとつとされていますが、低年齢で発症することは、とてもまれです。
「東大病院でも4歳で発症した子は見たことがないといわれ、入院中にたくさんの先生が診察してくれました。
治療法としては、抗がん剤治療を4カ月続けて腫瘍を小さくしてから、手術で取り去るとのこと。
手術は、腫瘍ができた骨をまわりの筋肉などで包んでいったん切除して、腫瘍を取り除いたあとに骨を液体窒素につけてから、体に戻すというものでした。液体窒素につけるのは腫瘍細胞を死滅する効果が期待できるからなのだそうで、液体窒素につける時間は20分程度なのだとか。病気のある骨を再利用する方法で、日本を中心に発展してきた技術だと聞きました。
さらに手術後も3カ月くらい抗がん剤を使い、腫瘍を根本から断つ、という説明 でした。
これまでいくつもの病院を受診した中で、これほどていねいに説明してくれたことはありませんでした。この病院ならすみれを治してくれる!と、やっと暗闇から光がさすのを見た思いがしました」(すみ子さん)
抗がん剤のつらい治療の後、13時間もの手術。そしてさらに抗がん剤の治療
入院して抗がん剤治療が始まると、すみれさんは食欲がガクンと落ち、みるみるやせ細っていきました。
「『アイスクリームなら食べられかも』と言うので、すみれが好きそうなアイスを数種類買ってきても、いざ目の前にするとひと口も食べられない、ということが続きました。
でも、すみれは駄々をこねて私を困らせることも、注射や薬を嫌がることもなく、治療に立ち向かっていました」(すみ子さん)
抗がん剤の効果で腫瘍が小さくなり、次の治療、手術へと進みました。
「13時間に及ぶ大手術でした。入院前は19㎏あった体重が14㎏まで落ちていたので、手術に耐えきれるのか、手術室から戻ってくるまでは一瞬も気が休まりませんでした。
でも、先生方のおかげで手術は成功! 手術後は常に腕に三角巾を巻いていました。そして毎日、作業療法士さんの元でリハビリを行ったんです。ここでもすみれは弱音を吐くことはありませんでした。
手術後の抗がん剤治療も頑張って乗り越えたすみれ。なんて我慢強い子なんだろうと、わが子ながら感心していました。本当にすみれはすごい子だ。そう思わずにはいられませんでした」(すみ子さん)
8カ月もの入院治療で抗がん剤、手術治療などを終えたすみれさん。退院してからすみ子さんが知った事実があります。
「『オレンジ色の点滴が来るのが嫌だった』って、ある日すみれがポツンと言いました。この点滴をすると、必ず気持ち悪くなったんだそうです。それなのに、治療中は耐えていたんです。私に心配をかけたくなかったのかもしれません。たった4歳の子が、そんなにも我慢していたのかと思うと、悲しくて申し訳なくて、やりきれなくなりました」(すみ子さん)
入院治療中、すみ子さんはずっと病院に泊まり込んでいました。
「全部で8カ月に及ぶ入院中、私は2週間に一度、3時間だけ家に帰る生活でした。上の4人の子どもたちが全員そろう土曜日の夜に帰ることが多かったです。私が不在の間、4人の子どもの世話は、夫が一手に引き受けてくれました」(すみ子さん)
すみれさんの入院治療が長期にわたるとわかったとき、すみ子夫婦さんは、子どもたちにすみれさんの病気のことを話しました。
「当時9歳の長男と8歳の長女には、すみれは小児がんだと伝えました。がんがどのような病気なのかは、なんとなく理解できたようでした。
7歳の二男、6歳の二女には『ちょっと入院が長くなるけど待っていてね』とだけ話しました。
そして、みんなには寂しい思いをさせてしまうけれど、すみれは病院で頑張っているから、みんなも応援してほしいとお願いしました」(すみ子さん)
すみれの死の恐怖から解放してくれたのは、同じ病気を体験した若い医師だった
退院後、すみれさんは幼稚園の年中クラスに通い始めます。
「退院したら幼稚園に通ってもいいと先生から言われたのですが、退院時はまだ髪の毛が生えていなかったので、幼稚園復帰は髪の毛が生えてからにしようと考えていました。ところが、すみれは『早く行きたい!!』って言うんです。髪の毛がなくても気にしないって。だから7月から登園を始めました。
幼稚園の先生に様子を聞くと、心配したとおり、髪の毛のことをからかってくる子がいたようです。でも、すみれは相手にせず、のびのびと過ごしているとのこと。すみれ本人にも確認すると、『先生が注意してくれたから平気』って言っていました」(すみ子さん)
明るく毎日を過ごすすみれさんとは対照的に、すみ子さんは再発の恐怖から逃れられず、ひそかに苦しんでいました。
「『がん=再発=死』という構図が頭から消えなくて、いつもおびえていました。それを救ってくれたのは1人の医師。すみれの5歳下の弟、6番目の子どもが2019年に生まれ、その子の3~4カ月乳児健診の会場で出会った20代くらいの先生でした。きょうだいの病歴を見て、すみれの小児がんの種類を聞いてきました。ユーイング肉腫だと伝えると、「僕も中学生のときにユーイング肉腫になったんです。同じ病気の子を治せる医者になりたいと思って、すごく頑張って医者になったんですよ」って。
すみれと同じユーイング肉腫だった人が病気に打ち勝って、こんな立派なお医者さんになっている。すみれもきっと大丈夫!不安と恐怖が一気に取り払われるのを感じました」(すみ子さん)
患部を骨折し、足の骨を移植。「私の骨を使って!」と医師に頼み込む
退院した2カ月後、5歳の8月のこと。幼稚園も小学校も夏休みで、きょうだいとにぎやかに過ごしていたすみれさんに、大変なことが起こりました。
「すみれときょうだいが家の中でじゃれあっていたとき、すみれが転んだんです。フライパンを落としたような『ゴンッ』っていう鈍い音が聞こえ、すみれに駆け寄りました。本人は『大丈夫』っていうけれど、明らかに様子が変。翌日も我慢しているのがわかったので、東大病院を受診。検査の結果、手術した場所の骨が折れていることがわかりました。『骨折は様子を見るしかない』と言われ、経過観察をすることに。
入院しなくていいことがわかり、すみれは大喜び。つらい入院生活に耐えてやっと自宅に戻ってこられたのに、たった2カ月で病院に戻ることが、本当に嫌だったみたいです」(すみ子さん)
半年たっても骨折が治らないため、2020年のひな祭りの日に、足のすねの骨を腕に移植することになりました。
「足のすねの骨を半分に割って腕に移植するという説明を聞いて、『私の骨じゃダメですか!?』って、先生に何度も何度も聞きました。どうしてもこれ以上すみれに痛い思いをさせたくなかったんです。腕と足を手術するなんて・・・。でも残念ながら、母親の骨ではなく本人の骨がいいとのことでした。
手術後、すみれの腕はギプスでがっちり固められていました。腕だけではなく、足も不自由なことになってしまうのかと落ち込みました。でも、足の動作にあまりかかわっていない骨なんだそうで、手術後も普通に歩いている姿を見て、ホッと胸をなでおろしました。
しばらくの間ギプスや三角巾生活を続けたのち、足の骨が腕に固定したことが確認され、腕に差し込まれたボトルを抜く手術を1年後に行いました」(すみ子さん)
大勢の人の前で堂々と歌い上げる娘。その姿は私の一生の宝物に
2025年4月19日に、小児がんの子どもたちを応援するチャリティイベント「ゴールドリボンウオーキング2025」が行われました。オープニングイベントで、「スペシャルバンド」による小児がん応援ソングが披露され、すみれさんはそのボーカルを務めました。
「ゴールドリボン・ネットワークからボーカル募集のメールが届きました。親のひいき目かもしれませんが、娘はとても愛らしい声で歌うので、応募したいと思いました。すみれも『いいよ~』と言うので。早速応募。後日、『ボーカルに決まりました』というメールをいただき、すみれと2人で大喜びしました」(すみ子さん)
ところが、「リハーサルではあまりに音痴で、どうしようかと思った」とすみ子さんは言います。
「すみれが言うには、緊張して声が出ないのに無理に歌おうとしたら、音程がはずれたとのこと。とにかく歌い込んで慣れるしかないと思い、本番までの2週間は家で猛練習しました」(すみ子さん)
そのかいあって、本番ではすみれさんの歌声にたくさんの人が聞き入りました。
「大病を乗り越え、たくましく生きている娘の歌声には力強さがありました。晴れた空の下、お台場の舞台で歌う娘の姿を一生忘れません。
何の病気なのかわからず、不安を抱えながら病院を転々としていたころの私に、こんな素晴らしい日がやってくることを教えてあげたいです」(すみ子さん)
すみれさんの将来の夢は警察官になることだそう。
「困っている人を助けたいから警察官になりたいんだそうです。そのために勉強も頑張っています。
治療の影響で腎臓が少し弱いですし、手術をした腕まわりは筋肉がつきにくく、重いものを持つのは苦労しています。
でも、後遺症で成長しないかもとしれない言われた左腕が、右腕と同じ長さに成長し、経過も順調です。女子サッカーチームに所属して、運動もできるようになりました。
すみれは根性があるので、どんなことにもくじけず、夢の実現のために突き進んでいくでしょう。すみれの夢がかなうように、これからも支えていきたいと思っています」(すみ子さん)
【小林寛先生より】左右の腕の長さに差がないか、再発がないかなど、慎重に経過観察を続けていきます
骨の腫瘍を切除したあとの治療として、病気を含んだ骨を液体窒素で凍らせて、がん細胞を死滅させたうえで、同じ場所に戻す方法があります。これは自分の骨を再利用できる治療法で、日本を中心に行われており、広く使われています。
がん細胞をなくす方法には、ほかにも放射線を当てたり、高温で消毒したりする方法(パスツール処理)もあります。海外では、ほかの人の骨を使う移植が多く使われています。また、すみれさんの2回目の手術のように、自分の足の骨を使う方法もありますが、自分の骨をそのまま使えるこの方法は、体のほかの部分を傷つけずにすむのが特徴です。
手術後は、腕がしっかり動いているか、左右の長さに差が出ていないかを診察していきます。また、再発がないかを確認するために、定期的にCTやMRIなどの検査を行いながら慎重に見守っていきます。
お話・写真提供/金子すみ子さん 写真提供/渡部サミーさん 取材協力/公益財団法人ゴールドリボン・ネットワーク 医療監修/小林寛先生 取材取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
抗がん剤のつらい治療と大手術に耐え、ようやく退院できた2カ月後に骨折してしまったすみれさん。でも、どんなに大変なことも、持ち前のバイタリティーで乗り越えてきました。そして「困った人を助ける警察官になる」という夢に向かって歩き出しました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。