妊娠23週4日で破水し、翌日緊急帝王切開で生まれた長男。639gの小さな体に次々に襲いかかる試練・・・「生きて」と願い続けた【超低出生体重児】
静岡県に暮らす青島悠(はるか)さんは、夫と6歳の長男との3人家族です。長男の虎太郎(こたろう)くんは悠さんが妊娠23週のときに体重639gで生まれた超低出生体重児でした。悠さんに、虎太郎くんの出産のときのことや、虎太郎くんの生後すぐの状況などについて話を聞きました。全2回のインタビューの前編です。
妊娠23週のある夜、突然の破水
出産前はアパレルメーカーに勤務していた悠さん。会社員だった幸一さんと結婚し、しばらくして赤ちゃんを授かりました。
「この子の前に一度流産を経験していたので、妊娠がわかって心拍が確認できるまではうれしさと不安が入り交じったような感覚でした。無事に心拍が確認できて、私たち夫婦のもとに赤ちゃんがきてくれたことがとてもうれしかったです。
妊婦健診では『羊水が少ないタイプ』と言われた以外にはとくに問題はなかったんですが、妊娠6カ月に入ったころに少しだけ出血がありました。医師に相談したところ『よくあること』と言われたので、あまり心配しすぎないようにして通常どおり仕事をしていました」(悠さん)
その出血から2〜3週間が過ぎたある日の深夜、悠さんに突然の事態が訪れます。
「休んでいたら夜中に下着が少しぬれていることに気づきましたが、ほんの少しだったので『尿もれかな?』と思ったんです。でもトイレに行くたびに毎回少しぬれていて・・・念のため産婦人科に電話をしたら、『翌朝いちばんに病院に来て』と言われました。
翌朝受診すると、破水していたことがわかりました。まさか!という気持ちです。もともと羊水が少ないタイプだったこともあってか、受診したときにはほとんど羊水がなく、赤ちゃんが苦しい状態になっていたそうです。医師から『感染リスクも高まっているから、できるだけ早く帝王切開で出産しましょう』と話がありました」(悠さん)
悠さんは通っていたクリニックからこども病院に搬送され、母体・胎児集中治療室(MFICU)に入院。翌日に帝王切開手術を受けることが決まりました。
「入院になってからすぐに張り止めや感染予防の点滴などの処置があり、1時間ごとに看護師さんが赤ちゃんの心音を確認しにきていました。昨日まで普通に過ごしていたのに、まさか私の身にこんなことが起こるとは、と驚きました。これから一体赤ちゃんがどうなるのか考える間もなく、バタバタと処置されるままにベッドに横たわっていました」(悠さん)
出生体重639gの男の子。命が続くかわからない、と覚悟した
入院の翌日、悠さんは緊急帝王切開で出産となります。妊娠23週5日のことでした。
「手術室に入る前、病院に来てくれた夫と実母が声をかけてくれました。母は点滴の副作用だったのか顔が真っ赤になってしまった私の様子を見て『頑張りなさい!』と言ってくれました。出産は命がけのものですから、命の危険も感じたのかもしれません」(悠さん)
手術室に入ってまもなく、639gの男の子が生まれました。
「生まれた赤ちゃんをほんの一瞬だけ見ることができました。真っ赤で、皮膚も薄くて溶けてなくなってしまいそうにも見えました。それでも小さな手のひらが開いて、指が5本あるのが見えました。泣き声も聞こえたんです。子猫のような声でしたけど『よかった、生きてるんだ』と思って。
妊娠6カ月でまだおなかもそんなに大きく目立たないくらいだったので、『このおなかから生まれるってどれくらいの大きさなんだろう』と思っていたんですが、生まれた子を実際に目にして『こんなに小さいんだ』ってびっくりしました」(悠さん)
赤ちゃんは呼吸状態がよくなかったために、すぐに気管挿管などの処置を受け、NICUに運ばれました。そして出産の翌日、悠さんは医師から赤ちゃんの状態について説明を受けました。
「生まれてからの時間の経過と段階的なリスクを示した一覧表のような紙をもらいました。最初に心配すべきこと、その次、その次・・・と4項目くらいあって、もしその段階を無事に乗り越えられた場合、どんなフォローアップが必要か、どう育っていくのか、障害の可能性などが書かれていました。
『小さく生まれたので1週間以内に脳出血の可能性があります』と言われ、命を落とす子もいるという話もありました。もらった用紙には超低出生体重児の何%が脳出血を起こすかというパーセンテージも書かれています。『どうかその数字には入らないでほしい』と祈るような気持ちでした」(悠さん)
生まれた赤ちゃんの状態が悪く、いつ何が起こるかわからないという説明を受け、悠さんは感情が追いつかなかったと言います。
「現実を受け止めるしかありませんでした。もしかしたら、生きていけるかどうかわからない、と覚悟もしました。でもとにかく今できることをしていくしかない、と考えていたと思います」(悠さん)
感染症で危篤と聞き、ショックで倒れてしまった
医師から赤ちゃんの状態についての説明を受けた日は、悠さんが新生児集中治療室(NICU)にいる赤ちゃんに初めて会った日でもありました。悠さん夫妻は、赤ちゃんに「虎太郎」と名づけました。パワフルなイメージがある「虎」の漢字をつけたいと、幸一さんが提案した名前だそうです。
「保育器の中の虎太郎は、とても小さくて、とてもはかなく見えました。最初の数日はかわいくてたまらないというよりは『ちゃんと育つのかな』と不安が大きかったと思います。保育器の中に手を入れて少しだけ触れてみると、確かに生きているんだなと感じました。
ショックもありましたが、虎太郎が頑張っていたので、私もちゃんと育ててサポートしなきゃ、って。初乳はとても栄養価が高いと聞いて何としても虎太郎に飲ませたくて、看護師さんの指導で痛みに耐えながら頑張って搾乳しました。NICUで私の母乳をチューブから飲ませてもらっているのを見て『ちゃんとつながっているんだな』と感じ、母としての実感が少しずつわいてきたと思います」(悠さん)
悠さんは産後1週間ほどで退院し、それから毎日NICUに面会に通う生活になりました。生まれてから毎日を懸命に乗り越えていた虎太郎くんでしたが、生後1カ月で症状が急変します。
「感染の数値が急激に上がって、危篤状態になってしまったんです。通常の風邪だと1〜2くらいの数値が、虎太郎の場合は19〜20まで上がってしまったそうです。数値のことがよくわからず、医師に『どのくらい重い状態なんですか?』と聞いたら『成人でも耐えられるかわからないくらい重い』のだと。理由はわからないとのことでした。
『今日が山かもしれません』と言われて、あまりのショックで腰が抜けて倒れてしまいました。ここまで頑張っていろんなことをクリアしてきたのに、また危ないかもしれないなんて・・・。639gで生まれた虎太郎は、少しずつ体重が減って生後1カ月のそのときは500gくらいだったんです。こんな小さい体で耐えられるのかな、って」(悠さん)
数日は危険な状況だった虎太郎くんですが、医師たちの管理や虎太郎くん自身の頑張りで、少しずつ感染の数値は下がっていきました。
「心配する私に先生が『虎太郎くんはとっても頑張ってますよ』と声をかけてくれました。虎太郎が頑張っているのに、私もくよくよしてはいられません。見えないエネルギーを送り込むような気持ちでずっとそばに付き添いました。1週間ほどで病状が落ち着いてくれ、またしても大きな壁を乗り越えた虎太郎の生命力の強さを感じました」(悠さん)
お話・写真提供/青島悠さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
オンライン取材の画面には、悠さんの後ろで元気に跳びはねる虎太郎くんの姿が見えました。小さく生まれ生命の危機を乗り越えて成長する虎太郎くんの様子に、悠さんたち両親のたっぷりの愛情を感じます。
後編では、虎太郎くんが退院してからの成長について聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年11月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。


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