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娘は「普通」なんて求めていない。そのことに気づき、娘の笑顔を守るために母は動いた【大田原症候群】

更新

小学校2年生、7歳のときの楓音さん。キャンプに参加し、BBQのお肉を食べているところ。

生後1カ月のとき、重症のてんかん性脳症の「大田原症候群(おおたはらしょうこうぐん)」と診断された永峰楓音(かのん)さん(16歳)。生活すべてに介助が必要な重度心身障害児です。
全2回のインタビューの後編は、母親の玲子さんがとてもつらかった時期と、それを乗り越えて現在に至るまでのことを聞きました。

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「大人の食事を取り分けミキサーにかければいい」という言葉に目からうろこが

大人の食事(左)をミキサーにかけて、楓音さんが食べやすいペースト状(右)にしています。

楓音さんは、食事、入浴、排泄、着替え、移動といった、日常生活動作のすべてに介助が必要。夫の雄介さんは飲食店勤務で、朝早くに家を出て夜遅くに帰ってくるため、楓音さんのお世話は、ほぼ玲子さんが1人で行ってきました。
とくに手間と時間がかかったのは、授乳・食事のお世話だそうです。

「楓音には摂食えん下障害があるので、1歳になってもミルクを飲むとむせてしまい、授乳にすごく時間がかかっていました。それを解決してくれたのは、1歳ごろから週1回リハビリに通っていた福祉センターの先生のアドバイスでした。『ミルクにとろみをつけるとむせにくくなる』って教えてくれたんです。

とろとろしたミルクなんて考えもしませんでした。さっそくやってみたら、楓音がむせずに飲めたんです!そのときから楓音も私も授乳がずいぶん楽になりました」(玲子さん)

楓音さんの離乳食が始まると、玲子さんは食事の形態ついて悩むようになりました。

「1歳半ごろミルクは卒業して、離乳食だけで栄養をとるようになりました。でも、すりつぶす・刻むなど離乳食用に調理した食材は、粒があったり、水分が分離したりしているため、楓音はむせてしまいます。こし器で裏ごしするなど手間がすごくかかるため、私は毎日疲れきっていました。

3歳になると障害児保育を行っている療育センターに通い始め、食事の相談にも乗ってくれました。
先生は『胃腸は順調に成長しているんだから、離乳食じゃなくて、大人が食べているものをミキサーにかけて食べさせてあげればいいのよ』って言うんです。
そうだったのか!と目からうろこが落ちる思いでした。摂食えん下障害があるから、つぶつぶしたものを食べるのは苦労するけれど、胃腸は普通の3歳児のように育っていて、食べられる食材も増えてきているんだから、離乳食じゃなくていいんだ・・・。ミキサーにかけてペースト状にすれば、私たちと同じ食事でもいいんだ!ひとつ扉が開けた瞬間でした。

以来、親子3人分の食事を作って、そこから楓音の分だけ取り分けてミキサーにかけ、必要なときはとろみも調整する、という方法をずっと続けています。ひと口ずつすべて介助が必要なのも今も変わらないので、楓音の学校が休みの日は、今でも1日中食事のお世話をしている感じですが、親子で同じものを食べられるのは何よりの喜びで、励みになります」(玲子さん)

妊娠中から仲よしのママ友たちに会うのがつらくなり、孤独も感じるように

生後5カ月ごろ。授乳にとても時間がかかっていましたが、その合間を縫って児童館などに連れて行っていました。

玲子さんには妊娠中に知り合ったママ友がいましたが、楓音さんが2歳ごろから、ママ友たちとの付き合いを避けるようになったそうです。

「マタニティーヨガで知り合い、同じころに出産予定だった数人のママ友は、出産したのも同じ病院でした。それぞれが退院し、外出できるようになると、毎日のように児童館で待ち合わせして集まっていたんです。授乳で1日が終わるような生活をしていた私にとって、ママ友たちとの触れ合いはほぼ唯一の息抜きでした。

でも、楓音たちが2歳になったころから、ママ友とその子どもたちに会うのが苦しくなってきたんです。ほかの子はどんどん成長して動き回るようになっていくのに、楓音はずっと動かないまま。家族同然に仲よくしている子たちの成長を見るのはうれしいのに、素直に喜べなくなってきていて・・・。そんな自分が嫌いだったし、まわりの子どもたちを見ていると、楓音は病気なんだと改めて突きつけられる気がして、ママ友たちと会うのがつらくなっていきました」(玲子さん)

この時期は「励まされるのもつらかった」と玲子さんは言います。

「ママ友たちは、『子どもの成長には個人差があるから、楓音ちゃんもいつかはできるようになるよ』って励ましてくれました。でも、私はうまく返事をすることができません。こんな私の様子を見て、ママ友たちは悲しい思いや気まずい思いをしているかもしれない。そんなことも頭をよぎり、ママ友たちと会ったあとはどっと疲れるように。
しかも仕事に復帰するママ友がほとんどで、完全に住む世界が違うような気持ちになり、とても孤独でした」(玲子さん)

同じようなころ、手をつないで歩く幼稚園児を見て、泣いてしまったこともあったそうです。

「楓音を連れて買い物に出かけたとき、幼稚園児の集団が手をつないで横断歩道を渡るところを見たんです。ただ手をつないで歩いているだけなんですが、私には子どもたちがキラキラと輝いて見えました。ごくごく当たり前の、日常にあふれている光景なのに、楓音が体験することはないんだ。そう思ったらかわいそうで、悲しくて、涙が止まらなくなりました。

でも、楓音をふと見るとニコニコ笑っていました。その笑顔を見て、私は『普通』にこだわって悲しみに暮れていたけれど、楓音自身はそんなこと全然気にしていないのかもしれない。私は楓音のことを、『かわいそうな子』と決めつけていたんだ、と気づきました。
そして、楓音の気持ちを大切にして、楓音が笑顔でいられることをすればいいんだって、しだいに気持ちを切り替えることができるようになりました」(玲子さん)

玲子さんは大田原症候群の子どもを育てているママと話がしたいと思い、ネットで探しました。

「楓音より2歳年上の男の子を育てているご家族のブログを見つけ、『会ってお話をしたいです』ってメッセージを送りました。すぐにOKの返事が来て、会いに行くことになりました。
同じ病気の子どもを育てているママと会えるのは楽しみでした。でも同時に、怖さもありました。その男の子の姿は2 年後の楓音の姿。厳しい現実を突きつけられるかもしれないからです。

男の子は想像していたより重い障害を抱えていましたが、とても明るいご家庭でした。ママをはじめご家族みんながその男の子のことを愛していて、とても幸せそうなのが伝わってきました。その姿にすごく勇気をもらえ、楓音と一緒に前を向いて生きていこうと思えました」(玲子さん)

人とかかわることで成長していく娘。その姿を見るのが何よりの喜びに

4歳ごろ。スピードのある遊びも好きで、写真はカート遊びをしているところ。

楓音さん3歳から週5日、療育センターに通いました。

「母子通園だったので、私も一緒に通いましたが、2年目からは親は控室にいて、子どもたちと先生だけで過ごす時間も増えていきました。また、3年目からは週1回地元の幼稚園にも通うように。同じクラスのお友だちが、どうやったら楓音と一緒に遊べるかいろいろ考えてくれたのが、とてもうれしかったです」(玲子さん)

幼稚園で過ごす中で、楓音さんの成長を感じる場面があったそうです。

「ある日、お友だちが楓音の頭にひょいっとお手玉を乗せました。そのとき、楓音がイヤッ!っていう顔をしたんです。楓音は言葉を発することはできませんが、「やめて」とちゃんと相手に意思表示したんです。『楓音は確実に成長している!』と感じられ、私は自然と笑顔になっていました。

療育の場では楓音はとても大切にされていて、そのことはとても感謝しています。一方、幼稚園という社会の中では、楓音はみんなと同じ園児です。その環境が楓音を成長させてくれたんだと思いました。
また、『楓音ちゃんが来る日は園児たちがいつもより優しくなる』という先生の言葉に、楓音には楓音にしかできない役割があるんだと、誇らしさも感じました」(玲子さん)

小学校からは特別支援学校に進学。小学校、中学校では、年に数回通常学級の児童や生徒と一緒に授業を受けました。

「楓音は座ることも歩くこともできないので車いすでの参加ですが、どんなイベントでも、どこに行っても、つねに堂々としているんです。わが子ながらすごいなあと、毎回感心します。しかもいつもニコニコ笑っています。みんなと一緒に何かをするのがうれしいんだと思います。表情でそれが伝わってくるし、お友だちとコミュニケーションを取ろうともします。楓音は人とかかわることで、どんどん成長していきました。

高校1年生になった今は思春期の女の子らしく、ちょっとツンデレな感じ。子どものころのようにニコニコはしていません。「それくらいのことでは笑いませんけど?」って考えている気がします。そんな態度にも成長を感じ、うれしくなります」(玲子さん)

障害のある子どももその親も笑顔でいてほしい。そのために活動を続ける

中学2年生14歳のとき。イベントでの食事風景。イベントが大好きな楓音さんは満面の笑顔です。

玲子さんは、大田原症候群の患者会「おおたはらっこ波の会」を2018年3月26日に立ち上げ、今も代表を務めています。

「当事者がつながることは大きな安心感となり、前を向いて生きるための原動力になることを、私自身がとても実感しています。未来に希望がもてるような情報を共有することで、同じ境遇の人の涙が少しでも笑顔に変わるいいなという願いを込めて、世界中で行われている『てんかんの啓発デー』に会を発足しました。

活動は2カ月に1回オンライン交流会を行い、セミナーなどの勉強会も随時開催。年1回はお泊り旅行にもチャレンジしています。会員全員が家族のような存在で、子どもたちの成長をみんなで見守っています」(玲子さん)

玲子さんは、摂食えん下障害児の家族のコミュニティー『スナック都ろ美』の運営も行っています。

「母体となる一般社団法人mogmog engine(モグモグエンジン)を、共同で立ち上げたのは2022年のことです。現在、『スナック都ろ美』の会員は1700人超。LINEのオープンチャットでワイワイガヤガヤおしゃべりしています。もちろん悩み事や困り事を相談しあったりもしますが、摂食えん下障害児を育てるママ・パパが笑える場所をつくりたかったんです」(玲子さん)

Mogmog engineでは「インクルーシブフード」の開発にも力を入れています。

「日本は高齢者向けの介護食はとても豊富ですが、食べ盛りだけど、摂食えん下障害のある子どもが喜ぶような介護食は、ほとんどありません。見た目が美しく、味もおいしくて、だれもが一緒に食べられる『インクルーシブフード』があったらすてきだなと思い、企業とコラボして商品の開発を行っています。

また、12月12日の『世界嚥下デー』に合わせて、『スナック都ろ美』がおすすめする、おいしくてやわらかい食品ばかりを集めた」ECサイトもオープン予定です。お買い物だけではなく、レシピの情報も発信していきたいと考えています」(玲子さん)

楓音さんは現在16歳。あと2年で成人となります。

「高校を卒業したあとどこに通おうか、見学に行っているところです。また、生まれたときから診てもらっているこども専門病院に、今も1カ月半に1度定期受診していて、薬も処方してもらっているのですが、診てもらえるのは18歳まで。治療を引き継いでくれる成人病院も探さないといけません。
ひとりっ子なので、私たち夫婦がいなくなっても、生活できる基盤を作ることを考える時期に来ているのかなと思います。そんな日が来ることはまだ考えたくないけれど、楓音の笑顔を守るために必要なことは、どんなことでもするつもりです」(玲子さん)

お話・写真提供/永峰玲子さん 取材協力/おおたはらっこ波の会 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部

「『普通』を求めることをやめたら、楓音の前にはすてきものがたくさんあることがわかった」と語る玲子さん。そんな玲子さん夫婦の愛情に包まれて育った楓音さんは、人と交わることが大好きで、おいしいものを食べるのも大好きな、笑顔が似合う女の子に成長しています。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

永峰玲子さん(ながみねれいこ)

PROFILE
大田原症候群患者会『おおたはらっこ波の会』代表。長女は生後0日で、大田原症候群を発症。全介助が必要な重度心身障害児を育てながら、一般社団法人mogmog engine(モグモグエンジン)を共同で立ち上げ、摂食えん下障害のある子どもとその家族のコミュニティー『スナック都ろ美』を運営。社会課題をメディアや講演で伝えるかたわら、外食産業へのサービス提案や、教育研究機関、料理専門家などと協働し、摂食えん下に配慮された「インクルーシブフード」を開発。

おおたはらっこ波の会

スナック都ろ美

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年12月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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