衝撃的な下腹部の痛みから見つかった卵巣がん。2人の子どもはまだ3歳と1歳。「この子たちをおいていけない」母の想い【体験談】
一般社団法人「がんと働く応援団」共同代表理事 吉田ゆりさんは、4人家族で現在小学4年生、小学2年生の2人の子どもがいます。
吉田さんは37歳のとき、下腹部に激しい痛みを感じて受診をすると卵巣がんと診断されました。長女は3歳、長男は1歳のときでした。
「がん」と聞いて命の覚悟をした吉田さん。しかし、「小さい子どもたちを残していけない。この子たちの将来を見守りたい」という思いから、卵巣と子宮の全摘を決断します。
吉田さんに、卵巣がんと診断されたときや卵巣と子宮の全摘を決めたときのことについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。
第2子出産後、下腹部が大きいのは、産後太りだと思っていた
吉田さんは、会社員の夫と2人の子どもの4人家族です。吉田さんが卵巣がんと診断されたのは、37歳のときでした。
――卵巣がんと診断されたときのことを教えてください。
吉田 卵巣に良性の腫瘍ができて、ねじれて激しい痛みに襲われる、卵巣腫瘍茎捻転(らんそうしゅようけいねんてん)の手術をした翌年、37歳で卵巣がんと診断されました。当時子どもたちは、3歳と1歳でした。
うつぶせになって寝ると、下腹部にゴロゴロした感じがあるとは思っていたのですが、痛みもないし、1年前に卵巣腫瘍の手術をしたばかりだったので、まさか卵巣がんだとは思いもしませんでした。また下腹部が太って、ズボンが入らなくなっていたのですが、産後太りだと思っていました。
でもある日、1歳の下の子の頭が下腹部にぶつかった拍子に、1年前と同じ激痛に襲われたんです。夫はまだ仕事中でしたし、急なことで子どもたちの預け先もないので、とりあえず市販の鎮痛薬を服用して痛みに耐えました。「少し時間が経てば治るかな?」とも思ったのですが、翌朝になっても痛みが治まらないので、夫に付き添ってもらって、近所のかかりつけの産婦人科クリニックに行きました。
エコー検査をしたところ「腹水がたまっているから、紹介状を書きます」と言われ、その足で紹介された総合病院の婦人科に行き、CT検査をしました。画像を見ると、右の卵巣が大きく腫れあがりボコボコしていたんです。右の卵巣は、わずか1年で9センチも大きくなっていました。痛みも治まらないので、そのまま入院しました。
医師からは最初「卵巣境界悪性腫瘍(らんそうきょうかいあくせいしゅよう)だろう」と言われました。卵巣境界悪性腫瘍とは、良性・悪性の明確な判断が難しく、中間に位置づけられる腫瘍です。しかし画像を見た医師は、「たぶん、悪性だと思う」と言いました。
また、「生検をすると袋状になっている卵巣に穴があいてしまい中のがん細胞が外に広がる可能性がある。なので、生検はせずに腫瘍を摘出後、悪性か良性か調べるしかない」「手術には開腹手術と腹腔鏡手術あり、開腹手術なら悪性だった場合、部分切除もできるし全摘もできる。でも腹腔鏡手術の場合は、後日、開腹手術をする可能性がある」と説明されました。そして再発のリスクについても聞きました。
当時の私は、がんの知識がほとんどなくて、「悪性腫瘍ってがんのこと?」「1年前に卵巣の手術をしたばかりなのに・・・」「3歳と1歳の子どもたちはどうしよう・・・」と、混乱しました。
生理痛がひどくて、中学2年生で良性の卵巣腫瘍と診断
吉田さんは、卵巣がんと診断されるまで、2回卵巣の病気が見つかっています。
――最初に卵巣の病気が見つかったときのことを教えてください。
吉田 中学生のころから生理痛がひどくて・・・。生理の2日目や3日目は、おなかを抱えてうずくまってしまうことがありました。市販の鎮痛薬を服用して、なんとか乗りきっていた感じです。
ですが、あまりに生理痛がひどいので、母と一緒に近所の婦人科クリニックを受診したのですが、そこでは「精神的なもの」と言われました。
ただ、私の様子を見ていて「おかしい」と思った母が、いろいろ医療機関を調べてくれて、自宅から少し離れた総合病院の婦人科を受診しました。
母も、急に下腹部に激しい痛みを伴う、卵巣腫瘍茎捻転と診断されたことがあったので、「もしかして・・・」と思ったようです。
総合病院で初めてCT検査を受けて、卵巣腫瘍による茎捻転と診断されました。医師からは、右の卵巣の腫れがひどくて開腹手術が必要だと説明されました。そこで、中学2年生の夏休みに入院して、腫瘍の部分だけを摘出する手術を受けました。手術後、右の卵巣にオレンジぐらいの腫瘍が1つと、レモン2個分ぐらいの腫瘍があったと言われましたが、良性でした。
――退院後も定期検診を受けていたのでしょうか。
吉田 定期検診は数回受けましたが、もう生理痛もひどくないし、高校受験などで忙しくなり、しだいに病院には行かなくなりました。体調的にも気になることはとくにありませんでした。
第1子の育休明け初日に、下腹部に激痛が
2回目の卵巣の病気が見つかったのは、吉田さんが36歳のときです。
――36歳で、卵巣の病気が発見されたときのことを教えてください。
吉田 長女が1歳になり、育休明けで職場復帰した初日のことです。会社で書類を記入していたら、急に汗が噴き出して書類の上にポタポタ垂れるんです。こんなことは初めてです。同時に下腹部に激痛を感じ、倒れ込んでしまい、救急車で近くの病院に搬送されました。
病院に到着したら、不思議なことに痛みが治まり、医師からは「育休明けで精神的なものではないか」と言われました。
しかし数週間後、同じ痛みに襲われて、通っていた婦人科クリニックで診てもらったところ、「ここでは対応ができない」と言われて、大学病院に搬送されました。CT検査をして、卵巣に腫瘍があり、卵巣がねじれる卵巣腫瘍茎捻転と診断され、痛みがひどかったため、その日のうちに開腹手術をして腫瘍部分を切除しました。腫瘍は良性でした。
実は、このとき2人目を妊娠していました。妊娠5カ月ごろでした。
当時、私は営業企画の仕事をしていて、仕事が楽しくて、会社には「産休・育休を取得させてもらって、その後はバリバリ働きます!」と言っていたんです。
――手術をして、おなかの赤ちゃんに影響はなかったのでしょうか。
吉田 とくに影響はなかったです。最初、激痛が走って救急搬送されたときは、かなり心配したのですが・・・。退院後、会社と相談してそのまま産休・育休に入りました。帝王切開で、妊娠38週で元気な男の子を出産しました。
「子どもたちを残して死ぬわけにはいかない!」と卵巣と子宮の全摘を決断
1歳の下の子の頭が下腹部にぶつかった拍子に、激痛に襲われた吉田さん。検査の結果、医師からは「たぶん、悪性だと思う」と思いもよらぬ言葉があり、卵巣がんが発覚しました。
――夫婦では、どのような話し合いをしたのでしょうか。
吉田 医師からは「手術のことなど、大切なことを決めないといけないから一度、自宅に帰っていいよ」と言われたのですが、またあの激しい痛みが襲ってくるかもと思うと怖かったので、一時退院は選択せずに、その場で夫と話し合いました。しかし急なことで、夫とじっくり話し合う時間は、そんなにありませんでした。
悪性だった場合の選択肢としては、卵巣と子宮の全摘か部分切除です。
「子どももまだ幼いし、将来のリスクを最小限にとどめたい。子どもたちのためにも死ぬわけにはいかない!」という思いで自ら卵巣と子宮の全摘を決め、医師に伝えました。
夫も私も「もう子どもを産めなくなる・・・」という寂しさや迷いもありました。夫は「もう1人」とも思っていたようです。でも子どもたちを残して死ねない! 夫や子どもたちともっと一緒にいたい! という思いのほうが強かったので決断しました。
お話・写真提供/吉田ゆりさん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
がん情報サービスのサイトによると、2021年に卵巣がんと診断されたのは1万3456例。年齢別に見ると、40歳から急激に増え始めています。
インタビュー後編は、3歳と1歳の子どもを育てながらのがん治療と、吉田さんが共同代表理事を務める一般社団法人「がんと働く応援団」の活動について紹介します。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
吉田ゆりさん(よしだゆり)
PROFILE
一般社団法人がんと働く応援団 共同代表理事(左が吉田さん、右は共同代表理事の野北まどかさん)。千葉大学文学部卒業後、企業の人事部で採用から人材育成に携わる。37歳で卵巣がんが見つかり、自身の闘病経験から、一般社団法人がんと働く応援団を設立。がん経験者の継続就労を支援する。2児の母。国家検定2級キャリアコンサルティング技能士、国家資格第一種衛生管理者、メンタルヘルス・マネジメントⅡ種、両立支援コーディネーター。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年12月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。


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