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きっかけは事故で重度の知的障害を負った三女。「日中通える場所がどこにもなく…」1人の建設会社社長が立ち上がった!【NPO法人支援センターあんしん 】

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新潟県南部にある十日町市。特別豪雪地帯として指定されているこの町に、「支援センターあんしん」というNPO法人があります。設立のきっかけは、現会長である樋口 功さんの三女の重度知的障害。障害者の小規模作業所として利用者2名でスタートしたこの団体は、現在、延べ165人の障害者の生活だけなく、地域の人々の暮らしを支えるさまざまな事業を行う団体となっています。NPO法人を立ち上げることになった動機や当時の苦労、現在の活動について会長の樋口 功さんに聞きました。全2回インタビューの前編です。

重度知的障害のある三女。高校を卒業しても行く場所がなく…

樋口さんの三女が12歳のころ。三女は寄宿舎生活をしており、樋口さんは仕事に忙しかった

十日町駅を中心とした半径600mのなかに、障害者のためのワークセンターやケアセンター、10を超えるグループホームなどを運営し、撤退した路線バスの代わりに市営バスやスクールバスなどの運営も手掛ける「NPO法人 支援センターあんしん」(以下、NPOあんしん)。現在では、幅広く事業を行い、十日町では欠かせない存在になっていますが、23年前の始まりは「特別支援学校を卒業した三女が日中を過ごせる場所がない」ということからでした。

「私には、重度知的障害を抱えた三女がおります。三女は、3歳のころに交通事故に遭い、そのときに頭を強打しました。そのときは大きなけががなかったと思っていたんですが、脳に損傷を受けていたようで、事故のあとから、てんかん(※)を発症するようになったんです。

その後、就学した小学校では、はじめは普通学級へ通っていたものの、徐々に周囲との差が大きくなって、小学校5年生のときに、特別支援学校に転校することになりました。

しかし、当時の十日町市には特別支援学校がなくて、隣接する魚沼市の特別支援学校へ。ところが夏でも片道40~50分、冬場なら片道1時間以上かかってしまう。当時は送迎バスもなかったので、とてもじゃないけれど毎日通学させるのは難しいということになり、三女は小学校5年生から自宅を離れ、寄宿舎で生活することになりました。

月曜から金曜まで寄宿舎で生活しながら特別支援学校に通い、土日は自宅で過ごすという生活を高校3年生まで続けた三女でしたが、今度は『卒業後、どうするか』という問題が発生したんです。重度の知的障害を持っていた三女のような子が、卒業後に通所できるようなところは十日町市にはなかったんですよね。そもそも十日町市には特別支援学校がなかったので、卒業生を受け入れるようなしくみがなかったんでしょう。

三女の特別支援学校でPTA会長をしていた妻はその問題に早くから気づいていて、何度も私に相談してきていたんですが、当時、建設業の仕事で忙しかった私は『なんとかなるやろう』くらいにしか思ってなかったんですよ。でも、三女がいよいよ卒業しても、行く当てがない。そうなって初めて『これは大変だ』と気づいたんです。

卒業後、2年ほど通所できるところが見つからないまま、三女は自宅で過ごしていたんですが、それはもう大変な毎日でした。体はもう大きくなってきているし、入浴させることすらひと苦労。嫌がったりすると、もう家族では手に負えないんです。

三女の卒業から2年がたち、福祉系の学校に進んでいた長女が卒業を迎えるタイミングで、『ほかにも三女のような子がいて、たいへんな思いをしている家族がいるかもしれない。ここはひとつ、小規模作業所を立ち上げてみるか』となったんです」(樋口さん)

※ 交通事故などにより、脳に損傷を負うと、脳にある神経細胞の異常な電気活動により発作が起きる外傷性てんかんを発症することがある。

ふと目にしたトイレットペーパー。「これだ!」とひらめき、翌日には視察に

NPOあんしんの主軸であるトイレットペーパー製造事業。お客さんは全国にいる

当時、建設系の会社を経営しており、工事で使用する部品などを作る工場を持っていた樋口さん。その工場の一部を利用し、障害者が部品作りを行う小規模作業所(支援センターあんしん)を立ち上げました。スタート時の利用者は、三女を含めて2名のみだったと言います。

「スタート時はなかなか利用者さんが集まらなくて、たった2名からのスタートでした。でも、今思えばそれが逆によかったと思うんです。

ノウハウがまだない中のスタートでしたし、私も本業の建設業が忙しくて、そちらを見ながら始めたことだったので、軌道に乗るまでゆっくりと、遠慮せずに自分たちのやりたいように進められた。

あとは、障害を持ったお子さんの親御さんが立ち上げた障害者施設って、なかなかうまくいかなくて、結局なくなってしまったということが少なくないんです。でも、うちの場合は私に本業があったから、経営的な見方ができたので作業所も続けてこられた、というのもあるかもしれません」(樋口さん)

そうやって少しずつ障害者施設を運営するノウハウを積み重ねていくうちに、1人、また1人と利用者が増えてきました。

「役所には最初『十日町市には施設を利用する人はもういないよ』と言われていたんですが、実は行政が把握しているよりも、多くの方がこういう施設を必要としていたんだということがわかりました。

当初、私たちは施設の利用者として重度知的障害の方を対象に考えていましたが、軽度知的障害の方がたくさん入ってきたんです。だんだんと利用者さんが増えてきたことで、今度は『部品を作る』という仕事のほうがたりなくなってきた。

どうすればいいか悩んでいたときに、トイレに入ったら、『このトイレットペーパーは障害者施設で作られており、収益は障害者のために使われます』という紙に包まれたトイレットペーパーが目に入ってきたんです。

『何だ、これは!』と思って妻に聞いたら、10年も前から、千葉に住む私の姉が、近所の障害者施設で購入して送ってきていたそうで。妻には『今まで気がつかなかったの?そういう感謝が足りないところがあなたの悪いところよ!』としかられましたが(笑)、私はピカッとひらめいて。すぐに姉に電話をして千葉の施設に連絡をし、翌日にはもう視察に向かっていました。

その施設で、障害者の施設でこういうものを製造できるんだということを実際に見せてもらって、すぐに中古の機械を手配することから始め、新たに作業場を借りて、トイレットペーパーの製造事業を始めたんです。小規模作業所の開所から1年後のことです」(樋口さん)

そうして始まった、トイレットペーパー製造事業。利用者も13名ほどになり、事業もまもなく1年となろうとしていた2004年10月、新潟県中越地震が起きました。NPOあんしんのある十日町市では震度6強を記録しています。

「ものすごく大きな揺れで、甚大な被害を受けました。でも、ただのNPO法人ですから、行政からの保証も何もない。工場の建物は窓が割れ、壁にヒビが入り、使えたもんじゃないし、トイレットペーパーを製造する機械もまっすぐ裁断できなくなってしまい、修理もできない状態。もう途方にくれました…。

でも、そのときそういった被害を新聞で報じてもらったんですね。そのおかげで全国から寄付が集まり、行政からも支援してもらって、なんとか事業を復活させることができました。そのときに縁あって購入した中古のトイレットペーパーの裁断機は今でも現役で働いていますし、寄付をいただいた方にトイレットペーパーをお礼として送らせていただいたら、今でも定期的に購入してくれる方もいらっしゃいます。もう20年ですからね、ありがたいことです。

地震は本当に大変なことだったけれど、大変だったからこそ、私たちの施設の基盤をつくることができたとも思います」(樋口さん)

樋口さんいわく、たくさんの縁があって広がってきたというNPOあんしんの活動。お話を聞いていると、樋口さんの地元を応援していきたい、困っている人がいるならできるかぎりのことをしたいという心意気と行動力があってこそ、NPOあんしんが関わる事業の幅が広がり、結果として、障害者支援という活動を安定させてきたようにも感じます。それは、NPOあんしんが現在も行っているスクールバス事業についても言えることです。

「2003年に、十日町市に特別支援学校の分校ができたのですが、当初子どもたちの送迎を市が行っていたんです。でも、1台の大きなバスで利用者全員の家を回って迎えにいくには、1時間以上かかってしまう。最初に乗った子は1時間以上もバスに揺られ、具合が悪くなってしまう場合もあったそうなんです。障害を持っている子たちは、体があまり強くない子も多いですからね。

そこで、小さな送迎バスを導入して、送迎を地域ごとに分けることになったのですが、市ではまかないきれないという話があり、NPOあんしんに委託してもらって、特別支援学校に子どもたちを送るスクールバス事業を始めたんです。

障害者にとって、足(交通手段)というのはとても大事なんですよね。それは私たちも、実感していました。親御さんも仕事があるから、毎日送迎するのはなかなか大変だし、サポートを優先すると親御さんが安定した職業につけないことも多いんですよ。だから、障害者のいる家庭が豊かに暮らすには、障害者の足になるものだったり、障害者が毎日通える施設だったりというのは、家族にとってもすごく大事。

自分にそういう支援が必要な娘がいたからこそ実感できたし、地域みんなで手厚く、支援していかなきゃと感じます。障害者さんたちの家族や家庭を見るたびに、使命感や力が湧いてきますね」(樋口さん)

お話/樋口 功さん 写真提供/樋口 功さん、NPO法人支援センターあんしん 取材・文/藤本有美、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

23年前、重度知的障害を持つ娘のために始めた事業が、今や地域の人々を支える大切なインフラになっているNPOあんしんの活動。樋口さんの行動力と経営力で、障害者と健常者が支え合って暮らす社会が十日町市で生まれているように思います。後編では、障害者と仕事のマッチングや現在NPOあんしんで進めている「にもプロジェクト」などについて聞きます。

樋口 功さん(ひぐちいさお)

PROFILE
NPO法人支援センターあんしん 会長。1949年、新潟県十日町市生まれ。県立十日町高等学校卒業後、働きながら東京都内の各種電気関連の専門学校で学ぶ。1980年、十日町市内に「北越上下水道株式会社(現・北越融雪株式会社)」を創業。2002年、重度知的障害をもつ三女の高校卒業をきっかけに「NPO法人支援センターあんしん」を設立。現在は、NPO法人支援センターあんしんの会長として、障害がある人もない人もいきいきと暮らせる社会づくりと、地域の発展に取り組んでいる。経営理念は「地域密着事業を通じて 地域に愛され お客さまから信頼されそれを喜びと感じられる社員を 育てる企業に」。

NPO法人支援センターあんしんのWEBサイト

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年12月現在のものです。

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