54歳でパパになった、メッセンジャー・黒田。妻との出会いのきっかけは、街中で写真を求められたこと
54歳で女の子の父親になった、お笑いコンビ・メッセンジャーの黒田有さん。49歳のときに19歳年下の妻と結婚し、不妊治療に取り組んだのは50歳を過ぎてからでした。今回は長女が生まれた日のことや、超がつくほど貧しかったという自身の幼少期について、また結婚にいたったなれそめについて聞きました。
全2回のインタビューの後編です。
番組収録中に妻は超スピード安産。初めは抱っこをしても、父親の実感がなかった
――娘さんが生まれたときのことを教えてください。出産の立ち会いはできましたか?
黒田さん(以下敬称略) その日、僕はレギュラーを担当している『ちゃちゃ入れマンデー』(関西テレビ)の収録が14時からの2本撮りだったんですが、仕事に出かける前に、妻の陣痛が始まったんです。妻はタクシーで病院へ向かい、僕はテレビ局に向かいました。
収録が始まる直前の13時半ぐらいに妻から、「これから分娩室に入ります」と連絡が来たんです。僕は、出産は長いと20時間ぐらいかかるというのが頭にあったので、まだ時間はかかるのかな・・・と思いながら、「18時に収録が終わったら、すぐに病院に向かいます」と返信しました。すると、1本目の収録が終わった15時半過ぎに、楽屋に戻ってスマホを見たら、「産まれました」という連絡が来ていたんです。
2本目の収録を終えたらすぐに、病院へ向かったのですが、分娩室に入ってから1時間半ぐらいで生まれたみたいで、すごく安産だったようです。到着して抱っこさせてもらいましたが、父親になった実感というのが、そのときはまったくわかなかったんです。父親としての実感がわいてきたのは、娘が成長してきて意思疎通ができるようになってきた、ここ最近かもしれません。
安産だったからか、妻は産後もすごく元気でした。妊娠中、家にヨガの先生が毎週来てくれていて、マタニティヨガをやっていたので、それが出産のときにも役に立ったみたいです。退院後は、妻が実家に2週間ほど里帰りしていましたが、その後家族3人と愛犬での生活が始まりました。
――料理は黒田さんが担当されているそうですが、娘さんの離乳食も作っているのでしょうか?
黒田 今って、市販の離乳食がすごく充実していますよね。もちろん、手作りをするのがいちばんいいんでしょうけど、材料から買って全部を自分で作るとなると、そこそこ値段もかかってしまうし。だから、うちは市販のものを利用させてもらっています。
ママたちが育児など忙しい日々の中で、大人の食事に加えて、離乳食まで作る負担を考えると、市販のものを上手に活用するのがいいんじゃないかと思うんです。もう少し子どもが大きくなって、大人と同じものを食べるようになったら、僕が作ったものを一緒に食べるようになると思いますけどね。
――娘さんとは普段、どんな遊びをしているんですか?
黒田 まだ、一緒に遊ぶというより、見守っている感じですね。娘は最近、歩き始めましたけど、冬で感染症が怖い季節なので、あまり外では遊ばせていないです。
これはちょっと複雑な気持ちなんですけど、僕が買ってきたおもちゃでは全然遊んでくれないんですよ。でも、妻のお姉さんの子どもたちが選んで買ってきてくれたおもちゃでは、すごくよく遊ぶんです。あとは、8000円のおもちゃでは全然遊ばないけど、200円のおもちゃにハマってずっと遊んでいたり。何かが違うんでしょうね(笑)。やっぱり、50歳を超えた僕が選ぶものより、子どもの選ぶおもちゃのほうが、感性が同じでおもしろいのかなと。
――淡路島に別荘があるそうです。そこでの子育てについても教えてください。
黒田 淡路島の家へは、仕事が休みの日や、ちょっと時間ができたときに通っています。自宅からは1時間ぐらいで行けるので、先に妻と娘が行っていて、僕があとから合流することも多いです。淡路島の家は目の前に海があり、自然がとにかく豊かなんですよ。娘も庭でよちよち歩いて遊んだりしています。
――ワンちゃんを飼われているそうですが、娘さんとは、どのように暮らしているんですか?
黒田 娘は犬と仲よくやっていますよ。ずっと一緒に寝てますし。犬もちゃんとわかっているみたいで、娘にしっぽを引っ張られても、絶対にかんだりしませんからね。犬が、娘のことは守らなければいけない存在だとわかっているように思います。
わが家には犬が2匹いて、2匹ともメスなんです。妻と娘、犬2匹、気づいたら女だらけ。オスのカエルを飼っていたんですが、そのカエルは死んでしまって・・・。ついに男1人になりました(笑)
――娘さんが成人するころは75歳に。心配事はありますか?
黒田 僕もそれは心配していたんですけど、先日、ある俳優さんと仕事でご一緒させていただく機会があって。その方を見て、なんだか前向きになれたんです。74歳の方なんですが、背もシャキッとされていて、すごく若々しいんですよ。自分ももっと自信をもっていいかなと思うように。まあ、歳を取るのはしかたがないことですからね。そのあたりは、気持ちのもちようなのかなとも思っています。
わが家は、超がつくほど貧乏だった。でも、明るく仲よしの母ときょうだいに助けられた
――黒田さんの幼少期について教えてください。シングルマザーのお母さまと4人きょうだいの暮らしは、とても貧しかったそうですね。
黒田 生活は、超がつくほど貧乏でした。母親はもう亡くなって10年経つんですけど、僕たちきょうだいとちゃんと向き合ってくれていたなと思い出します。うちは、男だらけの4人きょうだいだったんですけど、だれ1人としてグレずに大きくなりましたから。
それと母は、家にお金がないということも正直に言ってくれていました。いろんな家庭があると思いますけど、うそをつかずに子どもと向き合うというのがいちばん大事なのかなと思います。ごまかすことが、いちばんあかんかなと。だから、母親にはすごく感謝をしています。
当時は、自分の家が本当に貧乏なことを子どもながらにわかっていたので、習い事などやりたいことがあっても、言い出せなかったですね。
僕の記憶で、実は2回ほど、母親に置いていかれたことがあるんです。1度目は1歳になる前に神社で、2度目は小学校3年生のときに近鉄奈良線の八戸ノ里駅のそばで。2度とも、兄が僕の姿が見えないからと心配して、探し出してくれました。あのときは、「捨てられたのかな」と思ったんです。でも、今考えたら、母親1人で4人の子どもを育てていたら、そりゃ気持ちも不安定になるし、追い詰められたりしていたんでしょうね。母親をうらんだことはないです。貧乏だから、しかたがなかったんだと思います。
救いだったのが、うちの家は、きょうだい全員がすごく明るかったし、仲がよかったんですよ。それは、母の育て方がよかったんだと思うんです。
――芸人になろうと思ったのは、いつぐらいですか?どんなきっかけがあったのでしょうか?
黒田 21歳のときです。当時は寿司屋で板前の修行をしていたんですけど、もっと稼ぎたいと思って、それで芸人になるために仕事を辞めました。どうして芸人になりたかったのかと考えると、純粋にお金が欲しかったんでしょうね。貧乏が嫌いだったので、一攫千金を狙っていたんだと思います。
でも、芸人やお笑いは、好きでもなんでもなかったんです。手っ取り早いお金もうけだなと思って芸人の世界に入っただけで。まあ、結果、手っ取り早くはなかったんですけど(笑)。昔からしゃべるのは得意だったけど、それで通用するかは別の話。この世界で30年やってきましたが、この仕事はこまかいことをコツコツ覚えていく仕事なんだなと、今、実感しています。
自分が幼少期に、貧しい暮らしで苦労したことは、今の仕事にもいかされていると思っています。わが家よりも苦労の少ない家庭に生まれていたら、芸人にはなっていなかったんじゃないかなと思うんです。お金を稼ぎたいという強い気持ちが、仕事のモチベーションにもつながっていたのかもしれません。
街中で「写真を撮ってください」と言われたのが出会い。妻は、明るくてしっかりもの
――パートナーとのなれそめを教えてください。
黒田 街中で知り合いました。彼女から「ファンです!写真を撮ってください」と言われたんです。その写真をInstagramに載せていたみたいで、それを見つけた僕の友だちが、つないでくれました。僕のファンと言っていたけど、ファンというほどのファンでもなかったんだと思いますよ。まあ、街中でちょうど僕がいたから、声をかけただけなんじゃないですかね(笑)
――19歳年下ということですが、歳の差を感じることはありますか?
黒田 そんなに年齢差は感じないんですよ。今は、妻に従っているだけですから(笑)。妻のほうも、年齢差のことはあまり言ってきたことはないですね。彼女はしっかりしていて明るくて、頭がすごく回るところも尊敬しています。
妻とは、僕が49歳のときに結婚しました。正直、自分の中ではもう、結婚はいいかなと思っていたんです。でも、なんとなく行き詰まってしまった感じと、このままでは芸の幅が狭まるなと思っていたときに、ちょうど彼女と知り合いました。それで、結婚するにはいいタイミングかなと。
――父親になって、黒田さんの考え方や生き方で変わったところはありますか?
黒田 いちばん変わったなと思うのは、早く家に帰りたくなったところですね。僕、妻とすごくよくしゃべるんですよ。子どもが生まれたことによって話題が増えたので、夫婦の会話もより多くなったと思います。
あとは、仕事帰りにお店に寄って食事をするときは、妻と娘も呼んで一緒に食べるんです。そういう日もけっこう多いですね。
――仕事面では、これからどんなことに挑戦していきたいですか?
黒田 人生の半分以上は過ぎたので、新しい仕事が来ても、自分の中でやれることとやれないことはきちんと分けようと思っています。
子どもが生まれたことによって、自分が出るなんて想像したこともなかった、「たまひよ」さんの取材も受けていますからね(笑)。こういう新しい仕事も増えてきているので、やってみたいことはどんどん挑戦していこうかなと思っています。
お話・写真提供/黒田有さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部
大阪と淡路島の2拠点生活を送りながら、パートナーと娘さん、2匹のワンちゃんと穏やかに暮らしている黒田さん。自身が父親となり、4人きょうだいを必死に育ててくれたお母さまへの感謝の気持ちも語ってくれました。また最近は、父親になったことで、新しい仕事も舞い込んできているそうです。
黒田有さん(くろだたもつ)
PROFILE
1970年、大阪府生まれ。板前を経験後、NSC大阪校に10期生として入校し、相方・あいはら雅一さんとお笑いコンビ「メッセンジャー」を結成。2007年、『第42回上方漫才大賞』で大賞受賞。自身がプロデュースと脚本を手がける舞台にも力を入れているほか、著書に『黒田目線』(毎日新聞出版)も。2019年に19歳年下の一般女性と結婚し、昨年、54歳で第1子となる女の子が誕生。
●記事の内容は2026年1月の情報で、現在と異なる場合があります。


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