気管がなく、呼吸ができない状態で生まれてきた女の子。「この子と生きていきたい」両親の愛情が支えた成長~新生児医療の現場から~【新生児科医・豊島勝昭】
生後すぐから治療が必要なために、長期間を新生児集中治療室(NICU)で過ごす赤ちゃんたちがいます。テレビドラマ『コウノドリ』(2015年、2017年)でも監修を務めた神奈川県立こども医療センター(以下、神奈川こども)周産期医療センター長の豊島勝昭先生に、NICUの赤ちゃんたちの成長について聞く不定期連載。第19回は、胎児診断で病気がわかったり、疑われたりした赤ちゃんの生まれたあとの治療について聞きます。
「わかること」と「わからないこと」を探るための胎児診断
――胎児診断で赤ちゃんの病気がわかったケースについて教えてください。
豊島先生(以下敬称略) 2023年に生まれたひまりちゃんという女の子がいます。妊娠中に、お母さんの羊水が多いということで神奈川こどもに転院してきました。羊水過多の原因がお母さんのほうには見当たらず、赤ちゃんに何らかの異常があることは推測できましたが、出生前に検査をしても詳しい状態についてははっきりわかりませんでした。
――生まれたときは、どんな様子でしたか?
豊島 ひまりちゃんは、生まれてすぐ、呼吸がうまくできませんでした。呼吸ができない場合、通常であれば気管内挿管といってチューブを気管に入れるのですが、チューブが入らなかったのです。そのことから、ひまりちゃんは声門の下に気管が存在しない、「気管無形成(きかんむけいせい)」という症状だとわかりました。
通常は、のどの奥で気管と食道が分かれますが、ひまりちゃんの場合は気管が存在せず、食道の途中から気管支が出て肺につながっている状態でした。本来あるはずの気管という空気の通り道がなく、生まれたあと、人工呼吸器管理をしても呼吸の苦しさが続く状況でした。
――どのような治療が行われたのでしょうか?
豊島 ひまりちゃんは食道が肺と胃の両方につながっている状態でした。そこで、肺につながっている食道の部分に、呼吸用チューブを入れて空気の一部を肺に送り込むようにしました。食道は本来、胃へ食べ物を運ぶための通路ですが、それを気管の代わりとして利用したのです。通常ではあり得ない、食道を介した人工呼吸器管理で肺の換気をサポートしました。
胃にもつながっている食道に気管の役割を持たせたので、栄養については、胃ろうを作る手術をして、胃に直接栄養を入れる形にしました。
呼吸と栄養という、生きるために必要な食道と気管の機能をどう確保するかを、小児外科の医師たちと一緒に考えながら、生後1週間から1年間にわたって繰り返し手術を行いました。気管切開と食道組織で気管を形成、残った食道と胃をつなぎ合わせ、腸ろうを造設、などの手術を積み重ねて、1歳の誕生日を病院で祝ったあと、在宅医療と共に退院となりました。
――ひまりちゃんに気管がないということは、胎児診断ではわからなかったのでしょうか。
豊島 羊水過多の原因はさまざまあります。お母さんのおなかの中にいる状態の赤ちゃんを診る胎児診断では、何らかの病気があることは考えられても、診断名までたどり着けないことは少なくありません。ひまりちゃんの場合は、食道閉鎖を最も疑っていたのですが、食道疾患の胎児診断は難しさがあります。胎児診断で疑うことはできても、生まれてみないと確定診断はできないからです。
胎児は、お母さんのおなかの中では胎盤から酸素をもらっていて、「肺で呼吸をする」という意味での呼吸はしていません。だから、気道の病気や肺低形成などでは、呼吸が適切にできるかは生まれてみないと確かめられないのです。
胎児の状態でわかっていること、わかっていないこと、考えられる病気や症状のことを整理し、出生時に何が必要で、何ができるかを考え、生まれたときの準備をしておくことが大切です。
――生まれてから呼吸ができないとわかっても、命が助かったのですね。
豊島 ひまりちゃんは、生まれてから通常の挿管ができなかったときに、次の手段として食道から呼吸管理を行うという対応ができました。
それは胎児診断を通じて、ある程度の予測と準備ができていたからです。
そういう意味では、胎児診断は大きな意味があります。胎児診断では病気を見つけられていませんでしたが、出生時に具合が悪くなる可能性も想定して、新生児科医が分娩に立ち会っていたからこそ、想定を超えた状況でも対応できたと考えます。
もちろん、なかには救命が難しい病気もあります。その可能性も含めて妊娠中からご家族と話し合いながら、生まれたあとの経過を見て、どんな治療ができるかを考えていきます。
「どんな状態でもこの子と生きていきたい」親の思い
――改めて、ひまりちゃんの医療処置について教えてください。
豊島 ひまりちゃんは生後8日目には呼吸路確保のための気管切開術を受け、その後も複数回の外科治療を受けました。生後数カ月後には食道形成術も受けて口からミルクを飲めるようにもなり、1歳1カ月で退院するころには離乳食も口から食べられるようになりました。
在宅人工呼吸器が必要な状態で退院し、2歳を過ぎた今も数カ月に1度のペースで通院を続けています。
――入院中、ひまりちゃんの両親はどんな様子でしたか?
豊島 ご両親は、長時間を病院で過ごし、いつもひまりちゃんのそばで応援していました。ほとんどNICUで生活するようなかたちで、退院までの約1年1カ月を一緒に歩んできました。
ご両親はどんな状態であっても、この子と一緒に生きていきたいという強い思いをもっていました。ひまりちゃんの状態すべてを受け入れて愛情深くひまりちゃんを育てていたように見えました。
ご両親は毎日たくさん笑いかけ、声をかけていました。ひまりちゃんも、NICUでニコニコとかわいく笑う姿を見せるようになっていました。
退院したあとも、病気とともに生きるために
――ひまりちゃんの運動発達の面での成長はどうですか?
豊島 先日、ひまりちゃんが2歳を過ぎて自分で歩き始めたと聞いて、驚きました。ひまりちゃんは、医療的には非常に厳しい状況から始まり、前例のない治療を受けてきました。そんなひまりちゃんが歩くようになるというのは、本当に奇跡のように思えました。今では、在宅人工呼吸器に頼らない時間が増えています。
もちろん、医療とともに生きる生活ですし、発達のすべてが一般的な経過と同じというわけではありません。ご両親はひまりちゃんの命に寄り添い、1年を超える入院生活をともに歩んできました。そのひまりちゃんが、私たちの予想を大きく超えて成長・発達している今の姿に、奇跡を感じました。
――最近のご家族の様子はいかがですか?
豊島 NICU卒業生の同窓会があって、ひまりちゃんとご両親も来てくれました。その会で、ペアレントトレーニングを行ったんです。ペアレントトレーニングとは、子どもの気持ちや成長段階に応じた接し方などを学ぶプログラムです。
そのときの、ご両親のひまりちゃんへのかかわりかたが本当に上手で、お父さんもお母さんも、ひまりちゃんのことを本当によく理解していると感じました
――どんなふうにかかわっていたのでしょうか。
豊島 気管切開をしているひまりちゃんは、話すことはできません。でも、ご両親は言葉以外のしぐさや表情から、ひまりちゃんが何を伝えようとしているのかを理解している様子でした。会話というのは言葉だけではありません。ひまりちゃんとご両親は、言葉がなくてもしっかり会話をしていることがよくわかりました。
ひまりちゃんの病気は決して軽くない症状ですが、それでもご家族と一緒に笑顔で過ごしています。ひまりちゃんは本当によく笑う子なんです。応援している医療者も、その笑顔に励まされています。とても愛嬌があって、周囲が笑いかけると笑い返してくれるような明るくほがらかな子に育っています。
お話・監修/豊島勝昭先生 写真提供/ブログ「がんばれ!小さき生命たちよ Ver.2」 取材・文/早川奈緒子 編集・構成/仲村教子(entente)、たまひよONLINE編集部
胎児診断は病気のすべてを明らかにするものではありませんが、生まれたあとの治療やケアに備えることができます。どんな状況でもわが子とともに生きたいと願う家族と、それを支える医療。ひまりちゃんは今も、医療とともに成長を続けています。
●記事の内容は2026年9月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。


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