第2子保活、小学校受験、引っ越し、転園、、、大変すぎる!仕事と子育て両立
2人の娘を育てるママライターの“JUNKO”です。これは次女を出産したときの保活と職場復帰の話。私は長女が7ヶ月のとき、服飾関係の生地と製品を扱う仕事へ職場復帰しました。長女のときは1歳8ヶ月から公立保育園に預けることができたので、次女も早期に預けて本格的に職場復帰するつもりでした。
保育園に長女を預け職場復帰、そして第2子誕生へ
長女を出産後に初めての職場復帰を果たしたのもつかの間、第2子を妊娠しました。長女を妊娠中に切迫早産で苦労したことがあったのに、第2子を妊娠したときは、それを忘れて仕事にのめりこんでいました。
都内のアパレル会社に生地を売り込む仕事に加え、その生地を使って縫製した製品納品までを一貫受注するOEM業務に移行するべく、社内や取引先の調整に追われるようになりました。新規の仕入れ先や加工所を開拓する業務も加わり、充実した毎日でした。
しかし、妊娠9ヶ月目に切迫早産で入院となり、またしても仕事を休む羽目に…!
予定日より1ヶ月早く生まれた次女は、小さいながらも元気に育ち、新年度の4月には保育園に入れたいと考えていました。
無事に保育園入園! 安堵した矢先のトラブル…
次女が入ることを希望した1歳児のクラスは看護師を含めた先生2人に対して4人の乳児という狭き門だったのですが、願いが叶って4月に無事に公立保育園に入園! そして、長女は3歳児クラスへと、姉妹で同じ保育園に入れたことに心から安堵しました。
ところが、間もなく私の椎間板ヘルニアが悪化し、娘を抱くのも大変な状態に…! 整骨院の先生に自宅に往診してもらいながら治療の日々…。家族に申し訳ないという気持ちと痛みで人相が変わってしまったほどです。
しかし、仕事への情熱は冷めやらず、今まで扱った生地のデータベースを作りたいと考えました。システムに詳しい親戚に自宅に来てもらい、在宅でオリジナルのデータベース作成プロジェクトを立ち上げました。
当時は大学ノートで生地のデータを管理する方法だったため、会社から「素早く検索できて便利!」と評価されたことも、やりがいに感じたものです。
仕事にのめりこむ一方、立ちはだかる小学校進学の壁
しかしその後、2年ほどで営業に復帰。外出が増え、都内から戻るのに保育園の迎えに間に合わないことが多くなりました。申し訳ないと思いつつも、間際に近所の先輩ママに電話し、お迎えを頼んで預かってもらうこともしばしば。夕飯やお風呂をいただくこともありました。
保育園を管轄する市からは、「保育園と職場・自宅あるいは実家ができるだけ近くでないと子育ては難しい」言われ、この生活に限界を感じるようになりました。
そんな中、長女の小学校進学にあたり学区内の公立小学校には学童がないことがきっかけで、私立小学校を受験することにしました。その学校は勤務先や実家と同じ市内だったことと、私の出身校だったことが選択の理由です。
夫と相談し、長女の進学と同時に実家近くに引っ越すことを決意。仕事の合間をぬって、次女の保活を始めました。
子育てへの偏見と厚い環境の壁にぶつかり、絶体絶命⁉
引っ越し先の市に相談したところ、保育園入園は高いハードルと聞き、落選覚悟で、年中から入れる幼稚園を何軒も探しました。
どの幼稚園も定員いっぱいな上、「仕事もよいけど、幼いうちはお母さんがしっかり面倒を見ないと」と、耳の痛い言葉。娘への愛情が足りていないように感じてしまい、これが保活中の身にはこたえました。
保育園と違い、幼稚園は長期休みや早帰りに加え、行事での親の負担も大きいと聞き、不安は増すばかりに…。「せっかく引っ越しまでするのに、もはや仕事は考え直さなくてはならないかも」と、諦めムードになりました。
ところが、年度末に公立保育園の入園許可が出たのです! 中には、兄弟で別々の保育園に通わせるケースも珍しくないような狭き門だった保育園に、なぜ入園できたのか今でも謎です。
次女誕生後は、家族や自身の体調・仕事などに無我夢中で、またたく間に時間が過ぎていきました。子どもに関係することが原因で、仕事の予定変更を余儀なくされることが多く、周りに謝ってばかりいた私が思い出されます。
長女の小学校に進学後に、“保育園がいかにありがたいところか”を思い知ることになりました。小学校入学後に待っていたのは、予想をはるかにこえた怒涛の日々でした。
[JUNKO * プロフィール]
20代後半で結婚、29歳で第1子、31歳で第2子、2人とも異なる方法で出産。仕事を続けながら出産・育児を経て、現在は仕事の傍ら、駆け出しライターとして奮闘中。子どもの成長は本当にあっという間でもったいないとさえ感じる昨今です。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。