「母子手帳はだれのもの?」母子手帳を世界中に広げた小児科医が語るその答えとは
赤ちゃんの発育・発達やワクチン接種の記録などを書き込んでいく母子手帳。「常に携帯している」というお母さんも多いでしょう。では、「母子手帳はだれのもの?」と聞かれたら何と答えますか?母子手帳の研究と世界的な普及のために尽力されている小児科医の中村安秀先生に、この答えを教えてもらいました。(上の写真は母子手帳普及のために、中村先生が東ティモールの保健センターで活動されたときの様子)
母子手帳は、戦後の日本がいちばん貧しい時代に生まれたもの
日本で子育てしているお母さん・お父さんにとって、“あるのが当たり前”になっている母子健康手帳(以下通称の「母子手帳」と表記)は、第二次世界大戦が終わった直後の、1948年に日本で生まれました。
――母子手帳は、日本が最も貧しかった時代に生まれ、しかも、世界初だったというのに驚きました。
中村先生(以下敬称略) 日本中が非常に貧しく、医療者も病院も少ない状況の中、なんとかお母さんと子どもの健康を守りたいという思いから生まれたのが母子手帳です。妊娠した女性のためのカードや、子どものための健康ノートはほかの国でも作られていましたが、お母さんと子どもの健康記録を1冊にまとめたのは日本の母子手帳が世界初でした。
当時は戦争直後で、だれもが食べるものに困っていた時代。母子手帳が食糧配給の手帳にもなっていて、妊婦さんや赤ちゃんには砂糖、粉ミルク、衣類などが特別に配給されました。「お母さんと子どもの健康を守りたい」という、当時の日本社会のやさしさを感じますね。
――先生は世界各国での母子手帳の開発と普及に尽力されていて、2021年時点で50以上の国や地域で母子手帳が作られるようになりました。先生が母子手帳に注目されたのは、どのような経緯からですか。
中村 私が母子手帳の素晴らしさに気づいたのは、1986年から2年3カ月間、国際協力機構(JICA・ジャイカ)の「北スマトラ州地域保健対策プロジェクト」の専門家として、インドネシアのスマトラ島で医療に従事していたときです。
当時のインドネシアに母子手帳はなく、妊娠中や出産の様子、予防接種の有無、発育・発達の状態などがわからないまま、子どもを診察するしかありませんでした。子どもの病気は、妊娠、出産から現在に至るまでの経過を知ることで、正確な診断と適切な治療ができるのです。
母子手帳のない国で仕事して初めて、子どもの健康記録などが1つにまとまった日本の母子手帳が、非常に重要な役割を果たしていると実感したのです。
【母子手帳が普及したあとのインドネシアのお母さんと子どもたち】
母子手帳は子どものもの。「子どもへのプレゼント」という気持ちで記入を
――母子手帳に子どもの健康記録を書くのはお母さん・お父さんですし、妊娠中はお母さん自身の健康記録でもあります。こう考えると、母子手帳は親のものなのでしょうか。
中村 結論を先に言うと、「母子手帳は子どものもの」だと私は考えています。インドネシア・中部ジャワ州サラティガ市で子どもの健診に参加したとき、4才の女の子が、自分の母子手帳を大切そうにぎゅっと握ってやって来るのを見て、「母子手帳は子どものものなんだ」と確信しました。
実はインドネシアへ行く前、日本で小児科医をしていたころは、「母子手帳はだれのものか」をあらためて考えたことはありませんでした。日本では今でも、このテーマは議論されていません。しかし、世界の国では違います。アジアやアフリカの国々で母子手帳を広めようとすると、最初に「母子手帳はだれのものなのか?」と問われることが多いのです。
――たしかにワクチンの接種記録や感染症の罹患(りかん)記録などは、子どもが大人になっても必要になることがありますね。
中村 母子手帳には、胎児期から幼児期までの健康の記録が詰まっています。これは大人になっても必要になる重要な個人の記録です。だから、子どもが成長して親元を離れる際には、母子手帳を渡してあげてほしいのです。
今まさに母子手帳を活用している最中のお母さん・お父さんは、「子どもが大きくなったらプレゼントする」という気持ちを持って、将来、子どもが読んでもわかるような書き方を意識してほしいなと思います。
また、母子手帳に書かれたお母さん・お父さんのコメントには、子どもへの愛情が詰まっていますよね。親が自分をどれくらい大切に育ててくれたかを知ることは、命の大切さを考えるきっかけになります。そのため、母子手帳を健康教育の教材に使う高校や大学も増えているんですよ。
母子手帳をよりよいものにするために国際会議で意見を出し合う
――中村先生は国際母子手帳委員会の代表もされていますね。
中村 国際母子手帳委員会のメンバーは、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ大陸から集まっていて、みんな母子手帳が大好きで、とても大切に考えています。そんなメンバーが母子手帳国際会議の運営をサポートしています。
――1998年に第1回母子手帳国際会議が日本で開催され、現在までに11回行われています。この会議ではどのようなことを話し合うのですか。
中村 「母子手帳をよりよいものに改善して、お母さんと子どもの健康と命を守りたい」という共通の思いを持った人が世界中から集まります。母子手帳を使っているうちに抱いた疑問や悩みなどを議題に挙げ、それに多くの人が意見を出しあうという形で会議が進みます。これから母子手帳を普及させたい国から質問が出たときには、すでに母子手帳を活用している国からいろいろなアイデアが提案されます。そして、それぞれが自分の国に役に立つ話を持ち帰り、自国に適した方法で生かしていくのです。
――第1回会議は参加国がわずか5か国でしたが、タイで開かれた11回会議(2018年)は29の国と地域から447人が参加しています。母子手帳を使っている国が着実に増えていることを物語っていますね。
中村 日本の次に母子手帳を普及させたインドネシアが、母子手帳のよさをベトナムやラオスなどに伝え、少しずつアジアの国で広がっていったのですが、そのような波はアフリカでも起きています。
母子手帳が新しく導入された国では、お母さんやお父さんが母子手帳をとっても大切に使ってくれています。
【パレスチナではアラビア語の母子手帳を使っています】
取材・文/東裕美、ひよこクラブ編集部
母子手帳には、「お母さんと子どもの健康を守りたい」という思いが込められています。あらためて母子手帳の大切さを認識するとともに、「将来子どもにプレゼントする」という思いを持って、記録やコメントを記入してあげてくださいね。
海をわたった母子手帳 かけがえのない命を守るパスポート
インドネシアでの農村診療で日本の母子手帳の素晴らしを再発見した中村先生は、その普及の先頭に立つことを決意。貧しい国の母と子の命を守りたい――小さな手帳が生んだ、大きな奇跡の物語です。旬報社刊。