母子手帳の活用が世界を救う?! 日本生まれの母子手帳はSDGsと深いつながりが。
豊かで活力のある未来を作るために、「SDGs(持続可能な開発目標)」の達成が重要視されています。実は、母子手帳もSDGsに深くかかわっています。母子手帳の研究と世界的な普及のために尽力している小児科医の中村安秀先生に、SDGsと母子手帳の関係について聞きました。
(上の写真はカメルーンの母子手帳。カメルーンの公用語は英語とフランス語なので、どちらを使う人も不便がないように2言語で作成)
母子手帳の目的とSDGsの目標はつながっている
SDGs(持続可能な開発目標)は、「だれ一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会を実現するために、2030年を年限として定められた17の国際目標。2015年9月の第70回国連総会において、加盟国の全会一致で採択されました。
<SDGsの17の目標>
1貧困 2飢餓 3保健医療 4教育 5ジェンダー 6水・衛生 7エネルギー 8成長・雇用 9イノベーション 10不平等 11都市 12生産・消費 13気候変動 14海洋資源 15陸上資源 16平和 17パートナーシップ
1貧困をなくそう
2飢餓をゼロに
3すべての人に健康と福祉を
4質の高い教育をみんなに
5ジェンダー平等を実現しよう
6安全な水とトイレを世界中に
7エネルギーをみんなに。そしてクリーンに
8働きがいも経済成長も
9産業と技術革新に基盤を作ろう
10人や国の不平等をなくそう
11住み続けられるまちづくりを
12つくる責任、つかう責任
13気候変動に具体的な対策を
14海の豊かさを守ろう
15陸の豊かさも守ろう
16平和と公正をすべての人に
17パートナーシップで目標を達成しよう
――SDGsの目標3「保健医療」は、母子健康手帳(以下通称の「母子手帳」と表記)と直接かかわってくる分野です。
中村先生(以下敬称略) 目標3は、「妊娠や出産することにより亡くなる女性を減らすこと」「生まれたばかりの赤ちゃんと5才未満の子どもが亡くなることを減らすこと」。母子手帳の目的と重なります。2021年現在、母子手帳はアジア・アフリカを中心に、世界の50以上の国や地域で使われるようになっており、その多くの国で、この2つの目標を達成するための役割を母子手帳に期待しています。
――母子手帳を使う国が増えることは、SDGsの目標3の達成につながっていくということですか。
中村 そうです。とくに低所得国など医療が十分に行きわたっていない国では、お母さんや赤ちゃんが病気になるのを予防することが非常に重要です。病気を防ぐための大切な情報を家庭に届けるために、母子手帳が活用されています。エイズ、マラリアなどの感染症の予防のためのメッセージを、母子手帳に掲載している国は少なくありません。
【SDGsの目標3の達成には母子手帳が果たす役割も大きい】
――そのほかの目標と母子手帳のかかわりについてはいかがでしょうか。
中村 赤ちゃんの栄養失調は、貧しくて食べ物を買えないという理由だけで起きるものではありません。教育や知識不足も大きな要因となっています。母乳の大切さや子どもの栄養の与え方が書かれた母子手帳が家庭のなかにあるので、母親にとって大切な育児書になっています。母子手帳の記事を読んだ母親の行動が改善し、子どもの栄養不足が解消される。このように、母子手帳は、目標1「貧困」、目標2「飢餓」、目標4「教育」とも深くつながっているのです。
目標5「ジェンダー」は、女性と女児への差別をなくすことを掲げています。妊娠したすべての女性に母子手帳を手渡すことが、女性のエンパワメントにつながっているのです。
「だれ一人取り残されない」は、一人一人を守りたいという決意の表れ
――SDGsには「だれ一人取り残さない」と書かれていますが、先生は「だれ一人取り残されない」と表現されています。「取り残されない」に込めた思いを教えてください。
中村 「れ」一文字が入るか入らないかで、主語が大きく変わります。「取り残さない」のは国や行政、つまり“上から目線”です。一方「取り残されない」のはお母さんや赤ちゃん、つまり“本人目線”です。一人一人の人を大切にし、守りたいというSDGs本来の目標を明確にするために、「取り残されない」という表現を使っています。
――母子手帳は日本が最も貧しかった時代の1948年に、世界で初めて生まれました。「だれ一人取り残されない」という考えが根底にあったのでしょうか。
中村 1948年当時、日本で生まれた赤ちゃん1000人のうち62人が1才の誕生日前に亡くなっていました。感染症にかかる人も大勢いました。そんな中、母子手帳をすべての妊婦さんに届けて、お母さんと子どもの健康を守ろうとしたのは、まさに「だれ一人取り残されない」ことをめざしたからだと思います。
――日本で暮らす外国人を対象とした、外国語版母子手帳が初めて作られたのは1992年とのこと。これも「だれ一人取り残されない」ことの表れだと思うのですが、外国語版母子手帳を使おうとしない自治体が多いそうですね。なぜなのでしょうか。
中村 自治体の人に理由を聞くと「予算が取れない」と言うのですが、母子手帳は1冊数百円程度。これからずっと日本で育っていく子どもの出発点となる母子手帳の予算が取れないというのは、私としては理解できません。
これは外国語版母子手帳に限った話ではありません。日本の母子手帳は、ほかの国の母子手帳と比べてかなり貧相です。日本の母子手帳は文字がメインで構成されている上に2色刷のページが多く、読みにくいですよね。ほかの国の母子手帳は多色刷が多く、イラストや写真もふんだんに使っているので、「読みたい」という気になるし、見るだけでもとてもわかりやすいです。
日本が世界初の母子手帳を作った原動力である「お母さんと子どもの健康を守りたい」という思いを受けついで、親にとっても子どもにとっても魅力的な母子手帳を創っていきたいですね。
世界医師会も母子手帳の利用をすすめている
――母子手帳をさらに多くの国に普及させるには、どのようなことが必要でしょうか。
中村 生活習慣や文化などは国によってまったく違うので、1つ1つの国の考え方、やり方を大切にして、ていねいに母子手帳を作っていく必要があります。その一方で、母子手帳のことを多くの国に知ってもらうには、トップダウンの力も必要です。2018年10月の世界医師会(WMA)総会で「母子手帳の開発と普及に関する声明」が採択されたのは非常に喜ばしいことです。世界中の医師が集まる場で、「世界中の医療者が母子手帳を利用するように」とすすめてくれたのですから。
この声明では、とくに非識字者、移民家族、難民、少数民族、行政サービスが十分行き届かない人々のために母子手帳が使われるべきだと述べています。まさに、「だれ一人取り残されない」ために母子手帳が必要だと言っているのです。
――世界でそのような動きがある中、日本の母子手帳は、これからどのようなものになっていくべきでしょうか。
中村 世界の母子手帳を見ると、日本の母子手帳がベストではないことがよくわかります。「よりよい母子手帳とは?」という問いに対する答えを、行政の担当者だけでなく、医療専門職やお母さん・お父さんも一緒になって考え、未来を担う子どもたちへの最高の贈り物になるような母子手帳を作っていく必要があります。私もそのための活動を続けていくつもりです。
取材・文/東裕美、ひよこクラブ編集部
SDGsの目標ともつながっている母子手帳は、その重要性が世界で認められてきています。日本の母子手帳をよりよいものにしていくには、「こうだったらもっと使いやすい」と感じたことなどを、行政に提案していくことも必要です。
海をわたった母子手帳 かけがえのない命を守るパスポート
インドネシアでの農村診療で日本の母子手帳の素晴らしさを再発見した中村先生は、その普及の先頭に立つことを決意。貧しい国の母と子の命を守りたい――小さな手帳が生んだ、大きな奇跡の物語です。旬報社刊。