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お母さんががん…「真実を告げてもらえずもがき苦しんだ日々」や「家族を支える」と決意した少女、それぞれの思い

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がんになった親を持つ子どものサポートを行うNPO 法人HopeTree(ホープツリー)が作成した小冊子「NPO 法人HopeTreeフォーラム 2020『子どもたちの声を届けたい』講演録 がん患者の家族を支える 親が病気の子どもたちの思い」には、子どもの頃から母親ががんと闘病していた2人の女性の声が掲載されています。
前回の記事「『まさかママが…』親をがんで亡くした子の思いとは? 子どもの困難を跳ね返す力を引き出すプログラム、14年かけて日本に浸透」に引き続き、今回はその2人の女性による、親ががんになった子どもが感じる辛さと本音を紹介します。

特集「たまひよ 家族を考える」では、妊娠・育児をとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも子育てしやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。

ケース1:隠され親を信頼できなくなり、母の死によって後悔が……

まさよさんが小学 3 年生の時、お母さんのがんが発覚しました。
1人で出かけることは滅多になかったお母さんが、珍しく朝から1人で出かけて行いった日があり、まさよさんは強い違和感を感じたと言います。

「朝起きて母がいないことに不安を感じた私は、父に理由を聞きましたが、必死にごまかされ、気を紛らわせるために私が大好きだった公園に連れていかれた記憶があります。その帰り道、母を迎えに行った先が病院でした。
ロビーに母と祖母がぽつんと立っていて、2人とも涙目でした。車の中でも会話はほとんどなく、 帰宅した後も母はほとんど口を開きませんでした」

様子がおかしい祖母と母を目の前にしながら、何も言わない父。まさよさんは不安を感じ、眠りについたと見せかけて夜中にリビングのドアに耳をつけ、 両親の会話を盗み聞きしたそうです。そして、お母さんにがんが発覚したこと、まさよさんに隠そうとしていることを知りました。

「言葉では表し切れないほどのショックを受けました。また、当時はなぜ自分に隠そうとしているのか考える余裕はなく、そのことにも大きなショックを受けました。
知ってしまった事実を封印し、何も知らない、気がついていない演技をしなければならない。そんな思いが襲いかかってきて、眠れないどころか、ショックと不安で吐きそうになりながら声を殺して夜通し泣き続けたのを、今でも鮮明に覚えています」

周囲に笑われるほどのお母さんっ子だったまさよさん。その後も、姉妹や友達のようなお母さんががんになった事実を、受け止めることはできませんでした。

「『死んじゃうのかな ?』という疑問ばかりが頭の中をよぎり、恐怖と不安との戦いでした。何も知らない、気がついていない演技を続けながら、気持ちは追い詰められていくばかりで、こっそりとご飯を捨てたり吐いたりする日をしばらく繰り返しました」

がんを隠し続ける親と関係が悪化するなか、突然の母の死

がん発覚から半年後からは入退院をくりかえすようになり、お父さんとおばあさんが、仕事をしながらお母さんの看病とまさよさんの世話をしていました。その負担とストレスを、まさよさんにぶつけることもあったそうです。まさよさんも反抗的な態度をとるようになり、家族が衝突することが増えていきました。

「ある日『なんで私だけこんな辛い思いをしなきゃいけないの ! 』と両親に強く当たったことがありました。その時に返された言葉は「まさよのせいでママは病気になったのによくそんなことが言えるな ! 」でした。
ショックのあまり家から飛び出し、近所を流れている川に飛び込もうとしました。でも、大好きな学校の先生や友達の顔を思い出して思いとどまりました。小学校 5 年生の時の出来事でした」

最初の頃は、「私のことを考えてがんである事実を隠してくれている」と自分に言い聞かせていたまさよさんでしたが、何度真剣に聞いても教えてもらえない状況に、家族への信頼を失っていったと言います。入院中のお母さんへの面会を拒否したり、お父さんにも反抗的な態度をとることが増えていきました。

「中学 3 年生の夏に、突然、父から母の面会に行くことを禁じられました。当時は部活が忙しくて、理由を気にしている余裕はありませんでしたが、違和感は感じていました。
1 週間後にようやく面会を許されて病室に行くと、すでに母の意識はなく、その数時間後に亡くなりました」

お母さんが息を引き取った瞬間、悲しみより安堵が勝ったことで、自分が抱えてきた負担の大きさに気づいたと言います。同時に、お母さんの意識があるうちに呼んでくれなかった両親へは、大きな怒りを感じていました。

後悔や自分を責める気持ちを抱えて生きる子どもを増やさないために

ホープツリーのワークショップで医療者に教えた、子どもが自分の気持ちを大事にできるようにする工作。

「私は今、母に感謝を伝えられなかった後悔を抱えて生きています。きっとこの先も、ずっと背負っていくことになると思います。
だからこそ、大切な家族が亡くなった後、後悔や自分を責める気持ちを抱えて生きていく子どもや家族を増やさないために、がん患者の子どもにがんを伝える必要性、やがて来る死から目を背けずに生きる必要性を伝えたいです」

まさよさんはその思いを伝えるため、多くの医療従事者や患者、その家族や遺族と対談を繰り返しています。その中で、がんになった親を持つ子どものサポートを行う団体「NPO 法人HopeTree(ホープツリー)」代表理事の大沢さんと出会い、がんの親をもつ子どものためのサポートプログラム「CLIMBⓇプログ ラム」を知りました。
自ら支援を求めることができなかったからこそ、こうした子どもたちを対象とした支援やプログラムが広まってほしいと言います。

「母ががんになってしまったから、若くして母親を亡くしたから、その分たくさんの愛情を注いでもらったからこそ、命の大切さについて考えるきっかけや、強く生きていく希望をもらいました。このことを、子育て最中でありながらがんになってしまったお母さんやお父さん、そしてがんの親をもつ子どもたちに向けて、何らかの形として発信していき、誰かの背中を推すことのできる女性になりたいと思って います」(抜粋)

ケース2:病気を知ってショックだったけど、母を支えられる立場になった喜びも

まさよさん、みさきさんの声が掲載されている小冊子「 NPO 法人 HopeTreeフォーラム 2020『子どもたちの声を届けたい』講演録『がん患者の家族を支える 親が病気の子どもたちの思い』」

みさきさんのお母さんは、みさきさんが小学4年生の時に乳がんを発病し、大沢さんが医療ソーシャルワーカーとして働く病院に入院しました。その2年前にお母さんは離婚しており、当時、みさきさんは5歳下の妹と一緒に祖父母の家で暮らしていました。

「母は最初、がんであることを伝えてくれませんでした。『自分ががんであることを受け入れられていないのに、子どもたちに言ってしまったらどうなってしまうのだろうか。病気が完璧に治れば余計な心配をかけることはなく、子どもたちには話さなくてもよいのではないか』と思っていたそうです」

手術で入院する際も「お腹が痛いから治しに行ってくるね」と言って出かけたのですが、そう言いながら大きな荷物を持っていく姿に、みさきさんは違和感を感じたそうです。
退院後も仕事に行かずに家にいたり、たまに辛そうにしていたりするお母さんを見て、「すぐに治る病気ではない」と察したと言います。

「体調のことを聞いたら母たちは困ると思い、何も触れることができませんでした。母も私が何かを話そうとする度に少しピリッとしていて、学校の出来事や友達の話など、普段の話をすることすら遠慮するようになりました。
母が辛そうにしていても、『大丈夫?』と声をかけることも、手伝うこともしない方が良いのではないかと思うようになり、気づけば母との間に大きな溝ができていました」

発症から1年後。やっと病気を告白した母に「ありがとう」

そんな生活が約1年続いた頃、抗がん剤治療の副作用で、お母さんの容姿に目に見える変化が出てきました。同時に、お母さん自身もがんであることを少し受け入れられるようになり、ようやくみさきさんたちに乳がんであることを打ち明けました。

「当時、私は小学5年生。驚いたし受け止められたか分からないけれど、『やっと言ってくれた』という思いが強く、『私も同じ家族として母を支えられる立場になったのだ』と嬉しくもありました。話してくれた後、母に『ありがとう』と伝えたのを覚えています」(抜粋)

その時から、お母さんの体調を聞くことも家事を手伝うことも、何も気にせずできるようになったとみさきさん。会話も増え、 親子の距離も縮まっていきました。

「ただ、母ががんになったことは、小学生の私にはとても大きな出来事だったようで、急に悲しくなったり学校に行きたくなくなったりと、精神的に不安定になることが多くなりました。学校には母の病気のことを話せる人や環境がありませんでした。
子どもにとって学校は家に居る時間よりも長く、生活の場。母の病気のことを知っている人がいない環境で生活することに疲れ、隠し事をしているような感覚にもなり、知らないうちにストレスになっていたのではないかと思います」

そうしたなか、みさきさんは大沢さんから「CLIMBⓇプログ ラム」のことを教えてもらい参加。これにより、「親ががんの子どもは私だけではない」と安心できる場所ができ、学校の友達とは違った繋がりができる新たな居場所となったと言います。
お母さんの病状への心配はありましたが、少しずつ「がんがあることが日常」となっていきました。

「治療が始まれば手伝うことは増えるけど、基本的には家事は母の仕事。私たちのためにお弁当を作ってくれたり仕事をしたり、母親の役割を担っている母は『がん』であることを忘れてしまうくらいパワフルで、私たちの『母』でいてくれていました」

ひとり親枠で都営住宅に応募したところ、入居できるようになり、3人で暮らしたことも。常に明るく楽しいお母さんで、好きな芸能人の話で盛り上がったり、一緒にライブや舞台を見に行ったりしながら、皆が協力し合う生活は「とても楽しかった」と振り返ります。

成人式の朝に危篤の知らせ。最後に晴れ着姿を見せられた

ホープツリーによる医療者向けワークショップの様子。

しかし、みさきさんが大学生になった頃からお母さんの病状は少しずつ悪化。みさきさんの成人式前日に緊急入院しました。
成人式の日の朝、美容室で着付けをして会場に向かおうとしたみさきさんは、迎えに来たお母さんの弟から病院から電話が入ったことを聞かされました。

「母が亡くなりそうだからと。すでに祖父と妹は病院に向かっており、私は成人式に行くのを止めて晴れ着姿のまま病院に向かいました。病室に入り、母に晴れ着姿を見せることができました。そのすぐ後に息を引き取ってしまいました。あっという間でした。妹と二人で、これまでにないくらい泣きました」

現在、みさきさんは新しい部屋で妹と2人で暮らしています。今でもお母さんがそばにいるように感じていて死を受け入れられたか分からないけれど、「時と共に心も整理されていくのだろうと思っている」と語ります。

「たった 2 人の家族ですが、周りには頼れる人がたくさんいることを強さに、前に進んでいきたいです。そう思えるのは、母が頑張ってきた姿を見せてきてくれたからだと思います。最後まで私たちの母でいてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

今治療中の方、親御さんには、子どもを信じて正直でいてほしいと思います。子どもに正直にいるということは、病状、治療の内容など、全てを話してほしいということです。子どもは、大人が思うより弱くはないと思います。小さくてもちゃんと親のことを見ています。
だからこそ『子どもには迷惑をかけたくない』と何も話さないのではなくて、『一緒に協力してほしい』と伝えてほしいです。その方が子ども自身が家族の一員としていられ、 孤独感を感じることがなくなると思います」

まさよさんとみさきさんが教えてくれたことは、子どもが普段は話さないけれど心の中に持っている素直な気持ちです。
「子どもたちはいつもと変わらない様子で過ごしていても、多くのことを感じています。私たち大人は、そんな子どもたちの気持ちに心を寄せていきたいものです」と大沢さんは言います。

今回紹介したのは、まさよさんとみさきさんの体験談のほんの一部です。小冊子「NPO 法人HopeTreeフォーラム 2020『子どもたちの声を届けたい』講演録『がん患者の家族を支える 親が病気の子どもたちの思い』
」には、2人の状況やさまざまなできごと、思いなどが詳しくつづられています。Hope Treeのホームページから無料でダウンロードできます

※まさよさん、みきさんの声は「NPO 法人HopeTreeフォーラム 2020『子どもたちの声を届けたい』講演録がん患者の家族を支える 親が病気の子どもたちの思い『がん患者の家族を支える 親が病気の子どもたちの思い』」より。読み手にわかりやすくするために、許諾を得て表現などを一部変更・修正しています)


NPO法人Hope Treeでは多くの患者さん、がんの親を持つ子どもたち、ご家族へ必要な支援や情報をより広く届けるための寄付を受付中です
NPO法人Hope Tree 寄附ページ


写真提供/NPO法人Hope Tree 取材・文/かきの木のりみ

まさよさんとみさきさんの声にならない訴えに気づき、サポートしを続けた大沢かおりさん。実は彼女自身が乳がんを克服したサバイバーであり、さらに、最愛の夫を自死で亡くし、その後、うつ病に陥るという過酷な体験をしています。
次回、3回目は、大沢さんのがん体験とそれに続く夫の死、それを乗り越えることで見えた思いなどについて紹介します。

大沢かおりさん

NPO法人Hope Tree代表理事、医療ソーシャルワーカー、社会福祉士、精神保健福祉士
神奈川県鎌倉市生まれ。父の転勤に伴い、9歳から5年間ニューヨークで暮らす。
上智大学文学部社会福祉学科を卒業後、91年から東京共済病院にて医療ソーシャルワーカーとして勤務。
2003年、乳がんと診断され、乳房温存手術、ホルモン療法、放射線療法を受ける。
2007年、東京共済病院に新設されたがん相談支援センターの専任となり、現在に至る。
2008年、がんになった親とその子どもを支援する任意団体「Hope Tree」を設立。2015年にNPO法人化し、サポート活動を実施。

NPO法人Hope Tree Facebook :hopetree44

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