命を継いでいくしくみを知り、自分で決定する「ライフプラン教育」が必要では?【妊活 不妊治療の30年・後編】
「たまひよ」創刊30周年企画「生まれ育つ30年 今までとこれからと」シリーズでは、30年前から現在までの妊娠・出産・育児を振り返り、そして、これからの30年間を考えます。
前編は、不妊治療の保険適用や出産年齢についての内容でした。後編では、30年前の体外受精のこと、そして画期的な凍結技術を駆使した卵子の凍結や、未来の妊活について不妊治療の専門医である菊地 盤先生に話を聞きました。
日本の不妊治療の初期段階とは?

――今から約30年前、菊地先生が産婦人科医になった1994年は、東北大学で日本初の体外受精が行われた年から数えると11年後です。当時の不妊治療はまだ初期段階にあったと思いますが、どのような治療だったのでしょうか。
菊地先生(以下敬称略)当時は「ステップアップ」の基本どおりです。まずタイミング法、人工授精をそれぞれ6回ずつくらいを上限にやります。
今は患者さんの年齢が高くなり、すぐに体外受精を始める人も多くなってきましたが、当時は患者さんのほとんどが20代ですから、体外受精にいくまで1年くらいかかっていました。
僕は、そうしたことを説明する「不妊学級」というクラスを、大学病院の一室で、担当していました。妊娠した人の母親学級みたいなものでした。
人工授精でも妊娠しなかったら、そこで一度、腹腔鏡でおなかの中を見て、癒着などがないかを調べる検査をしていました。
腹腔鏡と聞いたら、今は「手術だ」と思う人が多いでしょうが、当時は「検査」の扱いです。手術でおなかの中を洗浄すると、そのあとの妊娠率が上がるというデータも出ていたので、それも期待しつつ腹腔鏡検査が積極的に行われていました。タイミング法、人工授精、腹腔鏡検査に1年かかっていました。
卵巣過剰刺激症候群、三つ子妊娠・・・

――タイミング法、人工受精で妊娠しないと腹腔鏡検査をして体外受精が行われるのですね。今の体外受精と当時のものはずいぶん違ったと思います。
菊地 今思うと、とても大変な治療でした。体外受精は複数の卵を育てるために排卵誘発法を使います。今は排卵誘発法にもたくさんの選択肢があるのですが当時は「ショート法」が主流でした。その方法では卵巣過剰刺激症候群の予防がうまくできませんでした。
胚の凍結技術も、あまりいいものではなかったので、新鮮な胚を子宮に戻すのが基本でした。3個まで戻していいというのが当時のルールなので3個同時に移植することも行われていました。その結果として、三つ子妊娠になることもしばしばありました。
三つ子が生まれるとなったら、妊娠の経過ももちろん大変ですし、病院は、NICU(新生児集中治療室)のベッドを三つもあけて待っていなければならないんです。NICUはベッドに余裕がなくて大変でしたので、都内では、複数の施設が連携して搬送先を探す専門の機関がありました。
2000年代になって「ガラス化法」という非常に優れた凍結方法が開発されましたこの技術の登場により、安全に胚を凍結して保存することが可能になり、子宮に戻す胚の数はまず2個になり、やがて1個移植が主流になりました。
現在、日本生殖医学会のガイドラインは1個移植を基本としており、複数回着床しなかった場合などにのみ、2個同時移植が認められています。
多胎妊娠は、タイミング法や人工授精で排卵誘発剤を使ったときに起こることもあります。体外受精のハードルが高かった時代には、とくにそういうケースが目立ちました。これも、体外受精の普及していく中で少しずつ減っているように見えます。
初めての、自治体が公費で助成した未受精卵子凍結

――2015年、千葉県浦安市が未受精卵子凍結に公的補助金を支給することを決定して注目されました。菊地先生は、この事業にかかわっています。
菊地 浦安市は、もともと、子どもを産み育てやすい町作りに力を入れ、先進的なことをいろいろやっていました。たとえば、浦安は東京ディズニーランド周辺のホテルでネウボラ事業を展開していましたし、専業主婦の女性も保育園を利用できました。
市は当初、浦安市には順天堂浦安病院という大学病院があるのだから、そこに不妊治療センターがあると子どもを望む市民が助かると考えました。そこで順天堂浦安病院は市からその依頼を受けて、当時、そこに勤務していた生殖専門医の僕がリプロダクションセンターを立ち上げることになりました。
また市と大学で共同して研究事業をやろうということになり、がん治療に入る前の卵子凍結について研究することを検討しました。僕はその前から、小児がんの子どもの卵巣凍結を手がけていて、凍結技術を研究していました。卵巣凍結は、病気が治ったあとでその子に戻すと自然妊娠が期待できる技術です。今では一般的になっていますが、その時期はがん生殖医療の黎明期にあたり、私もそれに携わっていました。化学療法などのがん治療で卵巣機能を失ってしまう前に、卵子や卵巣組織を凍結しておく医療です。
でも、研究事業は3年間という期限付きでした。その間に、浦安市内で対象者が現れるかどうかわかりません。また、「がんではない人は凍結させない」というのもおかしな話です。そこで、がん患者さん以外も対象としましょうということになりました。
――当時、これに関してたくさんの取材があったのではないでしょうか。どのようにとらえていましたか。
菊地 国際的にも珍しいことでしたから、英国の新聞「ガーディアン」をはじめ、海外メディア数社からも取材を受けました。日本国内のメディアと海外メディアの報道姿勢には、大きな違いがあったのはたいへん興味深かったです。
日本のマスコミは「凍結より、早く産むことが大事だ」といった意見が多くを占めました。日本は、妊娠を聖域だととらえているのか、新しい生殖の技術が登場するとだいたい批判的に見るという印象があります。
一方で海外メディアは、なぜ、この技術が必要とされたかを考え、日本女性の社会的地位の低さに注目していました。「日本は、自治体が少子化対策として卵子凍結を提供しなければならないほど、女性が産みづらい」と報道したのです。見ているところが、全然違いますよね。
卵子凍結より、事前セミナーで妊娠した人が多い結果に

――批判も大きい中、未受精卵子凍結の事業はどのように進んだのでしょうか。
菊地 まず、無料のセミナーが毎月行われました。参加者は一回数名程度で、そういうことをこつこつとやっていました。内容は、卵子の老化や体外受精のプロセスについての説明です。卵子凍結は体外受精を途中までやるということで、自然妊娠ではないので、十分な説明が必要です。
無料セミナーに参加してもらってから卵子凍結を希望するかどうか聞いたのですが、「卵子凍結より、早く妊娠したほうがいい」という気持ちになって、凍結しないことを選んだ人も多くいました。結果的に、自分のライフプランを真剣に考えて、自然妊娠する人も出てきたわけです。自分の身体を知り、選択肢を検討するためには、このような、フラットな情報共有の場が必要だと思います。卵子凍結は、事業の一連の流れの一部にすぎず、卵子凍結を行う前のセミナーに大きな意義がありました。
結果的に、凍結したのは、3年間で34名だけでした。セミナーの出席者は105名です。
――卵子凍結の存在自体が女性の意識を変えることになったのですね。その34人の卵子は、今、どうなっていますか。
菊地 その凍結卵子を使って出産したのは、まだ1人だけです。凍結した人のうち5名は、凍結卵子を使わないで自然妊娠しています。自然妊娠で子どもが2人生まれた人は、凍結卵子はもう要らないということで廃棄しました。残りの卵子はまだ保管中です。
研究事業は3年間で終了しました。継続中3年間は保管料が無料でしたが、その後は本人が支払っています。追跡は、続行されています。
卵子凍結への批判は消え、今は卵子凍結プレッシャーが心配

――今度は東京都が卵子凍結の支援事業を行うことになり、先日その詳細が発表されました。人々の意識はがらりと変わっているようです。
菊地 東京都の助成金システムは、発表された内容を見ると他社への譲渡も無いようですし、5年までの凍結延長料金までサポートするそうです。説明会もあって非常に充実しており、女性の選択肢を応援する、という意味において歓迎すべきと思います。
浦安市のときには、がん治療を受ける人の卵子凍結は必要だけれど、そうではない場合に凍結するのは問題だという批判がありました。僕は当時から、その考え方はおかしいと思っていました。女性は自分がやりたいことを「ちゃんと、自身の意思でできているのか」というところが肝心だと思います。
女性がおどされて心配になって凍結するというのは、やはり問題です。そのためには、中立的な情報提供が必要なはずで、そこから利益を得る人が危機感をあおるだけでは間違った方向に行ってしまうと思います。
最近は卵子凍結への批判は薄らいで、そのかわりに、凍結しなけばならないというプレッシャーが現れていると感じています。
ある技術に対して、やみくもに批判していたかと思うと、いつのまにか、みんながやらなくてはいけないと言い出す・・・、そんな極端な変化が起きるのは、もしかしたら日本にはよくあることなのではないでしょうか。
その人に会ったライフプランを。プレコンセプションケアの大切さ

――ビジネスのためではなく、一人一人の女性のために妊娠の情報を提供できるしくみは、だれが、どう作ればいいと考えますか。
菊地 経済的状況や、住んでいる地域にかかわらず、だれにでも「プレコンセプションケア(妊娠前の情報提供や必要に応じた検査など)」を提供できるしくみを作る必要があります。日本では、こういうことは、民間の企業や組織、草の根の活動が動かなければいけないと思います。
早い段階で提供するべきです。思春期以降は生理周期を把握できるアプリなどが浸透していますが、これからは初潮前からのアプローチが必要です。
そして今、学校で使われている「性教育」という名前は、これに抵抗感を持つ人も多いことを考えると、ライフプラン教育などといったことばに変えていくのもいいと思います。性的なことは伝えたいことの一部にすぎません。要は、生まれていくこと、死んでいくこと、命を継いでいくことを考える時間を提供していくということです。
日本は性だけではなく死も遠ざけてしまう傾向がありますね。人が生まれる、死ぬ、だれかを生むといった人間の基本的な営み、それがあるから、自分は、今ここにいるわけです。そこを隠そうとするのは、自分が生まれてきたことに対する否定的な気持ちにつながりかねないと僕は感じています。
また、これからは遺伝子検査やAI(人工知能)の進化によって、ライフプランについて個別のアプローチが可能になる可能性もあります。
たとえば、がん家系の人がいるように、早く閉経してしまう家系の人がいます。その人がなりやすい病気がわかれば、その部分を重点的に診る健診プランを立てられるのはもちろんのこと、妊娠に関しても、自分に合ったライフプランを早い段階で立てることができるでしょう。
「出生率」と「女性の選択」

――多様な家族の形があることを認めながら、その人が自分の望む形を実現できることが大切だと思います。
菊地 たとえば、都会と地方では妊娠に関する状況は異なります。地方では20代や、ときには10代で出産する人が都会より多く、卵子老化の問題に悩む人は少ないといえます。
でも、それは、本当にその人が選んだことなのかどうかわかりません。出生率が高い地域では、若年妊娠が多く、これが幸せな選択なのかについては考えなければならないでしょう。
少子化対策になると期待されて不妊治療も保険適用になりましたが、本質的に大事なことは女性の望みが尊重されているかどうかでしょう。これは医師だけで取り組めることではないと、常々感じています。
お話・監修/菊池 盤先生 取材・文/河合 蘭、たまひよONLINE編集部
●記事の内容は2023年9月25日の情報であり、現在と異なる場合があります。
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