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講談師・一龍齋貞鏡「気がついたら5人のママ! 妊娠判明時は毎回夫婦で涙!」

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7歳、4歳、3歳、1歳、0歳の5人の子どもを僧侶の夫と共に育てている、講談師の一龍齋貞鏡さん。4人目の産後すぐに真打に昇進するなど、子育てに奮闘しながら芸道に励む忙しい日々を送っています。そんな貞鏡さんに、5人の妊娠・出産・育児のことを教えてもらいました。第3子の妊娠中は臨月に父で師匠の一龍齋貞山さんが亡くなり、ショックで陣痛がきてしまうという体験も…。全2回インタビューの前編です。

授かれるだけ授かりたいという気持ちはあったけれど、まさか5人も授かれるとは!

「子連れで仕事の用事があるときは、着物に抱っこひもというスタイルも」

――大学2年生のときに、父親である八代目一龍齋貞山さんの講談を初めて聞いて、そのときに、「講談師になる!」と決意して入門し今に至る…ということですが、今ではお子さんが5人も!「講談師をしながら結婚して、家庭も子どもも…」というようなイメージはいつくらいからありましたか?

貞鏡さん(以下、敬称略) 21歳で弟子入りをしましたが、当時は結婚や出産については、まったく考えたこともありませんでした。いろいろなお考えの方がいらっしゃって、「好きな人ができたら結婚して、子どもを産んだっていいんだよ」という方もいれば、「芸が疎かになるから、女性の芸人は結婚はしないほうがいいだろう」と考える方もいます。私の師匠で父でもある一龍齋貞山は、どっちでもいいというか、「勝手にしろや、プライべートなんて知らねえや」というタイプでして(笑)。とくに規制などもなく、のびのびとやらせてもらっていました。私自身も、いい人がいたら結婚してもいいし、いなかったら一生独身でもいいし、結婚に関してはそんなにこだわりはありませんでした。

ただ、うちの家族は祖父も父も講談師で、芸人一家。幼いころからほとんど家に父がいなかったんですよね。母が1人で私と兄をどこかに連れて行く…というようなこともあまりなかったので、自分の幼少期のこともあり、結婚して子どもを授かれるのであれば、子だくさんでにぎやかだったらいいな…という憧れのようなものはありました。

――旦那さんと出会ってから、結婚を考えるように? 旦那さんは、お寺のお坊さんと聞きました。

貞鏡 そうなんです。最初は仕事先で出会ったので、もし、ここで変な噂が立ってしまったら、師匠の名に傷がついてしまうかも…と思い、出会ってからはすごく慎重でした。1年後におつきあいが始まったんですが、つきあってみたら、気取らない親友のような関係といいますか、つまらないオチのない話でもなんでも話せるような人だなぁと。そこから、だんだんと、「この人とだったら、ずっと一緒にいたいな」と思うようになりました。

ただ、夫はお寺の家に生まれていて、職業はお坊さん。お寺も芸界と同じで、古くから代々ずっと続いているもの。だから、お寺の奥さんになったら、仕事を辞めてお寺に従事する…という流れが多いですよね。私も講談の仕事でお寺に行く機会が多く、そういうものだと思っていたので、夫にはおつきあいの段階から、「父の跡は私が継ぐから、結婚して私の仕事を辞めてお寺の仕事に従事するのは難しい。そこは絶対に譲れない」というのは伝えていました。夫は、「もちろん、講談を続けてほしい」と言ってくれていたので、それなら、大丈夫だなと。義理の両親も私の仕事のことを理解してくれて、「うちの息子がそう言っているから、こちらも応援するよ」と言ってくださいました。

――そこから、結婚して、子どもたちが生まれた…ということですが、旦那さんに「子どもはたくさん!」という思いがあったのでしょうか? それとも、自然ななりゆきで、いつの間にか5人という感じですか?

貞鏡 そうです、いつの間にか。だから、われわれ夫婦2人がいちばん驚いています。「もう5人!?」って。「授かれたら、授かれるだけほしいね」とは話していましたが、「まさか5人も授かれるとは!」という感じです。

第1子の妊娠では、予定していた公演に出られなくなり「もう復帰しないんでしょ?」と言われて傷ついた経験も…

――貞鏡さんの著書「貞鏡 講談絵巻本 写真と文で綴る講談師 一龍齋貞鏡半世紀」では、1人目の妊娠のときは、妊娠したことで予定していた高座(編集部注:芸人が芸を演じるための一段高い所。劇場の舞台に相当する)に立つことができなくなって、公演の主催の方に理解してもらえなかったというエピソードがありましたが、詳しく教えてください。

貞鏡 そうなんです。初めての妊娠でしたし、赤ちゃんは授かりものですから予測のできないことでした。私たちの仕事って、1年後、2年後の公演が決まっていたりするんですよね。妊娠がわかったときに出産予定日が4月と言われたのですが、すでに3月中旬にお受けしていた公演があったんです。出産直前なので高座に上がるのは難しい…と思い、主催者に申し伝えるのは少しでも早い方が良いので、妊娠が分かった日にビクビクしながら、「私事で申し訳ございません。こういう理由で、もしよろしければお休みさせていただけませんでしょうか…」という電話をしたんですが、電話に出られたご担当の男性から、「困ります。何やってるんですか」と語気強く言われてしまい。「たいへん申し訳ございません」と心からおわびをしたのですが、その担当の方からは、「わかりました。でも、あなた、出産したらもう復帰はしないんでしょ? そういう考え方なら」と言われたんです。「そんなことはございません。初めてのことなので、どうなるかはわからないところもありますが、必ずパワーアップして戻れるように精進したいという思いです」と伝えました。妊娠することが悪いことではないけれど、ご迷惑をおかけしてしまったのは事実なので、しっかりおわびを申し上げましたが、妊娠中のホルモンバランスの乱れのせいもあってか、電話を切ってからは涙が止まりませんでした。
後日、改めて、会社までおわびに行きましたが、その方にお目にかかることはできなかったんです。直接おわびをすることもできなくて、「ああ、私はとんでもないことをしてまった…」と、申し訳ない気持ちで押しつぶされそうでした。

それからは、少し先の仕事をお受けするときは、「正式な決定は半年前にさせてください」とお願いをするようになりました。半年前であれば、「産後2カ月だから大丈夫だな」「予定日に近いから無理だからお断りしよう」というのがわかるので。

何気ないひと言で傷つくこともあるけれど、メソメソする時間ももったいないから、「うるせえ!」と流せるように(笑)

「第5子の産後直後。子どもたちはみんな、ただただいとおしくて、大切な存在」

――そうやって変えていったんですね。初めてのことでショックで傷づいた…ということですが、そのあと、2人目、3人目…と妊娠・出産を経験するうちに、何か言われても気持ちの面でうまく切り替えができるようになったとか、そんなことはあるものですか?

貞鏡 そうですね。でも、妊娠中や産後って、どうしても気持ち的にも敏感になってしまうので、これまでは気にもとめなかったようなことがいちいち気になる…というのはありますよね。私はとくにそうなるみたいで。

たとえば、私は子どもたちが全員、出生体重が3000g未満なんですが、2人目以降、知人から、「お産が軽くてラクだから、そんなにポンポン簡単に産めるのよね」なんて言われたことがあって。そういう言葉に無性に傷ついたりもしました。4人目の子は真打昇進の半年前の出産だったこともあって、生後3カ月から保育園にお世話になったんですが、「そんなに小さいうちから保育園に入れてかわいそう」と言われたり。ほかにも、「陣痛どのくらい?」と聞かれて、私はそんなに長くないので、「6時間くらい」と答えると、「それならラクね、私は48時間もあったのよ」とか。人から言われた何気ないひと言に苦しめられるということは結構ありました。

でも、そうやって、いちいち気にしてメソメソしていたら、子どもたちのためにもよくないな…と思ったんです。私の中では1本、筋(すじ)があって、まずは子どもたちに寂しい思いをさせないというのが最優先事項。子どもたちと過ごすことができる貴重な時間を大切にして、1人1人と向き合っていこうと思っているんです。だから、落ち込んでいる時間ももったいないので、気になるようなことを言われても、「あ、そうですね。ご助言いただき、ありがとうございます」とお礼を言って、心の中では「うるせえよ!」って流せるようになりました(笑)

第3子の臨月に父が逝去。ショックで陣痛が始まってしまい入院に。葬儀のときだけ外出を許可してもらいました

「子どもたちと過ごす貴重な時間は、子どもたちと全力で向き合うようにしています」

――第3子の妊娠中は、師匠でもあるお父さんが心筋梗塞で倒れて亡くなってしまうという悲しいできごとがあったそうですね。ショックからか陣痛も早まってしまったとか?

貞鏡 令和3年の4月下旬、前座さん(※編集部注:講談師の見習いの次の階級。前座→二ツ目→真打と昇級する)から突然電話がかかってきたんです。「今、貞山先生が独演会のあと、楽屋に戻ってから苦しいと言って立てなくなってしまって…」と。私は「わかりました、すぐに行きます」と答えたんですが、近くにいた師匠が電話にかわって、「おまえはもう臨月が近いんだからくるんじゃねえぞ。おれは大丈夫だから、おなかの赤ん坊を大事にしろ」と。

結局、そのときは、独演会に来ていたごひいきのお客さまが自宅まで送ってくださったんですが、その後、自宅に戻るとまた急変して救急搬送となりました。「さっきは普通に話していたのに…」と驚きつつも、病院へ向かいましたが、コロナ下ということもあり面会はできなかったんです。どうにか会わせてほしかったんですが、娘であってもダメということで、会えない日が続きました。

5月26日、病院から「危篤なので、来てください」と電話があって、病院に駆け付けました。でも間に合わず、病室に入ってやっと会えたのは心停止のあと。コロナ下なのでしかたのないことですが、最後にひと目会ってお礼を言うこともかないませんでした。

霊安室で病院の先生が、「講談師なんですよね?大きな声で人前で話す仕事ですよね。この方の心臓は、普通の人の半分も動いていなかったんですよ。そんな体で、独演会で90分もしゃべり続けていたなんて、すごいことですよ。信じられません」と。
もともと心臓の病気を患ってはいましたが、そこまでとは思っていなかったんです。父は「つらい」とか弱音を吐くこともなく、いつも「大丈夫、大丈夫、おれの心配なんていいから」という人で。高座でもつらいことはいっさい言わない人でした。舞台や高座というのは、お客さまに夢を見ていただく、楽しんでいただくものだから…と。

病院の先生からその話を聞いて、私はひざから崩れ落ち、父の偉大さを改めて実感しました。武士のように、最後まで弱った姿を見せずに、講談師として亡くなっていった…って。そんなふうにいろいろな思いを抱えながら、泣き崩れていると、おなかが痛くなってきてしまって。痛みが定期的にくるので、「これは陣痛かも…」となって、慌ててかかりつけの産婦人科へ駆け込みました。それが予定日の3週間前。すぐ入院となり、陣痛を抑える点滴を投与してもらって。陣痛は落ち着きましたが、点滴をしながらしばらく安静にするように言われて。翌朝、ベッドで寝たままの姿勢で安静に気をつけながらも、関係者に父が亡くなったことを知らせる電話をかけ続けました。

それで、予定日近くまでは、しばらく安静入院ということになっていたのですが、当時はコロナ下だったこともあって、すぐに葬儀をして火葬という流れだったんですよね。なので、産婦人科の先生に事情を話して、なんとか葬儀だけは行かせてくださいとお願いして。「最後のお別れなんでお願いします」と頼みこんで、夫も「私が送りますので、お願いします。今生の別れをさせてやってださい」と頭を下げてくれて。お坊さんの恰好で。

先生も考慮してくださって、「葬儀が終わったらすぐに帰ってくること、何かあれば葬儀の途中でも帰ってくること」を条件に外出の許可をいただき、葬儀に参列することができたんです。葬儀のあとはすぐに病院に戻り、予定日の1週間前に陣痛が始まって、無事に出産することができました。

妊娠がわかったときは、毎回夫婦で泣いて喜び、「この子たちのために全力で頑張ろうね」と決意しています

第5子の妊娠中。子どもたちみんなでおなかをなでながら、おなかの赤ちゃんに声がけ。

――忘れられない、大変な出産でしたね。それぞれの妊娠が判明したときはどんな感じでしたか? 印象に残っているエピソードなんかはありますか?

貞鏡 それが、もれなく全員、感動してうれし泣きです。そして、毎回、夫ももれなく泣きました(笑)。涙もろい夫婦なんです。妊娠がわかったときは、夫婦のきずながさらに深まって、「来てくれた、うれしいね。この子たちのために全力で頑張ろうね」って。子どもたちは、私たちに、改めて「頑張ろう」と思わせてくれるかけがえのない存在です。

――妊娠がわかったときは、上のお子さんたちにはどんなタイミングでどのように伝えているんですか?

貞鏡 上の子どもたちにも早めに伝えるようにしています。赤ちゃんを授かるって本当にまぎれもない奇跡だから、その大切な命を全力で守らないと!と思っています。だから、まだ子どもたちにはわからないかも…と思うこともありますが、「赤ちゃんが来てくれたから、みんなで頑張ろうね」「体調がつらかったら、力を貸してね」ってお願いするようにしているんです。

今、子どもたちは、上から7歳・4歳・3歳・1歳・0歳。なので、全員甘えたい年齢なんですよね。でも、赤ちゃんが生まれると、上の子たちはみんな喜んでかわいがってくれるんですよ。やきもちなんかもなくて。まだ小さい子が自分の胸を出しておっぱいをあげようとした…なんてこともありました。自分のなめているはちみつのあめをあげようとして、「それはダメ、待って待って!」となったことも(笑)。でも、一生懸命お世話をしようとしてくれる姿が本当にいとおしくて。そうやって、自然と自分より小さいものをかわいがろうという“母性”のようなものが備わっているのかな…偉大だな…って思います。子育てをしていると、子どもたちから教えてもらったり、新しい気づきがあったりと、こちらも勉強させてもらうようなことも多くて、子どもたちに親として成長させてもらっているように感じています。

お話・写真提供/一龍齋貞鏡さん 撮影(プロフィール写真)/橘 蓮二 取材・文/渡辺有紀子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

飾らない言葉で、なんでも語ってくれた貞鏡さん。心の中の「うるせえよ!」や、お父さんである師匠の言葉を再現してくださったときは、「さすが講談師」と、拍手をしたくなるほどの迫力でした。貞鏡さんのインスタグラムやYouTubeなどでも貞鏡さんの高座での講談を視聴することができるので、ぜひ、checkしてみてくださいね。

一龍齋貞鏡さん(いちりゅうさいていきょう)

PROFILE
1986年東京都渋谷区生まれ。祖父は七代目一龍齋貞山、父は八代目一龍齋貞山。講談とはまったく無縁の生活を送っていた大学2年生のとき、たまたま友人と聴きに行った父である八代目一龍齋貞山の講談に心を打たれて、講談師になることを決意。2008年1月に入門し、4月より前座修行開始。2012年2月に二ツ目昇進、2023年10月真打に昇進。現在は5人の子どもの母として芸道と育児の両立に奮闘中。

●一龍齋貞鏡さんのインスタグラム

●貞鏡さんの「育児奮闘講談」のダイジェストはこちらから!

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年5月現在のものです。

貞鏡 講談絵巻本 写真と文で綴る講談師 一龍齋貞鏡半世紀

一龍齋貞鏡さんが自身の半生記をロングインタビューと豊富な写真で綴った1冊。3500円(竹書房)

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