SHOP

内祝い

  1. トップ
  2. 妊娠・出産
  3. 体のトラブル
  4. 妊娠中の右胸全摘、抗がん剤治療「おなかの子を守れるなら、おっぱいが1つなくなったっていいと思った」【妊娠期がん経験談インタビュー】

妊娠中の右胸全摘、抗がん剤治療「おなかの子を守れるなら、おっぱいが1つなくなったっていいと思った」【妊娠期がん経験談インタビュー】

更新

「妊娠、おめでとうございます」。産婦人科で言われたこの言葉に、心の底からホッとし、喜びをかみしめ、まだ豆粒大のわが子にやがて会える日を想像して不思議な気持ちになる――妊娠したときのそんな感情が忘れられない女性はたくさんいることでしょう。そんなあたたかく、幸せな言葉を胸に抱いた当日に、がんの告知を受けた女性がいます。棚田奈々江さんは、待ちに待った第2子の妊娠が確定し、母子健康手帳をもらって来たその日に、乳がん検査の結果が悪性と判明。大きな不安の中、妊娠中に抗がん剤治療を受け、無事出産しました。その後も治療を続けながら、2児の母として育児に励んできた棚田さんに、第2子の妊娠のこと、妊娠中のがん治療こと、副作用に苦しみながらの育児のことなどを聞きました。全2回インタビューの2回目です。

▼<関連記事>前編を読む

「産める確率が0%じゃないなら産みたい」気持ちはもう決まってた

右胸の全摘手術を受けるころには、奈々江さんのおなかはふくらみが目立つようになっていた

約6年ぶりの妊娠が判明し、第2子を持つことが夢から現実に近づいた妊娠確定の日。そんな喜びあふれる日に、検査結果待ちだった針生検で、乳がんであることが判明した棚田奈々江さん。クリニックの医師や実母は、がん治療を優先してほしいという気持ちから第2子出産に消極的だったと言いますが、奈々江さんには中絶するという選択肢はありませんでした。なんとか赤ちゃんをあきらめなくていい方法はないか、どうやってまわりを説得しようかということばかりを考えていたそうです。

「私の中では、産める確率が0%じゃないなら産みたいという気持ちがもう固まっていて、その気持ちは妊娠がわかったときから夫にも話していたので、子どもをあきらめたくないという私の気持ちに、夫も賛同してくれました。

夫にも反対されていたら、自分だけでまわりを説得するしかありませんでしたが、夫が同じ気持ちでいてくれたことは、ものすごく心強かったですし、ものすごく救われました。そのころはまだ具体的な治療の話もしていなくて、今後どうなるかもわからなかったんですが、治療しながら妊娠を継続していく道を取ることを夫も了承してくれました。

そこからは、妊娠中にがんの治療ができるのか、手術ができるのか、過去にそういう例はあるのかを知りたくて、ネットでいろいろと調べました。すると、30年くらい前に妊娠を継続しながら抗がん剤治療を受けた人の例を見つけて、『30年も前に、同じような人がいたんだ』って、それだけでもすごく希望が持てました」(奈々江さん)

告知を受けたあと、大きな病院を紹介された奈々江さん。本来ならば診察予約は1カ月後になるところ、たまたまキャンセルが出て、告知の1週間後に主治医となる医師と会うことができたそうです。

「そこでは、乳がんのタイプや進行度などのお話のほか、今後の妊娠継続についてもお話ししました。ただ、私の場合、妊娠中ということで、普通だったら行う検査でもできないものがたくさんあり、超音波など妊娠中にもできる検査でわかる範囲の結果でっていう感じでした。

医師によると、乳がんのステージは1もしくは2、過剰に分泌されているとがんが発生しやすくなるという「HER2(ハーツー)」という細胞の増殖に関わるタンパク質が陽性だったので、「HER2陽性乳がん」ということでした。HER2陽性乳がんだと再発しやすいというお話も聞きますが、細胞の分裂の早さは人それぞれらしく、私の場合はそんなに進行度の速いタイプではないという診断でした。

妊娠については、診察のときに『まず、今の妊娠を継続するかどうかを決めなくてはいけない』と言われました。妊娠を継続しないんだったら、中絶をしてから乳がん治療を始めるけれど、妊娠を継続したいということであれば、妊娠15週を過ぎれば全身麻酔をして手術ができるのでまず右胸を全摘して、そのあと抗がん剤治療をします、と。

乳がんの手術には、部分切除と全摘があるんですが、放射線治療ができない妊娠中は全部取るしか選択肢がありません、と言われました。抗がん剤治療については、妊娠中にも使える抗がん剤があるのですが、がんの大きさによって先に抗がん剤治療をしてから手術という人と、私のように手術で取り除いてから抗がん剤治療をする人がいるようです。

妊娠を継続しながらのがん治療のお話をしてもらえたので、私にとっては希望の持てるお話だったんですが、このとき同席していた母は、妊娠15週になるのを待って手術なんかしていたら私が危なくなってしまうのではないか、という気持ちがあったようで、とにかくもう一刻も早く手術をしてもらいたいとあせっていました。

私の中では、妊娠を継続したいという気持ちは決まっていましたが、母の気持ちもあるし、この場で妊娠継続をするかしないかの答えは出せないといったら、主治医が『では1週間以内に考えて返事をください。まあ、がんのほうも、今すぐどうこうっていう感じではないし、妊娠中じゃなくても、手術はみんな1カ月先とかに受けているから、大丈夫だよ』と言ってくれて。その言葉に、母も少し安心できたようでした。

帰宅して、夫や母と話をして、もちろんものすごく心配はしていたとは思いますけど、主治医に今すぐどうこうっていう感じではないと言われたことと、ステージも1か2くらいと言われたことで、母も妊娠継続に納得してくれて。受診から5日後くらいに、妊娠を継続しながら治療を受けるという返事を病院にしました。

主治医からも、乳がん治療をしながらの妊娠継続について「どうにかならなくはないと思っています」という言葉をもらい、私はもう『とにかくおなかの子を守れるんだったらどんな治療でもする、おっぱいが1つなくなったっていい』という思いでしたね。これが妊娠11週のことでした」(奈々江さん)

それから、手術日まで約1カ月半。おなかの赤ちゃんはすくすくと成長し、奈々江さんは妊娠5カ月になっていました。

「手術を受けるころには、おなかもちょっと出てきていて、胎動も感じ始めていたんです。それがもうすごく自分の励みにもなって、おなかの子と一緒に頑張ろうねという感じでした。

当時、保育園の年長さんだった娘には『ママのおっぱいに悪いものができちゃって、取らなくちゃいけないんだ』って話をして、手術のことを伝えました。私の母も胸を全摘していて、その状態を娘も見て知っていたので、『おばあちゃんみたいな胸になるんだよ』って話したので、おっぱいがなくなっちゃうことは娘もすごく悲しんではいましたけど、状況は理解しやすかったかなとは思います。

手術で10日くらい入院したんですが、入院前日には、おままごとで私に料理を作ってくれて『明日から頑張ってね』と言って応援してくれました。それでも内心はすごく寂しがってはいたみたいで、私が入院した初日、娘は泣いてばかりいたそうです。でも、2日目くらいからは『私が泣いていると、パパがすごく悲しそうな顔するから、もう泣かないで頑張る』と言ったらしく、そこからは娘は泣かずに、私の入院期間を頑張って乗り越えてくれました」(奈々江さん)

きっと、10日間もママと離れ離れになるなんて、物心ついてからは初めてのこと。ママのいないさみしさを心から感じたことでしょう。たった5歳の子が、自分もさみしい気持ちがありながら、自分が泣いていると、パパもなんだか悲しそうにしていることに気づき、「私は泣かないでいなきゃ」と思えるなんて、すごくまわりが見えている、しっかりものの娘さんです。

そして、同じ病気で同じくお胸がなくなったけれど、今も元気にしているばあばを見て知っているから、娘さんも「ママもきっと大丈夫!」と思えたのかもしれません。

こうして親子で、奈々江さんの右胸全摘手術を乗りきることができました。しかし、治療はまだ続きます。

「手術の約2カ月後から、妊娠中でも受けられる抗がん剤治療を始めました。3週間に1回のペースで抗がん剤を入れるもので、本来は計4回受けるものらしいのですが、私の場合、出産までにはもうそんなに日がなかったため3回ほど受けて、あとは出産に向けて体調を整えようということになりました。抗がん剤治療は、最初の1回目だけは2泊3日の入院でしたが、2回目・3回目は通院でできました。

心配していた副作用も、妊娠中の抗がん剤治療ではあまりひどくなく、もちろん髪の毛は抜けましたけれど、そのほかには便秘とか倦怠(けんたい)感くらいで済んだので、とても助かりました。

私の場合、1人目も2人目もつわりが長くて、吐いたりはしないものの気持ち悪い状態がずっと続くつわりが妊娠8カ月くらいまであったんです。だから、抗がん剤治療をしているときも、この気持ち悪さはつわりのせいなのか、抗がん剤のせいなのかがわからないという感じでしたね」(奈々江さん)

こうして、右胸の全摘手術、抗がん剤治療と、妊娠中にできる治療を行い、あとは出産を待つだけという状態になった奈々江さん。当初は妊娠37週での計画分娩を予定していたものの、妊娠36週で陣痛が来て、第2子となる長男を2112gで誕生したのです。

しんどかった産後の抗がん剤の副作用。それに打ち勝てた理由は…

現在は10歳になった長女と、5歳になったばかりの長男。奈々江さんは2人の存在にずっと支えられている

妊娠中は、妊婦でもできる乳がん治療を行っていた奈々江さん。治療は、産後も続きます。

「出産後の抗がん剤治療は、私にとっての本格的な治療のスタートみたいな感じで、結構強い抗がん剤を使うことになっていました。そのため、産後すぐの治療スタートは母体の心配もあるからと言われ、産後3週間後ぐらいにスタートしました。

息子は2週間ほどNICU(新生児集中治療室)に入っていたので、息子が退院して1週間ほどで今度は私が入院。だから1週間くらいしか新生児期の息子とは一緒にいられなかったんですが、思えば娘のときは1カ月NICUにいたので新生児期にべったり一緒にいることはできなかったから、1週間だけでも幸せでした。

産後の抗がん剤治療も2回目以降は通院治療だったのですが、1回目だけは2泊3日の入院が必要で、まだ新生児だった息子は夫の実家に預かってもらいました。幸い、私の実家も夫の実家も近かったので、義理の母に息子の面倒を、実母には夫や娘の食事の面倒をみてもらいました。

夜中の授乳もある新生児のお世話なんて、義理の母はすごく大変で心配だったと思いますが、お願いしたらすごく快く引き受けてくれて、おふろの入れ方も練習しに来てくれたりして、準備をしてくれて。母にも義母にもすごく助けられました。

ただ、産後に行った抗がん剤治療は、副作用が妊娠中のものとは比べ物にならないくらい体がしんどくて。むくみや筋肉痛のような体の痛み、手足のしびれ、倦怠感、発熱などが重なり倒れこみたいほどで、徐々に足の爪が剝がれるということもありました。妊娠中の抗がん剤で抜けた髪の毛も、少し生えてきてはいましたが、産後の抗がん剤でまた抜けましたね。

でも、副作用のつらさも、やっぱり息子のお世話ができる喜びがあったからこそ耐えられたというか。というのも、息子には、妊娠中おなかの中でずっと支えてもらって、応援してもらっていたという気持ちがあるので、今度は私が息子に恩返しじゃないですけど、一生懸命お世話したいっていう気持ちがありましたし、とにかく息子のお世話をできるのがうれしかった。当時は毎日のように息子に『ありがとう』って言っていた気がします。

だから、多少熱があっても、どこかが痛くても、息子のお世話は私が全部やる!みたいに意気込んでいて、息子のお宮参りの日も抗がん剤の副作用で発熱していたんですが、絶対行く!という気持ちで頑張りました。

娘も、弟がかわいくてかわいくてしかたないという感じで、今まで見たことがないくらいのうれしそうな顔をして、弟を眺めていました。私には、そんな娘もいとおしかったですね」(奈々江さん)

こうして、奈々江さんの乳がん治療に家族一丸となって立ち向かってきた棚田さんのご家族。産後の強い抗がん剤治療は2020年12月に終わり、2021年からは抗がん剤の一種である「分子標的薬」の点滴2種を3週間に1度、ホルモン治療の注射薬を4週間に1度、さらにホルモン療法薬を服用しながらという生活の中、2児の育児、そしてアイリストとしての仕事にも励んできました。

その治療も、点滴は2022年2月に、注射は2025年2月に終了し、2025年5月には無事に術後5年を迎えたという棚田さん。現在は、ホルモン療法薬のみの服用となっているそうです。

「抗がん剤とかって聞くだけでも怖いですけど、あんまり気にしすぎると精神的にやられてしまうので、なるようにしかならないし、あんまり気にしないでいようと思いながら続けていました。

ホルモン剤の副作用も、最初の2~3カ月こそ、めまいや関節の痛みがあったものの、その後は大きな副作用を感じずに過ごせているので、すごく助かっています。

今は生活の制限もないですし、最近はもう病気のことを忘れている時間も多くなったのですが、ふと『あのとき、この子がおなかにいたんだよなぁ』と思い出して、不思議な気持ちになったりすることもあります。

息子は5歳になったばかり。まだ小さいので私からも病気の話はしてないし、私の体を見ても、息子はとくに何も言わないんですよね。言われたら説明しようかなと思っているんですけれど。

10歳になったお姉ちゃんにも、病気のことを詳しく話して、怖がらせたり心配させすぎたりしてもよくないかなと思い、まだあまり話してはいません。

ただ、今回の取材をきっかけに『ママの病気のことをどう思ってる?』と聞いたら、『ママが病院に行って来るねっていうと、死んじゃうんじゃないかって心配になる』と言っていたんです。だから、『今はもう、ママの体にあった悪いものは取っちゃってないんだよ。でもまたどこかにできたり、悪いものがまた悪さをしたりしないように治療をしてるんだよ。悪いものがあるから、治療してるわけじゃないよ』っていう話をしたら、なんだか安心したような顔をしていて、私が思っている以上に、心を痛めていたのかもしれないと思いました。

検診とかって、忙しい毎日を送っていると、つい後回しにしがちだと思うんですけれど、自分の大切な人を守るためにも、みなさんに検診に行ってほしいなと思います。

『検診に行って何かが見つかったら怖い』という気持ちもあると思うんですが、怖いのは検診で何かが見つかることじゃなくて、見つかったものが手遅れだったとき。それがやっぱりいちばん怖いと思います。

何か悪いものがあっても、やっぱり早期で発見することが大切だと思うので、自分は大丈夫って過信しないで、安心するためにも女性も男性もぜひ検診に行ってほしいなって思いますね」(奈々江さん)

お話・写真提供/棚田奈々江さん 取材・文/藤本有美、たまひよONLINE編集部

奈々江さんは、インスタでも自分の病気について発信しています。そのことについては、「病気を抱えた方たちと出会って、頑張ってる人がいっぱいいるんだ、つらいのは自分だけじゃないと思えることで勇気をもらえた」と感じたそうです。現在は、自分の存在が誰かの勇気になれればという思いを持っているそうです。笑顔のすてきな奈々江さん。つらい時期を乗り越えた今、奈々江さんの笑顔を見て、勇気や元気をもらった人はたくさんいるはず。今後も術後10年、20年、30年…と、愛するご家族との日々が長く幸せに続きますように。

棚田奈々江さん(たなだななえ)

PROFILE
アイリストとして働く、2児の母。2020年、40歳のときに毎年受けていた乳がん検査でひっかかり、再検査に。同時期に第2子の妊娠が判明し、産婦人科で妊娠確定を告げられたその日に、乳がんの再検査の結果が悪性であったことが告知された。妊娠継続を決断したあと、妊娠中に手術を受け、抗がん剤治療もスタート。無事に出産を終えたあとは、副作用に苦しみながらもがん治療と育児を両立し、今年の5月、無事に術後5年を迎えた。Instagramには、妊娠中に手術を受けたころから現在まで闘病の様子をつづり、妊娠期がんについて発信をしている。

棚田奈々江さんのInstagram

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年9月現在のものです。

妊娠・出産の人気記事ランキング
関連記事
妊娠・出産の人気テーマ
新着記事
ABJマーク 11091000

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第11091000号)です。 ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら→ https://aebs.or.jp/

本サイトに掲載されている記事・写真・イラスト等のコンテンツの無断転載を禁じます。