「出血がすごいと、分娩室内がバタバタし始めて…」1児の母、團 遥香。命に関わる産後トラブルで、まさかの救急搬送に【インタビュー】
モデル、タレントとして、テレビや雑誌などで活躍する團 遥香さん。昨年、プロバスケットボール選手の原 修太さんと結婚し、第1子となる女の子を出産しました。妊娠中はいたって順調だったという團さんですが、出産時に羊水塞栓(ようすいそくせん)症を発症し、緊急搬送されていたことを公表。妊娠中や出産時の様子、羊水塞栓症を発症してからの出来事、今あらためて思うことなどについて、お話を聞きました。全2回インタビューの1回目です。
つわりに悩まされた妊娠中。仕事に対する葛藤も…
「だんちゃん」の愛称で親しまれている團 遥香さん。2024年に結婚後、モデルやタレントとしての活動を続けながら、1歳の女の子、こっちゃんを育てています。妊娠がわかったときや妊娠中は、どんな様子だったのでしょうか。
「もともと私は子どもが好きだったから、妊娠がわかったときはものすごくうれしかったです。その日、夫はちょうど地方に遠征中だったので、帰って来てから直接伝えようと思ったものの、私、隠し事が苦手すぎて(笑)。彼が遠征に長く出ている時期でもあったので、帰るまで待ちきれない!と思って、妊娠が判明した夜にしていたビデオ通話で、妊娠を伝えました。
すると、彼がなんだか見たことないぐらいうれしそうな顔をしていたので、こっそりスクシヨしちゃったくらい(笑)。パパのうれしそうな顔は、将来子どもに見せたいなと思っているんです。
そんな感じで、妊娠判明はとにかくうれしいがいっぱいではあったんですが、これからどんどんおなかが大きくなっていくということもあり、『仕事、どうしようかな』『だれとだれに報告して…』と、業務的なこともいろいろ考えていましたね。今まで仕事をストップさせたことなんてなかったのに、妊娠でいったんリセットしなければならないという不安もありました。
しかも、私の場合、妊娠初期のころは吐きづわりがひどくて。まだ周囲にも報告できない時期でもあったので、仕事中にこっそりトイレに行って吐くこともありました。仕事中は緊張感で頑張れたときも、家に帰るとすごく吐いてしまったり…。
仕事先の人には気を使わせたくないし、仕事中に『食べられない』って言ったら『どうして?』ってなるだろうと思って、表向きにはいつも通り元気でいたんですけど、元気を保とうとすればするほど、家に帰るとホッとするせいか、気持ち悪くなってしまうんですよね。
そんなことの繰り返しで、吐きすぎたせいか、1回吐いたものに血が混じっていたことがあって、びっくりして電話で産院に相談しこともありました。
しかも、出産の1カ月前からは後期づわりが始まって…。胃が圧迫されていたせいか、ごはんを全然食べられなくなってしまったんです。最後の1カ月、赤ちゃんはズンっと大きくなったはずなのに、私の体重が全然増えずにいたんですよね。
そんなこともあってか、精神的にちょっと参ってしまった時期もありました。
当たり前かもしれないですけど、私は妊娠して、大好きな仕事も休まなくちゃいけないし、仕事がなくなる不安もあるのに、夫は変わらず試合に出て、私の妊娠前と変わらない生活をしている。そういうモヤモヤから、夫に当たってしまうこともありましたね」(團さん)
そんな不安や葛藤がある中、臨月を迎えた團さん。そのころ、夫である原選手が所属する「千葉ジェッツ」は、Bリーグ東地区のリーグ戦を勝ち進み、チャンピオンシップへの出場が決まっていました。
「臨月のころは、彼もすごく忙しい時期で。チャンピオンシップはトーナメント戦だったので、勝ち進んだらこの日からいないとか、スケジュールもあいまいで、出産予定日にもいるかいないか、わからない状況。
なので、もう臨機応変にやるしかない!と思って、陣痛が来たときに彼がいないことを想定して、タクシーの予約をしたり、荷物も1人で運べるような形にしたり、夜中だったらどう動くかをシミュレーションしてみたり。1人で行って、1人で産むんだって覚悟を決めていました。
痛みに対する不安はすごくありましたけど、雑誌とか動画とかで出産レポのようなものをたくさん見て、こうなるんだなと頭の中で想像して『ここまできたら、やるしかない』と腹をくくりました。夫に似たのか、出産前のおなかの赤ちゃんの体重は推定4000gと大きくて、とにかく『もう出したい』という気持ちにもなっていましたね。
ちなみに、夫も4000gぐらいで生まれたらしくて、大きな赤ちゃんの出産を経験しているお義母さんからは『ごめんね! 出産はたいへんかもしれない。でも、出生体重が大きいと、産んでからはたぶん育てやすいと思うからね』と言われました(笑)」(團さん)
順調に進んだお産。しかし、まさかの産後に重大トラブルが
こうして迎えた出産日。その日は、夫である原選手は練習日だったため、團さんを病院に送り、練習をし、また病院に戻ってくるということができる日でした。
「和痛分娩(わつうぶんべん)を予定していたのですが、実は予定日を少し過ぎていたのと、おなかの赤ちゃんが大きくなりすぎたこともあって、バルーンを入れて陣痛を誘発させようかということになっていたんです。でも、その日の朝、少し破水していたようで、バルーンを入れたらまもなく陣痛が始まり、すぐに5分間隔になって、吐きけと痛みとの闘いが始まりました。
しかも、痛みがピークの中、自分で分娩台に上がらないといけなかったのがすごく大変でした。はいつくばって分娩台まで移動しても、痛くてなかなか分娩台に上がれなくて。なんとか分娩台にはい上がって、麻酔を入れてもらった瞬間、スーッと痛みから解放されて『神様ありがとう』というか『この世の技術にありがとう』と感謝しました。
朝、産院についたときは、彼も私も『出産までは時間がかかるだろう』と思っていたんですが、彼が私を病院に送って練習を終え、約4時間後に戻って来たころは、すでに麻酔を入れてラクになったころで、分娩台の上でごはんを食べたり、お産が進むヨガをしたり(笑)。
私、自分がつらいときにはまわりにあまり人にいてほしくない派だったので、『いちばんしんどいときに彼がいなくてよかった』と思ったほどです。ただ、彼に『ラクして産んでる』とは思われたくなくて、ちょっと痛いふりもしていました(笑)。
そんな感じで、私は余裕があったんですけど、少し赤ちゃんが苦しくなっているみたいと言われて。子宮口も結構開いてきているから、早く出してあげるために吸引しましょうということに。
私としては『産む瞬間は私が頑張りたいから、彼には待っていてほしい』という気持ちもあり、バースプランで決めていたとおり、そこで彼には分娩室から出てもらいました。
吸引だったこともあると思いますが、そこから渾身の一撃という感じでいきんだら、ひといきみで生まれたんです。すごく力を入れたら、ポンって出てきて。なので、生まれた瞬間は『私、これ十人産めるじゃん!』って思いました」(團さん)
入院から出産まで約5時間で赤ちゃんが生まれ、ここまではとにかく順調だった、と話す團さん。しかし、團さんのお産はここからが大変だったのです。
「『赤ちゃん、生まれましたよ』という助産師さんの言葉や、子どもの産声(うぶごえ)ももちろん覚えていますし、『ああ、生まれたー。よかったー』という安堵(あんど)感というか、達成感を感じたのも覚えています。
そのあと、母子早期接触で赤ちゃんを胸元に連れて来てくれることになったんですが、そのくらいからちょっと息苦しさを感じるようになって。
急に貧血になったような感覚で、『あれ?なんか私、苦しいかも?』みたいになって、助産師さんが連れて来てくれた赤ちゃんを、本当に0.1秒ぐらいで『もう大丈夫です。ちょっと今、苦しいです』って、戻したんです。
そしたら、分娩室にいたスタッフの方たちが『出血がすごい』とバタバタし始めました」(團さん)
お話・写真提供/團 遥香さん 取材・文/藤本有美、たまひよONLINE編集部
妊娠も順調、出産も順調だったはずなのに、産後に突然訪れた大きなトラブル。それは團さんの命をも脅かすものでした。それまでに何もトラブルがなかっただけに、どれほど驚かれたことでしょう。改めて、妊娠・出産による体への負担は、計り知れないものがあるのだということを知りました。後編では、緊急搬送されるまでのことやその後の入院の様子、退院してからのことなどを聞きます。
團 遥香(だん はるか)
PROFILE
1993年東京都生まれの32歳。大学在学時から7年間、日本テレビ『ZIP!』のリポーターを務めたほか、ドラマ、映画、バラエティ、モデル、CM、グラビア、ラジオ、商品プロデュースなど、マルチに活動中。2024年、プロバスケットボール選手の原 修太さんとの結婚を発表し、第1子となる女児を出産。なお、出産から約1年が経過した2025年5月、出産時に羊水塞栓症を発症していたことを公表した。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年10月現在のものです。