「私、死なないよね…?」産後トラブルで、救急搬送された團 遥香。医師から告げられた病名は“羊水塞栓症”【インタビュー】
モデル、タレントとして、テレビや雑誌などで活躍する團 遥香さん。昨年、プロバスケットボール選手の原 修太さんと結婚し、第1子となる女の子を出産しました。妊娠中はいたって順調だったという團さんですが、出産時に羊水塞栓(ようすいそくせん)症を発症し、緊急搬送されていたことを公表。妊娠中や出産時の様子、羊水塞栓症を発症してからの出来事、今あらためて思うことなどについて、お話を聞きました。全2回インタビューの2回目です。
「私、死なないよね…?」もうろうとしてくる意識のなかで…
モデルやタレントとしての活動を続けながら、1児の母として、子育てにも奮闘している團 遥香さん。妊娠中は最後までつわりに悩まされつつも順調に過ごし、産院到着から赤ちゃん誕生まで約5時間とスムーズに進んだ出産。しかし、出産後、團さんは息苦しさに襲われ、急に貧血になったような感覚が。そして、産院のスタッフが「出血がすごい」とバタバタし始めたのです。
「お産って出血するものだって思ってたから、分娩(ぶんべん)室の中がバタバタし始めても、『普通よりちょっと出ちゃってるのかしら』くらいに思っていたし、出産も初めてだから、息苦しいのも『前に助産師さんが、出産ってエベレスト登るぐらい酸欠になることもあるからねって言ってたしな』って思い出しながら『こんなに苦しくなるものなのか…』と冷静に思う自分もいました。
ただ、会陰(えいん)切開した部分を縫われているときにも『血がすごくたくさん出てるから、なるべく動かないで!』と先生に強く言われたんですが、私も麻酔が効いてるはずなのに痛すぎて『ちょっと待って!待って!』ってあせっちゃって、そしたらそのときにひどく出血したみたいで、先生や助産師さんも『わぁ!』ってなってしまって。
そこで『3L出血してます!搬送します!』と言っている声が聞こえました。自分でも『3Lか。結構出ちゃってるな』とは思ったんですが、そのときは自分の体内に血液が何Lあるかなんて知らなかったし、3Lがどのくらい大変なのかもわからなくて。でも、ただただものすごく息苦しくて。
すごく苦しくてつらい自分と冷静な自分、あとはどこかで『早く夫に赤ちゃんを見せたい。だから早く血を拭いて処置をしてもらって、夫を呼ばなきゃ』みたいな自分もいたし、『夫に早く会わないと、私、意識的に大変かも…』と思う自分もいました。
だから、彼を呼んでもらって姿を見たときは、気持ちが崩壊してしまって、『私、死なないよね? 怖い』と言って大号泣。彼も『大丈夫。大丈夫。産んでくれてありがとうね』と涙ぐみながら言ってくれました。
赤ちゃんが処置をしてもらったり、体重を測ったりしているところは見ていたし、気配も感じていたんですけど、自分の体があまりにも苦しすぎて何もしてあげられず、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら『ごめんね。ちょっとだけ、ちょっとだけ待っててね。ごめんね』って言いました」(團さん)
その後、赤ちゃんを産院に残したまま、團さんだけが周産期医療センターのある総合病院に救急搬送。救急車内で、緊急の輸血も行われたそうです。
「搬送のために担架に乗せられたときには、もう苦しくて気持ち悪くて話せないし、指1本も動かせなかったんですが、耳だけがすごくさえていて。周囲でいろいろな人があわてているし、あせった声がしていることがすごく怖かった記憶があります。自分では何が行われているのかがわからないというのも、怖かったですね。
ただ、私自身は頭では考えることはできていて。というより、何かを考えてないと眠くなってしまい、このまま意識を失ってしまいそうな気がしていました。
だから、とにかくいろいろなことを考えていたんです。退院したら焼き鳥が食べたいなとか、ドラマの続きが早く見たいなとか、みんなで温泉に行きたいなとか。そのくらい明るい未来というか、退院したらやりたいと思うことをノンストップで考えていなければ、どうにかなってしまいそうでした。
あとは、救急車には夫も乗ってくれたんですが、彼には『意識がなくなりそうになっていたら、絶対に私の名前を呼んでね!』って言ってあったんです。だから、彼も何度か『遥香!遥香!』って、名前を呼んでくれて。それも意識を保(たも)てた理由かなと思います。
今思えば、私以上に彼は、恐怖が大きかったんじゃないかなと思います。分娩室を出る前はあまりにも元気な状態で『じゃあ、産んで来るね!』と言っていた私が、次に会ったときは人形みたいに青白い顔で意識もうろうとしていて…。あとで看護師さんに『こういうときに倒れてしまう方も多いんですけど、精神的に強い旦那さんですね』と言われたんですが、きっと彼も気持ちを保つのが大変だったんじゃないかと思います」(團さん)
「よかった…助かったんだ」。告げられた病名は羊水塞栓症
その後、團さんは全身麻酔をして、緊急の処置が行われました。出産日の夕方に緊急搬送され、目覚めたのは翌朝だったそうです。
「目覚めたとき、『え、私、何が起きたんだっけ?そうだ、運ばれたんだっけ。でも、口に何か入っててしゃべれないし、全身いろいろ痛いんだけど!』という感じで、最初はプチパニック状態。でも、徐々に昨日の息苦しさとは違う状態になっていることを感じて、『ああ、助かったんだ。よかった…』とのんびり思えるようになっていきました。
やってきた先生に『よかったです。これで亡くなる方もいらっしゃるんで』と言われて、『えっ、そうなの?』と本当に驚きました。そこで、私が発症したのは『羊水塞栓症※』だという説明をされたんですが、頭が回ってないのか、ぜんぜん話が入ってきませんでしたね。
『羊水塞栓症』という病名も聞いたことがないし、スマホで調べられる状態でもないし、コンタクトレンズを入れていないからまわりもよく見えないし。とにかく『亡くなる人もいる』というワードだけが頭に入ってきて、そこで『私、大変だったんだ…』と実感しました」(團さん)
※羊水塞栓症は、主に分娩中や分娩直後に、母体血中に流入した羊水に対して免疫が過剰反応する現象で、突然呼吸困難、頻脈、頻呼吸、低血圧、重大なチアノーゼ、呼吸不全などの症状を引き起こすものです。発生はまれですが、分娩中に突然死亡するなど、母体死亡率が高いため、産婦の命にかかわる病気として知られています。
團さんの夫である原選手も、病名を告げられてこの病気のことを調べたとき、死亡率の高さに驚き、「赤ちゃんのためにも、よく戻ってきてくれたという思いでいっぱいだった」と語っています。
そんな團さんが、ようやく赤ちゃんに少し会えたのは、目覚めた日の夜のことでした。
「赤ちゃんは出産翌日に両親が迎えに行ってくれて、その日からは私と同じ病院に入院していたんですが、目覚めたあとも私はICU(集中治療室)にいて、起き上がったり、寝返りをしたりもできない状況で。赤ちゃんに会いたい気持ちはあるんだけど、自分のことでまだ精いっぱいで。そんな葛藤をICUの看護師さんに話したら『そりゃ、そうだよ。だって、昨日死にかけたんだもの。無理しなくていいのよ』と言ってくれて、涙が出そうでした。
そこで、夜になってから、彼が赤ちゃんを抱いて連れて来てくれて、少し会えました。ただ、そのときもまだ余裕がなくて…。その翌日の夜、産んだとき以来、ゆっくり3人の時間が持て、娘を少し抱っこすることができたんです。
小さな娘を抱きながら思ったのは『すごくかわいい。本当によかった』ということと、『生まれてすぐに離れ離れで、1人にしちゃってごめんね。早く体調を治すから、もう少しだけ待っててね』ということでしたね。
あと、びっくりしたのが、彼が急に“お父さん”になっていたことです。これから産むよと言って分娩室で別れたときもぜんぜんお父さんぽくなくて、これから大丈夫かなって思うくらいだったんですが、出産時にいろいろあって1~2日で急成長したのか、顔つきがまったく変わっていて、驚きました。
私はこの日ゆっくり抱っこするまで、産んだだけの状態で止まっていたけれど、彼は、私が少し回復するまで、赤ちゃんに搾乳した私の母乳を哺乳びんであげてくれていたそうで、そういうことを経て意識が芽生えたのかな…。彼には、『親になる』という意識で先を越された気もしました。
ただ、大変な思いはしたけれど、無事に2人のもとに戻って来られて、それと同時に彼の成長も感じられて、なんだか家族としてのチーム力が上がったなと思いました」(團さん)
「出産は命がけ」妊婦さんではなく、パートナーに知ってほしい
その後、團さんの入院は約2週間続きました。
「初めに病名を知らされたときは、自分の病気についてよくわからなかったんですが、スマホを使えるようになって調べてみたら、『私、死にかけたんだ。こんな怖いことになっていたんだ』と一気に怖くなったし、もしあのとき私が亡くなっていたら、彼が1人で娘を育てることになったのかもしれないと思うと、やりきれない思いがしました。
ただ、だんだん娘と向き合う時間も増えてきてからは、私も『よし、ここからは家族で頑張っていくんだ』という気持ちにどんどん変化していった気がしたし、夫婦でいろいろと頑張れたと思いますね。
最初の1週間はまずは自分の体調を回復させることが大切と言われたので、授乳のときだけ赤ちゃんを連れて来てもらって、検査をしたり、リハビリしたりを中心に過ごしました。ただ、入院中は発熱することもあったので、そのときは夜中も助産師さんに見てもらって、とにかく自分の体調を回復させることに努めていました。
なので、2週間をかけて徐々にお世話することを増やしていったという感じで、最後の数日間は母子同室で過ごし、娘のお世話もしっかりできるようになりました」(團さん)
こうして出産から2週間ほどたって、ようやく團さんと娘さんが退院。家族3人での暮らしがスタートしました。困難を乗り越えての退院と新生活のスタートに、團さんはもちろん、パパである原選手の喜びもひとしおだったことでしょう。
「出産直後、彼は、今回の出産のことがあって、予定されていた地方でのチャンピオンシップの試合を欠場するつもりだったそうなんですが、意識が戻ってから『とにかく試合に向かってほしい。試合に出てほしい』とお願いした私の気持ちをくんでくれて、無事に試合に出てくれて、ホッとしました。
2週間の入院中も、地方から地方へ遠征する合間の15分でも、時間を作って病院まで会いに来てくれて、そして娘のお世話もしてくれて、すっかり“パパ”になっていましたね。
もともとの産後のプランとしては、彼は体が資本の仕事だし、『夜のお世話は私がやるから。寝る部屋も別々にしよう』と話し合っていたんです。ただ、私と娘が退院するころにはちょうどシーズンオフに入っていたこともあり、3人で暮らし始めてからは、日中はもちろん、夜のお世話も夫ができるときは一緒に起きて手伝ってくれて、私は『なんだか家にママが2人いるみたい』と感じたほど。退院したといっても私も体調に少し不安がありましたし、タイミング的に彼が家にいてくれる時間が長くて、本当に安心できました」(團さん)
たいへんな経験をした出産から約1年が経過した2025年5月。團さんは、出産時に羊水塞栓症を発症していたことを公表しました。
「出産時のときのことを友人に話すと、やっぱりみんな驚くし、怖がっていたんです。その様子を見て、公表して、妊娠が怖いとか出産が怖いって思う人が増えたら困るなと思い、SNSでは元気なところだけ載せておこうと思っていました。
でも、家族の中では、出産のときのことや病気のことを話すこともよくあるんです。だから、夫や母と話しているときに、せっかく人前に出るお仕事をしているのだから、公表したら、同じ気持ちを共有できる人がいるかもしれないし、今まさに同じ病気で奥さんが闘っているという家族がいたら、元気な私の姿を見て支えになれるかもしれない。
何より、妊娠や出産は、こういう思いがけないトラブルが突然起こることがあるっていうことを、妊婦さんというより、夫やパートナーの方に知っておいてほしいとも思ったんです。
それで、産後1年というタイミングで、公表することになりました。
公表後は、ご自身やご家族が私と同じ羊水塞栓症になった方から、気持ちが支えられたとか、身近に同じ病気の人をなかなか見つけられなかったので心強いとか、たくさんメッセージをいただきました。私も、同じように頑張った仲間がこんなにいるんだと思えましたし、公表してよかったなと思いました。
自分の母にも改めて感謝しましたし、夫にも娘にも、もういろんなことに感謝しています。娘のことは、本当に愛情を持って大切に育てたいなっていう気持ちでいっぱいです」(團さん)
「出産は命がけ」とよく言いますが、実感している人はそれほど多くないのかもしれません。しかし、團さん家族は、この言葉の意味を、身をもって感じたことでしょう。改めて命の誕生の奇跡や、大切な人が生きていることの尊さを感じる出来事です。
現在の團さんは、仕事を続けながら、ちょっぴりやんちゃになった娘さんの育児に奮闘し、その様子をSNSでもつづっています。
「生まれて間もないころは、ちゃんと息をしているかどうかすら不安で、何かあったらと思うと怖さを覚えていましたが、今は1歳を過ぎて、歩き出したり、しゃべったり。1日単位、1週間単位でもすごく成長を感じていますし、そんな姿を見るのがすごく幸せです。
自分にも少しずつ余裕ができてきて、季節ならでは行事を一緒に楽しめることがすごく新鮮ですね。小さいころの自分や当時の出来事を思い出しながら、懐かしくもあり、うれしくもあり。もちろん日々、大変なこともありますけど、できればそれも私は楽しんでいきたい。ママも頑張るから、大変なことも一緒に学びながら頑張ろうね!という感じです」(團さん)
妊娠から出産、そして子育て。たった2年、でも濃密な2年を振り返って、團さんが今思うのはどんなことでしょうか。
「妊娠中って1人でいる時間もきっと多いですよね。私の場合、つわりで気持ち悪くてベッドの上で過ごす時間も、人生の中でいちばん長くて、考え込んでしまうこともよくあったんです。
でも、そんなふうに思っている妊婦さんには『産んだら、これまで以上に幸せがたくさん待ってるよ』ということを伝えたいです。もちろん今でも考えこんでしまうようなこともあるけれど、夫や信頼できる人に話して、吐き出すことも大切だなって感じています。私も、つらくて夫に吐き出したこともありましたし、泣いたこともありました。でも、夫に共有してちゃんと理解し合えれば、これほど安心なことはないと思うんです。
あとは、きっと月齢が近い子を持つお母さんって、悩んでいることも似ているんですよね。だから、一緒に頑張ろうねという仲間もすごく大切だなって。私もSNSにたくさんメッセージをいただいて励まされているし、一緒に頑張りましょうって気持ちで仲間のように思っています。
みんなで話しながら、なんだかチームみたいな感じで、ママ同士でつながれたらいいなと思っています」(團さん)
お話・写真提供/團 遥香さん 取材・文/藤本有美、たまひよONLINE編集部
見る人を元気にしてくれるようなはつらつとした笑顔を見せてくれる團さん。しかし、その出産は壮絶なものでした。それでも産後の大変な時期を乗り越え、夫や娘さん、そして家族との絆がより深まり、命の大切さや、人と人とのつながりの大切さをより深く感じられたのだと思います。生まれることも、今日、命があることもとても尊いこと。それを改めて感じる取材でした。
團 遥香(だん はるか)
PROFILE
1993年東京都生まれの32歳。大学在学時から7年間、日本テレビ『ZIP!』のリポーターを務めたほか、ドラマ、映画、バラエティ、モデル、CM、グラビア、ラジオ、商品プロデュースなど、マルチに活動中。2024年、プロバスケットボール選手の原 修太さんとの結婚を発表し、第1子となる女児を出産。なお、出産から約1年が経過した2025年5月、出産時に羊水塞栓症を発症していたことを公表した。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年10月現在のものです。