プロバスケットボール選手で1児のパパ・原修太。完治しない難病を経験。「自分と同じ病気と闘う子どもたちの希望になりたい」
男子プロバスケットボールBリーグ「千葉ジェッツ」の原 修太選手。昨シーズンはBリーグベストディフェンダー賞にも輝くなど大活躍の原選手ですが、私生活ではモデル・女優として活動する團 遥香さんとの間に女の子が誕生し、パパになりました。また、2018年に指定難病「潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん)」と診断された過去があり、現在も長期療養児支援などを行う社会貢献活動「ハラの輪」を主催しています。そんな原選手に、お子さんが誕生したときのこと、パパになって思うこと、「ハラの輪」の活動のことなどを聞きました。全2回インタビューの後編です。
子どもが生まれて変わったこと。それは苦手だったアレ!?
Bリーグ千葉ジェッツに所属する原 修太選手は、2024年に、妻・遥香さんとの間に女の子が生まれ、パパになりました。しかし、その出産は壮絶で、遥香さんが出産時に、母体が死亡する可能性もある羊水塞栓症(ようすいそくせんしょう)を発症。なんとか命をとりとめ、出産が命がけであることを、身をもって感じられたそう。家族3人でいられることの幸せを改めて感じたという原選手。パパになって、自分や生活で変わったことはあったのでしょうか。
「そうですね。29歳までアスリートとして1人でこの世界で生きてきて、これまでと違うのは、オンオフの切り替えがよりできるようになったことですね。今は、自宅に帰れば、妻と子どもがいて、いろいろ話すこともできるし、子どもと触れ合って癒やされる時間がありますから。
やっぱりプレーがうまくいかない時期は、どうしても家の中でもバスケットのことばかり考えたり、映像を見たりしちゃうんですけれど、それを見終わったあとに、まだ何もわかっていない子どもが『絵本、読んで』みたいな感じで寄り添ってきてくれると頭の中も切り替えられるし、『バスケ、また頑張らなきゃな』とも思います。
あとは、早く寝て、早く起きるようになりましたね。ほかのお父さんたちもそうだと思うんですが、僕も朝から夕方まで練習があるので、やっぱり子どもとかかわれる時間が少ないんです。今、子どもは夜6時半に寝ているので、家に帰って一緒に夜ごはんを食べたり、おふろに入ったりしていたら、もう寝る時間。それだと、遊べる時間がほとんどないんですよ。
子どもが生まれる前までは、結構家を出るギリギリに起きて、朝ごはんをさっと食べて出かけていたんですけど、子どもが生まれてからは1時間ぐらい余裕を持って早めに起きて、子どもと遊んで、一緒に朝ごはんを食べる時間を作るようになったんです。
僕はもともと朝が苦手なんですけれど、それを頑張って起きてでも、子どもと一緒に遊びたいっていう気持ちになるので、子どもには早起きさせてくれて感謝しています。
子どもが生まれるまでは、夜中12~1時に寝ていたのが、朝早く起きるために夜11時にはベッドに入りますし、無駄な夜ふかしをしなくなりました。子どもが寝てからは、妻との時間もありますし、自分1人の時間もあるので、1日が充実しますし、生活リズムが整ったというか、本当変わったなと思いますね。
あと、朝は子どもが顔をペチペチたたいて起こしてくれるんで、幸せな目覚めもさせてもらっています(笑)」(原選手)
そんな原選手には、お子さんが生まれてできた、アスリートならではの目標があるそうです。
「まずはチームで優勝して、優勝したコートに2人を呼んで、一緒に写真を撮りたいというのが、目標であり、夢。これは多分、現役中にしかできないことなのでかなえたいと思っています。
どこまで理解しているかわかりませんが、今も妻と子どもは試合に来てくれていて、1歳くらいになってからは『何かをやってるんだな』という目で試合を見ているらしいんです。だから、パパはプロバスケットボール選手なんだということを子どもがちゃんと理解できるまで、現役でいたい。これも目標だし、頑張っていきたいと思っています。
まだ遠い未来はなかなか考えられないんですけど、将来子どもが困ったことがあったら、ちゃんと頼ってもらえる父親でありたいとも思いますね」(原選手)
同じ病気や長期療養をしている子どもたちの希望になりたい
バスケットボール選手としても充実し、プライベートでも幸せな時間が増えた原選手ですが、実は2018年に発症した「潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん)」という大きな病気も抱えています。指定難病である潰瘍性大腸炎は、大腸や小腸の粘膜に慢性の炎症や潰瘍が起きる原因不明の病気で、下痢や血便、けいれん性または持続的な腹痛を伴うこともあります。多くの場合は、内科的治療で症状をコントロールすることで症状が改善したり消失(完解)したりするものの、完治することはなく、再発(再燃)することも多いので、寛解を維持するためには内科治療を継続していかなければなりません。
原選手は、千葉ジェッツに在籍中の2018年にこの潰瘍性大腸炎と診断されたことを、2020年に公表しています。
「潰瘍性大腸炎って腸の中がただれて血が出たりするんですが、僕の場合、頻繁に腹痛があって、かといって便が出るわけじゃなくて、おなかが痛くなってトイレに行くと血がちょっとだけ出てスッキリするみたいな状態が本当にひどかったんです。
一時は1日20回以上トイレに駆け込まないと不安だったりもしましたね。当時もバスケットボール選手として活動していたので、もちろん練習もするんですが、結構無理をしていて、おなかが痛くならないように練習中もなるべく水を飲まないようにすることもありました。
ただ、治療をしっかりして寛解(症状がない状態)までもっていけたので、今は普通の人よりも腹痛がないぐらい、元気にしています。
この病気に出合って、バスケができるのが当たり前じゃないっていうことに改めて気づいたというか、実感できたんです。うまくいかないことがあっても、その前にそもそもプレーできていること自体が普通じゃないんだと思うようになりました。
それを再確認したことで、プレー中に弱気になったり、ミスを恐れてプレーしたりすることが減って、その後のプレーがすごくよくなったと思います。おかげで、2023年のワールドカップでは日本代表のメンバーにも選んでもらえたし、そういういい影響もありましたね。
病気が判明して1カ月半くらい入院していた期間は、バスケの練習すらできない環境だったんで、プレーできないつらさをすごく感じたんです。僕が入院して何もできないときに、ほかの選手が活躍したり、楽しそうにバスケしている姿を見たりしては『いいな』『早く戻りたいな』という気持ちであふれていました。
だから、練習でも試合でもバスケしているだけで楽しいんだって実感したあの気持ちは今でも忘れられないかな。この病気のおかげというか、この病気になったからこそかなと思います。
この病気は、寛解しても再燃(寛解状態から再び症状が出ること)する恐れはあるんですが、僕の場合は、ドクターやまわりの環境にも恵まれて、この6~7年まったく再燃していないので、油断せず、これからも体調管理をしっかりしていきたいなと思っています」(原選手)
そして、原選手はこの病気を経験したことで始めたことがあります。それは「ハラの輪」という社会貢献活動。長期療養児の支援やIBD(炎症性腸疾患:潰瘍性大腸炎・クローン病等)の啓発活動や交流を目的として、病院の訪問やホームゲームへの招待などを行っています。
「『ハラの輪』は、もともと僕と同じ病気の子たちを試合に呼んで、僕が元気にプレーしているところを見てもらって、自分が抱えている病気が一生つらい時期しかないと思っている子たちに希望や元気を与えられたらいいなと思って始めた活動です。
今は、同じ病気の子たちだけでなく、いろいろな病気で長く入院してる子どもたちにほんの少しでもいいんで元気や希望を持ってもらえたらと、難病を持っていてもしっかり元気にバスケをしてる選手がいることを見せてあげられる存在でいたいなと思っています。
そのためには、しっかりバスケの知名度を上げたり、病院を訪問してバスケを知らない子たちに話しに行ったりして、バスケの存在を知ってもらおうと思っているし、とにかく元気にプレーすることが僕の役目だと思っています。
子どもたちは、若くして病気になったけれど、本人たちはなりたくってなったわけじゃないですし、治せるなら治したいだろうけど、ほかの子どもたちとは違う壁にぶち当たっているんですよね。
でも、思っていることや言ってることはすごく明確だし、『寛解までもっていけたら、僕はこういうことをやりたいんだ!』って夢をしっかり持っているんです。だから、僕からはその子たちに『頑張れよ』と上から言うんじゃなくて、『一緒に頑張っていこうね』とよく話しています。
僕の病気のことで言えば、病気のことを公表したときはもう大人だったし、チームやチームメイトも理解があるし、練習中でもバス移動でも『トイレに行きたかったら、いつでも言ってくれよ』と言ってくれるので、それだけでメンタルがすごく安定するんです。でも、それはまわりが大人だから。
同じ病気の子どもたちや学生だと、学校でみんなに知られるというのはどうしても恥ずかしいということもある。周囲が子どもだと、ばかにされるんじゃないか、からかわれるんじゃないかと思ってなかなか言えないんですよね。そういう話を子どもたちから聞いて、そうだよなと思いました。
だから、病気の症状は人それぞれだし、別に公表することだけが正解じゃないなと思うし、子どもには子どもなりに思うことがあるので、その子の気持ちに合わせなくちゃいけないなと、この活動ですごく学びになりました」(原選手)
たくさんのライトに照らされた華やかなコートでキラキラと活躍している原選手を見ると、子どもたちはきっと「自分も寛解して、夢をかなえるんだ」という希望を強く持てるし、治療を頑張る勇気を持てるはずですよね。そして、原選手自身が親になったことで、この活動に思うところが1つ増えたそうです。
「これまでは、同じ病気や長期療養をしている子どもたちに向けて、言葉を出すことが多かったんですけど、自分が親になってからは、自分の子どもが難病になるとか、長期療養が必要な病気を患うとか、親としてそれはもう気が気じゃないなと。代われるものなら自分が代わってあげたいと思うんです。きっと親御さんも悩んだり苦しんだりしているんだろうなということを改めて感じたんです。
だから、試合に招待すると、子どもたちだけじゃなく、親御さんも一緒に来てくれるので、そのときには親御さんたちにも楽しんでもらいたいですし、僕の姿を見て安心してくれるといいなと。『今僕はこうやってピンピンしてるんで、絶対にお子さんたちも寛解までいけるから、あせらず、しっかり見守ってあげてください』と話すようになりました」(原選手)
病気の子どもたちだけでなく、その親御さんたちにも原選手はきっと希望の星。そんな原選手がパパとして、同世代のパパたちに伝えたいことはどんなことなのでしょうか。
「偉そうなことは言えないですけど、仕事で忙しい人ばかりだと思いますし、僕も遠征で家にいられない時間も多いので、その分、家にいるときは子どもとしっかり向き合う時間を大切にしているつもりです。上手に向き合えているかどうかはわかりませんが、なるべく子どもが楽しめるようにたくさん遊ぶことが大切なんじゃないかなと思っています。僕も試行錯誤しながら子どもと向き合ってるので、お互い頑張っていきましょう!」(原選手)
お話・写真提供/原 修太選手 取材・文/藤本有美、たまひよONLINE編集部
「子どももいい子だし、妻がポジティブなので、本当に助かっている」と話していた原選手。妻子からもらうパワーは、きっと原選手の試合中の力を数倍にもさせてくれるものなのだろうと思います。そして、そんな原選手の力強いプレーを、難病を抱えた子どもたちやその親御さんたちが自分たちの希望に変えていく――。誰かが誰かを励まして未来をつくっていく、「ハラの輪」はそんな活動なのだなと思いました。そして、原選手のますますの活躍と、日本のバスケットボールを応援したいと感じました。
原 修太(はら しゅうた)
PROFILE
プロバスケットボールプレイヤー。1993年、千葉県船橋市に生まれる。小学校3年生からバスケットボールを始め、国士舘大学卒業後、2016年千葉ジェッツに加入。加入2年目にジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ、通称「Bリーグ」が発足し、最前線で活躍するも、2018年に指定難病の潰瘍性大腸炎を発症。闘病をしながらプレーを続ける。現在、病は完解という症状が出ていない状態が続いており、2023年FIBAワールドカップでは日本代表メンバーにも選出された。2022-2023シーズンにはBリーグシーズンベスト5、2022-2023シーズンと2024-2025シーズンにはBリーグベストディフェンダー賞を受賞。妻はモデル・俳優の團 遥香さん。
参考/
難病情報センター「潰瘍性大腸炎(指定難病97)」
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年7月現在のものです。