39歳で三つ子出産!「ワンオペになる時間帯は、髪を振り乱して頑張っています」哺乳びんを洗う暇もない怒涛の育児とは!?【桑子英里アナ・インタビュー】
元青森放送(RAB)にてアナウンサーとして活躍し、現在はフリーアナウンサーとして宮城県を中心に活動している桑子英里アナウンサー。約3年の不妊治療を経て、体外受精で三つ子を妊娠。2025年、39歳で無事に元気な男の子たちを出産しました。1日でも長くおなかで育てるために管理入院したことや出産のこと、NICUから退院し、自宅での育児が始まったときのことなどについて聞きました。全2回インタビューの後編です。
「妊娠何週で出産するのか」その決断を迫られて
20代で多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)と診断され、医師に「子どもは難しいかもしれない」と言われたという桑子アナ。結婚後、すぐに妊活を始めて約3年後、体外受精による妊娠が判明。しかも、2個の受精卵を戻したのに、心拍確認で三つ子と判明しました。しかし、妊娠判明後もたびたび出血があり、また医師からも「無事に三つ子全員を出産できるかどうかはわからない」と言われ、常に不安がつきまとっていたそうです。
「三つ子の妊娠が判明したあと、不妊治療を受けていた病院からNICUのある大きな病院に転院したのですが、その病院では『三つ子妊娠だと急に入院になる可能性もありますよ』ということを最初から聞かされていましたね。
普通は、正期産(せいきさん)の妊娠37週以降での出産が理想と言われると思うのですが、私の場合、医師から『多胎妊娠の場合、第一関門は妊娠28週、第二関門は妊娠32週、第三関門として妊娠34週までおなかで育てられると理想的』と説明を受けました。
『ただ、三つ子の場合、妊娠34週までおなかにいると、母子ともに危険を伴う恐れがあるので、妊娠28週を超えれば万々歳。妊娠28週をめざしていきましょう』と。多くの方は、妊娠37週過ぎまで、赤ちゃんをおなかで育てるのに、そんなに早く出てきちゃうなんて大丈夫なの!?とびっくりしました。と同時に、赤ちゃんのために、妊娠28週まではなんとしても、おなかの中にいてもらわなきゃ!と誓いました」(桑子アナ)
それに加え、里帰り出産は難しいこと、出産は帝王切開になること、生まれてすぐ赤ちゃんはNICUに必ず入ることについても説明を受けたそうです。そして、妊娠6カ月、妊娠23週のときに管理入院をすることになりました。
「基本的には、『トイレ以外はベッドで過ごしてください』と言われていたのですが、私、思いのほか動けてしまって、病院の先生には『こんなにスタスタ歩く三つ子ママは見たことない』って言われていました(笑)。
妊婦さんのおなかって妊娠6カ月くらいから目立ってくると聞いていたんですが、私の場合、三つ子だからか妊娠4カ月くらいからもう目立ち始めていたし、入院した妊娠6カ月後半にはおなかは本当に大きくて、足元が見えないほど。あお向けではもう寝られないくらい重くて苦しかったです。
知り合いの三つ子ママさんは、管理入院をしたころは子宮頸管(けいかん)長が短くなり、子宮の入口(子宮口)を糸で縫い縮める手術を受けて、入院室からは一歩も出られなかったと聞いていました。私もそうなるのかなと思っていたのですが、確かにおなかが重くて苦しいというのはあるものの、最後までトイレは自分で歩いて行けていました。
そうしているうちに、第1関門として目標にしていた妊娠28週も無事クリア!そろそろ予定帝王切開の日を決めようということに。しかし、そこで桑子アナは悩みます。
「医師も私も『もう少しいけそうかな…』という感じではあったんですが、たとえば、NST(ノンストレステスト)の機械をおなかにつけて胎児の心拍を確認するときにあお向けになると、おなかが圧迫されすぎて、息が止まりそうになっちゃって。しかも3人いるから、NSTにも時間がかかってしまって、そのときは本当に苦しくて…。
だからといって、小さく産むことに対しての罪悪感もぬぐいきれなくて、安定しているなら、もっと赤ちゃんをおなかで育ててあげるべきなのかと、出産日を決めるのは本当に迷いました。
でも、そんなときに看護師さんが『お母さん、目標の妊娠28週はクリアできたし、あなたはもう十分頑張っているから、早く産むことについて自分が悪いとか、思わないでくださいね』と言ってくれたんです。看護師さんも医師もみんな『頑張った』『よくやった』とほめてくださって。
迷いに迷った手術日ですが、その看護師さんのひと言で、第二関門と言われていた妊娠32週で出産することを決意できたんです」(桑子アナ)
いよいよ出産!三つ子ちゃんとの対面は…
そして迎えた妊娠32週。手術予定日まであと2日となった夜中のことでした。
「第二関門と言われていた妊娠32週を迎えた日の夜中、破水しちゃったんです。入院と同時に書き始めた日記にも『妊娠32週まで頑張る!』と目標を書いていたのですが、その思いが息子たちに伝わったのか、息子たちも『ここまで頑張ったよ!』という感じの破水だったと感じています。
破水後は、すぐに緊急帝王切開に。無事に3人が生まれてきてくれました。産声(うぶごえ)を聞いたときには、なんだかすごくあたたかい気持ちがこみ上げてきて、自然と涙がじわって出てきました。
すでに産声に3人の性格が出ていたんですよ。長男は大きな頼もしい産声で、二男は空気を一変させるような高い産声、三男は、ほにゃほにゃしてるかわいい産声でした。
出生体重は長男が1527g、二男が1537g、三男が1477g。三男が少し小さいですが、3人がバランスよくおなかの中で育ってくれて本当に感謝しています。ちなみに、息子たちは二卵性で、二男と三男が一卵性でした。
ただ、3人ともすぐに抱っこすることはできないので、少しだけ顔を見せてもらって、『頑張っておいでね』という気持ちで、NICUに送り出しました」(桑子アナ)
そして始まった、親子別々の産後入院生活。授乳には苦労したそうです。
「母乳がなかなか出ず、数ミリしか出ないというところからのスタートでした。マッサージを受けながら、もうひたすら搾乳していました。
実は、出産後に少し酸欠状態になり酸素マスクを付けても呼吸がうまくできなくなってしまったんです。寝ると危ない気がして、怖くなってしまい出産翌日以降眠れなくなってしまって、そのストレスからか母乳もあまり出なくて…。母乳を3人それぞれに分けてあげたいのに、数ミリじゃそれもできなくて、息子たちに申し訳ない気持ちになりました。
母乳が出始めたのは、私だけ先に退院して、自宅でそばに夫がいて安心して眠れるようになってからでしたね。私は産後10日間で退院したので、少し出るようになってからは搾乳して冷凍したものを1日おきくらいにNICUに届けて、1人10mLほどに分けてシリンジに入れて、飲ませられるようになりました。
生後1カ月くらいになると、息子たちにつながれていた管が徐々にはずれたので、抱っこもできるように。ずっと触りたくても、保育器に私の手を入れて息子たちの手を握るくらいしかできなかったので、初めての抱っこはすごく感動したのを覚えています。夫も、ずっとニヤニヤしながら抱っこして『かわいい』『かわいい』って言っていました。
退院が近くなってからは、助産師さんが3人を順番に連れて来てくれて、直母(ちょくぼ:ママの乳房から赤ちゃんが母乳を直接飲むこと)で授乳もできるようになりました」(桑子アナ)
NICUでスクスクと成長した三つ子ちゃんたち。産後2カ月を迎えたころに長男と二男が退院し、その2週間後に三男が退院。いよいよ家族5人での生活がスタートしたのです。
三つ子ちゃんが退院!新米ママ&パパ、ただいま奮闘中
産後2カ月がたって、ようやく長男と二男が退院し、一気に赤ちゃんが2人やって来て、おうちでの育児がスタート。さぞかし不安が大きかったのではないでしょうか。
「そうですね。でも、楽しみのほうが大きかったかもしれない。 家に、一緒に帰って来られるっていう喜びが大きかったです。それまでは、おなかはペタンコになって家に帰って来たのに、いるはずの赤ちゃんがここにはいないということが、とてもさびしくて。空っぽになってる感じがすごく強かったので。
長男と二男が退院するタイミングで、夫が育休を1週間ほど取ったので、退院直後は2人で試行錯誤しながら、お世話ができました。この期間で、2人お世話のルーティンができたのは本当によかった。私が2人のおむつを交換している間に、夫はミルクを作るとか、あうんの呼吸でいかないと間に合わないですからね」(桑子アナ)
そうやって育児に少し慣れてきたところで三男が退院。いよいよお家に三つ子が勢ぞろいしました!
「念願の勢ぞろいだったんですが、三男が帰って来た夜はもう大変で…。朝になったら夫と2人でげっそりしていました。授乳だとか、泣くタイミングだとか、みんな一緒だったらいいんですけど、少しずつずれるんですよね。1人はミルクを飲ませて寝かしつけたけど、2人はまだ寝てるから、その間にちょっと片づけを…と思っていると、2人同時に起きてきて、2人に授乳してグズグズに対応していたら、さっき寝かせた子が起きてきて…となってしまい、一晩ほとんど寝られなかったんです。
よく赤ちゃんが寝ているときには大人も寝て、睡眠確保とか言いますけど、3人いると無理でした(笑)。少し慣れたはずのお世話ルーティンは3人になったら、全部崩壊。哺乳びんも洗う暇がなくて、先輩三つ子ちゃんママの言うように『哺乳びん20個持ち』になる気持ちがよーくわかりました」(桑子アナ)
その後は、父親が隔週で手伝いに来てくれたり、週3日、1回1時間半の訪問看護を受けたり、産後ケアを利用したりして、助けてもらっているという桑子アナ。
「ワンオペになってしまう時間帯の3人の育児をどうすれば回せるかというのは、先輩三つ子ママに教えてもらったり、病院から訪問看護を紹介してもらったり。また、親身になってくださっている助産師さんが、三つ子でも見ていただける産後ケアの方を見つけてくださって、サポートを受けています。
それでもやっぱりワンオペになる時間帯は、もう髪を振り乱して頑張っています。
とにかく3人同時に泣いているときがいちばん大変で、夕方のたそがれ泣きがひどかったころは『もう私、消えてしまいたい…』って。思っちゃいけないけど、思っちゃうくらい…。そんなときは、抱っこでするような“ゆらゆら”を、両足を駆使しながら再現して、3人には我慢してもらっていました。
また、先輩三つ子ママが『三つ子だと、何となくみんな同時には無理だっていうことをわかって、がまんするようになるよ』と。だから、私は何をするにも子どもたちに『順番だよ~』と教えていたんですが、本当にだんだん待ってくれるようになるんですよ。
まぁ、それでもダメなときは泣いちゃいますけどね。そういうときは抱っこして落ち着いてきた子に『ごめんね、〇〇くんが泣いているから変わるね?』とお願いして、ギャン泣きしている子を抱きあげるというのを繰り返していると、まだ0歳児でもなんとなく譲り合ってくれるんです。もしかしたら、ママの顔が怖いのかもしれないけれど(笑)。
最近は、1人が泣いていると、ほかの子がなぐさめに行って頭をよしよししたりも。ただ、そのよしよしがちょっと強くて、たたくみたいになっているから、それでまた泣いちゃったりもしますけどね。
そんなバタバタもありつつ、3人同時に母のところに寄って来る、あのわちゃわちゃ感はもうたまらなくかわいいです。『ああ、これは三つ子だから経験できるんだな』って感じます。あとは、はいはいで競争したり、お話したり、3人一緒に遊んでくれる時間も増えました。そこに母も混ぜてもらって、一緒に遊んでもらえるときが本当に幸せだなって思います」(桑子アナ)
大変なことはいっぱいあるけれど、3人を同時に育てる幸せもしっかり感じている桑子アナ。そのためには犠牲にしていることもあるそうで。
「家事はすごく手を抜いています。私、きちょうめんな性格だったんですけど、洗濯物の量も尋常じゃないので、ちゃんとしわを伸ばして干せないし、シミが取れていないこともある(笑)。
でも命に関わることじゃないから『ごめんよー』と思いつつ、よしとしています。3人とも早産で未熟な状態で生まれているので、ちゃんと3人のガーゼは分けてあげなきゃいけないのかな?とか、最初のうちはちょっと神経質だったところがあるんですけど、やっぱりもう日々追われていると無理だなと。命に関わることかどうかで線引きをして、完璧は求めなくなりました。
そんなことより、ニコニコ笑顔でいられる時間のほうを大切にしていきたい。私がニコニコしていると、息子たちも一緒になってうれしそうに笑いながら遊んでくれるので、子どもたちもそこをしっかり見ているんだと思います」(桑子アナ)
桑子アナも産後1年が近づき、手を抜くところと大事にしたいところのバランスがうまく取れるようになってきたそうです。そんな桑子アナが、今妊娠中の方や、同じく育児中のママに伝えたいこととは――。
「私もまだまだ新米ママで不安なことも多いんです。でもそういうときは、『こんなことが不安です!』ということを誰かに伝えることが、とても大事だなと感じています。不安な気持ちが漠然としていて、何が不安なのかもわからないこともあると思いますが、それもそのまま伝えたらいいと思うんです。
私の場合はパートナーである夫はもちろん、友人や訪問介護の看護師さんだったり、産後ケアの方だったりですが、きっとサポートしてもらえる環境はあるはず。だから、不安な気持ちはとどめておかずに、声を上げてほしいです。
サポートしてくれる人はもちろん、いろいろなツールも頼って、不安はちょっとでも軽くして、子どもと過ごせる貴重な期間を大切にしてほしいなって。私自身もたまひよのアプリで同じ妊娠週数だったり、同じ月齢のママのコメントを見るだけでも、不安が解消されましたよ。妊娠中も育児中も子どもといられる幸せを感じながら、毎日過ごせるといいですよね」(桑子アナ)
お話・写真提供/桑子英里さん 取材・文/藤本有美、たまひよONLINE編集部
大変なことは多々あれど、とにかく「息子たちがかわいくてしかたない」という桑子アナ。子どもが授かれないかもしれないという不安を心の片隅に抱えた20代の桑子アナが、3人のお子さんたちとわちゃわちゃしている今の自分の姿を見たら、驚くかもしれませんね。これからも、手を抜くところは抜き、手がたりないところは誰かに頼って、三つ子ちゃんとの日々を楽しんでくださいね!
桑子英里さん(くわこえり)
PROFILE
1985年生まれ。神奈川県川崎市出身。2008年から2021年まで青森放送(RAB)にアナウンサーとして13年間在籍。テレビ・ラジオでは、情報番組や報道番組など幅広く担当し、さらにステージイベントの司会や児童への読み聞かせ、スポーツ取材・中継などさまざまな現場を経験。2013年には、日本テレビ系列アナウンス大賞(テレビ部門)北海道・東北ブロック優秀賞受賞。東日本大震災での災害報道をきっかけに「心に寄り添う」という思いを強くし、防災士の資格も取得。現在、宮城県を中心にフリーアナウンサーとして活動を続ける中、2025年、39歳で三つ子の男児を出産。三つ子ママとして奮闘している。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2026年1月現在のものです。


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