「怖い検査の前はアイビーにいてほしい」小児がんなどの子どもの心を支えるファシリティドッグとは
子どもにとって入院生活は、日常生活から切り離され、家族や友だちとの関わりなどさまざまな楽しみを制限される辛いものです。特に長期入院では、大きなストレスや無力感に襲われる子も多く、子どもを支える家族もまた、困難とストレスにさらされます。
そんな入院中の子どもの辛さにそっと寄り添い、病院の医療スタッフの一員として心のケアをするのがファシリティドッグ。日本にまだ5頭しかいないファシリティドッグの1頭、アイビーと、パートナーであるパンドラーの大橋真友子さんに、ファシリティドッグが子どもに与える影響や日本での現状などについて聞きました。
ファシリティドッグは専門トレーニングを積んだ、フルタイム勤務の医療スタッフ
“ファシリティ”は“施設”という意味で、ファシリティドッグは“ある特定の施設に常勤して活動するために専門的に育成された犬”の総称です。ハンドラーと呼ばれる、犬をコントロールする人間とパートナーを組んで活動します。
ファシリティドッグが活動する代表的な現場の1つが医療機関。日本では現在、4つの病院で、認定NPO法人シャイン・オン・キッズが派遣する5組のファシリティドッグ&ハンドラーが働いています。
病院で活動する犬というと、セラピードッグが知られていますが、セラピードッグとファシリティドッグは役割が全く異なります。
セラピードッグの役割は“動物介在活動”といって、人を癒すこと。基本的なしつけを受けた普通の家庭犬である場合が多く、ハンドラーは主に飼い主が行います。
一方、ファシリティドッグの役割は“動物介在療法”で、患者を癒すだけでなく、医療行為に関わる部分にまで踏み込んで活動します。
「ファシリティドッグはそのための専門的なトレーニングを積んでおり、ハンドラーも医療従事者です。さらにハンドラーは、ファシリティドッグと活動するための専門的なトレーニングも受けます」
そう説明してくれたのは、国内3組目のファシリティドッグ・ハンドラーとして活躍している大橋真友子さん。国立病院の看護師として約16年間の臨床経験を積んだ後、ハンドラーになることを決意し、トレーニングを受けました。
ハワイの専門施設でトレーニングを終了したファシリティドッグのアイビーと組み、2019年8月より東京都立小児総合医療センターに勤務しています。
「セラピードッグが常勤ではないのに対し、ファシリティドッグは1つの病院に毎日出勤するフルタイムワーカーであることも大きな違いです。1つの決まった施設に毎日通うことで、入院している子どもたちとの絆がより深まるんです」(大橋さん)
心を癒すだけでなく、検査やリハビリの付き添いなど治療の手助けも
病室で子どもに触ってもらったり、ボール遊びをしたり、一緒にお散歩に行ったりするのが、ファシリティドッグの仕事です。時には手術室まで一緒に行ったり、採血や処置の時にそばにいて不安の軽減したり、歩行訓練や運動療法の付き添いなど、治療の手助けも行います。
そうした活動を通して大橋さんがいつも驚かされるのが「ファシリティドッグの人の気持ちを汲み取る力」だそうです。
「普段、子どもたちと遊ぶときは、アイビーも楽しいので目をキラキラさせながら指示を待ちます。でも、その子が検査前で不安な素振りを見せたりすると、私が指示を出さなくても、そっと体を寄せて静かに目を閉じます。子どもが不安そうな声を出した時は“大丈夫、ここにいるよ”とでも言うように、さらに体を近づけるんです。
“怖い検査の前はアイビーにいてほしい”と言う子もいるほどで、アイビーは痛みを取ることはできませんが、不安な気持ちを減らしたり、元気づけることができると実感しています」(大橋さん)
その一方で、元気な子がふざけて具合悪そうなふりをして寝ている時は、騙されずに積極的に遊びに誘ったりするのだそう。言葉は交わさなくても、その子が求めているものを察知し、自分から働きかけることができるのがファシリティドッグ。そうしたやりとりを重ねることで、子どもたちとの間に友情のような絆が育まれると言います。
日本で本格導入が始まったきっかけは、入院している子どもたちからの直訴!
多くの人が行き交い、薬品や機械などさまざまな臭いや音に満ちている病院は、通常、犬にとって落ち着ける場所ではありません。さらにそこでデリケートな行動をする必要があるファシリティドッグには、どんな犬でもなれるわけではありません。
気質や血統を選定し、子犬の頃から適性を厳しくスクリーニングして選ばれます。その中からさらに、専門的なトレーニングを修了できた犬だけがファシリティドッグとして活動することができるのだそうです。
「トレーニングは“正の強化(positive reinforcement/ポジティブ リーインフォースメント)”といって、犬が望ましい行動をとったときに、褒めたりおやつを与えることでその行動を増やすという方法であるのが特色です。子犬のときからこうしてトレーニングすることで、病院を楽しい場所と認識し、人間のことが大好きになるんです。
ファシリティドッグの中には、病院が好きで帰りたがらない犬もいるほど。そんなファシリティドッグだからこそ、入院して敏感になっている子どもたちの心を開かせることができるのでしょう」(大橋さん)
ファシリティドッグ・プログラムを開発したアメリカには、このような専門的な補助犬育成施設がいくつもあります。そのうちの1つで、世界最大の団体“CCI(Canine Companion International)”が、2014年の1年間に育成したファシリティドッグの数は47頭。全米の育成施設を合計すると、毎年、かなりの数のファシリティドッグが誕生していることになります。
しかし日本では、2019年度からファリティドッグの国内育成事業が始まったばかり。2021年6月に、国内初のファシリティドッグ&ハンドラーが2組、ようやく誕生したところです。
アイビーをはじめとする、それ以前から日本で活動しているファシリティドッグは、全員ハワイの育成施設“Assistance Dogs of Hawaii”でトレーニングを受けて来日した犬たち。ハンドラーも同施設のトレーナーに、専門的な訓練を受けました。
日本で最初にファシリティドッグが導入されたのは、2010年、静岡県立こども病院でした。1週間だけのトライアルからスタートし、その後、週3回のみの勤務が続きました。
それが週5回のフルタイム勤務に変わったのは、入院している子どもたちが「ファシリティドッグに毎日来てほしい」と院長室に直訴したのがきっかけだったそう。
2012年7月には、神奈川県立こども医療センターもファシリティドッグを導入。2019年8月に東京都立小児総合医療センター、2021年からは国立生育医療研究センターと、ゆっくりながらも着実に活動の場を広げています。
「アイビーと一緒なら」「アイビーがいて良かった」。その言葉が力に
大橋さんがアイビーと活動していて最もうれしいのは、子どもが嫌がったりできずにいたことが、アイビーと一緒にやれるようになった瞬間だそうです。
「アイビーが一緒だとお子さんが嫌がらずに薬を飲んでくれたり、歯磨きを嫌がっていた子に“アイビーと一緒に歯磨きしよう”って言ったらやらせてくれたり。治療で筋力が低下してしまったのにリハビリの散歩を嫌がっていたお子さんが“アイビーと一緒になら散歩に行く”と言って、毎日リハビリしてくれたこともありました。そういう瞬間の1つひとつが大きな喜びです
看護師さんや付き添いのご家族からも“アイビーがいてよかった”と言ってもらえた時は、アイビーもわかるみたいで、とてもうれしそうなんですよ(笑)」(大橋さん)
長期入院や難病と戦う子どもたちは全国に数多く、ファシリティドッグの導入を求める病院も増えています。しかし、1頭のファシリティドッグを育成し、病院に導入するには大きな費用がかかり、日本ではその多くが寄付で賄われている状態。なかなか進展できないのが現状です。
「アイビーと活動していて、子どもたちにとってファシリティドッグがいかに大きな力になるかを、毎日目の当たりにしています。このことを多くの人に伝え、ファシリティドッグの存在を知ってもらえたらうれしいです」(大橋さん)
シャイン・オン!キッズではファシリティドッグの活動を広げるための寄付を受付中です
写真提供/認定NPO法人シャイン・オン・キッズ 取材・文/かきの木のりみ
入院中でも子ども達には笑顔でいてほしいし、できるだけそういう生活を送らせてあげたい。それは子どもと一緒に病気と闘っているご家族の願いです。でも、治療するためには採血や検査など、多くの辛いことも乗り越えなければなりません。
そんな生活の中で、毎日会いに来てくれて、遊んだり、添い寝をしたり、ときには検査に付き添ってくれたりするファシリティドッグの存在は、子どもにとってとても大きなサポートとなるのではないでしょうか。
次回は、アイビーとの出会いで入院生活が劇的に変わった2人の男の子についてご紹介します。
大橋真友子さんとアイビー
大橋真友子さん
国立病院の看護師として成人・小児領域で約16年間の臨床経験を積んだ後、認定NPO法人シャイン・オン・キッズに所属する国内3人目のファシリティドッグ・ハンドラーとして、2019年8月より東京都立小児総合医療センター(東京都府中市)で活動をスタート。現在、子育て中の4児のママでもある。
アイビー
2017年1月22日にアメリカで生まれた、ラブラドール&ゴールデン・レトリーバーミックスの女の子。生後2カ月からシアトルのトレーニングセンターに入り、ハワイで1年4カ月にわたる専門的なトレーニングを終了後、来日。ハンドラーである大橋さんと一緒に暮らしながら、東京都立小児総合医療センターで「フルタイム勤務」している。特技は添い寝。