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「もっと楽しい時間を過ごさせてあげたかった」という後悔…東京の「こどもホスピス」建設を目指す母の願い

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特集「たまひよ 家族を考える」では、妊娠・育児をとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも子育てしやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。

日本にまだ少ない「こどもホスピス」について、3回にわたってお届けする本連載。最後は、東京初のこどもホスピスを立ち上げようと奮闘する母、佐藤良絵さんのインタビューをお届けします。

佐藤さんは2017年7月に当時19歳だった長男を骨肉腫で亡くしました。「身近にこどもホスピスがあったなら、もっと充実した日々を送れたはず」と語る佐藤さん。その想いから2020年6月に「NPO法人東京こどもホスピスプロジェクト」を立ち上げ、施設建設を目指して活動されています。

病気知らずの息子が「骨肉腫」と診断されて

20歳を迎える3日前に、旅立った佐藤陸さん。車いすで成人式の写真を前撮りした(写真提供:佐藤良絵さん)

――長男、陸さんの病気が発覚したのは、いつ頃だったのでしょうか。

陸が高校2年生のときです。「肩が痛い」とよく言うようになって。当時の息子は、テニスと和太鼓をやっていたので筋肉痛かなぁくらいにしか考えていませんでした。

病院を受診すると「再検査してほしいので、大きな病院で診せてください」と紹介状を渡されました。ただ、そこまで深刻な雰囲気ではなく、急かされもしなかったので、「大学受験も控えているし、様子を見てみます」と言って帰ったんです。

少し経ってから、やはり痛みが続くということで、大学病院で検査をしてもらったところ……「第2肋骨に骨肉腫があります。悪性です」と告知されました。8時間にも及ぶ手術をして、抗がん剤治療が始まりました。

――その告知は予期していないもの、ですよね。

はい。もともと陸は、病気知らずな子だったんです。妊娠中も、幼児期も、検診で引っ掛かることはありませんでした。健康そのものだった息子が、骨肉腫と診断されるなんて、信じられない気持ちでした。

ただ、主治医からは「80%の確率で治りますよ」と言われて。私も息子を心配させたくないと「取ればいいだけだから、大丈夫だよ」と笑顔で話していたんですよね。

――そこから闘病生活が始まったわけですね。

手術を終えた後、抗がん剤治療が始まりました。息子の場合は、痛みや吐き気が強く出て、本当につらそうでした。

それでも、息子はほとんど弱音をはかなかった。私に心配をかけたくないという思いがあったんじゃないでしょうか。もともと、おっとりとした、優しい子なんです。元気だったころは、私が体調を崩すと、「大丈夫?」と言って、お水を持ってきてくれたりするような子でした。

治療の副作用で、息子の髪がどさどさ抜けてしまったときにも、相当ショックだっただろうと思います。おしゃれを気にする年ごろですから。見ている私も、つらかったです。

――そして、すべての治療を終えられたんですよね。

はい。治療を終えて、軽く走れるまで回復しました。陸の夢は、学校の教師になること。教員免許を取得できる大学に推薦で受かって、“これからだね”って話していたんです。

高3の冬に、別の場所に影が見つかるなんて思っていませんでした。肋骨から肺に転移したとのことでした。

「もう手術はできない。放射線治療しか道はない」と言われて、再び入院もしましたが、「余命半年」と宣告されて。限られた命ならば、せめて好きなことをして過ごさせたいと、自宅に戻りました。夫と交代で必死に看病しましたが、願いは叶わず、20歳の誕生日の3日前に、陸は息を引きとりました。

「もっと楽しい時間を過ごさせてあげたかった」母の後悔

自宅に戻ったあとも、ベッドで過ごす時間が長かった(写真提供:佐藤良絵さん)

――陸さんを亡くしたときの大きな後悔が「東京こどもホスピスプロジェクト」の立ち上げにつながったと聞きました。どのような後悔や思いがあったのでしょうか。

治療がないと言われて自宅に戻っても、抗がん剤の影響で学校には行けず、滞在できる施設もなく、行く場所がありませんでした。

息子は徐々に歩けなくなりましたが、それでも車いすで好きなアイドルのライブに連れて行ったりしていたんです。ただ、体力や免疫力はどんどん落ちていきますし、出来ることは少なくなっていきました。

重い病気や障がいを持つ子どもが自由に過ごせる場所はないだろうか。そう考えて探しましたが、見つけられませんでした。教師になるという息子の夢を叶えたいと、「小児がんの子どもたちの勉強を見るお手伝いをさせてもらえないか?」と相談したこともあります。でも、「半年後に亡くなるのに、働く必要ありますか?」と言われてしまった。

結局、ベッドでスマートフォンを触り、テレビを見るくらいしかできない日々でした。息子は、最後の一瞬まで生きよう、生きたいと必死でした。たとえ医師から「治療がない」と余命宣告をされたとしても、子どもに夢や希望を失わせてはいけない。私はそう思っています。

でも、私にはそれが十分にできなかった。陸が亡くなったあと、「もっと楽しい時間を過ごさせてあげることができたのでは?」という思いが募り、大きな後悔に襲われたんです。

――どんなきっかけで、「こどもホスピス」を知りましたか。

私のファミリーがアメリカで医師をしていて、陸が余命宣告を受けたあと、「日本にこどもホスピスはある? 行ってみるといいよ」って声をかけてくれたんです。

私が「日本には、そういう場所はないと思う」と答えると、「じゃあ、家族のケアをする地域のチームはあるでしょう? お母さんも疲れているだろうし、きょうだいもストレスを感じているかもしれない。ケアを受けたほうがいいよ」って。

しかし私は、家族の精神的なケアや、病児やきょうだいの遊びや学びをサポートしてくれるチームを知りませんでした。病院にも、やるべき治療はないからと突き放されたような印象を持っていたんです。

そう伝えると彼は憤慨し、「僕が手配するから、今すぐアメリカに行こう!」と言ってくれました。ただ、その時点で、陸は首から下を動かせず、とても飛行機に乗れる状態ではありませんでした。

もっと早くに、こどもホスピスの存在を知っていたら。もしも東京に、病気の子どもが楽しくのびのびと過ごせ、家族やきょうだいがケアを受けられる場所があったなら――どんなに良かっただろうと思いました。

陸が亡くなってしばらくして、私のファミリーが言っていた「こどもホスピス」という言葉をふと思い出して、インターネットで検索してみたんです。

イギリスでは、人口約6700万人に対して50カ所のこどもホスピスがあるといいます。対して当時の日本では、民間のこどもホスピスは大阪に一カ所あるだけ。東京にはありませんでした。

海外では地域にたくさんあるのに、日本にはほとんどない。あらためて、こどもホスピスをつくる意義を感じ、「誰もやらないのならば、私がやろう」「東京にこどもホスピスをつくりたい!」と決意したんです。母親が勇気を持って立ち上がろうと。

子を亡くした母の想いを背負い、東京にこどもホスピスをつくる

こどもホスピスに関する要望書を東京都知事に手交した佐藤良絵さん(写真提供:佐藤良絵さん)

――佐藤さんは、2020年6月にNPO法人「東京こどもホスピスプロジェクト」を立ち上げました。どのような「こどもホスピス」をつくりたいですか。

つくりたいのは、命を脅かされた子どもたちが最後まで楽しく遊んで学び、くつろげる居場所です。

車いすで乗れるメリーゴーラウンドがあったり、ダンスショーが見られたり、プラネタリウムを楽しめるような明るい施設をイメージしています。長年のイベント会社経営の経験を活かして、子どもたちにさまざまな体験の機会を提供できたらと思っています。

陸が亡くなったあと、彼のTwitterを見ると、「今日は、すごく眠い」「もしかしたら歩けなくなるかもしれない」と不安な気持ちを吐露していました。「大丈夫だよ」「歩けなくても、車いすで遊びに行こうよ」と励ましてくれる友人に恵まれていたことを知り、ありがたく感じると同時に、親には言えないこと、親には伝えられない気持ちがあっただろうと思いました。

それは、家事や仕事、看病の両立で過酷な生活を送っている親御さんや、寂しい思いをしているきょうだいも同じです。病気や障がいのある子どもや家族を孤立させないために、第三者の関わりや寄り添い、そして同じような思いを抱えている病児や家族がつながるネットワークが必要だと感じます。

――現在、取り組まれている活動内容について教えてください。

まずは、看取りの場ではなく、病気や障がいのある子どもが楽しく生きていくための場である「こどもホスピス」を知っていただくための活動に力を注いでいます。また、国と東京都に実状をお伝えするべく、要望書を手交。2022年2月4日には第一回「こどもホスピス整備に向けた国会議員勉強会」 を開催しました 。

加えて「小児がんの子どもたちの校外学習等での学びと遊びの場の支援」「悩みを抱えている親御さんの相談に社会福祉士などが対応する、東京こどもホスピスの相談窓口の設置」「たとえお子さんが亡くなっても親御さんが孤独に陥らず、前向きに歩めるようグリーフケア(悲しみを癒すケア)の充実」を軸に、活動を行っています。

東京こどもホスピスの建設にはお金と時間が必要で、道のりは長いです。ただ、今この瞬間にも、悩み、苦しんでいる病気のお子さんや家族がいます。そこで病院に併設する形での東京こどもホスピス「ドリームルーム」の開設を4箇所で始めています。子どもの願いを叶える「こども夢計画」を一緒につくり、スタッフやボランティアと一緒に一つずつ叶えていこうとしています。

――「ドリームルーム」をはじめ、着実に一歩ずつ、ですね。

はい、そう思っています。東京こどもホスピスプロジェクトの活動について最初に新聞に取り上げられたとき、何百件ものメールや電話をいただきました。

一番印象的だったのは92歳のおばあちゃんからの電話です。ご自身のお子さんが5歳のときに小児がんで亡くなったそうです。「私は92歳まで生きちゃっているのにね。子どものほうが先に旅立つなんて、順番ってわからないね」っておっしゃっていました。

「まだ小さい5歳のお子さんを亡くされたなら、本当におつらかったですよね」と私がお伝えしたら、「いいえ、あなたも同じでしょう? 19歳まで生きた想い出があるあなたもつらいはず。子を亡くした人は、みんなつらい。私が若いころにも、こどもホスピスがあってほしかった。だから、あなたの活動を応援しているわね」と。その言葉が忘れられません。

みなさんの想いを背負っているんだと感じて、時間はかかっても必ず、東京にこどもホスピスをつくりたいと思いました。子どもの病気や障がい、子どもを亡くした経験について誰にも言えずに、苦しい思いをしている人がいます。その方々の話を聞くことは、今すぐにでも出来ることです。出来ることから、一つずつ手がけていこうと思っています。

小児がんなどの重い病気を抱える子どもやその家族を支える「こどもホスピス」。大阪、横浜につづき、北海道や福岡、東京、信州、福井など全国各地で開設のためのプロジェクトが立ち上がっています。いずれも目指しているのは、病気の子どもと家族が地域とのつながりを感じて生きられる社会です。病気の有無にかかわらず、子どもや家族が楽しめるチャリティイベントが随時企画されていますので、ご興味のある方は、ぜひ遊びに行ってみてください。

取材・文/猪俣 奈央子

【NPO法人 東京こどもホスピスプロジェクトとは】

2020年6月にNPO法人を設立し、東京に「こどもホスピス」を開設することを目指して活動。生命を脅かす病気(LTC)と共に暮らす子どもとその家族に、友人のようにそばに寄り添いながらサポートを行う世界水準のこどもホスピスの実践を、地域に根差した活動として取り組む。命にかかわる病気の子どもや家族の相談窓口ダイヤルも設けている。
https://tokyohospice.jp/

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