3人の障害児を育てた母。「障害があっても子どもらしく過ごせる場所を作りたい」その一心が活動を続ける原動力に
常に医療的ケアが必要な、0歳~18歳までの重症心身障害児のための通所施設「重症児デイサービスkokoro」(茨城県那珂市)。代表の紺野昌代さんは、自身も3人の重症心身障害児の子どもを育て、お空に見送った経験を持ちます。
「どんなに重い障害があっても、子どもたちがみんな、子どもらしく過ごせる場所を作りたい」。その一心で活動を続ける紺野さんに、今の思いやこれからの目標を伺いました。
重症児のお母さんたちの暗い表情が変わった
2017年3月、知的障害と身体の障害(肢体不自由)の両方をあわせ持つ重症児のための「デイサービスkokoro」をオープンした紺野さん。たんの吸引や酸素吸入、胃ろうなど、24時間医療的ケアが必要な子どもたちを安心して預けられる場を提供しています。
これまでの6年間でいちばん印象的だったことは?という問いに、紺野さんは「お母さんたちの表情がやわらかくなったことです」と振り返ります。
「かつてこども病院に看護師として勤務していたとき、病院で出会ったお母さんたちは暗い表情をしている方が多くて。私自身もそうだったんですけど、日ごろのお世話で疲れていたのに加えて、最初はなかなか子どもの障害を受け入れられなくて他人に当たってしまったり、とげとげしい振る舞いになってしまうこともあったと思います。
こども病院の頃に出会って、今はkokoroを利用してくれているお母さんたちもいるのですが、ここで人とのつながりができて、子どもの居場所ができたことで、皆さんいっぱい笑ってくれるようになりました。子どもの表情が豊かになると、お母さんもうれしくて表情が明るくなりますし、お母さんが少しでも自分の時間を持てると、お母さん自身、心の余裕が生まれてくると思います」
今では自然とお母さん同士のネットワークができていて、「○○くん入院したんだね、私たちに何かできることはある?」「きょうだいの面倒を見ていてあげるよ」と声をかけあったりと、助け合いの好循環が生まれているといいます。
家族みんなが笑顔になれるように
お花見、夏祭りといった季節のイベントや、アロママッサージ、お楽しみ会、遠足など親子のためのイベントを行い、たくさんの笑顔を引き出しているkokoro。「スタッフには重症心身障害児のお母さんも2名いて、kokoroに子どもを預けながら働いてくれています」と紺野さん。子どもの預け先がなくて復帰できずにいた人の就労支援にもつながっています。
「定期的にイベントを開催して、関わる全ての人に『kokoroって楽しいなあ』と思ってもらえる場を心がけています。障害を持つお子さんのきょうだいたちも、普段いっぱい我慢してることがあると思うので、きょうだいだけをお預かりして行うイベントも開催しています。きょうだいに障害者、障害児がいる“きょうだい児”同士じゃないとわからない気持ちってきっといっぱいあるはず。kokoroを通じて、ずっと相談し合えるつながりを持ってほしいなと思っています」
「こんな社会になったらいいな」を実現したい
2020年3月、kokoroはひたちなか市から那珂市へと事業所を移転しました。その理由は、「訪問教育」を行うためでもありました。
「障害を持つ子どもたちは特別支援学校に行くことが多いのですが、人工呼吸器をつけているなどの理由で学校に行けない場合、自宅などに学校の先生に来てもらって訪問教育を受けられる制度があります。私の自宅でも、3人の子どもたちにそれぞれ先生がついて、学校のような雰囲気で学ぶことができました。kokoroでも同じように、子どもたちが一緒に学ぶための訪問教育を始めようと思いましたが、その条件の一つが『専用の教室を設けること』でした」
デイサービスでの訪問教育は、茨城県で初の試みだったため、紺野さんは行政に何度も掛け合い、2年以上かけて実現させました。「医療がすごく進歩している中で、まだまだ福祉が追いついていないと感じています」と語る紺野さん。当初の目的だった「子どもたちが1つの教室でみんな一緒に学ぶこと」はまだ実現できていませんが、1歩ずつ前に進んでいます。
「現在、kokoroでは学童期の18歳までのお子さんをお預かりしているのですが、これからは18歳以降の居場所を作ろうとしているところです。今kokoroに通っている中でいちばん大きなお子さんが中学3年生なので、その子が高校を卒業するころにあわせて設置したいと思っています。夜間お預かりできる短期入所施設や、子どもたちが残された時間を楽しく過ごせる子どもホスピスを作ることも目標です。みんなが穏やかでいられる“こんな社会になったらいいな”という環境を、どんどん作っていきたいですね」
がんばっている子どもたちのことを知ってほしい
最後に紺野さんが、お空に旅立った3人の子どもたちとの思い出を振り返ってくれました。
「家族で、いろいろなところにいっぱい旅行したんです。温泉やディズニーランドに行ったり、買い物に行ったり。手術もたくさん頑張っていたので、退院するときにごほうび旅行にも出かけていました。長女の蘭愛とは一緒におしゃれを楽しんで、デパートに洋服を買いに行ったりもしました。せっかく生まれてきたんだからと、楽しい時間を過ごすようにしていました」
ただ、人工呼吸器をつけた子どもたちと車椅子で移動していると、振り返ってじっと見つめたり、無言で近づいてくる人たちもいたといいます。
「何て声をかけたらいいのか分からない人もいるかも知れないですが、ただ近づいてきて物珍しそうに見るんじゃなくて、『こんにちは』『今日は寒いね』とか何かひとことあいさつをしたり声をかけていただければ、そこからの会話が進むこともあるのかなと思います。特別な言葉をかけてほしいわけでも、何かしてほしいわけでもないんですけれど、普通に挨拶するのと同じで、少しの声かけがあればありがたいなと思いました」
かつては「たまごクラブ」の読者だったという紺野さん。「子どもたちが当たり前に生まれてきて、当たり前に成長していくものだと思っていました」といいます。
「自分の子どもたちに障害があるとわかったとき、本当に五体満足で生まれてくるっていうことは、すごく奇跡なんだなってことを改めて感じました。障害があってもなくても、子どもはみんな一緒。精一杯生きようとする子どもの生命と、必死に支えているお母さん・お父さんや家族がいることを、多くの人たちに知ってほしいなと思います」
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
(取材・文 武田純子)
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
紺野昌代さん
1977年茨城県生まれ。高校卒業後、看護専門学校を経て看護師として病院に勤務。2016年12月に独立し、一般社団法人「weighty」設立。2017年3月、茨城県ひたちなか市で重症児デイサービス「kokoro」をオープン。2020年3月に那珂市に移転し、放課後等デイサービスを行う「tsubomi」を併設。全国重症児者デイサービス・ネットワーク副代表。