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小学校2年生の終わりからさまざまな検査をして、やっと「クローン病」と診断。完治しない病と向き合って【体験談・医師監修】

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小学3年生から、長期入院をしている龍紀くん。病院内では大きな病気を抱えている子どもたちとお友だちに。

東京都町田市の一般社団法人「つるかわ子どもこもんず」の代表理事を務める福田有美子さんには、8歳のときにクローン病と診断され、現在26歳になる長男・龍紀(りゅうき)くんがいます。クローン病は腸が炎症を起こす難病で、食事の制限や入院・検査など、子どもにとってはかなりつらい治療が続きます。龍紀くんの入院治療について福田有美子さんに話を聞きました。

有美子さん自身も21歳で潰瘍性大腸炎と診断。遺伝性の病気ではないものの自分を責める

小学校、中学校時代は、悪化するとすぐに入院するような日々でしたが、小学校の卒業式は、無事に出られました。

龍紀くんは、原因不明の高熱(39~40度台)が続いた小学2年生の冬から数カ月後、転院した国立成育医療研究センター(当時:国立成育医療センター)で、クローン病の診断を受けます。

「腸の内視鏡検査をしてクローン病とわかり、やっとこれで治療ができる、前に進めると思いました」(有美子さん)

クローン病は、消化管に炎症が続き、粘膜に潰瘍やただれができる病気です。消化管のどこにどの程度の炎症が起きるかによって症状も異なってきますが、主な炎症が小腸のみにある場合には、発熱や成長障害などの症状しかあらわれず、診断が難しいこともあります。

「初めて聞く病名でしたが、腸の病気だということがとわかったときに、私のせいだと自分を責めました。
私は9歳のときに下血をして下痢を繰り返したのですが、ずっと診断がつきませんでした。40年以上前の話で、当時は田舎暮らしだったので、近所の病院では原因がわかりませんでした。21歳でやっと潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん)と診断されました。

私が下血や下痢を繰り返したのは、息子とほぼ同じ歳で、偶然とは思えませんでした。医師からは『遺伝性の病気ではありません』と説明されたのですが、私のせいだと思ってかなり落ち込みました」(有美子さん)

クローン病も潰瘍性大腸炎も炎症性腸疾患に分類されます。現在も、詳細な原因はわかっておらず、治療を続けながらつき合っていく必要がある病気です。

「まさか、私と同じような病気だとは思いもせず、本当に驚きました。そして、治療しても完治はしないこと、治療しながらいい状態を保ち続けていかなくてはいけない病気だという現実が重かったです」(有美子さん)

ステロイドなど強い薬を使ったつらい治療が続き、心が疲弊する日々

生後3カ月ごろに脂漏性湿疹になったときは、ステロイドを使わないで治療を。

やっと診断がついて、龍紀くんの治療が始まりました。

「点滴でステロイドを投与して炎症を抑えなくてはいけないのですが、点滴の刺し替えを繰り返すうちに、しだいに腕には点滴が取りづらくなっていきました。また、食事をとるとおなかが痛くなってしまうため、十分な量の栄養を口からとることもできません。不足する栄養を点滴で補うために中心静脈カテーテルを鎖骨下の静脈に入れることになりましたが、免疫抑制剤を使っていたことで感染しやすくなっていたのか、アトピー性皮膚炎の影響もあったのか、カテーテルを入れていたところが膿んでしまい、カテーテルを入れ直さなければならないということもありました。

腸の炎症を悪化させないようにするために、食事も好きなものを、好きなだけは食べられません。腸にやさしいエレンタール®という栄養剤を鼻からチューブで注入するのですが、育ち盛りの子にはつらい治療です。何度も代わってあげたいと思いました」(有美子さん)

そうしたなか、有美子さんもふさぎ込むようになっていきます。

「私は、これまで子どもの健康のことを考えて、自分なりに一生懸命食事作りをしてきました。しかし、どんどんやせていく龍紀を見てると、家に帰っても食事を作る気になれないんです。娘がいるので、本当に簡単な食事は作りましたが、心ここにあらずという感じでした。

もともとステロイドはこわいという思いがあり、龍紀が生まれて3カ月ぐらいのときに、脂漏性湿疹になったときも、その後、アトピー性皮膚炎のような症状になったときにもステロイドを使わないで治療する皮膚科を探して受診したりしていました。
そのころは人工的なものを極力避けて、自然に育てることにものすごくこだわっていました。でもクローン病の治療ではそんなことは言っていられません。自分の中で、これまでの価値観や信じていたものがガタガタと音を立ててくずれていくような感じでした」(有美子さん)

病院と自宅との往復の日々。移動の車の中で聞くラジオが、唯一の息抜きだったと言います。

「龍紀は、基本的には自分の状況を淡々と受けとめていて、弱音を吐きませんでした。しかし、時々、抑えきれないイライラをぶつけてくることもありました。お友だちとも遊べない、大好きな野球もできない、退院のめども立たない・・・。子どもには本当につらい経験だったと思います。発売日に買ってきてほしいと頼まれていたコミックをうっかり忘れたことがありました。龍紀の機嫌が悪くなり、めちゃくちゃ当たられたことを、今でも覚えています。病院という小さな世界で、毎日つらい治療ばかり。相当ストレスもたまっていたのでしょう」(有美子さん)

医師のすすめで院内学級へ。外の世界がいい気晴らしに

高校受験の直前に退院。看護師さんたちから贈られた、応援メッセージ入りのカップは宝物。

クローン病は、根治的な治療が見つかっていない病気です。退院しても、症状が出始めると再び入院して治療しなくてはいけません。龍紀くんは、高校生になるまで学校にはあまり登校できませんでした。
「小学2年生の終わりから、ずっと入退院を繰り返していたので、勉強の遅れも本当に心配しました。国立成育医療研究センターには、院内にそよ風分教室があり、医師からすすめられて、龍紀も通うようになりました。授業は週5日あり、体調がいいときは歩いて通っていました。歩くのがつらい日は、先生が病室に来てくれて、ベッドサイドで勉強を教えてくれました。龍紀にとっては、病室から外に出て、お友だちや先生と話すことがいい気分転換になったようです」(有美子さん)

やせているのに、薬の副作用で顔は丸く

ステロイドの副作用で、顔だけ丸く。

龍紀くんは、消化管の炎症を抑える効果のあるステロイドなど、さまざまな薬を使っていました。

「ステロイドを使用しているときは、体はやせているのに、副作用で顔だけはムーンフェイスといって満月のように丸くなりました。身長が伸びないかもと言われたこともあります」(有美子さん)

しかし高校生になって、病状が落ち着き長い入院をすることがなくなりました。

「無事に大学にも受かり、大学では文学部で哲学の一部の美学を専攻しました。大学は遠方で、自宅を離れての学生生活で、環境ががらりと変わったせいか原因ははっきりしないのですが、手のつめがすべてはがれ落ちました。大学生になってからのことなので、本人も友だちに手を見られるのを嫌がっていました。つめがないので痛い、痛いとも言っていました。親としては、代われるものなら、代わってあげたいと強く思いました」(有美子さん)

大学生になった龍紀くんは、鍼治療も取り入れました。

「大学生になって、再び病状が一進一退し、東洋医学の力も試してみようと思いました。大学進学に伴い、病院も転院したので、当時の主治医に報告して、鍼治療も取り入れてみました。先生には『あまりのめり込まないでね』とは言われましたが。でも鍼治療を取り入れてから、体調も落ち着いたように感じます」(有美子さん)

大学院生の今は、病気とつき合いながらも交換留学でウィーンへ

交換留学でウィーンに到着した龍紀くん。

龍紀くんは今、大学院生です。美学・西洋美術史を学んでいて、2023年8月から交換留学でウィーンに行っています。

「大学への進学が決まり、家族から離れて遠方で暮らすことになったときは、とても心配しながら送り出しました。具合が悪くなると、私のスマホに弱った声で電話が来るんです。『これはまずい!』と思い、救急車を呼び、私も新幹線で駆けつけたということもありました。
大学院生になって、ウィーンの大学に留学すると聞いたときは、心の中では大反対でした。『何かあったら』と思うと心配でたまらず、日本にいてほしいというのが本音でした。

しかしヒュミラ®という自己注射を自分でおなかに打ち、疲れをためないこと、食事は消化のいいものを食べるなど病気とのつき合い方もわかっています。留学先には、知人もいるそうです。その知人が、現地の医療機関を調べるなど、万一の場合のリサーチをしてくれていました。

小学2年生の終わりから入退院を繰り返し、学校にもあまり登校できず、お友だちと遊ぶこともできず・・・。中学生になったらバスケ部に入って思いきりプレーしたいという夢も、高校生ではバイクに乗りたいという夢もかなえられませんでした。

だから心配だけど、今は龍紀の夢を応援してあげたいという気持ちでいっぱいです」(有美子さん)

【清水先生から】困難を乗り越えて、夢をかなえて

私が龍紀くんの治療を担当させていただいていたのは、もう10年ほど前のことになりますが、今でも病室で治療を頑張っていた龍紀くんの姿や、両親とお話したときのことをよく覚えています。症状がなかなか安定せず、大変な中でも、一生懸命努力を続けて大学への切符を手に入れ、今では大学院生として海外留学もされていると聞いて、とてもうれしく思います。
病気の存在は、ときに困難をもたらしますが、それを乗り越えてきた龍紀くんだからこそ、気づけること・できることがきっとあるはずです! これからも、うまく病気とつき合いながら、やりたいこと・かなえたいことをめざして、まぶしく輝いてください。

お話・写真提供/福田有美子さん 監修/国立成育医療研究センター 清水泰岳先生 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部

龍紀くんは、高校3年生の大学受験シーズンのときに体調を崩して入院したため受験できませんでした。結局、卒業から2年目に第一志望の大学に合格しました。「治療のためまわり道も多かったかけど、あきらめないで目標と希望を持ち続けると、きっと夢はかなう! ということを息子に教えてもらった」と有美子さんは言います。

子育てで得た経験が、有美子さんが代表理事を務める「つるかわ子どもこもんず」の活動にもつながっています。

つるかわ子どもこもんず

清水泰岳先生(しみずひろたか)

PROFILE
国立成育医療研究センター消化器科医員長。北海道大学医学部医学科卒。専門は、小児消化器、栄養病学、炎症性腸疾患。日本小児科学会小児科専門医、日本小児栄養消化器肝臓学会認定医。

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