ヤングケアラーだった過去、長男の難病「あなたって不幸のデパートだね」と言われるほどの人生経験が、子どもの貧困と向き合うきっかけに【体験談】
東京都町田市で、無料塾、無料フリースクール、子ども食堂など、さまざまな事業を展開する一般社団法人「つるかわ子どもこもんず」。その代表理事・福田有美子さん(57歳)は、「SOSを出せない子どもたちを少しでもサポートしたい」という気持ちで、子どもの貧困や教育格差と日々向き合っています。その活動の根底には、福田さん自身がヤングケアラーだった過去や、長男が難病にかかった経験がありました。
小学6年生で両親が離婚。父子家庭となり家業を手伝い、弟と妹の面倒を見るヤングケアラーに
――子どもたちのSOSに耳を傾け、サポートする活動を始めたきっかけについて教えてください。
福田さん(以下敬称略) 私自身の子ども時代の体験が大きいです。かなり昔の話になりますが、小学校6年生のときに両親が離婚し、突然母が家を出ていってしまいました。父の仕事は豆腐屋で、朝が早く、いつも早朝3時くらいに仕事に向かっていました。いきなり父子家庭になり、父も不在気味だったので、弟と妹の面倒や家事全般が一気に小学6年生の私の肩にのしかかってきたんです。今でいう、まさに「ヤングケアラー」になったのです。
――そのころは、ヤングケアラーの言葉も考え方もなかったと思います。
福田 そうですね、母がいないなら年長の私が家のことをするのは当たり前でした。家事すべて担う生活が高校3年生まで続きました。大学進学を希望していたのですが、進路を決めるタイミングで父の豆腐屋が倒産して・・・。結局、進学できませんでした。高校卒業後、事務職に就きましたが、そのときに6歳年上の今の夫と出会い、交際が始まりました。夫は全国転勤がある会社員で、すでに次の赴任先が決まっていました。もちろん「夫が大好きで一緒にいたい」という思いがいちばん強かったのですが、家族に縛られている感覚があったことと、一刻も早く家を出たいという気持ちもあり、彼の転勤は私にとって実家を出る大きなチャンスに。20歳で結婚し、21歳で夫と一緒にほかの県に引っ越しました。
保育士の資格取得、営業として働き、27歳で長女を出産。31歳のとき生まれた長男がまさかの難病に・・・
――結婚後に保育士資格などを取られたと聞きました。
福田 小学6年生から20歳になるまでずっと実家に縛られていたのが、ようやく自由になれた開放感がありました。自分のやりたいことを、興味があることをしようと、保育士の資格を通信教育で取得して保育園で働いたり、中型バイクの免許を取得してツーリングしたりするなどしました。失われた青春を取り戻したかったんだと思います。また、母親がいなかった私にとって、保育士の勉強をすることは、自分が母になる準備をする意味もありました。その後、夫の転勤によりまた別の県で数年を過ごし、再々度の転勤で東京に住むことになりました。
東京の生活で、1993年、27歳で長女を出産し、1997年、31歳で長男を出産しました。夫は多忙な毎日を送り、私は1人で子育てをしていました。今でいうワンオペ育児ですね。
そんな中、長男が9歳のとき、急に高熱を出して・・・。熱は下がらないし、おなかをこわして、まったく食べられず、どんどんやせていきました。どの病院でも原因がわからず、国立の子ども病院に行ったところ、難病指定されている腸の病気「クローン病」と診断されました。
――どのように闘病をしたのでしょうか。
福田 診断がついて治療が始まったものの、すぐによくなる病気ではありません。長男は小学校、中学校はほとんど入院していました。私も毎日、看病に通っていました。精神的にも時間的にもまったく余裕がありませんでした。私が病院に行っている間、長女は1人で留守番することになります。地域の人たちが長女のケアをして、助けてくれました。
入院中の長男にも、ドクターをはじめ、院内学級や地元の学校の先生など、たくさんの人が力をつくしてくれたんです。そのときの感謝は今でも忘れられません。「いつか息子が元気になったら、これまで受けたたくさんのご恩を返したい」と強く思いました。
今、私が子どもたちの支援活動をしているのは、当時の経験や感謝の気持ちがあるからだといえます。
「子どもの勉強のお手伝いをしたい」教員資格を取得するための勉強をスタート
――その後、教員資格を取得しようとしたとのこと、きっかけはなんだったのでしょうか。
福田 長男の入院中の経験が大きいです。長男は小中学生のとき、入院中は院内学級で先生方から勉強を見てもらっていました。病気の状態に合わせ、無理のないマンツーマンの勉強で基礎学力をつけてもらえたことが、その後の長男の自信につながったようです。
私も彼を見ていて、学ぶことの大切さを実感しました。たとえ身体が弱くても、勉強して身についた知識や教養は裏切りません。
だから、私も「学校の仕事をしたい」と思いました。そのためには教員資格が必要だと考えたんです。
また、私自身が家庭の事情で大学に進学できなかったコンプレックスもあり、大学で学びたい気持ちも強かったです。家族も応援してくれたので、2013年、玉川大学の通信教育課程に入学しました。47歳のときでした。
――実際に大学に通ってみてどんな印象を受けましたか?
福田 社会人になってからも大学で学ぶ人が多いと感じました。仕事しながら通う人、子育て中の人もいたし、退職してから気になる分野を追求したいという人も・・・。当時は夏に3週間ほど学校に通って授業を受けるスクーリングがあり、そのときにたくさんの仲間ができました。そこで親しくなった友人の1人が、多摩エリアの無料塾の草分け的な存在である「認定NPO法人 つばめ塾」のことを教えてくれて、興味を持ちました。
東京都では教員採用試験には年齢制限があり、私は受験資格がありません。でも無料塾だったら、私もすぐできるかもしれないと考えたんです。
思い立ったら即行動するタイプなので、すぐにつばめ塾に見学に行き、運営のノウハウを学ばせてもらいました。
――そこから1人で中学生向けの無料塾を始めたということでしょうか。
福田 無料塾を開始したのは2018年1月で、鶴川駅のすぐ近くにある公共施設内の会議室を使いました。駅前でチラシを配るところからのスタート。とても寒い時期で、長女も手伝ってくれました。最初に集まった生徒は4人で、最初は私だけが教えていたのですが、1人で4人の勉強を見るのはなかなか手が回らなくて。
長女は英語が得意なので、手伝ってくれることもありました。長男の病気のこともあり、長女には思春期に寂しい思いもさせてしまいました。でも、今は私の活動も応援してくれて、いちばんの理解者だと思います。チラシ配りをしたり、ブログを始めたりするうちに、近くに住む人たちが「私も教えられるよ」と手伝ってくれるようになり、サポートしてくれる人がしだいに増えていきました。
――協力してくれる人が多いと心強いと思います。
福田 そうです。そこから少しずつ活動の幅を広げています。たとえば、無料塾に通う子どもたちのなかには金銭的に苦しく、食事を満足にとれない子どももいました。おなかを満たすために塾で軽食を出し、学校に行けない子どもたちの居場所づくりのため、無料のフリースクールを作るなどさまざまな展開をしています。
実は、私はまだ教員資格を取得していないんです。夫の父を自宅に引き取り、介護していた時期もあったので。その期間は休学していました。義父をみとったので、これから改めて資格取得に向けて勉強を再開する予定です。
――本当に苦労の連続だった様子です。社会で活躍したいと願いつつも、思うように行動できないときもあったかと思います。そういうときはどう過ごしましたか?
福田 子育てや看病、介護でやりたいことができず、もどかしい思いをしたことがありました。でも、そういうときは「次のステップに進むための充電期間」と考えていました。行動できないときもアンテナを張り、自分のやりたいことを見定めていれば、必ずチャンスは訪れるはずです。
それは、子どもたちにも伝えたいことです。つらい環境で育っている子もいますが、その経験はきっといつか役に立つときが来るはずだと伝えていきたいです。
お話/福田有美子さん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
「大変な思いもたくさんしましたが、すべての経験が今にいかされています」と、明るく笑う福田さん。自身のヤングケアラーであり、看病、介護などで多忙な時期も「力をためる助走期間」と前向きにとらえたからこそ、社会のなかで自分が行うべきことを見いだせたのかもしれません。
福田有美子さん(ふくだゆみこ)
PPOFILE
岐阜県出身。一般社団法人「つるかわ子どもこもんず」代表理事。東京都町田市鶴川地区で、中学生向けの無料塾、無料フリースクール、子どもへの食事提供、発達障害児などの子どもの学習支援、大人と子どもが一緒に学ぶ勉強会などを運営する。