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妊娠28週で双子を出産。長女だけが脳性まひと診断され…。『早産さえしなければ』と自分を責め、涙が止まらなかった【体験談】

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生後3カ月でやっとNICUを退院した双子。左が長女、右が二女。

江利川ちひろさん(48歳)は、女の子の双子、ゆうさん・ぴぴさん(17歳)と息子、こうくん(16歳)の3人の母。夫とともに神奈川県で暮らす5人家族です。子どもは3人とも1500g未満の極低出生体重児で生まれ、ゆうさんとこうくんに障害があります。
「結婚したら絶対子どもがほしかったけれど、1人のつもりだった」と言うちひろさんは、現在、NPO法人かるがもCPキッズ代表理事を務めています。社会福祉士でもあるちひろさんに、3人を妊娠・出産したころのことについて聞きました。
全4回のインタビューの1回目です。

ママになる日を待ち望んでいたけれど、切迫早産になってしまい・・・

生後1日、NICUでの長女・ゆうさん(写真上)と二女・ぴぴさん(写真下)。ぴぴさんのほうが小さく、状態が不安定でした。

友人の紹介で知り合った夫と結婚したのは2004年の11月のこと。当時夫は35歳の経営者、ちひろさんは28歳の会社員でした。交際を始めても「一生結婚もしない、子どもも絶対にいらない」と公言していた彼に、江利川さんが「結婚しろー!」とアプローチし続けてのゴールインだったそうです。
結婚してから排卵誘発剤を使用した不妊治療を行っていたちひろさんは、2005年の12月に妊娠していることがわかりました。

「夫は『早めに退職して趣味のジャズをとことん楽しむんだ』、と言って、結婚前は子どもは望んでいませんでした。でも私はどうしても子どもを育てたかったので、排卵誘発剤を使った不妊治療をしていました。あるとき腹痛があり通院していた病院を受診したところ、妊娠4週目だとわかりました。
そして、6週くらいに赤ちゃんが見え始め、7週ぐらいに医師から『袋が2つあるよ』と言われ双子だとわかったんです。とても驚きましたが、本当にうれしかったです。ずっと赤ちゃんを授かることを夢見ていて、妊娠する前から「ひなちゃん」という赤ちゃんの名前を決めていたくらい、待ち望んだ赤ちゃんでした。

ただ、妊娠初期から出血や腹痛などがあり、仕事を休んで自宅安静となりました。さらにもともとあった卵巣嚢腫が大きくなっていることがわかり、妊娠15週で開腹手術をすることに。そんなこともあって、妊娠初期から妊娠5カ月くらいまでずっと入院していました。当時は今のようにスマホも普及していなかったので、安静入院中にできることは読書だけ。『たまごクラブ』を愛読して、赤ちゃんたちが無事に生まれて、自分がママになる日が来るのを本当に楽しみにしていたんです」(ちひろさん)

卵巣嚢腫の手術後、2週間後には帰宅することができましたが、やはりおなかの張りが強く早産の危険性があったため、ちひろさんは入院して子宮収縮をおさえる薬(ウテメリン)の点滴を受けることになります。

「もともと肝臓に問題はなかったんですが、ウテメリンの点滴を入れ始めた妊娠25〜26週くらいから肝機能の値に異常が現れ始めました。でも薬の投与をやめるとおなかが張ってしまうので、その折り合いが難しいところでした。結局、双子は妊娠28週のときに陣痛が始まってしまい、帝王切開での出産となりました。

双子が生まれたときは、二女は産声を上げることもできない状態だったようです。手術室は非常に緊迫した雰囲気で、助産師さんたちの真剣な表情から『大変なことが起きているようだ・・・』と感じました。双子の赤ちゃんはおなかから取り出されてすぐに処置へ連れて行かれ、ちゃんと顔を見ることもかないませんでした。双子の写真を見せてもらい、体重を聞いたのは出産の翌日のこと。長女は1140g、二女は1053g 、二卵性の双子でした」(ちひろさん)

長女が脳性まひと診断され、涙が止まらなかった

結婚前は「子どもはいらない」と言っていた夫。パパになったら娘たちにメロメロ。

双子はすぐにNICUに入院。小さく生まれた赤ちゃんは脳や肺など体が未熟なため、保育器に入ってさまざまな医療処置を受けます。入院期間は3カ月に及びました。双子たちが少しずつ成長しやっと退院できるまで大きくなったころ、MRI検査で長女の脳に異変があることがわかりました。

「主治医の方針で、1500g未満で生まれた赤ちゃんは退院前に全員が頭部MRI検査をする決まりになっているとのことで、『検査をして何もなければ退院です』と言われました。ちょうど出産予定日だった8月のことです。

NICUにいる3カ月もの間、双子たちは毎日のようにいろんな検査をしてすべてクリアしていたので、今回もきっと大丈夫だと思っていました。ところが検査の結果、長女は早産が原因で脳が局所的にダメージを受けてしまう脳室周囲白質軟化症(以下、PVL)だとわかりました。重度のPVLの後遺症である脳性まひにより、知的障害、筋肉のこわばりなどの症状が出る可能性が高い、との説明でした。
MRIの画像を見せてもらうと、大脳に黒っぽい丸がぽんぽんぽんといっぱいあるような状態。素人目に見ても、明らかにダメージを受けた部分がたくさん見られました」(ちひろさん)

医師の説明の場には夫も同席していました。ちひろさんは、そのときの夫の言葉が忘れられない、と言います。

「医師から告知を受けたとき、私はあまりにショックで取り乱してしまって、涙が止まりませんでした。障害のある子どもを育てるのが、どういうことなのか想像することもできません。それに一緒に生まれてきた双子の2人が、全然違う人生を歩み、生活の場も全然違ってしまうと考えると、『私が早産さえしなければ。自分のせいだ』としか思えませんでした。

しかし、私と対照的だったのが夫です。結婚前は『子どもは絶対いらない』と言っていたはずの夫は、子どもが生まれてからまるっきり人が変わったようでした。多忙な仕事の合間を縫ってNICUの子どもたちに面会するときも『かわいい、かわいい』と双子を抱っこしていました。そんな夫は医師に『障害があってもなんでも、全然構わないんです。子どもたちがかわいくてしょうがないんです』と言ったんです。私を気づかったわけではなく、うそでもなく心からそう思っていると感じる言葉でした」(ちひろさん)

成長とともに現れた脳性まひの症状

生後7カ月(修正4カ月)のころ。ニコニコの双子たち。

脳性まひの診断がおりたものの、退院してしばらくは長女・ゆうさんには脳性まひの症状が見られなかったそうです。
脳へのダメージがなかった二女・ぴぴさんも小さく生まれたためにその成長はゆっくりでした。2人とも、ほかの赤ちゃんよりもゆっくりとした成長だったのですが、生後半年を過ぎたころから2人の成長に差が出てき始めます。

「少しずつ発達の違いが見えてきたのが生後6〜7カ月のころ(修正月齢3〜4カ月)です。二女は首がすわり、目が合うようになったり笑ったりするようになってきましたが、長女は、首はクニャクニャですわらないのに手足はつっぱるようにかたい、といった症状が現れ始めました」(ちひろさん)

ゆうさんの脳性まひの症状が現れ始めるようになり、ちひろさんは同じ病院で生まれたお友だちとの集まりにも、徐々に参加できなくなっていきました。

「同じ病院で一緒に切迫早産で長期入院していたママたちと仲よくしていて、産後に赤ちゃんも連れて集まって遊んでいました。でも、みんなのお子さんは少し早めに生まれたけれど元気に育っているのを見ていると、なんだか少しずつみんなの輪に入れなくなってしまいました。長女に障害があることを知られたくなかったのかもしれません。

育児雑誌の『ひよこクラブ』を買ってみても、そこに載っているのは定型発達の赤ちゃんたちの成長の様子。小さく生まれた双子は、その子たちとは発育や発達の様子もミルクを飲む量も全然違いました。しだいに『ひよこクラブ』も買えなくなりました」(ちひろさん)

さらに長女は、合併症のてんかん発作を起こしてしまう

生後1歳3カ月(修正1歳)のころ。入院中の長女が自宅外泊をしたときの写真。 二女(写真右)はおもちゃをつかんで遊べるように。

忙しい双子育児のうえに、障害のあるゆうさんの育児を手探りしながら奮闘していたちひろさん。そこへ、さらに心配な出来事が。双子が1歳の誕生日を迎えるころの2007年5月、ゆうさんが突然てんかん発作を起こしてしまいました。

「頭がカクンと垂れたり、手足を一瞬縮めたりするてんかん発作が起きるようになったんです。入院をして検査した結果、長女はPVLの合併症の『ウエスト症候群』と診断されました。薬を飲んでもなかなか発作をコントロールできず、どんどん発作時間が長くなっていたため、長女は長期入院することに。

この子はこの先どうなってしまうんだろう、と不安でたまらず、先が見えないどん底にいるようでした。
二女も、1歳のころは体も小さくまだ歩くこともできなかったので、このまま二女も歩けなかったら・・・ということも不安でした」(ちひろさん)

思いがけず授かった新たな命への戸惑い

双子たちが6歳、長男・こうくんが5歳のころ。家族でハワイ州のオアフ島にある出雲神社へ初詣に行ったときの様子。

ゆうさんの発作や入院であわただしい日々を送っていたちひろさん。そのころは自分のことを考える余裕はなかったそうです。
ところがゆうさんの病院に面会に行っていたある日、病室で自分の体調の変化に気づきます。

「もしかしたらまた卵巣嚢腫の再発かなと思い、長女が入院していた総合病院の産婦人科の診察を予約しました。すると、なんと自然妊娠をしていたのです。どうやら、長女が初めて発作を起こしたときにはすでに妊娠していたようでした。
赤ちゃんはすでに手足が見えるくらいの大きさに育っていました。たしか妊娠11〜12週ごろだったと思います。

妊娠がわかって驚くとともに『産めない・・・』と思いました。長女の病状がどうなるかわからない状況で、もしまた早産をして同じ脳性まひになってしまったら・・・。歩けなかったり、重い障害が残ってしまったら、どうやって育てていくんだろうと、堕胎することも脳裏をよぎりました」(ちひろさん)

ちひろさんは、長女が入院していた病院の小児科の担当医で、友人としてもつき合いがあった医師に今回の妊娠のことを相談しました。

「長女の担当医に相談したら、『長女の状態が落ち着くまで病棟でしっかり預かるから、まずはおなかの赤ちゃんどうするかを考えて』と言ってくれました。

そこで夫に電話をして報告しました。『妊娠してた、どうしよう』と伝えると、夫は『え~っ!』と驚きつつも、『3人目がくるとなったら、もっと働かなきゃな〜!』って言うんです。いつもポジティブな夫らしい言葉です。
『でももしまたPVLだったらどうするの』と聞いたら『いいじゃん、PVLだって。逆に何が嫌なの?』って。さらに『もしそうだったとしても、オレたちらしいよね?』とも言っていました。

夫は仕事で不在がちではありましたが、長女のてんかん発作は何度も見ていたし、闘病生活のことも理解して、家にいるときはなんでもしてくれていました。子どもの病状についての医師からの説明の場にはいつも必ず一緒にいてくれました。だから、決して無責任な言葉ではありません。彼はシビアな現状も覚悟の上で、新しい命を迎えることにまったく迷いがなかったんです。夫の言葉を聞いて、もし生まれてくる赤ちゃんに障害があったとしても、この人がパパならなんとかなるのかな、と少しホッとしたのを覚えています」(ちひろさん)

ちひろさんは悩みながらも、授かった小さな命を夫と一緒に育てていくことを決意しました。

お話・写真提供/江利川ちひろさん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

ちひろさんは「いつもポジティブすぎる夫にムッとすることもあるけれど、でもそのおかげでずいぶん助けられてきたと思う」と笑顔で話してくれました。
次回の内容は、長男も早産で生まれたことや、脳性まひと診断されたことなどについてです。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年2月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

江利川ちひろさん(えりかわちひろ)

PROFILE
1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、社会福祉士・ソーシャルワーカー。武蔵野大学大学院 人間社会研究科 実践社会福祉学専攻。双子の姉妹と年子の弟の母。 長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。

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