【元なでしこ・岩清水梓】長男の出産で恥骨を骨折!? 退院直後の記憶がない!? アスリートならではの出産あるある
2020年3月に男の子を出産した、元なでしこジャパンの岩清水梓さん。32時間という難産を経験し、退院後は恥骨骨折が判明するなど、さまざまな困難が岩清水さんをおそいました。しかし、常に前向きな岩清水さんは少しずつ完全復帰へ向けてトレーニングをつんでいきます。トップアスリートではありながらも1人のママとして子育て・仕事に向き合う姿勢はとても参考になります。全2回インタビューの2回目です。
「退院してからの1カ月は大変すぎて記憶がないです」
――2024年3月に出版された岩清水さんの書籍を拝見すると、32時間におよぶ出産、そして産院を退院してから、想像以上に大変な子育てだったことがわかります。
岩清水さん(以下敬称略) とにかく自分の人生において出産後の1カ月が何よりも一番しんどい時期でした。息子の聖悟(せいご)はとにかくかわいくてしょうがないんですが、自分がしっかりしないとこの子はどうなっちゃうんだろうという責任感と恐怖に押しつぶされていました。そして、慣れない子育ても「これで合っているの?」と不安がいっぱいで、そのころは毎日必死で、あまり記憶がありません。振り返ると、睡眠時間がたりていなかったことが大きかったと思います。睡眠時間やその質がいかに大切かということをこの時期に痛感しました。
――そんなつらい時期、どんなふうにして乗りきりましたか?
岩清水 子育て中の同級生の存在は大きかったですね。心配になると電話をして話を聞いてもらっていました。たとえば、母乳が出ているのかどうかわからないと言えば、使っていないベビースケールがあるからと言って貸してくれたり、そのときに私が不安に思っていることを聞いてくれたりして、いろいろ教えてくれるし、また聞いてくれるだけで安心して解消されたこともありました。本当に救われました。
――睡眠時間はどうやって確保していましたか?
岩清水 この時期は聖悟のことと質のいい睡眠をいかにとれるかにこだわっていました。聖悟が寝たらなにがなんでも自分も寝る、これの繰り返しでした。睡眠をどれだけとれるかという戦いでしたね(笑)
難産で恥骨を骨折していたことが判明
――息子さんの名前はどんな思いでつけましたか?
岩清水 名前は妊娠中に夫と一緒に考えました。妊娠中になでしこジャパンが東京オリンピックの聖火ランナーに選ばれたと聞き、「聖」という漢字を一文字つけることにしました。次に五輪の「ご」という文字を「聖」につけて「せいご」と呼ばせようと思い、画数から「聖悟」に命名しました。
――出産後、子育てが始まって早々に恥骨が骨折していたことに気づいたと聞きました。
岩清水 出産から1カ月半くらいのときに恥骨あたりが痛かったのでMRIを撮ってみたところ、骨折していたことがわかりました。そろそろ本格的に体を動かさそうと思っていた矢先だったのでショックでしたね。はっきりした原因はわかりませんがたぶん、分娩台でいきみすぎたからなんじゃないかなと思っています。
――その後、どんなふうにして治していったのでしょうか?
岩清水 恥骨骨折は自然治癒しか方法がないのでリハビリのようなトレーニングメニューを組んでもらい、少しずつ体をほぐしていきました。
聖悟も外出をしてもいい時期にきていたので、休日はベビーカーに乗せてよく家族でお散歩もしました。車のチャイルドシートも嫌がらず乗ってくれていたので、短時間のお出かけがいい気分転換になっていました。保育園にも早い段階で入れたので、少しずつ子育てが楽になっていきました。
「ぼくのママはプロサッカー選手」
――保育園での集団生活はどうでしたか?
岩清水 聖悟は、生後4カ月から保育園に預けることにしました。預けることができたので本格的な復帰に向けてトレーニングを始めました。チームと同じようなメニューはまだ無理でしたが、個別トレーニングの負荷を上げて復帰に向かっていました。でもその矢先に集団生活の洗礼ですね。聖悟はウイルス性の風邪によくかかるようになり、私も感染してしまうことが多々あり、完全復帰までの道のりは長かったです。
――そんな聖悟くんも現在4歳ですね。
岩清水 今は絶賛やんちゃ期ですがスクスク育っています。園では先生から注意されることもありますが、ムードメーカーらしく、どんなことも率先してやっているみたいです。3月生まれですが、体格がいいので、同じ学年の中でもパワーがある感じじゃないでしょうか。
――ママがサッカー選手ということをすでに理解しているのでしょうか?
岩清水 どんな選手でどんなレベルだったのかまではさすがにまだ理解できていませんが、ママがサッカー選手だということはわかっています。最近は座って応援できる時間も長くなってきたので試合中、夫と一緒に応援してくれています。
「わが子とピッチに立つ」の次の目標は?
――遠征などで岩清水さんが自宅をあけるときは聖悟くんのお世話はどうしていますか?
岩清水 そのときは夫にすべて任せています。私も割りきって「いってきます」と自宅を後にします。聖悟がもっと小さいころは「ママがいい」と泣いていましたが、私の姿が見えなくなるとすっと泣きやんで「パパでもいいか」という顔をしていたようです(笑)。最近は「頑張ってきてね」と言ってくれるようになりました。そんな言葉にも成長を感じます。
――聖悟くんにはサッカー選手の道を歩んでもらいたいですか?それとも別の道でしょうか?
岩清水 今はスイミングを習っていますが、いろんなことに触れてもらいたいなと思っています。サッカーに興味を抱くようになったらそれは応援したいですね。でも、私の父は親がやっているスポーツをやらせることには反対なようです(笑)。これまで私自身へのアドバイスは私自身素直に聞き入れていましたが、子どものこととなると両親とのちょっとした意見の違いが出てきていますね。
――「わが子とピッチに立つ」という願いをかなえた岩清水さん、次の目標はどんなことでしょう。
岩清水 そうですね。自分の限界を感じ、いよいよ引退を決意したときに聖悟から手紙をもらえたらうれしいですね。そして号泣したいです。
パリ五輪を控えた後輩へ送る言葉
――著書には妊娠から復帰までが詳しく書かれています。サッカー界の後輩選手に限らず、仕事と子育てを両立されて頑張っている女性全員にささる言葉がたくさんありました。
岩清水 体力のあるアスリートでも妊娠、出産、子育てにはおおいに悩んでいるということを詳しく書きました。煮詰まりそうなときにこの本を読んで少しでも心が軽くなり、元気になってもらえればうれしいですね。
――パリ五輪の開催が目前です。後輩選手にエールをお願いします。
岩清水 オリンピックは出場国が少ないので出ることができただけでもすごいことです。私の後輩、日テレ・東京ヴェルディベレーザ出身選手も何人か出場するので本当に頑張ってもらいたいです。
そして、ぜひともメダルを獲得してその大きさ、重さを体験してもらい、WEリーグをさらに盛り上げてくれたらうれしいですね。
みなさんにも期待していただきたいですし、たくさん応援をしてほしいと思います。
お話・写真提供/岩清水梓さん 写真提供/佐野美樹さん 取材・文/安田ナナ、たまひよONLINE編集部
WEリーグ初のママプロサッカーとして現在も活躍されている岩清水さん。インタビュー中も明るい笑顔で楽しい話をたくさんしてくれました。
岩清水梓さん(いわしみずあずさ)
PROFILE
WEリーグ 日テレ・東京ヴェルディベレーザ DF。16歳でリーグ戦デビューを果たし、2006年には日本代表に選出される。2011年 FIFA女子サッカーワールドカップ 優勝、2012年に開催されたロンドン五輪では銀メダルを獲得した。2018年、日テレ・ベレーザのなでしこリーグ4連覇に貢献し歴代最多となる13年連続13回目のベストイレブンに選出される。2020年3月、第1子を出産し、2024年現在も日テレ・東京ヴェルディベレーザの一員としてプレーを続けている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年年6月の情報で、現在と異なる場合があります。
『ぼくのママはプロサッカー選手』
結婚・出産後も好きな仕事を続けて自分らしく生きていきたいと願う女性に、共感と勇気をもたらす一冊。岩清水梓著/1540円(小学館クリエイティブ)