順調だった妊娠・出産から一転、翌日赤黒くなった娘は、生後2日目に「命を救えるかわからない」と告知。10時間もの大手術を耐え、その後難病が判明【体験談】
先天性心疾患があり、医療的ケアが必要な7歳の女の子、“みこちゃん”こと弥琴(みこと)ちゃん。母・ちひろさんは、弥琴ちゃんとの生活や、日々感じるいろいろな思いをSNSでつづり、医療的ケア児の保護者や医療関係者をはじめ、多くの人たちの共感を得ています。今回はちひろさんに、弥琴ちゃんとのこれまでの歩みを聞きました。全2回インタビューの1回目です。
生まれた翌日に突然、全身が赤黒くなって…
――弥琴ちゃんが生まれたときのことを教えてください。
ちひろさん(以下敬称略) 妊婦健診から出産まで、何も異常がない順調な妊婦生活でした。予定帝王切開で生まれたときも「オギャー!」という元気な産声(うぶごえ)が聞けました。上の子2人のときと比べて、ちょっと元気がない様子が気になりましたが、おっとりしている子なのかな?ととらえていたんです。
出産当日は私の貧血がひどくて、弥琴を看護師さんに見ていただきました。2日目、ようやく弥琴と同室で過ごせたのですが、少ししたらおっぱいをまったく飲まなくなってしまって…。すぐに検査してもらった結果、「心臓に穴が開いています」という説明を受けました。
――すぐに手術しなければいけない状況だったのでしょうか?
ちひろ いいえ、その時点では「心臓に穴が開いている子は珍しくない」とのことで、自然に治る可能性があることや、今後の手術について説明されました。でも、その日の夕方に突然、弥琴が呼吸もできず、全身に血がまわらないショック状態になり、全身がみるみる赤黒くなりました。私はまだ術後で身動きできなかったので、夫が救急車に同乗し、大きな病院に緊急搬送されるのを見送りました。「命を救えるかわかりません」と言われ、不安を通り越して、本当に現実なのかなとぼうぜんとしました。
体重2500グラムの娘が、10時間超の大手術
――搬送先で、大動脈弓離断症(だいどうみゃくきゅうりだんしょう)という診断がついたそうですね。
ちひろ 「大動脈がちぎれている状態」だと診断され、人工呼吸器が挿管されました。おなかにいるときは大動脈がちぎれていても体内で血がうまい具合に循環するので、すくすく育っていたそうです。でも生まれて外に出てから体に血がまわらなくなり、ショック状態になったというのが先生たちの見解でした。
「手術をしないと命は終わります」と夫が説明を受けました。私はいてもたってもいられず、義父に私がいる病院まで迎えに来てもらって、搬送先の弥琴に会いに行きました。NICUにいる弥琴は口に人工呼吸器、鼻にはチューブ、体にはモニターだらけで、生まれたばかりのときからは想像もできない姿でした。それでも、かわいそうというよりも「かわいいな」という気持ちが大きかったことだけは、今でもはっきり覚えています。
――その後、手術を受けたときはどのような状況でしたか。
ちひろ 生後2週間目のとき、薬で体を鎮静化させることでショック状態から抜け出すことができて、ようやく手術を受けられました。手術当日に親ができることって、本当にありきたりなんですけど、ただただわが子を信じて待つしかなかったです。わずか2500グラムの、小さな弥琴の心臓の血管をつなげる大手術でした。
10時間以上たって、手術は無事に終わりました。驚いたのですが、手術室から出てこられた先生も、弥琴も、本当にひと回り小さくなっていたんです。先生が全身全霊かけてオペに挑んでくださって、弥琴も頑張って乗りきってくれた。頑張りきった人って小さくなるんだな、持っている力をすべてふり絞って今があるんだなと感じました。
気管切開だけはしたくない。でも…
――術後、先生のすすめで染色体検査を受けたそうですね。
ちひろ 大動脈弓離断症を合併する染色体疾患があるということで調べたら、「22q11.2欠失症候群(にじゅうにきゅーいちいちてんにけっしつしょうこうぐん)」(※)だとわかりました。先生の話を聞くまでは震えが止まらないくらい怖かったんですけど、いざ聞くと、肩の力が抜けたというか、何を怖がっていたんだろう?と思いました。
精神面や運動面での発達の遅れなどの可能性が高いという説明はありましたが、それでも目の前の弥琴はこれまでと何も変わらないんだという気持ちがあって、「そうか、この病気があったから心臓の病気があって、でもこうやって今生きていてくれるんだな」と納得した気持ちのほうが大きかったです。
――そうだったのですね。入院生活はその後も続き、生後11カ月で退院するまで何度か手術を繰り返したそうですが…。
ちひろ 術後の心臓の状態がすぐれず、いったん移ったGCU(新生児回復室)からNICUに逆戻りして、生後2カ月で2回目の手術をしました。手術は成功したのですが、弥琴が自分の力で呼吸できなくなってしまったんです。自力で呼吸できるようにと、わき腹を切り開いて血管の位置を変える手術を2回しました。それでもどうしても人工呼吸器が取れなくて、先生から気管切開のお話がありました。
――どんな説明があったのでしょうか。
ちひろ 「のどに穴をあけて、そこに管を通して息をします。気管切開すると声が出なくなり、医療的ケア児として日々のケアが必要になります」というお話でした。気管切開という言葉すら知らなかった私には衝撃で、「どうしても気管切開だけはしたくない」という思いでいっぱいでした。
その後、先生方は気管切開以外の方法を一生懸命探ってくださっていました。でも、当時の弥琴は太いホースがのどまで入っている状態で、目を覚ますと苦しいので、ずっと薬で眠った状態だったんです。人工呼吸器は口から入るので感染リスクも高いそうで、弥琴は肺炎を繰り返していたのですが、そうするしか生きる方法がありませんでした。いろいろな可能性を探った末に、最終的に私たちは心から納得して、先生に気管切開をお願いすることにしました。
術後、弥琴がすごく楽になったような表情で目覚めたんです。そのときに「これでよかった、間違ってなかった。これまで頑張ってくれて、ありがとう」と気持ちが軽くなりました。
※22q11.2欠失症候群/4000~5000人に1人の頻度で発症。発達遅延、先天性心血管疾患などの症状がみられ、多くに大動脈弓離断症などの合併症がある。
弥琴ちゃんが、ずっと笑顔でいられる理由
――弥琴ちゃんの1歳のお誕生日前に退院しました。
ちひろ ただただうれしかったです。産後ほぼ1年間、弥琴はNICUにいたので、家族がバラバラな時間がすごく長くて。退院できた当時はのどが人工呼吸器につながっていて、お鼻にもチューブがあるフル装備の医療的ケア児だったのですが、家族一緒に過ごせる喜びがとても大きかったです。
――退院と同時に在宅ケアもスタートしましたが、当時はどうでしたか。
ちひろ 退院する前は、楽しみだけど「一歩間違ったら弥琴の命にかかわることなんだ」というプレッシャーもありました。でも、退院時のカンファレンスで、これからお世話になる訪問看護師さんが「私たちが一緒にいるからね」という親身なスタンスで、この方がいてくれるならと心から安心できました。
そのときは人工呼吸器に24時間つながっていた状態だったので、なかなか外に出られませんでした。自宅で訪問看護師さんや母に弥琴を見てもらって、上の子たちの幼稚園に送り迎えに出かけていました。そのとき、弥琴と同い年の子たちで、もう歩ける子たちを見ることがありました。同じように生まれて年月を重ねているのに、弥琴は同い年の子たちのような居場所がなく、ずっと家にいる…。弥琴の存在が悲しいとか、まわりの子たちの存在が嫌だとかいうわけでは絶対になくて、ただ、本当にどうしようもない気持ちがありました。
でも当たり前ですが、おうちに帰ると、弥琴はやっぱりかわいいんです。そんな時期がしばらくあったのですが、生活が落ち着いてくるにつれて、重度の障害を持つ子たちが通える児童発達支援の施設のスタッフさんや、SNSを通じたたくさんのママたちとの出会いがあり、いつのまにかそういう気持ちがなくなりました。どうしようもない気持ち以上に、弥琴とかかわってくださる方々からもらえる幸せのほうが、私の中でどんどん大きくなっていったのだと思います。
――ちひろさんのInstagramを見ていると、弥琴ちゃんの笑顔がとてもすてきです。そういうまわりの環境もあってのことだったのですね。
ちひろ 初めてニコッと笑ったのは、0歳のときのNICUの中でした。上の子たちが「みこちゃんには、お母さんが2人いるよね!」というくらい担当看護師さんにはお世話になって、医療行為だけでなく心も一緒に育ててもらえたと思っています。弥琴は障害を持って生まれて、上の子たちとは違う育ち方をしています。でも、いろいろな場で、たくさんの人にかかわってもらいながら育ててもらっていて、とても幸せだと思っています。
障害児の子育てはきれいごとで済まないこともありますし、まわりからの厳しい言葉もあると思います。でも、弥琴とそのつど一緒に歩んでくれる人がいて、人のやさしさに触れることが本当に多い7年間でした。親の数だけ、家族の数だけいろんな気持ちがあると思いますが、今、私は弥琴をこうして抱っこできて、一緒に生きられる人生をいただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。
お話・写真提供/ちひろさん 取材・文/武田純子、たまひよONLINE編集部
「弥琴と生きる毎日は“すごい!”と思うことがたくさんあって、知ってほしいという思いでSNSで発信しています。そこから医療的ケア児や病気、障害を持つ子たちをいろいろな人に知ってもらえたらうれしいです」とちひろさん。私たちの想像も及ばないほどの経験を終始、弥琴ちゃんへの愛情にあふれた様子で話してくれました。
インタビュー2回目は、ちひろさんの母親としての苦悩について聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
ちひろさん
PROFILE
先天性心疾患(22q11.2欠失症候群)のある女の子「みこちゃん」こと、7歳の弥琴ちゃんのママ。弥琴ちゃんとお兄ちゃん、お姉ちゃんとパパとの5人暮らし。弥琴ちゃんの毎日のケアや通院、通学などに追われて多忙な日々を送る。重度心身障害や病気、医療的ケアが必要な子どもたちのママ同士がつながり情報交換するオンラインコミュニティ「SKIP CAFE」のスタッフとしても活動中。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年8月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。