「症状が一番重い子どもは、私が受け入れる」障害のある2人の子どもをわが子に迎えた牧師。決断したのは「命」へのかけがえのない思い【特別養子縁組・体験談】
障害児や医療的ケア児をもつ家族の相談、特別養子縁組のサポートなどの活動をする「小さな命の帰る家」代表の松原宏樹さん。「この活動を始めたときから、一番障害の重い子どもは私が引き取ろうと決めていた」と話す松原さんは、自ら重度の障害を持つ2人の子どもと特別養子縁組をしています。50代になって障害のある子どもとの生活は大変であるけれど、「幸せ」と話す松原さんの思いに迫ります。
全2回インタビューの前編です。
症状が一番重い子どもは、私が家族として受け入れよう!
―― 松原さんは、やまとくん、恵満ちゃんという重い障害をもつ2人の子と特別養子縁組をしました。
松原さん(以下敬称略) 重い障害のある子どもの特別養子縁組支援のための活動を始めたときから、症状が一番重い子どもは、私が家族として受け入れようと決めていました。
現在5歳になるやまとには、ダウン症候群(以下ダウン症)と重い心臓疾患があります。初めて会ったのは、1回目の心臓手術を待つ集中治療室でした。4歳の恵満は、ウエスト症候群という難病に加えて、染色体の7番、18番に異常があります。また、気管切開をして人工呼吸器を使用しているため口からモノが食べられないので、直接栄養を胃に流し込む胃ろうを造設しています。
―― 初めに養子縁組をしたやまとくんとの出会いを教えてください。
松原 やまとの両親は妊娠中にわが子の障害と病気を知り、産んでも育てられないのではないかと思い悩んだようです。しかし既に中絶できる時期は過ぎてしまっていたために、私たちの団体に相談に来ました。そのときには、母親は精神的にかなり追いつめられた状態でした。
「養い親はきっと見つかるから安心して出産してください」と言ってはみたものの、やまとほどの重度の障害がある子どもを受け入れようという家庭は簡単には見つかりません。
そして、最初の相談からからしばらくたって、1カ月の早産で生まれたやまとがダウン症候群と房室中核欠損症、肺高血圧症を併発して集中治療室にいると、実母から連絡がありました。
障害のある子どもとの生活は苦労の連続。でもそれは不幸ではない
――やまとくんの母親・父親は、重い障害を持って生まれたやまとくんを受け入れられない気持ちがあったのでしょうか。
1回目の心臓手術が迫るなか、病院から実母がサインを躊躇(ちゅうちょ)していると連絡がありました。実母に「やまとくんは私が責任をもって引き取りますから心配しないで手術の同意書に署名してください」とお願いすると同時に、妻と病院に駆けつけました。
「障害のある子どもがきょうだいになったら、お子さんの結婚に差し支えるのではないか」と、やまとの実母は、私たちの子どものことを心配していました。そこで、以前から看護師である私の長女が「きょうだいの障害を気にするような人とはおつき合いしない」と話していることを伝えました。
2回目の手術は、正式にやまとと特別養子縁組の手続きをしたあと。今度は私が親として手術の同意書にサインすることができました。
――手術を終えて松原さんの家に家族として帰ってきたやまとくんの様子を教えてください。
松原 やまとは夜になっても神経が高ぶりなかなか深い眠りに入れず、20分に1度は目を覚まして1時間くらい遊んでしまうんです。睡眠系、入眠系の薬を医師に処方してもらってもなかなか効かなかったのですが、ようやくやまとに合った入眠のための薬が見つかって寝てくれたときは、「奇跡が起きた!」と思いました。
やまとがパニックに陥った時は抱っこして子守歌を歌うのですが、私の腕の中で眠りについていく姿は本当にかわいいですね。検査ではやまとの発達は1歳前後、言葉もほとんどしゃべることはできませんが、自分のやりたいことがあると私の手を引っ張ったり、声を発したりして教えようとするんです。障害のあるやまととの生活は確かに大変だし、しんどいと思うこともあります。でもそれは決して「不幸」ではないし、「幸せ」とは別のことだとやまとは私に教えてくれているような気がします。
自分自身の身体を通して、子どもの反応、思いを理解する
――やまとくんに続いて恵満ちゃんと特別養子縁組をされたのはなぜでしょうか?
松原 「障害のある子どもを産んでしまって育てられない。どこかの家庭に引き取ってほしい」という連絡が恵満の両親からあったのは2023年4月のことです。ウエスト症候群という難病に加えて、染色体の7番、18番の異常と複数の障害を持っているのですから、そう簡単に養い親が見つかるはずがありません。
一番障害の重い子は私が引き取ると決めてはいたものの、やまとに続いてさらに手がかかるだろう恵満を引き取ることに、なかなか家族の了解を得ることはできませんでした。それでも、私が恵満の帰る家を作りたい、後に続いて同じ道を歩いてくれる人がいてほしい、そう思っていました。あの時ほど私の無鉄砲さに家族があきれていたことはないと思います。
――恵満ちゃんとの生活はいかがですか?
松原 ちょうど5歳になったやまとが児童発達センターへ通うようになったので、あいた時間は恵満に重点的にかかわれるようになりました。
やまとのときもそうでしたが、恵満が何をしたらどういう反応を示すのか、どんな思いをしているのか、どうしんどいのかを、一緒に過ごしながら私自身の体を通して少しずつ理解する毎日です。
恵満は、気管切開をしているので、たんの吸引が必要ですし、口からモノを食べられないので、1日3回1時間ずつかけて、水分、ナトリウムと一緒に経腸栄養剤を胃の中に直接入れています。そして寝る前に水分代わりの薬を入れて恵満の1日が終了。しかし夜中も酸素濃度が落ちないようにたんを1、2回吸引しています。
――松原さんに寝る時間はあるのでしょうか?
松原 まとまっては難しいですが、時間があいたときに少しずつ寝るようにしています。
最近は長女がやまとと寝てくれているので、基本、夜中は恵満の隣にいて、世話することができます。朝、やまとを児童発達支援センターへ送って行くと、私と恵満の1日がスタートします。今は、子どもたちの時間に合わせて私の生活は回っています。
障害の重い2人の子どもは家族にとってかけがえのない存在に
――そこまで大変な思いをされてもなお、重い障害のある子どもを育てたり、悩むお母さんたちの相談にのったり…。松原さんを突き動かしているものは何なのでしょうか。
松原 中学生くらいまでは、家に帰ってもだれもいない、食べるものもない、話し相手もいない……。居場所のなかった私の生活や素行はとても荒れていました。
そんな私が高校生のときに神の教えに触れたことで、「自分は存在してもいいのだ」と初めて思えました。その後洗礼を受けてクリスチャンとなり、牧師として30年を過ごしてきました。
しかし、恵満をわが家に迎え入れ、家族として生活することを決めたとき、彼女と向き合って生活するには、教会の仕事としての牧師を続けることはできないから辞そうとは決めていました。
仕事を辞めたのですからもちろん生活は決して楽ではありませんし、障害の重い2人の子どもとの生活は確かに大変です。でもそれ以上に、2人は私たち家族にとってかけがえのない存在になっています。
妻はもちろん、忙しい長男や長女、二女も、本当の弟のようにやまとの面倒を見、本当の妹のように恵満をかわいがってくれています。わが家は、やまとと恵満を中心に回る毎日です。
お話・写真提供/松原宏樹さん 取材・文 /米谷美恵、たまひよONLINE編集部
松原さんにはすでに成人した3人の子どもがいて、牧師として教会を支えていて、支援活動でも松原さんを頼りにしている人はたくさんいる・・・。もう十分、それ以上望むことはないのではないでしょうか。それでも、松原さんはなお、障害の重い子どもの支援活動のために奔走し、寝る時間を惜しんで、家族となった2人の子どもの世話をしています。写真の中に見える松原さんのやまとくんや恵満ちゃんに対するまなざしもとても穏やかで優しく、そこには少しも迷いは感じられません。その根底には、松原さん自身の「自分は存在してもいい」という祈りにも似た思いがあるように思えます。そしてその思いは、いつも一緒にいるやまとくんや恵満ちゃんにもきっと伝わっているはずと信じています。
インタビュー後編は、子育ての悩む母親・父親の相談を受けている、松原さんの思いを聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
松原宏樹さん
PROFILE
1968年3月1日生まれ。元奈良キリスト教会牧師。2008年4月奈良キリスト教会付属幼稚園設立、園長。2023年「小さな命の帰る家」設立、代表を務める。著書に『小さな命の帰る家』(燦葉出版社)がある。
『小さな命の帰る家』
牧師であり、幼稚園の園長でもある松原さんが、自身の学生時代から神学校時代、そして特別養子縁組を支援しながらの「小さな命の帰る家」の設立、自身が障害がある2人の子どもを養子縁組で迎えるまでをつづった本。松原宏樹著/燦葉出版社(1800円+税)。