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「当然元気で生まれてくるもの」と思った長男に重度の心臓疾患が。毎日病院の前まで行き、息子の病室に向かい祈った【山田ベンツ・インタビュー】

更新

障害者との見えない壁を壊す活動のきっかけとなった長男・盛松くんと一緒に過ごす山田ベンツさん。

障害のある子どもたちの活躍の場を広げようと、各国の大使館を訪問する活動、YouTubeチャンネル「964万7千分の一」の運営などを手がけている山田ベンツさん(56歳)。活動を始めたのは、2011年に生まれた長男の盛松(もりまつ)くんがNICUに入院中、病気と闘う多くの子どもたちと会ったのがきっかけでした。盛松くんが生まれたときの様子や感じたことを聞きました。
全2回のインタビューの前編です。

妊娠21週目の妊婦健診で、長男に重度の心臓疾患があると判明

妊娠中の健診で、心臓に疾患があるとわかった長男の盛松くん。

――2011年に産まれた長男の盛松くんは、重度の心臓疾患があるそうです。心臓疾患があるとわかったのはいつごろでしょうか?

山田さん(以下敬称略) 妻とは2009年に結婚しました。陶芸家の友人がいて、ある美術学校で開催されるイベントに誘われたんです。妻はその学校の職員でした。

盛松の心臓に疾患があるとわかったのは、妊娠21週目の妊婦健診です。成長の遅れを指摘されたんです。その2週間後の健康診断で今度は「赤ちゃんの心臓の血液の流れが、通常と異なる」と言われたそうです。それまで健診に通っていて、出産する予定だった病院では対応できない疾患とのことでした。
その日、妻は1人で健診に行っていたのですが、帰宅したときは顔面そう白でした。僕の顔を見たとたん、「わっ」と泣きだしたので、これはただ事ではないことが起こっている、ととても驚きました。

その後、神奈川県立こども医療センターで精密検査を受けることになり、赤ちゃんには先天性心疾患である「ファロー四徴症(※)」という心臓の疾患があると診断されました。

――赤ちゃんに心臓の疾患があるとわかったときはどんなことを感じましたか?

山田 ショックでした。僕たちは「赤ちゃんは、当然元気に生まれてくるもの」と思いこんでいたんです。まさか自分たちの子どもに障害があるとは想像もしていませんでした。身近に心臓に疾患がある人などいなかったので、病名も初めて聞くもので・・・。本当にショックだったし、かなり泣きました。

ただ、夫婦ともに受け入れるのは早かったです。診断を受けた翌日には気持ちを切り替えました。「悲しんでいてもしょうがない、考えているだけではダメだ」と思ったんです。
ファロー四徴症についてさまざまなことを調べました。ファロー四徴症は、さまざまな合併症を持っていたり、染色体異常があったりする場合が多いようです。だから、盛松にもきっと重い障害があるだろうと覚悟しました。
くよくよしていても何かが変わるわけでもありません。さまざまな可能性を受け入れ、赤ちゃんが無事に生まれることを願っていました。

※ファロー四徴症とは、心室中核欠損、肺動脈狭窄、大動脈騎乗、右室肥大の4つの特徴をもつ先天性の心疾患。主に心臓外科手術が必要。

妊娠8カ月で帝王切開で出産

生後5カ月まで入院していた盛松くん。

――出産のときの様子を教えてください。

山田 妊娠前に子宮筋腫の手術を受けていたため、妊娠38週で計画的に帝王切開で出産しました。出生体重は1860グラムでした。生まれてすぐ、盛松は力いっぱい泣いていたんです。ほっとしたのと同時に、元気な様子を見て拍子抜けもしました。

でも、生まれて3時間後には手術をしました。食道が気管につながり、下からの食道が閉じて止まっていたのです。その状態のままだと飲んだものが気管に入り、肺炎を起こし命を落とす可能性があったそうです。手術後の盛松は、たくさんの管につながれ、痛々しく感じました。

生後3日までは絶対安静で、頭をそっと優しくなでることしかできませんでした。心臓の手術も必要でしたが、小さく生まれたため、手術に耐えるだけの体力がなかったんです。そこで体重が増えるまで手術を待つことになりました。2000グラムをめざしていたのですが、食道閉鎖症の手術で1650グラムまで体重が減ってしまい、生後1カ月を過ぎたころ、1900グラムで1回目の心臓の手術を受けることになりました。

生後1カ月で1回目のシャント手術、翌日、動脈管を閉じる手術を行いました。再手術中、心臓がはれてしまい胸が開いたままICUに帰ってきました。
約1週間後、心臓のはれが治るのを待ってから胸を閉じる手術をしました。ところがその際、危険な状況におちいってしまったんです。

――どのような状況だったのでしょうか?

山田 シャント手術後、閉まる予定だった動脈管が閉じず、心臓に大量の血液が流れ込み続けたとのことです。心臓が耐えきれず、夜までに3回止まった。と伝えられました。一時、低酸素状態でもあったようです。
20時ごろ、病院から電話がかかってきて、「緊急手術が必要になったから、すぐに来てサインをください」と言われたんです。いそいで病院に向かい、サインをすると手術が始まり、深夜の2時ごろ、終了しました。緊急の手術だったため、僕は仕事で立ち会えず、あとから状況を妻に聞きました。

無時に生まれてくれて安心していましたが、小さい体で手術を受けることが命の危険と隣り合わせだと気づかされました。僕はかなり取り乱していました。妻が言うには「あなたは目も当てられない状態だった」とのことです。実は盛松が生まれて1年くらいの記憶がほとんどないんです。妻のほうが冷静でした。

――盛松くんは生まれてからどれくらいの期間、入院していたのでしょうか?

山田 妻は産後1週間ほどで退院しましたが、盛松は生後5カ月くらいまで入院していました。退院後、妻は盛松に会うため、毎日病院に行っていました。
病院は僕の経営しているレストランのすぐ近くで、徒歩5分くらいのところにあるんです。朝10時に面会時間が始まると同時に妻は毎日、盛松に会うため病院に行き、夜の22時までずっといました。
僕は仕事が終わると、毎日まっくらな病院の前まで行って盛松の病室に向かい祈りました。

――これまで何回くらい手術したのでしょうか?

山田 これまでに6回の手術を受けました。肺動脈の一部がなかったため、今後も人工血管に人工弁がついたものの交換をするのに開胸手術が必要と言われています。ただ、再生医療の進展にはめざましいものがあるようで、もしかしたらあと1回か2回手術をしたら大丈夫になるかもしれないという話もあります。とても期待しています。

――名前はどんな思いを込めて名づけましたか?

山田 僕は母が日本人、父がスウェーデン人と2つのルーツを持っています。「盛松」という名前は、僕の母方の祖父の名前なんです。祖父にとって僕は初孫で、とても愛してくれました。だから、自分の子どもには祖父の名前をもらおうと思っていました。もともとわが家は長男にはおじいちゃんの名前をつけていたんです。僕自身の「ベンツ」という名前も、父方の祖父の名前をもらっています。

人生を楽しく生きていけるよう心がける

幼いころの盛松くんは何度も入院していました。

――盛松くんは療育などには通いましたか?

山田 療育には3歳ごろには通い始めていました。小さく生まれたこともあり、発達が少しゆっくりだったんです。3歳児健診ですすめられたこともきっかけです。幼稚園は年中から通いました。
療育に通い始めたときには二男が生まれていて、妻は療育通い、赤ちゃんのお世話と本当に忙しい日々を送っていたと思います。
盛松は自閉スペクトラム症と診断され、療育手帳ももらっています。小学校は支援学級に通いました。

――盛松くんのケアがありながらの3人の子育ては大変だったのではないでしょうか?学校への送り迎えはしていましたか?

山田 僕たち夫婦は、子どもは多ければ多いほど楽しいだろうと思っていたんです。僕自身も3人きょうだいで、妻も4人きょうだいです。結婚当初は子どもは4人くらい欲しいねと話していました。

小学3年生までは毎日送り迎えをしていました。下の弟が小学校に入学してからは、途中まで僕が一緒に行き、あとは自分たちで行っておいでと送り出していました。

――退院後、盛松くんと過ごすなかで気をつけていたことはありますか?

山田 盛松に心臓の疾患があるとわかってから、妻と一番話したのは「人生を楽しく生きていけるようにしよう」ということです。好きなことを見つけ、楽しめるように心がけてきました。絵を描くのが大好きなので、できるだけ時間をとり、絵はインスタにアップするなどしてきました。

現在は特別な医療的ケアは必要ないのですが、生まれたときから現在まで体調管理にはかなり気をつかっています。幼いころはすぐ感染症にかかり、年に2~3回は入院したんです。二男、三男に比べると、圧倒的に身体が弱く、疲れやすいです。とはいえ、鍛えたほうがいいと思うので水泳などにも取り組ませていますが、疲れると体調を崩してしまいます。バランスが難しいです。

盛松が生まれたことで、病気や障害について学ぶ機会が増えました。多くの人に障害について知ってもらい、より社会をよくする活動に取り組んでいきたいと思っています。

お話・写真提供/山田ベンツさん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

妊娠中、赤ちゃんに心臓疾患があると診断されたのは、とてもショックだったことでしょう。多くの障害を持つ子と出会い、「障害児との垣根を壊したい」とさまざまな活動を始めた山田ベンツさん。その行動力で、多くの人の心を動かすに違いありません。

インタビュー2回目は、YouTubeチャンネル「964万7千分の一」を運営など、山田さんの活動について聞きました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

山田ベンツさん(やまだべんつ)

山田ベンツさんと3人の息子たち。さまざまなスポーツにも挑戦中。

PROFILE 
1997年から横浜市南区でカフェ・バー「むつかわバール トミーズカフェ」を経営。2011年に生まれた長男に先天性の心臓疾患があり、NICUでさまざまな病気と闘う子どもの姿を目にしたことがきっかけとなり、障害について考えるように。障害のある子どもたちと一緒に各国大使館を訪問する「ジャパンバリアフリープロジェクト」、YouTubeチャンネル「964万7千分の一」の運営などを手がける。

山田ベンツさんのinstagram

YouTubeチャンネル 964万7千分の一

ジャパンバリアフリープロジェクトHP

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年9月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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