ゴールデンハー症候群の息子と乗り越えた就学の壁。原動力は「あとに続く子どもたちのために道を拓きたい」という思い【体験談】
高橋由紀さんは、長男(10歳)、二男(6歳)、長女(5歳)、パパの5人家族。長男のMくんには、体の片側に成長異常が発生するゴールデンハー症候群という先天性の病気があります。
ゴールデンハー症候群は、主に耳やあごなど顔面の奇形症候群で、人によって症状がさまざまであることが知られています。自身の経験から、医療的ケアを必要とする子どもや家族を支える「医療ケア親子サークルほぷふる」を立ち上げた高橋さん。今回は「ほぷふる」の立ち上げのきっかけと活動への思い、Mくんが小学校入学に至るまでのお話を聞きました。全2回のインタビューの後編です。
“子どもたちと家族に希望を”という願いを込めた「ほぷふる」
現在、高橋さんは地域の医療的ケア児とその家族のためのサークル「医療ケア親子サークルほぷふる」の代表として、親同士の交流や情報交換を目的としたコミュニティづくりをはじめ、自治体への意見書や要望の提出を行う活動を行っています。
高橋さんが同サークルを立ち上げたのは、Mくんが生まれてしばらくたった2019年のこと。それ以前は23区内の医療的ケア児の親が集まる会へ参加していましたが、23区外に住む高橋さんにとって自分が住んでいる地域の欲しい情報はなかなか得られず、しだいに「自身の地域にもこのようなサークルがあればいいのに」と考えるようになったそう。
「でも1人ではむずかしいなと思ったので、Mが通っていた児童発達支援施設で仲よくなったママ、入院中に仲よくなったママたちに声をかけて、一緒に立ち上げることにしました。“ほぷふる”という名前は、希望に満ちたという意味の英語“hopeful”に由来していて、『子どもも親も希望を持って未来を拓いていこう』という思いを込めました。
私たちの主な活動は、医療的ケア児を育てる親同士の交流の機会や相談できる場づくり、またサークルを立ち上げた2019年から毎年自治体への意見書や要望を提出しています。これまで、ケアプラス保育(障害や発達に課題のある児童の保育)の拡充や、保護者の就労支援、就学支援などを市議会、市長、教育長に要望を伝える中で少しずつ変わってきていると実感しています。
現在サークルへの参加者は20家族ほどに増えて、アロマ講習会をしたり、父の日にプレゼントするクッキーをみんなでつくったり、さまざまなことをしています。あと、みなさん仕事があったりで忙しいのでいつでも気軽に相談したり情報交換できるよう“LINE”グループをつくっていて、そこでやりとりしたりもしていますね。“全国医療的ケアライン”※にも登録しているので、地域を超えた情報交換も同時に行っています」(高橋さん)
※医療的ケアが必要な当事者や家族、支援者をつなぐ全国ネットワーク。通称アイライン。
医療的ケア児が直面する「就学」という壁
医療的ケアが必要な本人やその家族にとって、保育園・幼稚園への入園をはじめ、小学校への「就学」は大きなハードルです。現在は地域の公立小学校に通っているMくんですが、医療的ケア児の通常学校への進学は珍しく、全国的にもまだまだ事例が少ないのが実情です。高橋さんが住んでいる地域では、Mくんが初めての事例だったそう。就学に至るまでの経緯を聞きました。
「私が住んでいる地域では、身体や発達に障害を抱える子どもたちは年長あたりから教育委員会が実施する就学相談というものを受けて、そこから就学先を検討し、決定するという流れが一般的でした。
子育ての先輩たちから就学のたいへんさをよく聞いていたこともあって、うちは年中のときに参加したんですね。そのときは『就学相談は年長になってから行うので1年後にはなっちゃうけど、でもお名前と状況は聞いているので把握しておきますね』という感じで終わりました。でも後々になって、『そのときのことがあったから早めに就学相談の案内ができました』と言ってくださったので、早めに行動してよかったかもしれません。
ただ、特別支援学校や特別支援学級の情報は教育委員会から随時提供されているので、そういった情報を集めつつ、年長になって学校見学をしても決して遅くはないです。地域の小学校の学校公開で1年生の授業の様子を見るのもいいと思います。
Mは幼稚園や児童発達支援施設に通っていたので、そこで先生にふだんの園での様子や集団生活を送れることなどを就学支援シートに書いてもらい、年長になってからそれを持って教育委員会に提出しました。そこで出たのは、特別支援学校という判定。その理由はただ1つ、“コミュニケーションの問題”ということでした」(高橋さん)
そこから、特別支援学校2校と特別支援学級が入っている学区外の通常学校、学区内の通常級を見学したという高橋さん。前者の特別支援学校とは大きな病気を患っていたり障害を抱えていたりする児童が通う学校で、高橋さんが足を運んだのは肢体不自由な生徒が通えるクラスのある学校と、知的障害のある生徒が通う特別支援学校でした。
公立小学校の特別支援学級を選んだ理由
「どちらの特別支援学校もフレンドリーな雰囲気で、先生方も生徒たちとの接し方に慣れているので、両方ともいい環境だと感じました。私も通常学校にこだわりがあるわけではなく、Mにとっていい環境であれば特別支援学校もいいなと思っていたので。でも、見学に行った学校の先生から『Mくんは、ここではないかもしれませんね』と言われたんです。
というのも、Mにとってハードルとなるのはコミュニケーション面だけで、身体は元気で走り回れるし、知的な遅れもなかったので、どちらにもフィットしていなかったんですね。なので、授業も個別対応になる場合が結構あるなど、生徒同士のコミュニケーションより大人や先生とのコミュニケーションが多くなりそうだったんです。
私は子どもたち同士の中で成長していってほしいという思いがあったのと、一緒に見学に行ったM本人にどこがいいか聞いたところ『(特別支援学級が入っている通常学校が)すごく楽しかった。ここに行きたい』と言ったこともあって、悩みました。
考え抜いた結果、判定が出た特別支援学校ではなく、特別支援学級への進学を希望したいと伝えたんですね。教育委員会からは、本人の希望もあるのでなるべくそうしてあげたいけど、最終的に希望の就学先の校長先生からOKをもらう必要があると言われました。
そこからMと教育委員会の方と一緒に校長先生に会いに行き、その学校では医療的ケア児の生徒は前例がなく、日常生活で必要なケアや看護師の必要性などさまざまなことを聞かれました。難しい話が長く続いたからか、途中でMが寝落ちしちゃったときはひやひやしましたけど(笑)、最終的に校長先生が『待っていますね』と言ってくれて面談は終わりました」(高橋さん)
最後に大きなハードルとなったのが、学校側が受け入れるための看護師の存在です。教職員のサポートを得ること以上に、看護師の確保がネックでした。このときは、「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」が制定される2021年より以前のこと。今より環境がさらに整っていない状況下で、高橋さんは知り合いの看護師に声をかけたり、SNSで情報を発信したりして行動し続けます。その結果、看護師の採用ができたことで、地域で1人目となる医療的ケア児の公立小学校への進学を実現させました。
楽しそうに学校へ通う息子を見守りながら
「とはいえ、最初はうまくやれるか心配でした。でも、先生や看護師さん、周囲のお友だちの協力のおかげもあってMは学校が大好きになりました。期待するとともに不安でもあった子ども同士のコミュニケーションについても、友だちとふざけ合ったりもしますし、本人も『今まで嫌な思いをしたことはない』と言っています。
ここ数年は年に2回ほど手術で入院する時期があったんですが、教室とオンラインでつなぐと途端に元気になったりして、『本当に学校が好きなんだなぁ』と感じます。やっぱり、本人が楽しそうに学校に通えていることがいちばんうれしいですね。
成長するにつれて、学校での様子にも変化が見られてきました。たとえば、通学。2年生までは私たち親が一緒に登校していましたが、『ほぷふる』で自治体や教育委員会に要望を伝えていたこともあって、登下校や放課後の学童にも携わってくれる訪問看護ステーションとの契約が決まって。3年生からは朝も看護師さんが一緒にバスで登校してくれるようになり、通学がとてもスムーズになりました。
あと給食もですね。Mは胃ろうなので、これまでは栄養剤を利用していたんですが、本人から『みんなと同じ給食を食べたい』という希望があったんですね。それで、ミキサーをかけてみんなと同じものを食べられないか相談したところ、看護師さんが対応をしてくれることに。
初めてまわりの子どもたちと同じ給食を食べる日、心配で私も見に行ったんですが、給食をミキサーにかけている間クラスメイトたちが一緒に待ってくれていたんです。今日はMくんの記念すべき第1回目の給食だから、って。『これがこんなふうになるんだ〜』って、みんながお皿をのぞきこんだりして。同じ給食を目の前に『いただきます』をしている様子を見て、思わずジーンとしました」(高橋さん)
そんなMくんの様子を見て「今の学校を選んでよかった」と話す高橋さんですが、高学年になってからの授業や小学校を卒業したあとの進路など、今後も課題はまだまだあるといいます。
Mくんが在籍する特別支援学級では、通常学級に比べて授業のペースはゆっくりめ。知的な遅れがないMくんにとっては物足りないこともしばしばあり、「今後は、算数の授業だけ通常学級に行くことなども先生と相談している」のだとか。中学校への進学は、受け入れ先のバックアップ環境だけでなく、さらに先の将来を見据えた選択が必要となるため、小学校選びとはまた違ったむずかしさがあります。
「あとに続く子たちのためにも道を拓きたい」
3人きょうだいの子育てに家事、平日は仕事にとお話を聞くだけでも多忙そうな高橋さん。ただでさえ忙しい日々の中でなお、「医療ケア親子サークルほぷふる」の活動を続ける原動力とは。
「『ほぷふる』では毎年、自治体や教育委員会に要望書を出していますが、メンバーのみんなとはよく『もちろん自分たちの子どものために要望は実現してほしいけど、あとに続く子どもたちのためにも、なんとか道を拓きたいね』と話しています。仕事をしながらなので気力も体力も必要ですが、自分たちの声や行動が、あとに続くお子さんやそのご家族の選択肢を増やすことにつながったらいいなと。それが活動の原動力になっています。
声をあげ続けることは、正直たいへんなことも多いです。頑張っても変わらないこともありますし、うまくいかないこともあります。でもお子さんの就学や保護者の就職などで困っている人の声を聞くと、すぐには無理かもしれないけど『でも、言わないと何も変わらない』と思うので、今も声を集めて届け続けています。とくに自治体や行政は事例が1つできればそれが突破口となり、一気に道が拓けることも多いので。
たとえば小学校の受け入れに関しても、Mの就学をきっかけに、同じ地域で公立小学校での医療的ケア児の受け入れ事例がぐんと増えたんです。前例をつくれたことでほかの誰かの選択肢が広がったと思うととてもうれしいですし、あのときの1つ1つのできごとがちゃんと次につながっているんだなと感慨深くもあります。
医療的ケアを必要とする方はもちろんですが、そのご家族や高齢者など困っている人はほかにもいます。そういう人たちが暮らしやすい環境づくりの一助になれるよう、これからも声を届け続けることで“最初のきっかけ”をつくれたらいいなと思います」(高橋さん)
お話・写真提供/高橋由紀さん 取材・文/仲島ちひろ、たまひよONLINE編集部
自身の経験からサークルを立ち上げ、行動し続けることで可能性を切り拓いてきた高橋さん。最後に、医療的ケアを必要とするお子さんを育てるママやパパに伝えたいことを聞くと、「就学にかかわらず悩む時期がそれぞれの段階であると思います。吐き出せる場があれば問題が解決しなくても気持ちは楽になるので、1人で抱え込まず話せる人に話してほしい。自分もそうやって前を向くことができたので」と、ご自身の経験を踏まえて話してくれました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してこれからもさまざまな課題を取材し、発信していきます。
高橋由紀さん
PROFILE
2019年に医療的ケア児とその家族のサークル「医療ケア親子サークルほぷふる」を立ち上げ、代表を務める。情報交換や相談できる場としてネットワークづくりや定期的な交流会を開催、各自治体への意見や要望の提出など、医療的ケア児と家族が住みやすい環境づくりを目指して活動中。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報 は2024年9月現在のものです。