SHOP

内祝い

  1. トップ
  2. 赤ちゃん・育児
  3. 赤ちゃんの病気・トラブル
  4. 5歳6カ月で小児がんで亡くなった長女。一変した家族の生活を救ってくれたのは「グリーフケア」との出会い【脳幹グリオーマ体験談】

5歳6カ月で小児がんで亡くなった長女。一変した家族の生活を救ってくれたのは「グリーフケア」との出会い【脳幹グリオーマ体験談】

更新

入院中の沙紀ちゃん。ファシリティドッグのアニーちゃんと。

看護師の島田理絵さんには、2人の子どもがいます。第2子の沙紀ちゃんは、4歳のときに小児がんの小児脳幹グリオーマと診断され、5歳6カ月で天国に旅立ちました。理絵さんに、沙紀ちゃんの闘病やグリーフケアを学ぶきっかけについて聞きました。
全2回インタビューの後編です。

▼<関連記事>前編を読む

夫は介護休暇を取得し、家族と大切な時間を。5歳6カ月でお空に

沙紀ちゃんが闘病中に家に来た、愛犬つく。

沙紀ちゃんが小児がんの小児脳幹グリオーマと診断されたのは4歳の秋のことです。診断されたとき医師からは『治療法が確立されておらず、陽子線治療を受けても一時的な延命にしかならない。ほとんどの子が1年以内に亡くなってしまう』と告げられました。
陽子線治療とは、放射線療法の1つで、がん細胞のみをピンポイントで狙い撃ちできるため、ほかの正常な細胞へのダメージが少なく、副作用が軽く済む治療です。沙紀ちゃんは、この治療を自宅から遠く離れた大学病院で受けていました。

「夫ともしっかり相談し、奇跡を願って取り組んだ治療でした。しかし沙紀のがん細胞は髄液に広がり、脳室や脊髄にもがん細胞がバラバラと広がってしまったんです。
医師から『沙紀ちゃんと、ご家族で1日、1日を大切に過ごしてはどうでしょうか』と言われ、沙紀は訪問看護を受けながら自宅で過ごすことになりました。会社員の夫も介護休暇をとって、残された時間を一緒に過ごすことにしました。“公益社団法人難病の子どもとその家族へ夢を”などの協力を得て、新潟でチェアスキーを体験させてもらったりもしました」(理絵さん)

しかし、病気は進行していきました。

「闘病中にお世話になった方、みんなにあいさつができるように配慮したタイミングで、沙紀はお空に旅立ちました。優しくて、思いやりがある性格の沙紀らしい最期だったと思います。私も家族も『大好き!』という気持ちを沙紀に何度も伝えました」(理絵さん)

沙紀ちゃんを亡くして、何も考えられない日々

どんなときも笑顔を絶やさず「ありがとう」と、みんなに伝えていた沙紀ちゃん。

沙紀ちゃんがお空に旅立ってから、理絵さんは周囲との連絡を絶ちました。

「今、振り返ればあのときの私は、心にかたくふたをしていたような感じでした。心配してメールやLINEをくれる友だちには『心配してくれてありがとう。元気になったらまた連絡するね』と返信するのが精いっぱい・・・。自分たち家族と世間との間に大きな隔たりを感じてしまい、自分たち家族だけ取り残されたような気持ちになり、周囲の人とおつき合いができませんでした」(理絵さん)

そんな理絵さんの心を支えてくれたのは、息子と愛犬の存在です。

「‟つく”とは、沙紀が治療を受けていた地で出会いました。そこでは楽しい思い出もたくさんあり、陽子線治療を選んだことにまったく悔いはないです。そしてつくのお母さんにひょんなことで会いに行くことになったときに、ブリーダーさんに『つくの妹が生まれたけど見る? 同じパパ・ママ犬から生まれる子は、この子が最後よ』と言われました。それを聞いて、つくの本当の妹である‟うらり”を家族に迎えることを決めました。
うらりは、元気で甘えん坊でなんとなく沙紀に似ているんです。つくとうらりがじゃれて遊んでいると、長男と沙紀が仲よく遊んでいたことを思い出します」(理絵さん)

沙紀ちゃんが旅立ってから2年がたち、知人のすすめでグリーフケアを学ぶ

大好きなつくと一緒にママとお散歩する沙紀ちゃん。

心にぽっかり穴があいたような状態で看護師の仕事を続けていた理絵さんですが、グリーフケアと出会います。

「沙紀が亡くなって2年ぐらいがたったころ、知人から『グリーフケアって知ってる? 今の理絵さんにとっていい学びになるんじゃないかな?』と言われたんです。沙紀が亡くなって3カ月ほどで訪問看護の仕事を始めたのですが、それは働いているほうが哀しみにふたができたし、沙紀が私に残してくれたこと、教えてくれたことを無駄にしたくないという気持ちが大きかったためです。

また沙紀は元気だったころ『ママのお仕事、応援するね』とよく言ってくれていたんです」(理絵さん)

グリーフケアは大切な人やものを失った悲嘆を抱える方に、同行者として寄り添う支援です。

「しだいにグリーフケアを学んで仕事に活かしたいと思うようになり、日本グリーフ専門士協会の講座を受けようと思いました。グリーフケアを学んだら、私自身も何か変われると思いました」(理絵さん)

グリーフケアを学び、哀しみ、怒りも、何もできない自分も・・・受け入れられるように

グリーフケアに参加した人が、少しでも安心して語れるよう、温かい雰囲気作りを行い安心、安全のルールを設けて会は進行されます。

理絵さんはグリーフケアを学ぶ中で、大切な沙紀ちゃんを失ったことで生じた、あらゆる感情と向き合うことの連続でした。

「自分の感情と向き合うことができず、情けなく感じて、やめたくなることもありました。しかし、グリーフケアの学びの中で、仲間とお互いの喪失体験を語り合う時間を重ねていくうちに、大切な話を聴かせてもらったり、私の気持ちを大切に聴いてもらったりする経験を繰り返しました。その中で『哀しみ、怒りなどのネガティブな感情に押しつぶされそうになる弱い自分も、すべてが大切な私の一部であること』『哀しみは、お空の娘とつながる大切な感情である』と気づけるようになったのです。
私が『自分はダメなママだ』と落ち込んでいると、沙紀は『ママはママのままでいいんだよ』と慰めてくれる子でした。グリーフケアに出会い、今なら沙紀の言葉の意味を深く理解できるように思います」(理絵さん)

理絵さんは、グリーフカウンセラーの資格を取得し、グリーフサポートIERUBAでカウンセラーとして活動を始めました。そして2024年8月には、大切な故人への想いを語れる場として、神奈川県相模原市で「グリーフケア Cafe つむぐ」の活動を始めました。

「グリーフケアに出会って、沙紀が亡くなってからかたく閉じていた私自身の心のふたをやっと開けることができました。息子には、ママが心にふたをしていたから、君も心にふたをしちゃったよね。ごめんね』という気持ちでいっぱいです」(理絵さん)

沙紀ちゃんを亡くしてから深い哀しみに包まれていた理絵さんの夫も「自分にも何かできたら・・・」と考えるようになったそうです。

「夫は、もともとランニングが好きなので、こどもホスピスのチャリティーランナーなどを務めています。私たち家族はかなりの時間が必要でしたが、今、家族が一歩ずつ自分の人生を歩き出しました。

沙紀は今でも天国で『ママのお仕事、応援するね』と言ってくれていると思います。いつかお空で沙紀と再会したときに『ママ、頑張ったね』と言ってもらえるような人生を歩みたいと思っています」(理絵さん)

お話・写真提供/島田理絵さん 協力/一般社団法人 日本グリーフ専門士協会 グリーフサポートIERUBA(イエルバ) 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部

沙紀ちゃんが天国に旅立って6年がたちました。インタビューのとき家族構成をうかがったら「夫、長男、沙紀、私の4人家族です」と答えた理絵さん。今でも沙紀ちゃんが好きだったお花やハートのものを見るたび「沙紀、かわいいね!」と話しかけているそうです。理絵さんは「哀しみは忘れたり、消すものではなく、大切に抱えていくもの。グリーフケアと出会い、哀しみとのつき合い方を見つけられた」と言います。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

グリーフサポートIERUBA(イエルバ)

グリーフケアcafe つむぐ

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年10月の情報であり、現在と異なる場合があります。

赤ちゃん・育児の人気記事ランキング
関連記事
赤ちゃん・育児の人気テーマ
新着記事
ABJマーク 11091000

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第11091000号)です。 ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら→ https://aebs.or.jp/

本サイトに掲載されている記事・写真・イラスト等のコンテンツの無断転載を禁じます。