思うようにいかない自身の子育て。そんなときに起きた痛ましい事件。子どもの視点に立ってみることの大切さとは?
どうして泣いてばかりなの?食事をこぼしてしまうのはなぜ?――子育てをしていると、子どもの気持ちがわからないことがたくさんあります。電通の社員が立ち上げた「こどもの視点ラボ」は、大人が子どもの視点に立つことで、子どもがどんなことを感じているのかを研究しています。このラボが誕生した背景には、代表のクリエイティブディレクター・石田文子さんと沓掛光宏さんの子育て経験と、子どもへの“不適切なかかわり”への強い思いがありました。
全2回のインタビューの前編です。
息子の子育て中「母性は自然と芽生えるものではない」ことを実感
――「こどもの視点ラボ」が生まれたのは、石田さん、沓掛さんの子育て経験が背景にあると聞きました。
石田さん(以下敬称略) 現在10歳の息子は、予定帝王切開で生まれました。生まれたばかりの息子を私の胸に乗せてもらったときは、とても感動して涙が出たのをはっきりと覚えています。
とはいえ、私は出産するまでほとんど子どもと接したことがありませんでした。漠然と「出産してお世話を始めるようになったら、自然と母性が芽生えるんだろう」と思っていたんです。
ところが母性が芽生えるどころか、全然うまく“お母さん”ができなくて。生まれたばかりの赤ちゃんは想像していたよりずっと小さく、首もすわっていません。どんなふうに触れたらいいのかさえわからず、途方にくれてしまって・・・。
入院中、授乳の時間になると助産師さんが「赤ちゃんにおっぱいあげてね」と、部屋にいる私のところに赤ちゃんを連れて来るんです。「まだおっぱいもうまくあげられないし、泣きやまなかったらどうしよう・・・」と緊張しました。部屋を去っていく助産師さんの後ろ姿を見ながら、「ちょっと待って!この子と2人きりにしないでー!」と心のなかで叫ぶ始末で・・・(笑)
里帰り出産をして、1~2カ月ほどで戻るつもりでしたが、結果育休明け近くまで、出産後約8カ月ほど里帰り先で過ごしました。自分が中心となってお世話をする自信がまるでなかったんです。実母と交互に抱っこをしてお世話をする毎日でした。つきっきりでサポートしてくれた母には、本当に感謝しています。
――沓掛さんは、パパの視点から出産・育児をどのように感じましたか?
沓掛 僕には7歳と2歳の子どもがいます。上の子のときは立ち会い出産をしたんです。ところが、下の子が生まれるときはコロナ禍で、立ち会い出産ができませんでした。出産の間、僕は病院の廊下で待っていました。
赤ちゃんを少しだけ見られたのは、分娩(ぶんべん)室から新生児室に移動する廊下だけでした。シャッターチャンスを逃さないよう集中していた気がします。第1子と第2子では、生まれた状況がそれぞれまったく違いました。
僕は、妻の妊娠中からパパになる準備はしていたつもりです。いろんな育児書を読んだり、妻に誘われて自治体が主催する妊婦体験講座に参加したりしていました。
講座では妊婦がどれくらい重さを感じているのかを体験できる「妊婦体験ジャケット」も身に着けたこともあります。とても重くて、大きなおなかが邪魔をして足元も見えず、妊婦さんの大変さを実感しました。
沐浴の練習などもしていたのですが、いざ育児が始まると戸惑うことばかりでした。あたふたしているうちにあっという間に時間が過ぎてしまった気がします。
“子どもへの不適切なかかわり”はひとごとではないと痛感。楽しく子どものことを思いやる方法を模索
――実際に出産・育児を経験したことで、気づいたことがたくさんあったのですね。
石田 わが子がイヤイヤ期まっさかりのころ、言うことを聞いてくれない子どもによくイライラしていました。たとえば息子が保育園に通っていたころ、なかなかベビーカーに乗ってくれなかったんです。しかたなく歩いていこうとすると、大人なら10分で到着する距離なのに、あちこち寄り道をするので1時間かかることもありました。ようやく保育園に着いたと思ったら、なぜか園のなかに入らず、ひっくり返って大泣きすることも。私も仕事に行かないといけないので、あせって「お願いだから早くして」ときつく言ってしまうこともありました。
そんな自分がイヤで・・・。こんなに小さくてかわいい子どもに、どうしてイライラしてしまうんだろう、と自己嫌悪におちいってしまいました。そんなときにふと「私のこの感情は、いままで人ごとだと思ってきた“虐待”と地続きなのではないか?」と思ったんです。もし周囲に助けてくれる人がいなかったり、息を抜く場がなく追い詰められていたら、私が抱いたイライラはエスカレートしてしまうかもしれない。だれでも当事者になり得るのだと、怖くなりました。
――自身の感情を見つめたことで、新しい視点を得られたのでしょうか。
石田 ちょうどそのころ、5歳の女の子が書いた「反省文」が公開された痛ましい虐待死事件が起こりました。それまでは被害者の子どもは「もの言わぬかわいそうな存在」と、世の中的にとらえられていたのではないでしょうか。
その反省文を読んだとき、被害児側の気持ちが初めて可視化されたのではないかと思いました。わずか5歳の女の子が、許してもらおうと懸命につづったであろうその文章にとても衝撃を受けたんです。
彼女の気持ちを想像すればするほど、何もしないことが無理で。自分にできることはないかと「家庭に入れる日用品に虐待相談ダイヤルを印刷する」というつたない企画書を持って、日用品メーカーの方々に話を聞いてもらいました。でも「取り組まなければいけない問題だけど、商品は楽しい気持ちで買ってもらいたい」「これはお客さまを疑う行為になりませんか?」と、もっともなご指摘を受けて残念ながら実現しませんでした。
子どもの感じていることを大人に疑似体験してもらい、子どもについて理解してもらいたい
――その後「こどもの視点ラボ」を始めたきっかけは?
石田 先ほどのつたない企画書を持って歩いていたころ、たまたま別件で子育てに関する仕事を担当していて。そのとき、一緒にチームを組んでいたアートディレクターの沓掛くんから「ベイビーヘッド」というインスタレーションのアイデアが出てきたんです。
――「ベイビーヘッド」とはどんなものですか?
沓掛 大人に子どもの頭の重さを体感してもらうため、赤ちゃんの頭のかぶりものをかぶってもらうというものです。先にも述べましたが、妊婦ジャケット試着体験がヒントになっているかもしれません。
新生児は約4頭身、頭の重さは体重の約30%もあるといわれています。僕の身長180cm、体重70kgに置き換えてみると、頭の長さは45cm、重さはなんと21kgにもなるんです(※)。実際に大人が子どもの生きる世界を疑似体験することで、子どもの感じていることや考えていることを想像しやすくなるのではないかと思いました。
その企画を考えた当時の僕は、ちょうど第1子が生まれたばかりでした。赤ちゃんに対する意識が高まっていたから、子どもに関するニュースにも関心があって。
先ほど石田さんが言っていた虐待事件はもちろん、ちょっと目を離したときに子どもがベランダから落ちてしまうなど、悲しいニュースもよく目にしていました。その仕事でベイビーヘッドが採用されることはなかったのですが、意義のあるアイデアだと思ったので「自分たちで展示をするのはどうだろう?」と相談しました。
石田 楽しみながら子どもへのかかわり方を考えられる、とてもいいアイデアで。私としてもたりないピースがはまったような感覚があり、2人で社内のラボとして活動を始めました。
※ 出典/メディックメディア 『レビューブック小児科』 産総研 日本人頭部寸法データベース2001 「体重の約30%」については頭の重量に関するデータがないためあくまで一般論です。
大人が子どもの感じている世界を楽しく疑似体験できる「こどもの視点ラボ」を
――自分たちで発信するため、どんなことを行ったのでしょうか?
石田 最初はベイビーヘッド単体の企画だったのですが、だんだんアイデアがふくらみ「大人が子どもの視点に立ち、子どもが生きている世界を疑似体験」して、さまざまな物事を子どもの視点から見つめ、研究していく企画になっていきました。
いくつか別のアイデアも考えて、早々に体験展示会を開催しようと思っていたんです。でも、ちょうどコロナ禍に入ってしまい、電通の情報サイトでレポートを配信して、体験展示ができるタイミングを待つことにしました。
――沓掛さんの考えたベイビーヘッドの製作で大変だったことはありますか?
沓掛 先ほどお話したとおり、頭の重さは体重の約30%もあるといわれています。180cmある僕に置き換えると、頭の重さが21kgになるんです。いざ作ってみるとあまりに重すぎたので、1.5kgにとどめました。でも、実際にかぶってみると1.5kgでもとても重いんです。すぐにふらつき、とても危ない状態だと感じました。
安定感のないところで身を乗り出したら、あっという間にバランスを崩すだろうと理解できました。
ベランダから転落する理由がわかったような気もしました。子育てであわただしい日々を送っていると、「少しくらい大丈夫だろう」と思ってしまうことってあるかもしれません。でも、油断するのはとても危険なんだなと気づきました。
たとえば、外出先でおむつを替える際、短時間で終わるからとおむつ台のベルトをはずしたままでいると、頭の重い赤ちゃんは転がり落ちてしまってもおかしくありません。
言葉で説明されるより、自身で疑似体験したほうが実感できるんだなと思いました。それに、やっぱりアイデアを考えるのが楽しいんです。「子どもには世界がこんなふうに見えているんだ」と、子どもへの理解を深めてもらえるといいなと思っています。
お話・写真提供/石田文子さん、沓掛光宏さん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
「こどもの視点ラボをやっていると、大人用に作られた世の中でくらしている子どもたちは本当に頑張っている、むしろスーパーヒューマンだな、と思う」と石田さん。どうしてこんなこともできないんだろう?と、大人はつい自分の尺度で子どもと接してしまうけれど、子ども側の大変さを知ることで、大人のイライラは少し減らせるのではないか。子どもの視点を知ることで、子育ての大変さがほんの少しでも軽減されればうれしい、とのことでした。
こどもの視点ラボ
子ども当事者の視点とはどんなものなのかということを、まじめかつ楽しく研究しているラボ。「大人が子どもになってみる」ことで、子どもへの理解を深め、親と子、社会と子どもの関係がよりよくなることを目的として活動している。
石田文子さん(いしだふみこ)
PROFILE
クリエイティブ・ディレクター&コピーライター。宣伝会議賞グランプリ、TCC新人賞、ACCジャーナリスト賞、NYフェスティバル、アドフェスト、スパイクスアジア金賞など受賞多数。「こどもの視点ラボ」代表。ラボとしての著書に「こどもになって世界を見たら?」(トゥーヴァージンズ)、「こどもになっちゃえ!」(金の星社)、「すいちゃんはいそがしい」(Gakken)
沓掛光宏さん(くつかけみつひろ)
PROFILE
クリエイティブ・ディレクター&アートディレクター。子どもから大人までポジティブな気持ちになれるデザインをめざしている。 カンヌ・デザイン部門銀、ワンショウ・デザイン部門 銅、London international Awards 金、アドフェスト 金・銅賞、朝日広告賞など受賞。「こどもの視点ラボ」代表。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年5月の情報であり、現在と異なる場合があります。