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言葉をまったく話さない息子。「ママのことどう思う?」という問いに、「SUKI」とローマ字で感情をつづった忘れられない瞬間【重度自閉症体験談】

更新

3歳10カ月のときの博仁さん。公園で遊ぶのは好きでした。

内田博仁(はくと)さん(16歳・高校1年生)は、3歳のとき重度の自閉スペクトラム症(以下自閉症)で重度の知的障害の疑いもあると診断されました。16歳の現在も言葉を発することはできませんが、小さいころから文字を入力して気持ちを表現する訓練をしたことで、子ども向けの文学賞を何度も受賞するほどの表現力を身につけました。
博仁さんの「学びたい」という気持ちを受け止め、サポートし続けてきた母親の敦子さんに、幼児期から小学生のころの博仁さんのことを聞きました。
全3回のインタビューの2回目です。

▼<関連記事>第1回を読む

何をやるべきかわかっているのに積み木を詰めない。その悔しさが伝わってくる

4歳2カ月のとき。敦子さんの日ごろの疲れを癒やすために、休日は夫さんが外遊びを担当していました。

――博仁さんは、指示どおりに積み木を積むことができないなど、知能検査の結果、重度の知的障害の可能性を指摘されました。

敦子さん(以下敬称略) 積み木の検査について博仁は、中学2年生のときに「第14回子どもノンフィクション文学賞」の審査委員特別賞を受賞した作品の中でこう書いています。

「脳の機能障害なので積み木をこのようにまねして作ってごらんと言われても手が自分の思うように動かせないのだ。このように動かせばいいのだと頭では理解しているのに手が思うように動かせない」

積み木の検査は3歳ごろから小学校低学年ごろまで、毎年していたと思います。私は毎回後ろから見ていたので、できないのが悔しいんだろうなといつも感じていました。博仁は感情を態度や表情などで表せないので、積み木の検査のとき、いつもケラケラと笑っていました。でも、それは楽しいからでも、何も感じていないからでもなく、悔しくてつらいからだったはず。
あまりにもかわいそうで、帰り道を運転中に私が泣いてしまい、その姿を見て息子も泣いて・・・。2人で泣きながら帰ったことが何度もありました。

博仁がどのように感じていたのか、当時の私は母親の勘のようなもので推測するしかできませんでした。でも、指示されたことを頭では理解していて、自分はどうすればいいのかもわかっているのに、そのとおりに手を動かせないこと、そして、そのことを言葉で伝えられないことが、二重に苦しかったのだと思います。その後の博仁の作品を読んで、やっぱりそうだったんだと納得しました。そして当時の博仁の悔しさがひしひしと伝わってきて、胸が痛くなりました。

最近は、重度自閉症の子どもの知能検査は、人によっては正確な結果が出ないことがあるから参考程度に考えればいい、という説明があるようですが、当時はなかったように記憶しています。
「本当はわかっていると思うんです」と説明したいけれど、その方法がなくて、私もとても苦しかったです。

2択の問題を解くごとに目の輝きが増す息子。「この子は勉強したいんだ」

5歳4カ月ごろ。外では落ち着かない行動も見られましたが、勉強するときは驚くほど集中していたそうです。

――博仁さんは言葉を発することができませんが、2歳半ごろ〇×問題などを正解する様子を見て、敦子さんは「言葉を理解している」と確信したとか。

敦子 そのころは、2択で答えられる問題をたくさん出していました。ひらがなを覚える知育玩具に、〇×を押せる機能がついていたので、「冷蔵庫は飛ぶ?」「自転車より飛行機が速い?」など、〇×で答えられる問題をたくさん試してみたんです。博仁は全部正解を出しました。単語の意味も、それが何をするものなのかもわかっていたと思います。

――博仁さんはそうした知識をどこで得ていたのでしょうか。

敦子 1歳前からたくさん絵本の読み聞かせをしてきたので、その読み聞かせから得たのかなと思います。博仁は絵本を読んでもらうのが大好きなんです。今も自分で字を目で追いながら読むことは難しいので、私が朗読するのを聞いています。

――2択の問題を答え続けることで、博仁さんに変化は見られましたか。

敦子 表情が豊かになり、目に輝きを増すのを感じました。「自分はわかっている」と示せることが、とてもうれしかったんだと思います。私も息子と思いが通じている感じがして、とても幸せな気持ちになりました。

――「この子は勉強したいんだ」と感じたそうですね。

敦子 普段は何か話しかけても反応が鈍いのですが、「勉強するよ」と声をかけると即座に椅子に座り、何時間でも勉強を続けます。知識が増えていくことが楽しくてしかたがない様子でした。これは今も変わりません。

自分の名前をローマ字で入力。言葉をつづる術を身につけた、忘れられない瞬間

小学校低学年のころ。先生や同級生に恵まれ、学校生活を穏やかに過ごすことができました。

――博仁さんが初めてキーボードに言葉を入力したのは6歳のときでした。

敦子 重度障害児のコミュニケーションについて長年研究している大学の教授がいることを知り、大学に直接電話をして面会をお願いしたら、博仁に会ってくださることになりました。

先生は落ち着きがない博仁を追いかけまわすようにしながらたくさん話しかけ、手を握ったりしながら何かを確認したあと、「この子は文字をわかっているようですよ」って。そして、先生が使っている電子手帳を博仁に渡し、「何か文字を打ってごらん」って促しました。

すると博仁は、何の補助もなしに「UCHIDAHAKUTO」って打ったんです!
「え?文字を打てるの?ローマ字入力がわかっているの??」って私は声も出せないほど驚きました。博仁と私の人生が変わった瞬間です。

――博仁さんはローマ字入力の方法をどうやって覚えたのでしょう。

敦子 教えたことは一度もないんです。私がパソコンでキーボードを打つとき、横で見ていることが多かったから、それで覚えたようです。後ほど博仁もそのように伝えてくれました。
先生の研究室から帰る途中、先生が持っていたのと同じ電子手帳を買い、翌日からキーボードで言葉を打つ練習を始めました。富士山の写真を見せて「これは何?」と聞き、博仁が「FUJISAN」と打つ、といった感じです。キーボードを打つ練習になるとともに、博仁の言葉の理解力を高めることにもつながったようです。

――練習はスムーズでしたか。

敦子 物の名前を打つのはとてもスムーズでした。ところが、自閉症の子は自分の感情を表すのがとても苦手なので、自分の思いを表現することはかなり苦戦しました。「今は楽しい気分?悲しい気分?」など、答えやすい二択の問題をたくさん出して、気持ちを言葉にする練習を根気強く行いました。

初めて自分の気持ちを言葉にしてくれたのは、「お母さんのことはどう思う?」「SUKI」。大学の教室で初めてキーボードに文字を打ってから半年後のことでした。

小学校の先生からも学習する喜びを教えてもらえ、学習能力がどんどん伸びる

小学校低学年のころ。お父さんと一緒に自転車の練習をしているところ。

――小学校は公立の支援級に通いました。小学校生活はどうでしたか。

敦子 同級生になかなか溶け込めなかったりはしたようですが、先生方は博仁の特性を理解しようと努力してくださり、同級生にも温かく受け止めてもらえ、穏やかな日々を送っていたと思います。

とくに4年生のときの先生は、博仁の人生を変えてくれた方です。家庭訪問のとき先生の目の前で、「いつもめいわくをかけてすみません」と博仁がキーボードに打つのを見て、博仁に学ぶ力があると信じてくださったようです。
毎日ほかの子と同じ学習プリントをたくさん持たせてくれるのは、「みんなと同じ学習をしなさい。できるはずだ」という先生からのメッセージだと感じました。おかげで、博仁の学習能力はぐんぐん伸びていきました。

――博仁さんは、14歳のときの作品の中で、そのことも触れています。

敦子 「僕の脳に知識が増え、刺激されて伸びていくことを実感できたあの日々は本当に幸せだった」って書いています。知識が増えていくと人はこんなにも変わっていくんだなと日々感じました。目の力が強くなっていき、表情がどんどん豊かになっていったんです。

一瞬目を離したすきに姿を消す。自閉症児のパニックの怖さを痛感

博仁さんの「学びたい」という意欲に応えるために、家庭学習で敦子さんが使った数々の教材や本。

――自閉症の子どもはパニック状態に陥ることが多いといわれます。博仁さんもそうでしたか。

敦子 そうです。いちばん怖い思いをしたのは、12歳のとき駐車場で突然パニックになり、一瞬のうちに姿が見えなくなってしまったこと。博仁はもちろん自分の名前を言えないし、1人で戻ってくることもできません。このままいなくなってしまったらどうしよう・・・と、私もほぼパニック状態で、「はくと!!」「はくとーーっ!!!!」と絶叫。
ただごとではないと察してくださった方が博仁をつかまえてくれ、「ここにいますよ!」と大声で返してくれたのを聞いたときには、極度の緊張がほどけて全身の力が抜け、立っているのがやっとでした。駐車場を飛び出して、車道に出るところだったそうです。運が悪かったら車にひかれていたかもしれません。自閉症のパニックの怖さを痛切に感じました。

博仁本人はすっかりパニックが収まっていて「何があった?」みたいな表情。何をしたかわかっていないんですよね。それからは外では絶対に手を離さないように、夫ともども徹底しました。
でも、年齢とともに衝動を抑えられるようになってきて、昔のように急に走りだすことはなくなりました。博仁の成長を感じます。

こんなふうに、重度自閉症児ならではの困ったこともたくさんあったのですが、勉強しているときの博仁は、学ぶことの喜びに包まれていました。その応援をするために、私は博仁が読みたい本、俳句、漢詩などを朗読し、博仁はそれをキーボードに打って理解を深める。これを日々繰り返しました。
それは博仁だけでなく、私にとっても充実した時間でした。

お話・写真提供/内田敦子さん 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>第3回

博仁さんの「勉強したい」という切なる希望をかなえるために、家庭でできることはなんでもやったという敦子さん。その努力が実り、博仁さんはどんどん知性を高めていきました。

インタビューの3回目は、博仁さんが文章を書くことに込めた思いと、敦子さんと博仁さんが描く将来の夢などについてです。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年10月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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