脳性まひで車いす生活のママ。1歳になった娘の成長を喜びながら、「健常者になりたい」と泣いたいくつもの夜も【体験談】
脳性まひのため車いすで生活する千葉絵里菜さんは、2024年2月に女の子を出産してママになりました。現在は北海道帯広市で、夫と1歳2カ月の茉里(まつり)ちゃんと暮らしています。2021年開催の東京パラリンピックでNHK障害者キャスター・リポーターを務めた絵里菜さん。現在は帯広でラジオパーソナリティなどの仕事をしながら、SNSで「車いすママ」として子育ての様子を発信しています。絵里菜さんに、車いすママとして子育てで感じてきた葛藤や、社会に伝えたいことなどについて聞きました。全2回のインタビューの後編です。
900件以上の批判コメントすべてに目を通した
2024年6月、「たまひよONLINE」で絵里菜さんに取材した記事がニュースポータルサイトに転載されると、900件以上のコメントが寄せられました。中には障害のある人の出産や育児について批判的なコメントもありました。
「“障害がある人には子育てはできない”という前提で、『親のエゴ』や『子どもがかわいそう』といった否定的なコメントがたくさんありました。すべてのコメントに目を通しました。今思えば、全部読む必要もなかったけれど、そのときはせっかくたまひよさんに自分のことを発信してもらったのだから、ちゃんと向き合わなきゃ、と思ったんです。
批判的なコメントをした人にどんな背景があるのかはわかりません。でも、障害のある人とかかわったことがなかったり、障害者と呼ばれる人にもいろんな人がいることが知られていないということなのかな、と感じました。もっと車いすのママやパパが子育てしていることを当たり前にしていきたいと感じて、自分の子育てをSNSでもっと積極的に発信しようと思いました」(絵里菜さん)
今回のインタビューも「本当は取材を受けるか迷った」と、絵里菜さんは話します。
「ニュースポータルサイトでたくさんの意見をもらったときに、今子育てをしている車いすママや、これから妊娠を考えている車いすユーザーにとって、私が発信することが果たしていいのか悪いのかわからなくなって、車いすママの友人に相談をしたんです。
彼女は『絵里菜ちゃんが発信してくれると勇気づけられる。否定的なコメントが多いのは、きっと社会が追いついていないから。一緒に頑張ろう』と励ましてくれました。だから、今回の取材を受けて、私たちのような家族のあり方や、子育てのしかたもあることを知ってもらいたい、と思いました」(絵里菜さん)
各種SNSで「脳性まひの車いすママ」として日々の子育てを発信する絵里菜さん。外出先で声をかけられるなど、車いすママとしての認知度も少しずつ上がっているようです。
「3月上旬に十勝で行われた“赤ちゃんオリンピック”というイベントに、夫と娘とヘルパーさんと一緒に参加しました。障害物やカラーボールが置かれたところを赤ちゃんがはいはいする、というイベントです。そのとき『SNS見てます』『応援してます』と声をかけてもらいました。北海道にも応援してくれる人がいるんだな、と実感しました。
これから、もっと車いすのママの存在を広く知ってもらえれば、娘が大きくなったときに生きやすくなるんじゃないか、と。私の姿を通して、さまざまな人が出産や育児ができる選択肢があると知ってほしいです」(絵里菜さん)
ママなのにお世話をしてあげられない葛藤
「以前は自分が母親になるなんて想像できなかった」という絵里菜さん。実際に子育てをしてみて、「ほかのママたちと同じことができない」とつらさを感じることもありました。
「私は娘が泣いていても、立って抱っこしてあげることができません。私は電動車いすを前後させてゆりかごみたいにゆらすことはできるけれど、それではあんまり泣きやまなくて。やはり家族やヘルパーさんが、立って抱っこしてあやしたり歩いたりしたほうが泣きやむんです。『こんなにも違うのか』と、思うくらいです。そういうときには、かなり落ち込んでしまいました。
車いすママの友人に相談したら『妊娠して10カ月間おなかで育てたのはあなただから、もっと自信を持っていいんだよ』と励ましてくれました」(絵里菜さん)
2025年2月で1歳を迎えた茉里ちゃん。すくすく育っていることが喜ばしい反面、その成長が寂しくもあると絵里菜さんは言います。
「娘はどんどん成長して、つかまり立ちしたり、伝い歩きをしたり、私よりもできることが増えてきました。娘が生後半年くらいまでは、私が自分でお世話してあげられることも多かったんです。ヘルパーさんに助けてもらいながら、抱っこしたり、ミルクを飲ませたり・・・。だけど、娘がつかまり立ちをするようになってからは、抱っこしてほしそうな顔をしていても、持ち上げたり抱っこしたりできない自分にモヤモヤするように。
娘の成長とともに、私がしてあげられるお世話が少なくなってしまって、寂しさが募りました。母親はこうあるべきという固定概念にとらわれていたんだと思います。『世間のママができることを私はしてあげられない・・・』、そんなモヤモヤが積み重なって、夜になると涙が止まらない日々。覚悟をして親になったはずなのに、想像以上の寂しさを実感し、あるとき夫に『健常者になりたい』と言って泣きついてしまいました。夫は、ただ、ただ黙って話を聞いてくれました」(絵里菜さん)
できないこともある。でもポジティブにできることを考えたい
子育ての不安や葛藤を感じた絵里菜さんが、ある車いすママの友人に相談した際、車いすママだからこそしてあげられることにも気づきました。
「小学校2年生の子どもを育てる車いすママの友人に相談したんです。彼女の子どもが2歳のとき『ママ、なんで抱っこできないの』と言われたことがあったそうです。彼女は『ママが車いすだから、あなたはず〜っとママのひざにいられるんだよ〜。ほかのママはこんなに長いこと抱っこできると思う?』と自慢げに話して聞かせたそうです。
たしかに私たちは車いすだからこそ、子どもをずっとひざの上に乗せてあげられます。彼女のように、車いすだからこそできることももっとあるはず。これからの子育てでもネガティブになることはたくさんあると思うんですけど、娘の前ではポジティブにいたいなと思います」(絵里菜さん)
絵里菜さんは、茉里ちゃんが3歳を過ぎるころには、自身の障害について伝えたいと考えています。
「娘がもう少し成長して言葉がわかり始めたら、『あなたのママは障害があるけれど、精いっぱいあなたに愛情をかけて生きていきたいと思っているよ』と伝えられたらいいなと思っています」(絵里菜さん)
「まぜこぜの社会」をめざして
現在、帯広のラジオ「FM JAGA」の『ちばえりなのみんなの色』という番組パーソナリティをしている絵里菜さん。障害のある人もない人も一緒に協力し合って暮らせる社会をめざしています。
「番組ではいろんな色を持っている人をゲストに迎えてトークしたり、自分自身の体験を発信したりしています。みなさんの周囲にもいろんな個性の人がいると思いますが、自分と考えや個性が違う人に出会ったときに、どうやったらうまく一緒に過ごせるかを考えられる、そんなきっかけになったらいいなと思っています。
あとは、帯広は小さな町なので何かがあるとすぐうわさになるんですけど(笑)、それをいい意味でとらえたいな、と。障害の有無にかかわらずいろんな人がいていいし、お互いを認め合いたい、そういう町になったらいいなと思います。それは、私がNHKでリポーターをしていたころから伝えたいこと。これからもラジオやSNSで発信し続けていきたいです」(絵里菜さん)
そのほかにも、「NPO法人みんなのポラリス」の理事をつとめ、障害の有無に関係なく楽しめるスポーツやカルチャーイベントなどを開催する活動もしています。
「みんなのポラリスでは、ボッチャというスポーツのイベントを企画したり運営したりしています。ボッチャは、障害のある人、難病を患っている人なども参加できるスポーツです。私は健常者・障害者にかかわらず、スポーツを通してだれもが楽しく暮らせる『まぜこぜの社会』を実現したいと考えているんです」(絵里菜さん)
お話・写真提供/千葉絵里菜さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
批判的なコメントを受け、絵里菜さん自身も深く傷ついたに違いありません。それでも再び取材を受けてくれた絵里菜さん。子育てに多くの葛藤がありながらも、それに向き合う絵里菜さんの勇気や強さを感じました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年3月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。