予定日より2カ月も早く、小さく生まれた娘…。「きっと楽しい育児はできない」と落ち込んだ日々【体験談】
低出生体重児の家族が集まり情報交換などをする「リトルベビーサークル 滋賀のCOAYU」代表の小島かおりさん。5歳の女の子と1歳の男の子、車いす生活の夫と4人で暮らしています。長女のひなのちゃんが約1400gの小ささで生まれたときの経験から、かおりさんは「お母さんの不安を軽くしたい」と母子健康手帳のサブブックである「リトルベビーハンドブック」を作成する活動を始めました。かおりさんに、ひなのちゃんの成長や、同じ境遇のママたちへの思いについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。
「きっと楽しい育児はできない」と落ち込んだ
ひなのちゃんは、予定日より2カ月早い妊娠32週に緊急帝王切開により体重約1400gで生まれました。前置胎盤で入院中に高血圧腎症になったかおりさんが、呼吸もできない状態になってしまったからです。
夫の慎弥さんはひなのちゃんが生まれた日の真夜中に、医師から小さく生まれた赤ちゃんに必要な治療のことや、成長する上でのリスクなどについて、2時間ほど説明を受けました。
医師からは「小さく生まれたけれど、出生週数にしては悪いところは見られない」と言われたものの、かおりさんと慎弥さんは、わが子がいつごろ退院できるのか、障害が残るのか、など心配なことばかりでした。
「赤ちゃんは3000gくらいで生まれるものだと思っていた私は、予定日より2カ月も早く、約1400gの小ささで生まれたわが子がどんなふうに育つのか、わからないことばかり。私は出産直前に発症した妊娠高血圧腎症のために目がよく見えない状態が続いていて、スマホで検索もできません。情報を得る手段がないことも不安でした。
3年間の不妊治療の末、やっと授かった赤ちゃん。だけど、育児のスタートは想像とは大きく違ったものでした。私は妊娠中から育児の様子を知りたくて『ひよこクラブ』を読んでいたんですが、あんなふうにキラキラした楽しそうな育児は私にはできないだろう、と思っては落ち込んでいました」(かおりさん)
産後11日で退院したかおりさん。視力が悪い状態だったこともあり、自宅から50分ほどの距離にある病院のNICUへの面会は週に2〜3回、夫や家族と一緒に行っていました。かおりさんがひなのちゃんを初めて抱っこできたのは、生後2週間を過ぎたころのことです。
「それまでは保育器に手を入れて触れるだけでしたが、初めて娘を保育器から出して抱っこすることができました。私の胸のところに娘を抱っこして、1時間半くらい親子2人っきりで過ごしました。
娘は私の胸をもぞもぞと動いて上のほうに移動してきたり、乳首を引っ張って遊んだりして。こんなことするんだなって、いとおしさがこみ上げてきました。こんなにかわいい女の子がおなかの中にいたんだと実感して、うれしさと幸せとで胸がいっぱいになりました」(かおりさん)
小さく生まれたけれど、すくすく成長してくれた
医師が「悪いところは見られない」と言ったとおり、ひなのちゃんは合併症などを起こすことなく、少しずつ成長しました。
「最初のころは10分〜20分かけて授乳しても、授乳後に体重をはかると減ってしまっていました。飲むだけでもカロリーを消費してしまうタイプだったようです。それでも、少しずつミルクの量も飲めるようになり、成長してくれました。幸いなことに合併症などもなく、手術なども受けずに退院するまで大きくなってくれました。
そして、生後2カ月を過ぎたころに退院。早く産んでしまったから風邪をひきやすかったり、体調を崩しやすいのかと心配していましたが、退院後は全然風邪もひかず、健やかに成長してくれました」(かおりさん)
退院して自宅に戻る際にも、小児科医から「この子はなにも心配なことがないから、予防接種のときくらいに来てくれればいいよ」と太鼓判を押されたひなのちゃん。フォローアップ外来に通うこともなく、退院後の成長発達も順調この上なかったのだとか。
「生後3カ月で健診を受けたときは、娘は修正月齢(出産予定日を基準にした月齢)で1カ月だったので、同じ月齢の赤ちゃんとの体格差が気になりました。けれどその後はぐんぐん成長し、9~10カ月健診からは生まれた月齢で受けることができ、1歳でひとり歩きができるまでに。その後は通常の月齢で健診を受けるようになりました。
始めは不安だらけのスタートだった育児ですが、娘の成長につれて、楽しみでいっぱいになりました」(かおりさん)
滋賀県内にも同じ境遇の仲間が欲しい
ひなのちゃんがまだNICU(新生児集中治療室)に入院中、育児に大きな不安を抱えていたかおりさん。産後1カ月ほどで視力が戻ったかおりさんは、SNSで小さく生まれた赤ちゃんの情報を集めるようになりました。
「SNSで娘と同じくらいの月齢で生まれた赤ちゃんたちが、頑張って大きくなっていく成長の様子を見ることはとても励みになりました。SNSで情報収集するうちに、ほかの地域にリトルベビーサークルがあることを知り、滋賀も探したけれど見つかりません。ほかの地域では同じような境遇のママたちとおしゃべりや情報交換ができてうらやましいな、と思っていました。
さらに娘が1歳を過ぎて少ししたころ、他県に『リトルベビーハンドブック』があることを知りました。滋賀にも欲しいと思い、SNSで知り合った他県の先輩ママさんに相談したところ、『リトルベビーハンドブック』を作るには、まず仲間を集めたほうがいいとアドバイスをもらい、サークルを立ち上げることにしたんです」(かおりさん)
かおりさんは、ひなのちゃんが1歳8カ月のころに、「リトルベビーサークル 滋賀のCOAYU」を立ち上げます。
「サークル名は滋賀・琵琶湖で育つ“小鮎(こあゆ)”からとりました。始めは1人で始めた活動でしたが、地域の子育てサークルやSNSなどで“滋賀県でもリトルベビーハンドブックを作りたい”と呼びかけたところ、7人の当事者ママが賛同してくれました。医師など専門職の方も応援してくれたほか、地域のお祭りやイベントなどで呼びかけたところ、約130人ものママさんが“応援します”というメッセージカードを書いて協力してくれました。
サークル発足から2カ月後の2022年9月、たくさんの方の声を集め、要望書という形で滋賀県知事に提出することができました」(かおりさん)
かおりさんたちからの要望書をうけ、滋賀県では、2023年3月に滋賀県の「びわこリトルベビーハンドブック」が完成しました。現在、滋賀県内のNICUのある病院で2500g未満で生まれた赤ちゃんの保護者すべてに、リトルベビーハンドブックが配布されることになっています。
かおりさんはサークルで交流会やお花見会などの実施や、県内で写真展を開催するなどの活動をしています。
「毎年開催しているお花見交流会では、参加者同士で1年間のお互いの子どもの成長を喜び合っています。自分の子より年上のリトルベビーたちが走り回る姿を見て『うちの子も来年は走っているかな』と希望をもってくれる人や、『自分が元気づけてもらったから、今度は元気づける側になりたい』と言ってくれる人もいます。自分と同じような経験をした仲間がいると、きっと心強いと思います」(かおりさん)
車いすパパの子育て
ひなのちゃんは4歳を過ぎたころに弟が生まれ、お姉ちゃんになりました。父・慎弥さんは第2子の誕生に合わせ、2年間の育休を取得し、現在も育休中です。
「洗濯などの家事や、おむつ替え、子どもとの散歩、ひなのの幼稚園の送迎など、夫は一緒に育児をしています。下半身が不自由なのでできることは限られますが、工夫してできるだけのことをしていますし、いてくれるだけでも本当に助かっています。
わが家は車いすユーザーの夫が運転するために、手動運転補助装置のついたスライドドアの車を使用しています。夫は長女が生まれたころには、チャイルドシートに子どもを乗せることは難しかったのですが、長男が生まれたあとは、いろいろと工夫や練習を重ねていました。
子どもをチャイルドシートに乗せるには、夫がいったん後部座席に乗りこんで、子どもを乗せたあと、自分が運転席に乗り込み、さらに車いすを折りたたんで車に乗せる必要があります。そんなふうになんとか工夫をして、一緒に育児をしています」(かおりさん)
さらに、ひなのちゃんが通うこども園の協力もありがたい、とかおりさんは言います。
「こども園は教室内まで子どもを送らないと行けないのですが、車いすの夫も教室まで入れるように、園が室内用車いすを用意してくれました。これがあると夫にこども園の送りを頼めるので、すごく助かっています」(かおりさん)
お話・写真提供/小島かおりさん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
夫の慎弥さんは、かおりさんの活動について「すばらしい活動だと思います。僕も手伝いに行きますが、写真展を見た人が感動してくれたり、何か手伝いたいです、と言ってくれる人が多く、活動の意義を感じます」と話してくれました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年4月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。